現代はインターネットを通じて、どこにいても、誰にでも、同じように情報が行き渡る時代である。例えば、オシャレな洋服を買おうとすれば、ネットで注文し、たった数十円、数百円の送料で、明日にでも商品が届く。
「オレやK住さんよりもっとITに強い60代がいるし、オレやK住さんよりもっとオシャレな60代もいる」
そんな時代にあって、ターゲットを絞り込んだり、傾向と対策を考えていくようなかつてのマーケット論だけではないところの、ある意味、数値では測れない「こんな感じ!」という直感めいたものが大事になってきている。それは、フィーリングであったり、感性であったり、テイストであったり、琴線に触れる感覚であったり、そういった、言葉にさえうまく表せない感覚めいたものが重要になってきている。
もちろん、書籍などに書かれているマーケティング論は基本。コンビニビジネスに代表されるもの、例えば大手企業のお菓子だったり、大手企業のシャンプーだったり、そういういうものは今までのマーケティング論で通用する。
しかし、「スローライフ」なんていう便利でないところに価値を置くような考え方が浸透している現代において、数値主義、拡大主義、効率主義のビジネスには限界がある。基本のマーケティング論の先の議論、フィーリングやテイストや感性、そういったものの価値をもっと考えていくべきだ。数値や言葉で表現できるものではなく、直感で「これだ!」思えるものが、売れていく時代なのである。書籍でそんなことが書かかれているのは、辛うじて浜野安宏さんの本くらい。
では、ローカルにおいては――。
例えば、「おーいお茶」はマスマーケティングを使った今までの手法で売れるが、掛川茶の価値はそれでは伝わらない。
今や大量にものが売れる時代ではない。ローカルでコトを起こそう、モノを売ろうとしたら、「○○さんの作っている、○○が欲しい」という言われるような、いわゆるワンツーワンマーケティング、リレーションマーケティングで、一歩一歩、着実に価値を広めていくしかない。
インターネットの環境が整い、今や、ホームページやブログなどで遠くにいてもローカルの価値を受けることのできる時代である。生活者は、自分のフィーリングに合ったもの、テイストに合ったもの、琴線に触れるものを探している。例えば、北海道に住んでいようと沖縄に住んでいようと、例えば「掛川の○○さんの作ったお米が食べたい」と思えば購入することができるということである。これは、ホームページで○○さんの米づくりの哲学に惚れる場合もあれば、ブログの口コミ情報で食べてみたくなる場合もある。
大量生産、大量消費に代表される権威主義、実績主義とまるきり違うところの、自分自身の感性で、自ら探し、自ら選択して購入する。マス広告からの受動的なものではなく、能動的なもの。そういった、同じ価値観を発するもの、同じフィーリングを感じるもの、そういったものを探し、見つけること自体が価値であり、自分自身の生活を豊かにすることなのである。
そう考えると、市場を分析し、細分化し、細分化した市場ごとの特性を探るのではなく、わかる人にわかってもらえばいいという、ある意味わがままな情報発信でいいのかもしれない。全国にいるであろう、このモノ、このコトの価値をわかる人々に、どう発信していくかが重要で、自分たちが生産したモノ、発信するコトの価値をわかる人の琴線に触れるような、「そうそう、これを探していたの」という情報を、際立つ存在感を持って発信することが大事なのだ。
「こんなものを探していた」というものが見つかったときの嬉しさ、同じ価値観を持っている人を見つけたときの幸せ感を考えれば、たとえインターネット上であろうと、人と人が確かにつながった瞬間なのであろう。
さらに、そのものの価値を実感し、「これ、よかったよ」という実体験を伴った情報発信は、さらに同じ価値観を持った人々に、力を持った情報として確実に伝わり、広がっていく。
直感や感性でものが売れる時代なのだとしたら、大まじめと大ふざけの振り幅を持って、自分なりの楽しみ方を見つけ、感性を磨くこと、同じ価値観の物好きを能動的に探し、関係性を築くことが大事なのかもしれない。発信する側も、受信する側も。
こうしたつながりが、自分の生活の豊かさにつながっていくのだとしたら、人と人がアクセスしあい、つながっていくことは、デジタリックでありながら、もしかしたら、とてもヒューマンなことなのかもしれない。
「オレやK住さんよりもっとITに強い60代がいるし、オレやK住さんよりもっとオシャレな60代もいる」
そんな時代にあって、ターゲットを絞り込んだり、傾向と対策を考えていくようなかつてのマーケット論だけではないところの、ある意味、数値では測れない「こんな感じ!」という直感めいたものが大事になってきている。それは、フィーリングであったり、感性であったり、テイストであったり、琴線に触れる感覚であったり、そういった、言葉にさえうまく表せない感覚めいたものが重要になってきている。
