釜石の日々

可視化

昨日の産経新聞「【主張】PCR検査 全力で強化し感染を防げ 不十分な態勢に猛省が必要だ」は、珍しくまともな「主張」になっていた。常に政府を擁護する立場から書かれて来た同紙もさすがにこのウイルス感染の拡大に対処出来ていない現状に業を煮やしたのだろう。日本のウイルス対策は初めから失敗は見えていた。寄港したクルーズ船の感染を知りながら、内部での感染防止対策を怠ったまま単純な隔離で下船を許さなかった。以前見た韓国ドラマの「ホ・ジュン」でも、感染者が出た村を村ごと封鎖して、中では感染が広がっていた。現代は検査と言う武器があるにもかかわらず、何百年か前と変わらない封鎖をおこない、やはり中で感染を広げてしまった。検査を早急に行い判別して、健常者の下船と陽性者の別施設での隔離や入院を行うべきであった。国内の発生が始まってからも、国立感染症研究所が全てのデータを把握するために、検査を保健所経由に制限してしまった。しかもその研究所が開発する検査キットにこだわり、検査の遅れと検査量の限界と言う問題を抱えることになった。米国も同じで疾病予防センターCDCが独自の検査キットを開発しようとして、検査が大幅に遅れてしまった。SARSウイルス感染やMERSウイルス感染と言う貴重な過去の対策見本があるにもかかわらず、科学的根拠のない「独自」の対応をしてしまった。特に日本は米国以上に保健所を通じた検査にこだわることで検査件数が制限されたままである。先日NHKが報じた厚生労働省の対策班の苦渋ぶりは、感染症研究所による制限された検査と言う最初からの条件下で開始させられたことが原因である。検査が制限されていなければ、対策班は何もクラスター潰しなどと言う戦略だけに捉われる必要はなかった。中国や韓国・台湾は早急に検査キットを大量に購入し、検査を惜しみなく実施し、感染者を炙り出し、隔離と治療に振り分けた。いずれもSARSウイルス感染の経験を生かした対応であった。そもそもが中国の知人も言っていたが、日本は人命よりもデータを取る研究を優先したのだ。クルーズ船内の感染拡大を日を追って記述した感染研究所所長のCDC提出論文は、船内で感染し辛い思いをする感染者の病状よりも感染者数の増え方に関心が向けられ、治療は二の次であったことがよく分かる。日本よりはるかにICU設備が整っているイタリアですら適切な医療が施せず多くの死者を出している。ウイルスの遺伝子的な変異の解析がなければ正確な比較は無意味だが、日本のこれからは同じく重傷者に対応し切れなくなる可能性が十分ある。本来他国のようにウイルス研究者が総動員で日本に感染拡大しているウイルスの遺伝子分析を行うべきだが、何と文部科学省が次官通達で国立関係の大学や研究所の「仕事」を停止させてしまっている。「自粛」の一環と言うことなのだろう。とても驚くべきことである。他の先進国ではあり得ないことが起きている。大学や研究所が総力を上げてウイルス研究に没頭している。江戸時代から日本の国家運営は実質、官僚が主体で行われて来た。明治も現在も同じである。しかし、官僚は新たな事態には呆然と立ち尽くすだけで、臨機応変に対応出来ない。下手に動いて失敗の責任を負うよりも何もしないで責を負う危険から逃れようとする。日本発のウイルス分析がいつまで経っても出て来ない理由がようやく分かった。国の重大時に、率先して動かねばならないリーダーが、まさに無能さを露呈している。この事実こそがまさに日本の国難である。感染拡大を抑えるにはもはや手遅れだ。少しでも見えないウイルスの動きを可視化するためには、手遅れだがともかく出来るだけ早く検査を拡大しなければならない。多くの犠牲者が出ることは避けられないとしても。
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