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もんく [とある南端港街の住人になった人]

スペインかポルトガルの港町に住みたい
日本→インドネシア→台湾→マレーシア→日本
since Oct. 2004

電子本は売れる必要なんて無いと言う事実

2018-05-30 14:05:28 | マレーシアでニャー2018
数年前から電子書籍を数冊出している。売れ行きはどうかと言うと、そこそこ。あるものはコンスタントに売れていて、あるものは全く売れない。(わかっていてやっているようなところもある。)

やっていると気付くのは、電子書籍と言うのは紙の本とは根本的に違うメディアだと言う事。

何が違うかと言うと、紙の本は含まれる情報が常に紙にぴったりくっついてしまっていて、そこから取り出せないが、電子書籍は情報と言う実態がネットワークさへあればどこにでも出歩けると言う点。当たり前と言えば全くその通りなのだけれど、この違いは本当に大きい。

最初に電子書籍を出す時はそう思っていなかった。なので、今日は1冊、明日は2冊、などと売れるのを数えて楽しみにしていた。それが、ある時変わった。それはAmazonが定額読み放題を始めてから。

その時から、別に売れた数など全然きにする必要が無いとわかったのだった。読み放題で適当に読んで貰えれば売ったのと同じように売り上げになる。本として1冊づつ売れる金額より読み放題の分け前の方が優ったりする。なので売れる売れないがAmazonから情報として来るけれど、あまり関係ない。紙に貼り付いているより軽い方が便利に読まれるのだ。

と言うわけで、本を書くのは日本の銀行にお金預けて金利をもらうより余程良い。書くのは大変だけれど。

宗教行事ライブ観戦・楽しいラマダン

2018-05-29 23:23:15 | マレーシアでニャー2018
今、マレーシアはラマダン真っ最中。だから当然昼御飯時はあまり人が出ていない。つまり食堂やレストランはお昼ガラガラ。

何と禁欲的な!、と思うよ、知らなければね。

実は、これも有名な話だけれど、日が地平線の落ちたらものすごい勢いで食べるそうだ。レストランなんか日没2時間前から席取りして待ってるからウソじゃないんだろう。まあ、それも良いじゃないか。彼らの楽しみになってるわけだし。

日本人が宗教の事を思うとどうしても厳格さ、禁欲、敬虔のような事を思う。それから修行とかまで行ってしまったりする。それも1つの在り方には違いないけれど、そうじゃない宗教だってあるかもしれないし、少なくとも心は敬虔であっても表現はそうでないのもあるのが事実。キリスト教の人だってアップテンポのリズムで賛美歌を楽しそうに歌うし、キリストの誕生日は自分の家族や恋人の誕生日と同じように楽しんでいる。

イスラム教だってこのラマダン、どっちかと言うと日本のバレンタインデーと同じように楽しみの要素が大きいのだろうと見える。

先日、仕事場のあるムスリムが言っていた。ラマダンはお金かかるんだよ、と。おい、オマエ、食わないでおとなしくしてるんじゃないのか!?... いやいや、そんなわけないよね。今の時期これだけショッピングセンターに服や食べ物が山積みされていて普段より何倍も消費されるのが見えてるわけだし。

どう見てもバレンタインデーとかクリスマスと同じなのだ。

別にそれを悪いって言ってるのじゃない。宗教的な本来の意味と離れて行事が行われているからと言って、彼らが堕落してるとは言えないわけだし。仮に堕落してたとしても、それは彼らの選択の自由の範囲なわけで。日本人だって似たようなものだし。

何にしろ、教科書的な知識じゃなくて、こうしてライブに観察できるといろいろ楽しいのである、宗教も。

家として船に住むってどうなの?

2018-05-27 23:44:57 | マレーシアでニャー2018
古い記事何だけれど、こんなのがあった。

家や所持品をすべて売り払い、ボートで旅に出た夫婦と一匹の猫。その写真にほっこり」(←クリック)

興味深い。この人たち、家が地上に無いって事になる。地上に家が無いってのはどう言う事なんだろう? 日本だとこれ、相当困るはず。日本の場合、地上に住んでいる前提で何もかも制度が出来ているから水上生活は不便かもしれない。

だいたいにおいて、日本はどこかに本籍地と言うのがあって、その後に住民票を置く自治体がある。住民票を元にいろいろ通知が来たり水道は下水道が機能する。銀行だって仕事だって同じこと。最近はネットカフェに住んでいるような人たちもいると聞くけれど、不便なのだろうなあと想像する。そうでなくても海外にこうして住んでいるだけで、住所は定まっていても不便は付いてくるわけだし。

船に住むとなるとそれを上回る不便か?

