釜石の日々

岩手県釜石市に移り住んで16年8ヶ月が過ぎ、三陸沿岸部の自然の豊かさに感動する毎日。

日本の信仰は文化と同じく雑種のようだ

2009-08-18 07:05:32 | 歴史
以前に大祓祝詞や夏越の大祓と茅の輪について記したがそもそも6月30日と12月31日の年2回大祓が行われるのはかって日本の古代では現在で言う半年が1年とされたためである。つまり古代は現在の1年が2年に当たったわけだ。従って古代の人たちの年令は倍の年令表示がされている。2倍年歴というそうだ。ところで奥州市の黒石寺の蘇民祭についても以前記したことがあるが夏越の大祓で行われる茅の輪潜りの茅の輪も蘇民祭の蘇民将来に由来するそうだ。13世紀末頃に完成したとされる釈日本紀に引用された『備後国風土記逸文』に蘇民将来のことが記されていて、それによると旅の途中で宿を乞うた武塔神(むとうしん)に対し、裕福な弟の巨旦将来(こたんしょうらい)は断り、貧しい兄の蘇民将来はできるだけもてなした。その礼として後に武塔神は巨旦将来の嫁となっていた蘇民将来の娘には茅の輪を持たせ、それを持たない他の巨旦将来の一族を滅ぼした。以来、茅の輪を身につけていれば疫病を免れるとされたそうだ。ただこの武塔神は速須佐雄能神(スサノオ)を名乗ったそうだが朝鮮では武塔(ムータン)の台形状の聖所にある神の意味とされ、中国の道教の神である托塔天王と関連付ける説もあるようだ。蘇民将来や巨旦将来と言った名前も和人らしくなく、同様の説話自体が中国にもあるようだ。日本ではさらに武塔神の説話が祇園牛頭天王縁起へと発展し、ここでも牛頭天王(ごずてんのう)と素戔嗚尊が同一人物とされている。京都の八坂神社の護符の由来では先の武塔神と蘇民将来との説話がそっくり武塔神の部分が牛頭天王に変わった形になっている。明治時代の神仏分離で仏教と神道が混交した牛頭天王信仰が徹底的に弾圧されたため牛頭天王ではなくスサノオを祀る神社として再編されたそうだ。奈良や滋賀の天皇神社はスメラミコトとしての天皇ではなく牛頭天王が祭神だそうで天王洲アイルの「天王洲」などの各地にある「天王」のつく地名の多くは牛頭天王に因むものだという。

花滑りひゆ(ポーチュラカ) 松葉牡丹と同じ種類の花だが葉が松葉牡丹より少し大きい

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