釜石の日々

岩手県釜石市に移り住んで16年8ヶ月が過ぎ、三陸沿岸部の自然の豊かさに感動する毎日。

ウルトラ・リベラリズム

2011-11-09 19:32:21 | 文化
さすがに冬が立っただけあり、朝は気温が5度前後まで下がっている。今釜石では紅葉が真っ盛りだ。もう少しすればさらに色濃くなって来るのだろうが、一方で風や雨で散ってしまうものもある。群馬大学の早川由紀夫教授が火山灰の拡散の研究成果を利用してこれまでも放射性物質の広がりを様々公表されて来たが、最近、「焼却灰のセシウムマップ」というのを公表された。おおよそ岩手県から静岡県に至る間の各県・都が含まれる。焼却灰に含まれるセシウムの分布も以前からの放射性物質の拡散と重なっている。岩手県では内陸南部がやはり高くなっている。釜石は遠野とともに6段階に分類された中の濃度の高さから言えば2番目に高い分類に入っている。一関は福島市や南相馬市と同じ最高濃度に分類されている。これを見ても岩手も除染が必要なところがあることが分かる。釜石や遠野なども部分的には高濃度になっている、いわゆるホットスポットがあるはずで、そこに注意が払われていないことを危惧する。小さな子供たちが何も知らずに遊んでいるのだ。母親達の多くが情報が伝わらないまま汚染食品を子供たちに与えている可能性が強い。本日厚生労働省は全国の生活保護受給者が戦後最多となったと発表した。7月時点で月平均205万495人となり、1951年の204万6646人を上回った。高齢化や東日本大震災の影響もあって今後さらに増加することが予想されている。戦後日本の技術はめざましい発展を遂げたがその技術は必ずしも人々の日常生活を豊かにしていない。進んだ技術が人々の生活を豊かにするためにはそのための制度的な整備が必要になる。高度経済成長期を過ぎて、Japan as Number Oneと言われるようになってからの日本はどこかで道を間違えてしまった。そしてその背景には新自由主義の大きな流れがあるように思う。18世紀の経済学者アダム・スミスは「利己心に基づく人々の自由な行動が神の「 見えざる手」に導かれて最も効率的に社会全体の富を増加させる。」という予定調和論を展開し、資本主義経済の基本となったが、市場に任せれば自然と調和が生まれることはすでに英国産業革命後の貧富の差で間違いであることが明らかになっている。にもかかわらず、さらに市場にすべてを委ねる「新自由主義経済学」が台頭し、米国はこの考えを世界に浸透させ、貧富の差を様々の形で創り出して行った。規制を受けない経済活動は利潤のみを追及して、企業としてのモラル・ハザードを顧みることがなかった。利潤を最大にするためにはコスト削減が必要であり、人件費を削るあらゆる手段が導入された。短期的にはこれは確かに企業の利潤を最大にし得るが、長期的には中間層を低賃金側にシフトさせることで、国内需要を縮小させてしまう。世界に蔓延した格差は輸出をも低減させてしまった。結局企業は自ら首を絞める結果を招いた。こうした過程で生まれた米国の金融経済は国を超えて利潤を求める投資に安易さをもたらし、欧州の経済危機まで招来させている。日本では「失われた20年」が現出し、その上、ここに来てTPPという米国発の「貿易協定」を押し付けられようとしている。日本国内で各分野毎の詳細な検討も何ら行われることなく、日本国内の一切の保護の撤廃が前提となる。それが「自由」を意味する。国家の管理を退け、市場に任せよ、と主張する。神の手が「予定調和」を助け、混乱は生まれないとする。相変わらずの新自由主義の徹底である。新自由主義の蔓延が恐ろしいのは単に経済格差が生まれることだけで済まないことだ。下部構造としての経済の変化は上部構造への多大な影響をもたらす。社会的な諸制度がことごとくなぎ倒されて行く。「市民」の崩壊すら起きて来る。歴史人口学者で家族人類学者でもあるエマニュエル・トッドはウルトラ・リベラリズムは民主主義を崩壊させる、もし自由貿易が続くなら民主主義は消えるだろう、と言っている。
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