と、いくらかの経験者のブログを手繰ってみると、意外とそうでもないらしい。海外に住むのとあまり違わない。それどころか、海外に船を浮かべているなら船上生活はコストが安いそうだ。

その理由は、例えばマレーシアだと船の所有に自動車のような税金がかからない。船の操縦に免許が要らない。係留費用もかからないとの事。もちろん、陸に上がるにはビザが必要で、観光ビザやその他、持っているビザの規定に従う必要がある。(観光ビザだと最長半年しかいられないから半年はタイなど別の国に移動している必要がある。)

じゃ、船の値段ていくらなんだ?

それがよくわからない。お金持ちが買ってるヨットとかクルーザーだとやはり高いんだろうと思う。でも、そんな尖った船はどうでも良い。どっちかと言うと昔ながらの木造船。ずんぐりとした丸っこいやつが良いわけだけど、どこにも値段が書いてない。安いのか高いのか皆目見当がつかず。

ちなみにマレーシアのKLで外国人が買える家は下限が確か3000万円弱。その周囲のスランゴール州だとその2倍。無理な範囲。買えたとしても修理が大変でコストがかかりそうだし。これから値上がりホントにするの?ってのもありそう。

つづく...かも

猫は国境越えられるかも知れないが....

2018-05-26 21:15:00 | マレーシアでニャー2018
先日クラウンラインさんに猫の日本への移動にかかる手続きとそのお値段を教えて欲しいとメールを書いておいたら返信が来た。ちゃんと一発でわかるファイルが用意してあってとても有り難い。価格も全部ワンセットでなくてそれぞれ必要な部分毎に分けて表示してあって、これも大変親切。

今は実際に日本行きの予定が無いので今後の参考にさせていただく事にした。クラウンラインさん、ありがとうございます。もしこれを読んでいる方でわからない場合には一度クラウンラインさんに当たってみるのは良いでしょう。

普通、こう言う事は自分で調べて詳細をここに書くべきなんだろうけれど、実はそれ、検査すると他に書かれている方がいてそちらを参考にする方が良いので私は今は書きません。悪しからず。もしわからなければ連絡くれればURL位はお教えできます。


ところで、明日でうちの猫たちの狂犬病ワクチンの有効期限が切れてしまうので、今日、ワクチン注射しに行ってきた。去年はRM65だったけれど、今年はちょっと値上がりでRM75。でも2匹まとめてだからか、それともお得意さんだからか、値引きしてくれた。いつもちょっとづつ値引きしてくれるのも含め、良いドクターに当たったなあといつも喜んでいる。



さて、猫たちの為にいつでも国をまたいで移動できるように準備しつつあるけれど、別の考えもあって、ずっとこのマレーシアにいるように出来ないかなとも思う。

マレーシアが良いところだから? いや、そんな事じゃない。住むだけならきっと世界にはもっとずっと良いところはあるだろう。じゃ、なぜか? 猫を飛行機に乗せるのが可哀想だからなのだ。仕事やってるうちにリタイアメントビザ取って10年いられるようにしたらどうか?、とか。

でも、リタイアメント取るとフルタイムで仕事できなくなるから収入が無くなって逆に居られなくなるんじゃないか?、とか。自営でやるにはビジネスセンスなんて無いし、性に合わない。それに国が許してくれるほど大きなお金をつぎ込む事なんてできないだろうなあ。Youtuber?、そんなの皆そう思ってるよね。

この問題、長期化必至。

小田原評定改め、マレーシア評定

2018-05-25 14:10:57 | マレーシアでニャー2018
小田原評定と言う言葉、多分知らない人も多いんじゃないかな?

Wikipediaから抜粋。
「小田原合戦時のこと、戦術をめぐる評議における論争で、老臣松田憲秀は籠城を主張したのに対し、北条氏康の四男である北条氏邦は箱根に出撃する野戦を主張して意見が分かれ、また降伏に際しても仲介ルートの選択で結論が出るまで意見が分裂したと言われている通説である。
この故事から、現在では小田原評定という言葉は「いつになっても結論の出ない会議や相談」という意味での比喩表現として使われる。

これ、小田原をマレーシアに替えても成立すると思う。

日本でも会議が単なる雑談会になるのは良く言われる事。マレーシアなんか実は日本以上にもっともっとひどい。根底には決めると責任とらないといけなくなるのがあると思う。

以前にも書いた事があるけれど、マレーシア人は失敗するのを極端に怖がる。ちょっとした事でも失敗して他人に何か言われるのが嫌なのだ。なのでこれまでやった事のない事に手を出すってのはしない。部下にやらせるって事はある。それなら自分が失敗した事にならないし、手を汚さずに済むから。

が、普通はやらない、始めない、決めない。これがマレーシアの基本。その延長上で、会議では何か新しい事を決めて自分たちでやろうってのはほとんど無理。無理じゃないのはレクリエーションだけかな?


