釜石の日々

岩手県釜石市に移り住んで16年8ヶ月が過ぎ、三陸沿岸部の自然の豊かさに感動する毎日。

幸福な社会とは

2012-01-03 19:30:02 | 文化
今日は三ヶ日の中では最も寒い日だ。風があり、小雪も舞う。気のせいか年々元旦早々から店を開くところが増えているように思う。コンビニなどは元旦にいつも以上にアルバイトの数がいる。需要が減り確実にデフレが進んでいる現況では、少しでも売り上げを上げたいと言うのが本音なのかもしれない。TVがあまりに愚劣な番組を並べるようになってからはTVを見なくなり、今ではもうTVをしまい込んでしまった。新聞もどれも特徴が無く、読んで面白い記事もなくなってしまったので、いつからか新聞を取るのも止めてしまった。今はインターネットがあるので、情報はネットで十分事足りる。ネット上には個人が個々の興味のある記事を上げているので、検索をかければ、知りたいことはまず一通り入手出来る。地方にいると大きな本屋がないのが欠点と言えば欠点だが、これもネットで購入はできる。実際に手に取って、内容を見てから購入出来るのがベストだが、それもある程度ネットで検索すればどういう内容かおおよそ判断出来てしまう。都会の喧騒がない分、考える時間も十分取れるし、自然の恵みも享受できる。何より、通勤に時間がかからない。釜石の場合は物価については新日鉄時代の殿様商売の影響で遠野などと比べても決して安くはないが、ちょっと高額になるものはネットで購入するようにしている。電気製品でも今はどこも大手家電量販店が進出しているが、こうした店もネットより高い。だいたいはネットの「価格.COM」のようなところを探すと、量販店より送料を入れてもずっと安く買える。修理についても結局量販店で買っても同じで、メーカーへ送られてしまう。ネットで購入しても保障証があればメーカーへ直送すれば修理してもらえる。今、世界も日本も窮地に追い込まれて来ている。世界的に需要が落ち込み、日本の「失われた20年」に欧米が後追いしている。いずれも「国債」が問題なのだ。社債と異なり、国債は自らは営業利益を生み出すことが出来ないため、そこに派生する利息は結局は国民からの税金をつぎ込むしか無い。国債はしたがって本来国民からの税に頼る仕組みであり、言ってみれば政府の勝手な思惑により、国民が借金を背負わされているのだ。国会が形式的にはそれをチェックすることになっているが、数の論理でろくにチェックされないで通って来た。今や欧米と日本の国債が世界から信用を失いつつある。欧州の債務危機のため成長著しい中国やインドまで欧州の購買力の喪失の影響を受けて、経済が減速し始めている。この正月休みに偶然立て続けに1955年に制作されたアラン・レネ監督の『夜と霧』と2010年に制作されたローズ・ボシュ監督の『黄色い星の子供たち』を見た。前者はもう何年ぶりだろう。虐殺されたユダヤ人たちと現代のイスラエルの横暴ぶりが見ていて重なって来た。映画では「無意味な死」が描かれているが、60年以上経った現在もそうした無意味な死が続いている。飢餓に起因する死者は毎日25,000人にも及ぶ。人類の発展、文明の進化とは何だろう。経済成長を遂げたはずの日本で一体何故貧困層が増え続けているのだろう。企業は世界に販路や生産拠点を広げて巨大になったが、国民は豊かになっているのだろうか。「経済学の巨人」と呼ばれ、『不確実性の時代』で日本でも知られるようになった、米国経済学会会長でもあった故ジョン・ケネス・ガルブレイスハーバード大学名誉教授は『ゆたかな社会』でも現代の資本主義社会は果たして幸福な社会をもたらしているのか、疑問を呈している。そして『悪意なき欺瞞』ではあえて経済学者が「資本主義経済」を「市場経済」と称することの欺瞞を指摘している。要は消費者には主権などなく、生産者に主権があるのが現代の経済状況であると述べている。生産者がマスコミと政治を動かしていることを指摘している。
雪を冠った愛染山

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