釜石の日々

岩手県釜石市に移り住んで16年8ヶ月が過ぎ、三陸沿岸部の自然の豊かさに感動する毎日。

「一般的な倫理の「浮遊現象」」の源

2012-10-01 19:12:57 | 社会
夜半の台風は滝のような雨を降らせていたが、風は四国の台風を経験した身ではさほど強く感じなかった。今朝、庭を回ってみても風の被害は少なかった。近くの甲子川の流れの音の方が山風のように響いて来た。朝は風がまだいつもより強く残っていたが、空は晴れ上がっていた。日中も30度近くまで上がり、昼休みに車で出ると、汗が流れて来た。明日にはまた最高気温が20度近くになるようだ。 釜石へ来てから、東北の歴史を調べているうちに古田武彦氏の著作に出会い、氏の著作を次々に読みふけった。そして、これまで教科書で学んだ日本の歴史がいっぺんに吹き飛んでしまうほどの驚きを受けた。中国や日本の歴史書の膨大な量を詳細に資料批判されておられるだけでなく、実際に現地に赴き、遺跡や伝承を確認して歩き、自己の論拠として実証して行く姿勢に感動さえ覚えてしまった。今年で86歳になられる、その年齢を考えると驚異的だと言っても言い過ぎではないと思われるほどのお元気さだ。古田氏は東北大学の日本思想史学科を出られた方で、思想史が専門で、思想家としての親鸞の研究をされておられた。その研究の方法の一つが資料批判の徹底で、非常に緻密な批判を加えて、論を展開されておられる。1960年代末から古代史の研究結果を発表されるようになり、以後、古代史研究に没頭されて行く。氏の古代史研究そのものも非常に興味をかき立てられるが、氏の立脚点が「思想」にあることに、より興味を引かれる。1964年、氏の31歳の年に『近代法の論理と宗教の運命ー“信教の自由”の批判的考察』(金沢大学曉鳥賞を受賞)と言う論文を発表されておられる。西欧社会はもともと多神教の世界であったが、魔女狩りによってキリスト教以外の神々を駆逐し、キリスト教という唯一の宗教の社会になった。魔女狩りは欧州の三方を回教に取り囲まれた時期に最も苛烈に行われたことも明らかにされている。西欧近代から現代までの法で「信教の自由」と言う時、それはキリスト教下での「宗派の自由」に他ならず、キリスト教を含めた宗教の自由ではないことを各国の条文から喝破されておられる。一方、日本の明治新政府では伊藤博文がウィーン大学でカール・マルクスと同じヘーゲル門下のローレンツ・フォン・シュタインから「「社会における階級対立の矛盾」への緩和剤」として「「神道」を「非宗教」(=諸宗教以上の宗教)として国家精神にせよ」、との教えを受けた。「階級対立緩和剤(=行政)の根本原理がへーゲル流の絶対精神を享けた国家精神、つまりヨーロッパ単性社会のキリスト教であることを(シュタイン)氏は明確に意識していた」。芥川龍之介が「手巾」で東京帝国大学法科大学教授、長谷川謹造先生を「日本文明の精神的堕落を嘆く憂世の人」と描いているのも、東京大学法学部の丸山真男教授が名著『日本の思想』で「自己を歴史的に位置つけるような中核あるいは座標軸に当る思想的伝統はわが国には形成されなかった」と述べていることも、「両者の間に驚くほど一箇の論点が一致共通しているのに目を見はらせられるものがあります。」とされる。「丸山氏の言う思想的座標軸とは、その最大のモデルがヨーロッパ精神史を貫流する、キリスト教の伝統に他なら」ず、「基本視点は必ずしも氏の先見・独創ではなく、大正五年、謹造先生も、基本的には、まさに同じ発想を示すのです。」とする。「「信教の自由」の誕生地ヨーロッパではその装置のトリックとして「神の体液の滲みわたった良心」「あらゆる自由の上に立つ神」が置かれてあった」とした上で、戦後の日本のように、そうした装置のない「信教の自由」の下では「その社会の中で、多くの宗教家がそれぞれの、多くの絶対者達を並び立て、それぞれの絶対的帰依をもとめる ーーそれらのすべての状況の承認という国家理性(「信教の自由」の法)が主権者たる国民に分有される時、それは完全な無宗教性の分有となる。」そして、「「信教からの自由」社会では」「政治家、僧侶(牧師)、資本家(紳士)たち上流階級、指導者層は国民一般との精神的紐帯を欠き」、「一般的な倫理の「浮遊現象」が生じ」、「国民の一般感情は無宗教性となり、ことに知識階級(近代国家の中の「近代的階級」)の中に「宗教への軽侮」は恒常化します。」と論じておられる。そして、「真の宗教批判」から「宗教のモルヒネ性として抽出」することで、「「生の根拠」として「実践的倫理」を形成す」ることが出来るだろうとされる。日本社会の現在の思想状況をこうして法的な「信教の自由」からひも解かれている。
見えて来た秋色

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