なだれ込み研究所の一日

物語作家を目指すもの書きが、ふとしたことから変な事務所で働くことに!
日々なだれ込んでくる人や仕事、モノやコト観察記。

アンドリューワイエス展

2006-11-18 23:05:41 | Weblog

常葉美術館に『アンドリューワイエス水彩・素描展』を見に行ってきた。
絵というものをどう見ればいいのかわからず、美術館というものが苦手だったのだが、アートディレクターのH岡さんがこう言ってくれたのがきっかけだった。
「これは好き、これはそんなに好きじゃない、っていうだけでいいんだよ。自分が絵を見て感じたことを、そのまま感じてくればいい」

先日、横山廣子さんが『隔たりしものとの出会い~文化人類学の視点から~』でおっしゃっていたことと同じだと思った。
「自分の感覚を大切にしながら、自分がどのように理解し、感情を持つのか、よく感じて欲しい。違和感や疑問を感じたら、それを敏感にすくい取って欲しい」
アンドリューワイエス展を見に行ったことは、私にとってまさに「隔たりしもの」との出会いだった。

アンドリューワイエスのことも、オルソン家の人々のこともまったく知らなかった。115点の絵を見てまわって、私がまず感じたのは、
「絵というものは、それを見ただけで、その対象となる、オルソン家の人々の人生さえそのまま胸に迫ってくるものなのだ」ということだった。
手足が不自由なクリスティーナと、その姉の世話と農作業を淡々とこなす弟アルヴァロ。日々の生活の中に小さな喜びや変化はあっただろうが、何を思い、何を支えにこの二人は生きていったのだろうと考えると、哀しさなのか、静けさなのか、それでも人は生きていけるのだという強さに対する感動なのか、うまく言葉にできない感情が押し寄せてきて、胸がいっぱいになった。
絵とは、そんな感情も呼び起こすことができるのだと。

「オルソン家の朝食」には、えんとつから出るけむりと朝食を準備するアルヴァロの後ろ姿が描かれている。何年か後には、荒涼としてしまうだろうことを予感させるオルソン家の絵の中で、この絵が唯一、ほんの少しの温かさを感じた。
と同時に、この絵を見ながら『赤毛のアン』のマシュー、マリラの兄妹の人生が頭に浮かんだ。マシューとマリラは、もちろんルーシー・モード・モンゴメリーの創作した架空の人物である。
年老いた独身の兄妹の人生の中に、突然、アン・シャーリーという、おしゃべりで、空想ばかりして、突拍子もないことばかりしでかす女の子が現れなかったら、二人の人生はどうなっていたんだろうと。

クリスティーナの部屋の前に、普段、誰も使っていない部屋がある。ある日、その部屋のドアを開けたら一人の男が立っていた。鏡に映った自分だった。ワイエスは、題名を「自画像」とはせず「幽霊」とした。
ワイエスがクリスティーナに対してどのような想いを持っていたのかわからない。でも、この建物と、この絵と、この文章だけで、まるで一つの物語を読んでいるような、そんな気がした。
「クリスティーナの墓」では、絵から静寂だけが感じられた。

「描く」ことに関するワイエスの言葉が紹介されていた。
「まず、見たままを描く。しだいに目の前の対象を心でイメージし、本当に描きたいものを捉えていく。私は本質を求めていた。そのまわりにあるすべてを織り込んで、その物体が存在するその日の雰囲気さえ絵の中に織り交ぜたいと考えている」

表現するということは、対象の本質をすくい取ることなのだ。そのとき、当然、表現者のフィルターにかけられるわけで、だからこそ、どんなフィルターを持ってるのかが大事なのだと思う。それが絵に、文に、写真に、デザインに出てしまう。恐いけれど、まったく潔い世界だと感じた。

住人がいなくなったオルソン家は、今、大切に保護され、二人の墓を見守っているという。



ガール

2006-11-18 00:15:47 | 読書日記

奥田英朗の『ガール』(講談社・2006年刊)は、30代の女たちの物語である。
女の子、ではなく女。それも自立した女たちだ。自立とは、自分で立つこと。茨木のり子の詩ではないけれど、「よりかかるとすれば、それは椅子の背もたれだけ」でいい女たちの、等身大の物語なのである。

オビのコピーも素晴らしい。
奥田英朗は、プランナー、コピーライター、構成作家を経て作家になった人だから、きっと自分で書いたのだろう。言葉の端々に、奥田英朗的な上質なユーモアとセンスが感じられる。

さ、いっちょ真面目に働きますか。
キュートで強い、はらの据わった
キャリアガールたちの働きっぷりをご覧あれ。

結婚している女も、していない女も、
子どものいる女も、いない女も、
それぞれに、それぞれの事情や悩みを抱え、
それでも「自分らしくいる」ことって何だろうと考える。

幸せの形は人それぞれ、事情もそれぞれ。
それでもやっぱり心は揺れるし、弱くなるし、ぼやきたくもなる。
奥田英朗は、働く女の気持ちがなぜそんなによくわかるの?

今日はむしょうに周囲を片付けしたくなり、机の上と棚の中をきれいにした。ゴミ袋2つ分。
働く女だけれど、ガールでも30代でもない私は、
「おおーっ、B型女、やればできるじゃん」
と自分を褒めつつ、
「S木くん、月曜日にゴミ出し、お願いね」
とメモを残すのであった。
(おおーっ、嫌味でイジワルな女みたいだ――)