今朝、避難訓練があった。ただアラームが鳴って工場の外に集合するだけの事。それだけでもやってないよりはやった方が良い。そして全員出てくると名簿で誰がいるか、いないか確認する。避難訓練なので予め名簿を各セクションの代表が持って出ている。それでチェック。


あれ、本当の火事の時、名簿持って出られるの? 無理だなあ。じゃ、ガードマンのところに1部置いておけば?、と言うわけだ。が、こんな簡単な事が決められない。夜勤の人は名簿に名前があっても居ないし、出勤した時名簿にチェックするのも面倒。代表が確認して出勤者名簿を毎朝届ける?、現実的か?

と、やけに細かい事ばかり言い始めてダメダメと否定合戦になったりする。で、結局何も決められずに終わる。多分誰か死んでから本格的に考える事になりそうだ。

そんなチャンスが来ない事を祈る。

猫の引越しにかかるお値段を知りたい

2018-05-24 23:23:23 | マレーシアでニャー2018
キャサリンさんに急かされてクラウンラインにメールを書いた。

クラウンラインとは何かと言うと、引越し屋さんだ。日系の。このクラウンラインさん、ツボをよく心得ている会社なんである。何のツボかと言うと、腰痛とか頭痛とかじゃなく、ペットの引越しと言う、全くもってそのものズバリの広告を出しているのだ。

確かマレーシアには日系の引越し屋さん、他にもあるようだけれど、ペットの引越しの広告を毎回出しているのはクラウンラインさんだけなのだ。(視覚イメージ的にはクロネコヤマトさんなんだけど。)

今のところうちのはマイクロチップ入れてサイバーキャットだし、狂犬病の注射して凶暴化してて、日本の抗体検査受けて生え際が後退...してないが、日本行きは可能だ。後はマレーシア検疫とかちょっと面倒な事が残っているけれど、それは本当に日本へ行くのが決まってからやる事。

で、そのあたり、クラウンラインさんにお願いしたらお値段はいくら位になるのかと、自分でやらなきゃいけない事は何なのかが知りたいわけ。

返事が来るのを楽しみに待っていよう、と言うわけ。
(つづく)

最近、雨がひどい

2018-05-23 22:11:49 | マレーシアでニャー2018
お昼前から雨が降っている。けっこうな雨だ。大雨だ。やはり気候変動しているんだなあと感じる。

季節とかお天気と言うのは1年を通して見れば循環していて日々の変動はあるにしても一生同じサイクルで付き合って行くものだと思っていたけれど、どうもそうでもないんだな。人間のやる事はコロコロ変わるのは同じ人間としてわかるが、季節や気候ってのは実はそれに準じる程度一生を体験する間に変わって行くとは....

氷河期とか、白亜紀とか、ジュラ紀とか、恐竜絶滅とか、実はなんとか紀は目に見えて何か変わって行くのがわかったのかな? そう言う時代に生きてないので実感がわかないな。(普通だ。)

そうなると、人類絶滅とかも実はかなり急に来る事だったりして... 1日で1億人死んでしまうような事があったら1年持たないわけだ。1000万人だってかなり速い。

まあ、そんなわけで、この雨が本当に大きな意味での気候変動なのかわからないが、雨はあまり嬉しくない事は確かだ。雨とは仲良くできない。


そう言えば、うちの猫たちも雨は嫌らしい。雨になると家に閉じこもっていたりする。彼らも人間と同じで雨とは仲良くしていない。人間と猫の歴史ってのはどの位? 人科は1700万年前頃からで、チンパンジーとかオランウータンと一緒だったとか。それからネアンデルタール人になったのが50〜30万年前、クロマニヨン人が20万年前とけっこう歴史がある。おじいちゃんがクロマニヨン人ってほどではないらしいが。それに対してイエネコはたった13万年前にリビアヤマネコから分岐か。意外と新しい。


どちらにしてもその起源の時代にも雨は降ってただろうに。なぜそんな時間かけて雨と仲良くできなかったんだ? 不思議だ。カタツムリはあんなに雨を好きらしいのに、どうして人間と猫は雨と折り合いがつかなかったのか?


