釜石の日々

岩手県釜石市に移り住んで16年8ヶ月が過ぎ、三陸沿岸部の自然の豊かさに感動する毎日。

「歳かな」

2012-04-20 19:17:40 | 文化
今日もまた曇天が続く。日が射さないと多少気温も低めだ。今、釜石では梅が7分咲きから満開になって来ている。今朝出勤時に近所の早咲きの桜を見ると、こちらも7分咲きになっていた。ほとんどの桜はしかしまだ蕾の状態だ。遠野に住む職場の同僚は今ログハウスを建てておられるが、6月後半には完成する。敷地には古い曲り家があり、倉庫にするのだそうだ。ログハウスが完成すると娘とともに招待していただけることになっている。この方は、全国各地の列車に乗ることが趣味で、SLなども何度もご家族で乗っておられる。最近はそれらの写真も撮るようになった。6月には3週続けて、週末に花巻ー釜石間をSLが走るという情報を教えていただいた。やはり、ご家族で乗車される。もう乗車券は売り切れていると思われるので、こちらはせっかくのチャンスなので、何回かに分けて場所を選んで写真を撮ろうと考えている。娘も是非一緒に写真を撮りたいと言う。宮沢賢治で知られる宮守の眼鏡橋や遠野の田園地帯を走るSLなどはいい絵になるだろう。子供の頃、単線しかない四国では同じ県内にある父の生家に行くのによくSLに乗った。窓を開けていると黒い煤が入って来る。トンネルに入れば必ず窓を閉めておかねばならない。警告や合図の汽笛も今では懐かしい。母の生家の大阪へ行く時は3000トンクラスの客船を使った。夜、乗船すると翌朝に着いた。学生時代にはまだ高松と岡山県の宇野港を結ぶ大きな連絡船があった。船に車両を積み込む大型の客船だった。この船上で食べるうどんが最高だった。のんびりと小さな島が点在する瀬戸内海を見ながら旅が出来た。移動時間は人の心の余裕にまで影響する。現代は移動時間が早くなった分、心の余裕も無くなって来た。大都会の交差点でよく見る人の足並みにそれがよく現れているように思う。かっては自分もその足並みに合わせて歩いていた。今はたまに大都会へ行くことがあってもそうした足並みが奇異に感じられる。昨夜は職場で新しく来られた方の歓迎会があり、そこで同席した同職の先輩から釜石に来ることにした理由をお聞きした。何十年か前の釜石の全盛時代に釜石へ来られた。その頃の釜石は岩手県下では県庁所在地の盛岡市以上に都会的だったそうだ。この先輩はそこに惹かれて釜石へ来ることにしたのだそうだ。当時と比べると今は雲泥の差だ。都会的な釜石に惹かれて住むことになった先輩はさすがにこの釜石の自然の豊かさをご存知なかった。自然の豊かさそのもに興味がないと言う方が正確かも知れない。釜石へ来てから東北の民謡を聴いて民謡というものを見直したというお話をすると、民謡はやはり以前は興味がなかったそうだ。ジャズがお好きだったようだが、最近ようやく少し民謡を聴くようになって来たそうだ。「歳かな」と言われていた。若く先にまだ将来を夢みることの出来る年齢をはるかに超えて、これまで生きて来た人生を振り返る年齢になると、自分が経験した一番人間らしい生活はいつの時代の生活か、考えるようになるのかも知れない。また、同じ釜石に住んでいても匠の方のような人を知っていなければ、確かにこの釜石のこれほどまでの自然の豊かさに気付けないのかも知れない。
咲き始めた白木蓮

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