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もんく [とある南端港街の住人になった人]

スペインかポルトガルの港町に住みたい
日本→インドネシア→台湾→マレーシア→日本
since Oct. 2004

映画「風の谷のナウシカ」

2013-11-30 22:10:46 | 映画って !
ずいぶん昔の知り合いにビデオを見せてもらって以来、あれはもう30年近くになるけれども、久しぶりに見てみた。一度見ていたにしてもほとんど記憶に残っていなかったので新鮮ではある。

が、だからと言ってそれ以上のものでもなし。

ストーリーは、これは制作側はよく考えて設定しているのだろう、そうなると逆に見せられる方はそれについて行くのが難しい。こうなったきっかけがちょっとだけ説明されるけれども、同時に映像の無い大昔の言い伝えと映像のある伝説が混入していて時間の奥行きが掴みにくい。

主人公が何をどうして一人だけこんな考え方をするに至ったのか、その、有る意味予定調和的な優等生人格と能力に大きな違和感を持たざるを得ない。もちろん主人公であるからある程度どんな映画作品でもそうではあるから、そのあたりを批判すると叱られてしまうかとも思うが。



テーマ的にはまあ、無いとは言えないものだろう。

特に最近は多くの人が都市生活者であると言って良いほどに便利な生活をしている。そうした状況は人を何も考えなくて良い状況に置く。と言うより、人は望んで何も考えず何も苦労せずに生きるに必要なものを手に入れる、つまり身体の省エネルギー状態を望むものなのである。こうした状態がメジャーになればどうしても反作用的にアンチを訴える者が出てくる。人が置き忘れてきた何々がどうのこうの…という例のアレだ。

それにしても、便利な中で生活し始めた人間はその便利さの源泉が何から来ているか、そうした事に見向きもしない。であるからたまにはこんな作品を見せて思い出させようと言うのは全く悪い事とも言えない。ただ、アンチを訴え、自然の猛威との共存を訴えたにせよそこに何らかの解決策があるのか、と言えば否、である。

勇気を持って戦い、犠牲を少ないままに猛威を反らせたにせよ、実際に必要な解決策が示されるわけではない。学校の壁に自然を大切にと標語を書いて貼る。そこまでである。誰も反論できない美しいスローガン、なのだ。消化不良である。残念ながら。

映画「海がきこえる」

2013-11-25 04:09:24 | 映画って !
続けてジブリ物を見ているが、本当にこれで良いのだろうか?、と疑問が大きくなる。

そもそも今時はアニメと言うとジブリとなってしまってほとんどそれに代わるものが無い。そうなるとジブリがアニメの代名詞のようになってしまって謂わばスタンダードとなる。であれば大手はかならずジブリに発注するのだろうし、見る方もジブリならと思って見るだろう。

そうして送り手受け手の両方がもう無反省にそれで良いとなってしまうのではないだろうか?、と、こうした作品を見て考えてしまう。アニメは多分企画段階、良くは知らないが絵コンテあたりの段階まででほとんどが決まってしまい、発注された絵が出来てからはもうどうにもならず、磨きの行程は無いのかも知れない。

こんな作品を見て発注した側はどう感じるのだろう。御大宮崎氏には何も言えない事になっているのか、それとも鑑賞力無きままに発注している? それともチェック機能が無いのか?

これがジブリの代表作品集としてかなり高い価格で売られているとは、大丈夫なのか日本のアニメ。

お出かけ無し

2013-11-24 17:57:43 | Vespa? Yes, but LML !
今度の家は居間からサンバル君が見える。

マレーシアの家には玄関が無いのだ。戸を開けるとそこはすぐに居間。居間と言うよりリビングだろうか? 逆に、下手をすると外からくつろいでいる姿が丸見えでもある。熱帯なので年中風通し良く開け放しているからなおさら、しかも日本の家のように居室が地面より高くなってもいないから見下ろされる。

だからと言って実際何か問題があるかと言うと、別にない。こう言うものと思っていれば気にもならず。まあ、ここが海辺の家だったらもっと良かろうに。

映画「火垂るの墓」「耳をすませば」

2013-11-24 14:15:53 | 映画って !
こんな作品を今頃見ている人も少ないだろう。

スタジオジブリはいったいどんな動機があって映画を作っているのだろう?
原作に制作費を渡されて期限に間に合うようにやっている請負仕事集団なのだろうか?