してみると、何も時間かければ良いってものでもないんだな。ホリエモンが言ってたけど何年もかけて寿司屋で修行するのが無意味ってのと同じで数十万年雨にあたってもダメなものはダメなのか。待てよ、雨に適応できなかったんじゃなくて雨となんて最初から仲良くしたくなかったのかも知れないな。

と、つまらない事を雨の日に思った。

イフタール、ハングリーマンを救え

2018-05-22 19:29:08 | マレーシアでニャー2018
ご存知の通り、ラマダン、つまり断食の月に入っている。(ラマダンを知らない人は検索して欲しい。) 断食の時間は日没とともに終わる。終わると当然食べる。当たり前だが、食べないと死ぬ。なので、食べる。

が、何を食べるか?、それは問題だ。

「何を」と言うのは、ご飯にするかパンか?、フライドチキンかカレー、それともラーメンにするか....のような問題を言っているのじゃない。じゃ、何なんだ?!

工場で働いている作業員はいつも昼ごはんはお弁当だ。寮でご飯を炊いて、豆のカレーとか野菜や魚の入ったカレーなんかをお弁当箱かビニール袋に詰めて持ってくる。朝バスに乗る前だから多分ご飯を炊くのは朝7時前後。それを持ってバス乗り工場にやってくる。お昼の時間は12時半。と言う事は、調理から食べるまでは5時間半から6時間。

それならまだ普通に食べてもお腹こわす事も無い。

が、ラマダンでそれができるか? 食べる時刻は午後7時半だから、12時間後になる。ちょっと無理かも知れない。それは彼らでもわかる。だからと言って工場の近所の店で食べたり買ったりできるかと言うと、それは値段的に無理だ。どう安くしても5リンギほど、日本円で140円。10日で50リンギ、20日で100リンギとなると彼らにはけっこうな金額なのだ。

100リンギはマレーシア的には1万円の感覚。外国人作業員にはその数倍に感じる事だろう。

出前と言う選択肢もあるにはあるが、ラマダン時期は割高で近所の食堂以上に使えない。こう言う事について、マレーシア人は高い高いとか言いながらなぜか喜んで消費している。日本で大型連休に高いけど旅行に行くのと似ているかも知れない。

マレーシア人、どうもそこのあたりで思考が停止するらしい。

思考停止って言うのは、結局、自分の食べる事だけ考えて、つまりは断食後の食事は楽しみなんだろうと言う事。午後も過ぎるとその事ばかり気になって気になって、どうも他の事は考えられなくなるらしい。まして、他人がどうかなんて何も思わない。

同じムスリムが腹減らして食べ物が無くて、飲み物だけで我慢して、家に帰って9時過ぎにやっとご飯を炊いて食べるなんて宇宙の果てのそのまた先位の事になっている。神さまは断食の時刻を指定したが、同時に困っている人を助けろとは言わなかったのか?

いや、言ったはずだ。

と言うわけで、仕方ないから人事にメール書いて送っておいた。この現状、君たちムスリムはハングリーマンを救えるよね?、と。ハッと思ったのか、すぐに何とかするとか返信があった。どうなったのかな?

遊んでないで帰れば

2018-05-21 13:45:16 | マレーシアでニャー2018
弟と言うのがいる。1歳だけ離れてる。

世の中の兄弟と言うのは3つとか4つとか離れているのはけっこう普通らしいが、自分の場合は1つだけ。世間の人からすると双子と似たようなものかも知れないが、自分の中では10位違う感じがする。かなり離れている感じだ。ほぼ同じ時代を生きたにも関わらず、なぜこんなにと思うほど違う。

これは違ってしまったんじゃ無くて、自分たちの中で故意に違えて来たのかも知れない。無意識に。


彼とは数年会ってないし、話はもちろん遠いのでする機会なんてないが、メールのやりとりすらしていない。と言うか、普段の生活の中で自分に弟と言うのがいると脳みその端っこにも出てこないと言うのが正しい。あっちもそうかも知れない。それにお互い家庭があるわけだし。


