釜石の日々

岩手県釜石市に移り住んで16年8ヶ月が過ぎ、三陸沿岸部の自然の豊かさに感動する毎日。

久しぶりの職場の方たちとの歓談

2011-11-23 19:20:09 | 文化
昨日は久しぶりに職場の同僚の方からお誘いがあり、娘とともに楽しい夜を過ごさせて頂いた。何年ぶりかで夜の零時を過ぎるまで街へ出ていた。おかげでベッドへ入ったのが午前2時になってしまった。今日は午前10時から遠野で鎌仲ひとみ監督の映画『ミツバチの羽音と地球の回転』を観て、「三陸復興と自然エネルギーの未来」にも出席する予定だったが、結局止めてしまった。釜石の被災した地域には夜の繁華街があり、震災でほとんどすべてが被災して、犠牲になられた方々も多い。そうした中で、数軒の店は同じ場所で店を再建されて商売を始めておられる。昨夜お招きいただいたところもそうしたお店の一つだ。もともと釜石では珍しいレコード盤を使ったジャズ演奏が流れるお店で、懐かしい雰囲気を味わうことが出来る。同僚の方がドイツワインを準備されておられて、何人かの職場の女性軍とともに娘もそれを堪能していた。こうした場では普段職場では見られない人柄が出てみたり、初めて聞かされる職場の他の人たちの話などがおもしろ、おかしく語られる。うるさ過ぎないジャズの演奏を聴きながら、ほんとうに久しぶりに楽しい時間を過ごさせて頂いた。帰りに女性軍が辛いカレーを食べさせてもらえるお店に行こうと言い出し、結局皆でその店にも行くことになった。この店も被災したのだが、元の建物が巨木の梁でしっかりと造られていたため、内装を改めるだけで復活できたようだ。お店の中は市の職員達で一杯だったが、快くいくつかの席を開けて頂き、また楽しく過ごさせて頂いた。ただ、出されたカレーは一口食べただけで娘に譲ってしまった。並の辛さではなく、一口食べただけで一気に汗が噴き出して来た。こんな時は牛乳を飲むといい、ということを初めて店主に教わった。実際、店主が出して来てくれた牛乳を一口だけ飲むと口の中の辛さは消えた。普段、家では原発事故以来牛乳は飲まないようにしているが、この時ばかりは耐えられず飲んでしまった。おでんや焼き鳥はとても美味しく、娘と顔を見合わせながらその美味さに舌鼓を打っていた。残念ながら下戸のため、釜石のこうした店をほとんど知らないで過ごして来た。職場の匠の方にも以前今回被災しなかった別のお店を紹介いただき、何度か職場の方たちと行ってはいたが、個人的に居酒屋へ飲めない人間が出かけるのはちょっと躊躇してしまう。食べるだけでもいいですよ、と言われてもやはり敷居が高い。この店も安くて美味いものを食べさせてもらえるのだが。昨日もつくづく釜石というところに感心させられた。こうして何の変哲もないようなお店が素材を生かした美味い料理を出してくれる。味付けが絶妙なのだ。同じ素材であっても一人一人作り手ごとにこだわった調理法が施されることで、それぞれに全く異なる味わいを提供してくれる。それぞれが美味しく、まったくくどさを感じない。そのため、また機会があれば食べてみたいという気にさせてくれる。職場の同僚の方の人柄でどこへ行っても必ず親しく声がかかり、一緒になって歓談出来た。大都市と違って地方の小都市ではこうして店で過ごす時間もたっぷりと取ることが出来、帰りに時間もさほどかからなくて済む。昔いた北海道の人口7500人の小さな町では3軒、4軒とはしごするのは当たり前のようであった。それだけ時間がたっぷりと取れるということだ。下戸だが飲める人たちとは最後まで付き合って来た。飲めなくともそうしたところで楽しく過ごすことが出来るからだ。今年はどうやら職場単位では震災の関係で例年の忘年会はなさそうだが、たまにはこうして職場の人たちと息抜きするのもいいものだ。ただ今日は午後から雨模様になり比較的寒さが和らいだ(とはいえ、吐く息は白い)が、昨晩は街を歩いていて体の芯まで冷え込むようなひどい寒さだった。
甲子川(かっしがわ)にはわずかだが鮭も遡上していた