「火垂るの墓」、映像化すれば文字で描かれたものよりは多くの人の目に触れる。ただ、文字に記した作品には文字のみで伝えたいなりの背景や著者の人となりがどうしてもあり、それとストーリーが入り混じって一つのものになる。けれども映像ではそこを上手くやらないとサラリとやり過ごされてしまって伝わってくるものが少なくなる事がある。

映像では背景は単にカメラの視野に入る背景なのか、それとも主人公の視点を表現する絵であるのか文字よりも分かりにくいのである。アニメでは絵である登場人物がオーバーすぎる位に演技をすることもあれば単にストーリーを進めるためだけに動いていることもありで、主人公の心を読み取るのが難しい。

人が死んで泣く、食料が不足した状況の中で殺伐とした思いになる、それを見てどう感じ何をどうしようとするか。そうして気持ちや行いが戦争と言う状況の中で一般化されたものとして描かれるのか、それとも個人としてのものなのか、なかなか解釈し辛い。

これを見るほとんどの人が、そして子供が戦争を経験してはいないので作る方とのギャップが大きいのだろうと思われる。冒頭、主人公が死にかけている場面から始まるが、近くに同様に死を待つ、または死んだ者がやはり何人も映っている。この時、人の死は特別な事ではなかったと描かれる。

となれば、食料のために他人を欺いたり他人に冷たく当たったり、はたまた妹の死は個人としての死、そして悲しみかそれとも社会や戦争の背景であるのか。そう思えば、多分原作のストーリーに忠実に作るあまりに逆に多くのことを曖昧にしてしまったのだろうと思わざるを得ないのである。


「耳をすませば」
人が人に恋をする事に理由は要らないだろう。たとすればきっかけも何も他人にわかるものである必要はない。けれどもこれを映像化する中ではそれに共感できるかどうか、それは重大な問題である。見ているこちらに主人公の心を読み取ろうとさせるかどうかがかかっているのだから。

総じて言えば、途中の理解に苦しむファンタジーを混ぜなくとも、太った猫を電車に乗せなくとも普通の青春ドラマのようにしてこの話は成立するだろう。混ぜ合わされているのは単にファンタジーではなくて"年寄のおせっかいなファンタジー"であるから、それが奥行きになっていると言えなくは無いが、これがそんなに強くはない。

それが何か行き当たりばったり感を強調してしまっていて釈然としない。逆にそれが最初から宮崎作品として肯定的に見る者には"世界観"ではあるのだろうが、その前提条件無しで見られる物にはなっていない。

暗い夜にさまよう白い光

2013-11-19 06:58:39 | Vespa? Yes, but LML !
昨夜、夜の8時少し前、職場から家に帰ろうとサンバル君を走らせた。

郊外の工場なので道は暗い。街灯が無い。時々トラックが通る。直線をずっと数百メートル走っていくと白い点が2つ、ぐるぐる回転するように揺れている。何だかよくわからない。蛍にしては大きいようであるし色も白すぎる。

熱帯であるから何か変わった生物でもいるのだろうか? それとも、まさかとは思うが人魂のようなものか?光はだんだんと近づいてくるが暗すぎて正体がわからない。と、カーブのところまで来て、白い大きな影が見えた。ぼんやりと。

車だ。ようやく光の正体がわかった。警官が懐中電灯をグルグルさせてこちらを止めようとしていたのだった。こんな暗いところで検問だ。別に何ということもなく、良いベスパだね、帰るところ?みたいな事でさようなら。