その弟からメールがあったのは、1週間ほど前。5月の頭に母に電話した時に明日手術すると言う話だったので、弟とその嫁さんによろしくと電話入れたからだった。

そのメールには母の手術の内容説明が書かれた病院から来た紙が添付されていた。メールの目的はそれだけったが、弟から短い文章が添えてあった。

「いつまでも遊んでないで帰れば」と言う、提案なのか批判なのか、その両方なのかわからない事が書かれてあった。まあ、批判だろう。


多分、マレーシアに来る前は40代半ば過ぎに仕事せずに大学入り直していたし、その前は何年も台湾で仕事、そのさらに前はインドネシアにいたりした。普通にやってる普通の日本人から見れば遊んでいると思われるのもわからないではない。

ま、弟は転職は1回だけだし、子供も平均より多めに育てているし、普通の日本人的な生活を営んでいると思って間違いはないだろう。よくは知らないが。きっとある程度大変で、きっとある程度以上つまらない仕事に自分の時間を使い、自分のやりたい事を我慢したりもしているんだろう。

そう言う人から見れば遊んでいると見えるのに違いない。


が、実際、自分がマレーシアで何やっているかと言うと、弟とそう変わらないのじゃないかと思う。子供はいないし、つまらない事に耐えていると言うのはちょっと違う点はあるかも知れない。が、サラリーマンなのだ。しかも、ビザ期限付きだから安定しているとも言いがたい。でも、とりあえず、カレンダーに合わせて通勤して仕事なんてしているのでサラリーマンはサラリーマンだ。

そしてこの2年間は新しいプロジェクト立ち上げに関わり、これからの2年間もそんな感じになりそうだ。うーん、普通にサラリーマンだ。遊んでいると言われる筋合いは無さそうだ。

でも、だからと言って弟に反論なんてするつもりは全く無い。そんな事言われていても別に自分の人生にどう関わるでもなし。

ところで、野球のイチローって、聞いた話では子供の頃から野球ばっかりやっていて今アメリカにいてもそうしているとか。彼に遊んでないで帰ってきたらどう?って誰か言うのだろうか?

日本的「本音と建前」とマレーシア

2018-05-20 23:15:59 | マレーシアでニャー2018
日本には本音と建前と言うのが昔からある。そしてそれは今でもある。今後、これ、無くなって行くだろうか? しばらくは無理だろう。

マレーシアでやっているとこの本音と建前、本当にバカらしいと思う事がある。これがある限り、日本企業は、と言うか、日本企業が日本でやっているうちはそれでも良いかも知れないが、少なくともマレーシアのようなところでは有害じゃないだろうか?

建前の部分、これはマレーシアのJD (ジョブデスクリプション) 第一主義に合致する。この人やこの組織の仕事はこの紙に書かれている通りこれだよ、と言うところ。日系企業でもマレーシアでやっているのでどうしてもJDが必要になる。

でも、日本人はそれがあってもあまり重視する事はない。なぜなら日本人は建前とは別に本音の方で動くからだ。紙に書いてある事はあるにして、実際にはね、と言うところ。だから日本人から見たらマレーシア人は思ったように動かないと感じる。感じるだけでなくて、実際に動かない。なぜなら彼らは紙に書いてある事だけやれば良いわけだから。

それをどうにかさせようとすると無理が出る。なのでできない。できるようにするには紙に書いてある事を変えないといけない。紙に書いてある事を変えると、すなわち給料の額面も変わる可能性がある。しかも、変えるには変えるなりの方針を立てないといけないし、変えられる人の評価もしなければならない。

つまり、簡単な言葉で言うとマネジメントが必要になる。マネジメントするにはそれ独特のスキルが要る。が、ほとんどの日本人にはそれが無い。

日本人は長年仕事をしていても隣の自分と同種の人間がいる場所でやってきているからマネジメントの必要性無しに育っている。その代わりに特定のスキルはレベルが高い。でもそれはマネジメントとは違う。マネジメントが無く、自分の組織を維持するような志向が強い。つまりその面でも変えると言う事が不得意だ。

結局、日本人としてできるのはネゴ的な事。そして地位力を使う事だけだ。


そして出来ない言い訳にも建物が使われると言う点も注意しておかないといけない。物事が進まない事、問題が解決しない原因は何かと考える時、既存の組織なり人なりが上手く機能していないせいだと思う。この部分はここがやるべきで、あれはあちら、と建物に従って考える。だからここで上手く行っていないのはそこのせいじゃない。それは一見正しいように見えて単なる言い訳だ。

