釜石の日々

岩手県釜石市に移り住んで16年8ヶ月が過ぎ、三陸沿岸部の自然の豊かさに感動する毎日。

疲弊の度を増す地方

2011-09-10 19:37:29 | 文化
もうすっかりセミの声は聞こえなくなってしまったのかと思っていると午後にはまたミンミンゼミの声が聞こえて来た。朝晩だけでなく日中も虫の声も普通に聞くようになった。時折、甲子川を遡って来たウミネコの鳴き声が混じる。明日の東京でのシンポジウムのために娘を釜石駅へ午前中に送って行った。いつもならば花巻まで車で送るのだが、今日はどうしても釜石にいなければならないので、釜石駅までで勘弁してもらった。快速の「はまゆり」で新花巻駅まで行き、そこから新幹線で東京へ向かう。震災後流れた瓦礫を使ってキーホルダーを作っている若者がいて、結構売れているそうで、ちょうど釜石駅のそばのシープラザでそれが売られている。娘は知人たちに上げたいからと、出発前にそれをいくつか買った。別の売り場には釜石の著名な写真家の震災写真集もおいてあって、それも1冊買った。「絆」と書かれたTシャツなども売っていた。ローカルなJR釜石線は単線で、4両編成の快速「はまゆり」に乗車する客の列も20~30人程度だった。ディーゼル機関の列車はのんびりと出て行った。昨日の毎日新聞は産業技術総合研究所の研究について報じている。これまで首都近辺では神奈川県全域から房総半島西部を震源域とする関東大震災(1923年)と同じ「大正型」と、震源域がさらに東に拡大した元禄関東地震(1703年)と同じ「元禄型」の2種類が繰り返し起きることが分かっていたが、政府の地震調査委員会は大正型は200~400年、元禄型は約2300年の平均周期でそれぞれ発生すると想定しているため政府は「今後100年以内に発生する可能性はほとんどない」として首都直下地震対策の対象から除外していた。ところが今回明らかになって来た産業技術総合研究所の研究では元禄型地震の度に隆起を繰り返したとされる房総半島南部沿岸の地質調査を最新技術に基づいて再び実施してみると、約2300年の周期と一致しない隆起の痕跡が複数の年代で見つかった。元禄型も外房型と大正型の連動型地震である可能性が出て来た。かっての関東大震災も阪神大震災も都会型の震災で、現代都市がいかに震災に弱いかを教える。特に首都は阪神以上に凄まじい被害をもたらす可能性が強い。今回の東日本大震災は主に地方型の大震災であり、都会型とも異なる。平常時の大都会と地方の関係がそのまま浮き彫りになる。地方は農産物や工業品の供給を担い、都市がそれを消費する。戦後の高度経済成長期には労働力の供給基地でもあった。しかし、少子化や「グローバル経済」の進展とともに工場の海外移転が進み、地方は次第に労働力の供給基地である役割を終えて、円高の進行がさらに加わって来ると農産物の海外からの輸入まで行われるようになり、農産物の供給すら失われて来つつある。地方の産業はどんどん細まって来ていた。そんな状況の中で今回の震災が襲った。原発事故は円高と合わせて農産物の海外からの輸入を一層加速させるかも知れない。細々と生き残っていた太平洋沿岸部の企業も今回の震災で7割が被災した。震災による失業者は7万人を超える。沿岸部での再起をあきらめて沿岸部を離れた人たちも多い。東北はますます疲弊の度を増して高齢者だけが取り残されて行く。江戸時代までは都市と地方の差は今程大きくはなかった。大都市への一極集中を放置し続けた結果、都市生活も人の住む環境ではなくなり、地方も疲弊するという日本全国住みづらい国にしてしまった。「復興」も戦後一貫して行われて来た国土計画と何ら変わらない発想で行われようとしている。今回の震災の中でも最初は物資の大量の支援が必要であったが、時間とともに地元に根付く支援が必要となって来た。国の復興事業は一時的なワンパターンの補助金であり、地元に長く根付く復興という視点が相変わらず欠けている。道路や港湾を整備すれば事足りるという状況ではもうなくなっていることが理解されていない。
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