釜石の日々

岩手県釜石市に移り住んで16年8ヶ月が過ぎ、三陸沿岸部の自然の豊かさに感動する毎日。

岩手の人たちの気質

2009-01-04 08:10:00 | 文化
岩手県は北海道に次ぐ広さがあって北上山地で内陸と沿岸に分けられている。北上市を堺に北の南部藩(盛岡藩)と南の伊達藩に分かれていた。現在の岩手の人たちの気質もこの江戸時代の藩領の違いが影響しているようだ。南部領は先に記した風土そのままで広大な地域を占めているがあまりに距離が離れているため各地域が孤立する形で発展し、それだけ地域毎の固有の文化が生まれている。気候は寒く、冬が長く、内陸は雪が多いため厳しい自然に耐える性癖を身につけるようになったそうだ。伊達領は商業的な繁栄のせいもあって進取の気質に富むと言われているようだ。一般に岩手と言う場合はこの旧南部領のことが語られているようだ。鈍重だが、粘り強い、たくましいとか隠忍自重あるいは素朴で真面目な努力家、おとなしく粘り強く頑固者、要領が多少悪くても沈着冷静に事を為しとげるといった、愚直さが特徴などと言われている。寡黙なロマンチストと言う人もいる。疎開のため花巻に7年間住んだ詩人で彫刻家の高村光太郎は詩「岩手の人」で
岩手の人 沈深牛の如し
両角の間に天球をいだいて立つ
かの古代エジプトの石の牛に似たり
地を住きて走らず 企てて草卒ならず
ついにその成すべきを成す
と歌い、宮澤賢治も「雨ニモマケズ」でその「岩手の人」を自ずから表現している。啄木があれほど何度もふるさとを歌ったのも啄木の実直さと要領の悪さがふるさと以外に馴染めなかった故ではないだろうか。金田一京助の日本語研究のような地味な研究がなし得たのも岩手に生まれたひとだからこそなのかもしれない。地を住きて走らず 企てて草卒ならず(あわてず) ついにその成すべきを成す。釜石で出会った多くの匠の人たちがまさに。風土と人が歴史とともに強く結びついて形成された典型と言える土地が岩手なのかも知れない。


車のフロントガラス越しに見たヤマドリ

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