なぜなら、JDの中身を日本人は記憶に留めていたりはしないし、それが過不足無く、宙に浮く部分が無いかどうか検討など普通してはいないから。つまり概略的に理解している組織図とJDの詳細は異なっているのを認知していないと言う事。日本人など、自分含めてだいたいそんなもの。そうする習慣など皆無なのだから。


それで、ではこれからマレーシアや世界のスタンダードに合わせてマネジメントを勉強しよう、と言う事にはならないかと思う。逆に言えば、建前なんか捨ててしまってわけのわからない日本的やり方でうちはやります、でも良い可能性もある。

その話はまた機会があれば書いてみようかな?
その前に、とりあえず、自分自身反省はしないと。

考えるのを止めると言うデザイン

2018-05-19 21:23:16 | マレーシアでニャー2018
世の中とか、人がやる事や作るものは、意識としては結構秩序立っているように認識されているかと思う。マレーシアなんかにいると日本の社会はきちんとしてシステムが出来ていて悪い事は1つも起こらないんじゃないかなんて言われたりするのもその現れ。

けれど、本当の事言えば、人間のやる事なんて行き当たりばったりの方が多い。多いってのはなまぬるい。ほとんどが雑でイイカゲンできちんとしたものなんてほぼ何1つ無い。

街を見ていると道路に自動車がたくさん走っている。あれは自動車会社のデザイナーさんが考えに考えてやっている物だ。ボディーの横に前から後部に向かって斜めに長ーくプレスラインが入っている。スポーティな感じにしようとかスマートにしようとか色々考えているらしい。

さあ、それが車の後ろ端面のところに来るとどうなるか?だいたいの車にはそこにはハッチがあって荷物を出し入れしないといけない。それで、そのスポーティな線どうなるかと言うと、何だか曖昧になってうやむやになると言うオチ。イメージより都合が優先されるのだ。車に限らず世の中だいたいこんなもの。

建築デザインの勉強なんかすると、初学者は (自分含めて) 秩序と言うのを考える。パリの街並みは美しく見えるのに日本の都市はどうして?、などと。それで秩序を持ってデザインとかしようとする。統一的な印象をデザインの全体に入れ込もうとする。するとだいたいこじんまりとした素っ気ない物がポコリと出来る。あれ?、となる。

そのあたりが人間の前頭葉の限界なのじゃ無いかと感じる。

でも、ヒントはあるかもしれない。例えば植物を人は植える。あれは上手く成長したらどうなるかだいたい想像できるにしても、細かいところまでは無理だ。でも、実は人はそのコントロール出来なさが好きだ。猫を飼う。猫がどんなものでどう生きるか雑誌にも書いてあって想像できるけれど、実際はそんなに単純じゃない。たった猫1匹で毎日が驚くほど複雑になる。変になる。でもそれも実は好きだ。

人間は元々、そう言うのが好きなのだと思う。人生だって子供の頃に思ったようになっている人って、野球のイチロー位しかいないんじゃないだろうか? 人生のほとんどは偶然で構成されているかもしれない。わかっているのはいつか死ぬってだけだろう。


そこまで来て、さて、と考える。どうしたら良いの?

答えは、「考えるのを止める」が最有力じゃないかな。


どうせ全体を通しての破綻の無いデザインなんてできないとすれば、逆手に取って、1番大事なポイント以外、わざと諦めて何もしない事にする。破綻しないように全体をどうにか統一しようとする、つまり「収める」と言うやり方をすると、それは即ち、都合に負けると言う事になる。勝ち負けで言えば、どんなに上手く出来ても負けは負けだ。

負けないために出来る事と言ったら試合放棄しかない。何しろ相手は「都合」なのだ。いつの世も都合には絶対勝てない。凡人には。天才は違うと思うけれど。止めてしまえば車のボディーに訳のわからない穴とかプラスチック部品を追加しないで済む。下らない事にウンザリしないで済むかもしれない。

マレーシア人は他人に非寛容な批判係さん

2018-05-17 23:29:42 | マレーシアでニャー2018
日本人も他人に非寛容なところが多いけれど、マレーシアは実は日本以上かもしれない。まあ、そんな事誰も言わないかもしれないけれど、それは現実だと思っている。

最近は業務連絡にWhatAppを使ってる。メールと違って前置き無く要件だけ流せるし、特定の相手にも全員にも同じやり方でメッセージできるので重宝なのだ。でも、そうすると逆にある部分があからさまになってしまう。そう、それが他人への非寛容。

