なだれ込み研究所の一日

物語作家を目指すもの書きが、ふとしたことから変な事務所で働くことに!
日々なだれ込んでくる人や仕事、モノやコト観察記。

講演会「隔たりしものとの出会い~文化人類学的視点から~」

2006-11-12 23:55:52 | スローライフ

11月11日(土)、国立民族学博物館助教授横山廣子の講演会「隔たりしものとの出会い~文化人類学的視点から~」が行われた。
なだれ込み研究所の面々は、翌12日の森町サイクルツーリングデイの準備で参加できなかった。ものすごく聞きたそうだったのに。
ということで、今回は私の主観をなるたけ交えず、純粋な講演録として読めるようにまとめた。長いけれど、じっくりとご堪能下さい。

【変わることと文化人類学の接点】
掛川ライフスタイルデザインカレッジのフォーラムということで、主催者側からは「○○が生活を変える」と題して講演を行ってほしいと依頼があった。「○○が生活を変える」と自分の専門である文化人類学の接点は何かを考えた。変わる、変えるということは、連続の中に不連続を生み出すことであり、距離、ズレ、隔たりというキーワードが出てきた。
不連続は、意識的に隔たることで自ら生み出す場合と、結果的に距離やズレを生じさせる場合があることを考えると、「隔たり」とはなんとも不思議なもの、深淵なものだなあと感じる。
変えようとすることの原動力は、距離をとり、いつもと違うことに気づくことである。

不連続によって変化は起きるが、実は変化もなく続いているように見える日常にも、肉体的変化や精神的変化、知識の変化は起きている。こうした連続的な変化から、さらに大きな行動上の変化、飛躍的変化を遂げる場合がある。
自他ともに変化を認め、変化に伴う困難を乗り越える方法として、不連続、距離を故意につくる、ということがあるが、それを人類学では「通過儀礼」という言葉で表現する。

【講演を聞くにあたって】
これから、雲南省ペー族の暮らしをビデオ、スライドで紹介するが、隔たっているものに出会うことで、自分がどのように理解し、感情を持つのか、よく感じて欲しい。まずアンテナを立てること。違和感や疑問を感じたら、それを敏感にすくい取って欲しい。

【文化人類学の手法】
文化人類学は、人間を理解するときに「人間の文化や社会」を理解していく学問であり、その手法は「人間が生活している場に行ってフォールドワークする」ことである。
調査テーマを持って出かけるが、そのテーマだけでなく、文化全体、社会全体にまで目を配り、意識を持ち、そのテーマに迫っていくことが重要である。
さらに、心惹かれることがあれば調査テーマに縛られず、自分の感覚を大切にしながら進めていく。心にテーマをきちんと持ち、自分の考えを持ち、自分とのズレを感じながら、なぜズレるのかを自問自答しながら進めていのである。

文化人類学を学ぶとき、異文化(自分が育った文化ではないところ)からはじめなさいと言われる。自分がよく知っている文化はあまりに慣れ親しんでいるため、改めて考えるのは難しく、違いを認識するのが困難だからである。

文化人類学で調査しに行くようなところは、現地に行かないと勉強できない言語の場合がほとんどである。私の第1のフィールドである雲南省のペー語もそうである。何もわからない無力だからこそ、習うことで、文化、社会のあり方を学んでいける。つまり、より遠く、距離があるからこそ、様々な発見や認識にたどり着くことができるということである。

【雲南省ペー族の暮らし】
1984年にはじめて行ったが、ペー族の人達もまた、隔たりしものとの出会いの中で変わっていった。文化大革命以後、ペー族の住む大理市は許可がなくても行ける場所になり、国内、あるいは外国からの観光客が訪れるようになった。
現在、絞り藍染め製品の産業化に成功しているが、これも「隔たりしもの」との出会いがあったからに他ならない。

もともと絞り藍染めは、地元の女性が「自分が美しく着飾るためだけのもの」だった。デザインも三種類しかなかった。では、どういうきっかけで、どうやって商品化していったのか。
多くの観光客が訪れるようになり、「絞り藍染めが素晴らしい」と言われるようになった。それまで当たり前のように身につけていたし、そりゃあ綺麗だとは思っていたけれど、まさか「売れる商品」になろうとは夢にも思わなかった。外からの視点、隔たりしものとの出会いによって、はじめてその価値に気づいたのである。

そこから、隔たっていたものとの関係が結ばれ、情報や技術を導入した。今までは下絵も描かずに感覚だけでやっていたものを、きちんと下絵を書き、デザインや技法も多彩になった。価値に気づき、新しいものが生み出されたのである。

地域おこしには、このような「外からの視点」「隔たりしものとの出会い」からスタートする事例が多いのではないだろうか。木の葉を産業化した、徳島県上勝町の「彩(いろどり)事業」もその例である。
当たり前のようにあり、資源とも思わなかった葉っぱが、地域活性の原動力となったのである。インターネットの普及で、遠くにある需要をつかむことができるようになった。隔たりをうめるパソコンの活用により、70~80代のお年寄りが元気に暮らしている。

【掛川大祭の印象】
掛川大祭については、私は部外者であり隔たりしものである。その私がどんな印象を持ったかを聞き、土地の人だから、それはおかしい、間違っている、極端な理解の仕方をしている、そういう理解の仕方もあったのかなど、感じたことをぜひ教えて欲しい。

・掛川大祭は、昔からの伝統と、伝統が少しづつ変化しながらも組織されている「青年」という組織が面白い。
・各町内にいくつも余興があることに驚いた。掛川の歴史的背景があるのかもしれないし、余興を練習する文化の中で、面白さを見つけていったのかもしれない。
・青年が中心になっている「外交」が面白かった。屋台のすれちがいの作法には、人としてのあり方がためされるような感じがした。
・龍尾神社の手締めの前に、青年が一人ずつ発言する、その間の取り方が非常に印象的だった。その場の雰囲気の中で、呼吸、タイミングを計り、今言わなくてはいけないことを発言しているのがすごいと思った。
・ベビーカーを押しながら参加している人がいることに驚いた。自然で当たり前のことかもしれないが、合わない人を排除していく方が楽で、長い年月の中、そういう方向に行きがちなのに、掛川祭にはどんな人でも参加できる空間が確保されているという印象を持った。各年齢層の誰もが参加できる、みんなを包み込む装置のようなものがあると感じた。
現在、多元的共生空間の研究をしている。このポイントは2つ、排除されることなく、それぞれが自己実現ができる、可能性を広げていくことのできる空間を目指すということである。そうした排除しない空間を感じた。

【変えることへの勇気と希望を持つ】
あえて、不連続を生じさせたり、隔たっているものと出会うことが、変えることの、変わることのきっかけになる。
ルース・ベネディクトは『文化の型』の中でこんなことを言っている。
「私たちの『可能性の弧』は想像するよりはるかに大きい」

この講演会で私が感じたことは、また明日以降に。
私自身のキーワードは「多元的共生空間」であった。
(ひょえーっ。3000字、原稿用紙換算7枚半も書いてしまった!)