初めて検問でつかまったのだった。

今夜からまた日本へ出張

2013-11-10 21:54:01 | どうにか4年目マレーシア
1ヶ月前に続き、また出張である。

行き先は関空で降りて、滋賀県甲賀市。忍者村である。勤務先の親会社の工場がある。


出張と言うと、ある部分、現在の仕事を放ったらかしにして数日間だけ気が楽になる部分もある。本質的にはそんな軽い事であるはずはない。なぜなら自分が何時もの場所にいなくとも問題は続けて発生しているはずである。それは既知の事であるが、自分がそこに立ち会っていないだけなのだ。

もし、世に名の知れるほどの優秀なビジネスマンであったらどうだろう。こうして空港で飛行機を待つ間でさへも何か自分のすべき事について考えているのではないだろうか。そこが空港であろうとどこであろうと集中力を切らさずにいるだろうか。


人間が生きていく時間の中には集中力を妨げるいろいろな事が含まれる。もちろん食べること、風呂に入ること、その他に雑多な事どもは必要であって、それなしに生きる事は不可能だ。うまく交通整理して処理したり、いろいろやり方はあるのだろう。やりたい時にやりたい事をちゃんとやる、やれるようにする、または強引にでもするような、そんな何かが。

人生はどうして何もかも中途半端になりやすいものなのだろう。

サンバル君、溺れかける

2013-11-06 23:22:42 | Vespa? Yes, but LML !
今日はしこたま雨が降った。

工場の窓から見ていたら道が水没して運がの様相。
いつもより少し長い雨だったが暗くなる頃には止んだ。
午後9時、サンバル君で工場を出ようとするとそこにいた人が言った。
道がプールになっているよ、と。
雨が止んでからもうだいぶ時間が経っているのでそれほどでもなかろう、と思った。
少し走って角を曲がると何も無いはずのところで10台ほどの車がテールランプを見せて停まっている。
先頭のところまで行ってわけがわかった。
濁った水でいっぱいになった道を向こう側からカブが渡ってきていた。
水深は20cmまではなさそうだがよろよろしている。
そんなに深刻でもなかろうに。
と、サンバル君を前進させた。
30mほど進んで理解した。
ただの水たまりではなく、流れがあるのだった。
右から左へと、かなり強い。
ハンドルをとられて左に流される。
とりあえずエンジンは止まる気配なく、道路はフラットなのは知っているのでそのまま進むことにした。
直線はさらに50m以上はあったはず。
暗くて見えないが直進すれば道を外れはしないだろう。
水深はさらに深くなる。
もうそろそろ終わるかと期待するもカーブを過ぎてもまだ水深は深い。
足首まで濡れている。
それにしてもエンジンは止まらない。
立ち往生したら終わりだろうか。
誰もここまで追っては来ないし何しろ暗い。
しばらく行くと車が1台止まっていた。
中に人がいる。
エンジンが止まってしまったのか?
と、心配しても助けられる状況ではないが。
ふっと、水面の色が変化したように見えた。
急に水深が浅くなりアスファルトが見えた、らしい。
よかった。
どうにかなるものだ。

ところで、まだまだ雨季は続く。
明日からどうすれば良いのだろう。
車で通勤しても同じだろうし、もう少し水深があるとどうなるか…

ワイパーとカーテン

2013-11-03 22:06:26 | カンガルーじゃないKangoo
雨季なので時々凄い雨が降る。

たていはすぐに止んでしまう。走りながら豪雨に巻き込まれても数百メートルで晴れることもある。ワイパーを走らせるが、南国の熱はワイパーのゴムに良くないと見えてよく痛む。ガラスがマダラ模様になる。

そこでワイパーを交換した。どうせすぐにダメになるのだからと一番安いと思われるものを選ぶ。Mr. DYIと言うホームセンターのような、ガラクタショップのような店で買ったのはRM7.9と格安ワイパー。日本円にして1本240円程度。これを作っている人はどうやって食べて行っているのだろう?、と心配になる。

カングーは室内が広いのでクーラーの効きが悪い。

そこで前座席の直後に透明のカーテンを付けてみることにした。幸いにも天井はフェルト張りなのでベルクロの硬い側が貼りつく。ベルクロをPVCカーテンに接着剤で貼り、角部は取付けた後にカットする。

ここからは明日の、接着剤が固まってからの作業にする。