例えば、誰かが何かちょっとミスしてしまったとか、遅れてしまったとか言う場合、メッセージが突然流れてくる。「誰がやったの!?」と言う具合に。この「誰が」は言葉の上では質問なのだけれど、マレーシアでは批判的に使う言葉と思って良い。これに類する言葉と言えば、「なぜ」だ。なぜちゃんとやってないの!? のような。

誰がと言うのはもうこれが結構多い。何かあるとマレーシア人はだいたい最初に「誰が!?」と言う。実際に誰がやったか想像できたにしろ、まず「誰が」と言うところから始まる。例えば物が壊れちゃった時、誰がやったんだ!?、誰が使ってたんだ!?と言う。物はいつか壊れる。耐久性が良く無い物はたくさんあって、普通に使っていても壊れる事はある。なのに「誰が」なのだ。

ウンザリする。

くだらない言葉だ。だってまだ何もわかっていない段階で他人をまず最初に批判してしまうし、その批判によって問題が解決するでも無い。言うだけ無駄、聞くだけ無駄なのだ。そもそも言ってる方にはその問題を解決しようなんて意図は全く無い。

そりゃそうだ。ミスは他人のものであって自分のじゃ無いと思っている。

仕事が欧米的にジョブデスクリプションで分けてあってあっちとコッチになっている。だから他人のミスは他人の物、自分のミスは言い訳するもの。相手はダメな人で自分はそれを指摘する権利がある人と言う枠組みになっている。

つまりは、「誰が」と言う方はその問題が小さなミスでも大きな問題でも、解決するのに手助けすると言うような発想にはならない。監視はするけれど。そしてその問題に自分や自分の仕事がどう関わってしまっているかとも考え無い。

最初に「誰が」で立場を決めてしまうともうその後は批判一辺倒となる。

ウンザリする。

批判係やってて飽きないのかと思ったりする。

わかりにくいの掛け算の掛け算位わかりにくい

2018-05-15 23:58:46 | マレーシアでニャー2018
今日は帰宅がとても遅くなってしまった。仕事場出たのが夜10時だもの。そりゃ遅いわ。

工程上のトラブルがあってどうしても解決しないといけなくて遅くなってしまったのだ。物作る作業って色々あって、今やってるのは...うーん、何と言うか、物理化学的なプロセスを扱うもの。知らない人には分かりにくいだろうけれど、知っててもわかりにくい。

それに輪をかけて高速で走ってる柔らかい物なんかも絡んでくるからホントのホントに分かりにくい。しかもそれを実際に扱うのはバングラデシュ人とパキスタン人の作業員だからたまに何やってるかわからなくてわかりにくいの掛け算の掛け算のような感じになっている。

その掛け算をちょっとシンプルにしてわかるようにするのが仕事ではあるけれど、元々の物理化学のところがそれを設計した人にだって100%わかってるわけじゃないようなのがまたミソなのだ。物理化学のプロセスの設計はそりゃそれで苦労して作られて来るわけだけど、実際の機械にそれを乗せて走らせるとなるとこれがこう、シンプルでない物になってしまうと言うわけ。

これをシンプルに近づけるために少し機械に手を加えたいと思っていたりする。だって作業員自身が何やってるかわからないと言うところから混乱が始まると思っているから。1つの設定をちょっと変えると結果が変わるけれどその途中経過が意味不明。全く困った事で、よく考えると何となくわかるけれど、普通、作業員は考えたりしないし、途中に何が起きているなんて機械とかいろいろ知らないと繋げて考えるのは不可能。中にソフトウェアとか入っていると全くもって完璧に、彼らにはブラックボックス。

魔法みたいなもの。

仕方ない、自動化率の低い機械には教育レベルが高くなくて低賃金の従業員と言うのが世の中の定番なのだ。なぜかこれが逆にはならない。

とりあえず、今日は何とか片付いた。明日もこんな事にならないように何とか考えよう。おやすみ。

ヤツは面白過ぎてイジメたくなる

2018-05-14 22:26:40 | マレーシアでニャー2018
散々抵抗していたメンテナンスチーム、明日から夜勤開始だ。やっと少し当たり前の状態になる。

故障などしないようにしとけばそんな必要は無いのだが、チームの親玉が何もしない...できないのでこうならざるを得ない。とうとう最後に社長にどうにかしろと言われた夜勤体制採る事に。

思えばこれまでこの事で散々ヤツをいじめ続けてきたなあ。毎日嫌がらせのようにメール書いていた。(本当に嫌がらせと思われてただろうなあ。) 早く夜勤やれ!と。夜に起きるちょっとしたトラブルでも長時間生産が止まってしまう危険だって無いとは言えないから。

何しろ作業やってるのはパキスタン人とバングラデシュ人なのだ。機械の事などわからないし、下手に触って怪我したり死んだりしたら困る。マレーシアの場合家庭用電源だって200Vあって死ぬわけだし。工場だとその2倍高い電圧で色々やっていてゴーゴー動いている。下手すると火も出る。それに生産が止まってしまうと普通にダメなわけだ。

よくこれまでそんな危険な状態にして何もして来なかったものだと思う。どうもヤツはエライ鈍感な感覚の持ち主らしいのだ。マレーシアだとそれは俺の仕事じゃ無いしって言う人は確かに多いけれど、ヤツはそれ以上。不思議なほど。

前にどこかのセクションで来月から人を増やさないといけないと言っていた事があった。えっ?人をあそこで増やす? なぜ? 機械速く回せば良いじゃん、と思うが、理由は速く回せないのだった。ヤツがちゃんと修理調整できないからだ。あちゃー! まあ、外国人作業員の人件費安いといえば安いのだけど。

こう言う人間がいるわけだけれど、経験上、これを普通のマレーシア人はこんなもんだと一般化して良いかどうかわからない。多分してはいけないだろうと思う。特殊例じゃ無いかな?

たくさんありすぎてとても全部書けないが、面白すぎる存在ではある。

海外で寂しくなったら猫に話しかけよう

2018-05-13 23:59:59 | マレーシアでニャー2018
昨日は久し振りに土曜日出勤だった。いろいろ仕事で問題があるのでたまにはこう言う事もある。

しかし、普段は土曜休みと言っても工場は動いているので休んでいても半分しか休んでいる気がしない。ちょっとしたトラブルなんてのはあるものなのだ。昨日はそうじゃなくてもうちょっと深刻な事だったのだけど。それも何とか乗り越えて今日はちゃんと休み。

ちゃんと休みの時にはちゃんとやる事もある。5月末の27日と言えば、去年、つぶあんとキナコが狂犬病のワクチンを打った日なのだ。と言う事は5月26日までには同じ狂犬病ワクチンを再び打たないといけない。1日でも過ぎてしまうと日本入国の為の許可が取り直しになってしまう。

大事なのだ。

何てったって、自分のビザ、ワークパミットが切れたり色々な事情でマレーシアを離れなければならなくなった時、いつでもサッとマレーシアを出られるようにしないといけないから。猫たちを放り出して出国するわけにはいかないのだ。

なので、クリニックへ行って予約。幸いにも在庫あり。助かった。26日の土曜日にワクチン接種決定。



先日、ある人が若いうちに海外就職して良かった事と言うのを言っていた。何が良かったかと言うと、日本でダメだったとしてもまだ他でやって行ける事がわかった事で心に余裕が出来たとの事。

ふーん、なるほど。確かにそうかも知れない。ちょっとでも経験しておけばもうそんなのは未知で無くなって、つまりは深海に潜って巨大でわけのわからない恐ろしい生物に遭遇すると想像する必要は無いわけだから。

でもまあ、どこに行ったところでだいたい未開のジャングルとかの奥地って事は希で、だいたい人が住んで暮らしていて携帯電話も通じて電車とかバス位はある所だからそれほど怖くは無いのが通り相場。ちょっと言葉通じ難いけれど指差会話帳とかGoogle翻訳があれば飢えて死ぬ事も無い。

と、書くと何だか逆に脅しみたいになってしまうので止めよう。

でも、ちゃんと中学校位の社会科の勉強に戻って考え直したら良いと思う。確か、どこに住むとか、どんな仕事するとかって、人間の人権として勝手に決めて良い事になっていると習ったはず。そう、どこで何やってても、マレーシアで住んで仕事してても誰にも文句言われる事も無いわけ。自由なのだ。それだけ。

マレーシアなんか最低お金さへちょっと持って来れば下着だった何だって日本と同じ物が買える国なのだし、経験と言うほど大げさでもなくて、単に関東に住んでる人が名古屋とか大阪とか博多に就職するよりちょっと飛行機に乗ってる時間が長いだけと思えば良いわけ。東北とか沖縄行っても言葉通じないんだから同じ。

猫なんかその点もっと優しい。寂しくなったら猫に話しかけよう。日本と同じようにニャーと返してくれるから。