もちろん、書籍などに書かれているマーケティング論は基本。コンビニビジネスに代表されるもの、例えば大手企業のお菓子だったり、大手企業のシャンプーだったり、そういういうものは今までのマーケティング論で通用する。
しかし、「スローライフ」なんていう便利でないところに価値を置くような考え方が浸透している現代において、数値主義、拡大主義、効率主義のビジネスには限界がある。基本のマーケティング論の先の議論、フィーリングやテイストや感性、そういったものの価値をもっと考えていくべきだ。数値や言葉で表現できるものではなく、直感で「これだ!」思えるものが、売れていく時代なのである。書籍でそんなことが書かかれているのは、辛うじて浜野安宏さんの本くらい。
では、ローカルにおいては――。
例えば、「おーいお茶」はマスマーケティングを使った今までの手法で売れるが、掛川茶の価値はそれでは伝わらない。
今や大量にものが売れる時代ではない。ローカルでコトを起こそう、モノを売ろうとしたら、「○○さんの作っている、○○が欲しい」という言われるような、いわゆるワンツーワンマーケティング、リレーションマーケティングで、一歩一歩、着実に価値を広めていくしかない。
インターネットの環境が整い、今や、ホームページやブログなどで遠くにいてもローカルの価値を受けることのできる時代である。生活者は、自分のフィーリングに合ったもの、テイストに合ったもの、琴線に触れるものを探している。例えば、北海道に住んでいようと沖縄に住んでいようと、例えば「掛川の○○さんの作ったお米が食べたい」と思えば購入することができるということである。これは、ホームページで○○さんの米づくりの哲学に惚れる場合もあれば、ブログの口コミ情報で食べてみたくなる場合もある。
大量生産、大量消費に代表される権威主義、実績主義とまるきり違うところの、自分自身の感性で、自ら探し、自ら選択して購入する。マス広告からの受動的なものではなく、能動的なもの。そういった、同じ価値観を発するもの、同じフィーリングを感じるもの、そういったものを探し、見つけること自体が価値であり、自分自身の生活を豊かにすることなのである。
そう考えると、市場を分析し、細分化し、細分化した市場ごとの特性を探るのではなく、わかる人にわかってもらえばいいという、ある意味わがままな情報発信でいいのかもしれない。全国にいるであろう、このモノ、このコトの価値をわかる人々に、どう発信していくかが重要で、自分たちが生産したモノ、発信するコトの価値をわかる人の琴線に触れるような、「そうそう、これを探していたの」という情報を、際立つ存在感を持って発信することが大事なのだ。
「こんなものを探していた」というものが見つかったときの嬉しさ、同じ価値観を持っている人を見つけたときの幸せ感を考えれば、たとえインターネット上であろうと、人と人が確かにつながった瞬間なのであろう。
さらに、そのものの価値を実感し、「これ、よかったよ」という実体験を伴った情報発信は、さらに同じ価値観を持った人々に、力を持った情報として確実に伝わり、広がっていく。
直感や感性でものが売れる時代なのだとしたら、大まじめと大ふざけの振り幅を持って、自分なりの楽しみ方を見つけ、感性を磨くこと、同じ価値観の物好きを能動的に探し、関係性を築くことが大事なのかもしれない。発信する側も、受信する側も。
こうしたつながりが、自分の生活の豊かさにつながっていくのだとしたら、人と人がアクセスしあい、つながっていくことは、デジタリックでありながら、もしかしたら、とてもヒューマンなことなのかもしれない。
「大まじめと大ふざけの振り幅をもって…」なんてぐっと心に浸みますね。
ITでどこにいても情報は確かに伝わります。しかし「美味しいよ」という文字情報以上の感性を伝えるには、やはり人の力を仲介するのがよいと私は思っています。
「○○さんがいつも買っているお茶だってさ」という信頼出来る人を仲介する事でもっと文字情報は生きてくるはずです。だから仲介出来る人間になろうと言う事でも良いはずです。
私しゃ札幌で掛川茶を宣伝しまくっているんですが、売れてるのかなー
待っていてくれる人がいるというのは、ホントに幸せなものですね。
さて、K1さんのコメントに、素晴らしい言葉がありました。
「文字情報以上の感性」
最近、なだれ込み研究所とは何かを考えているのですが、「文字情報以上の感性」、そうしたフィーリングをどう伝えていくか、そのためにどう表現していくか。その手法や表現方法を考えていくことが、一つの仕事なのかもしれません。そんなことを、ふと思いました。
あれっ?コメントはたしか(1)だったはず。
クリックするまさに直前、管理人さんがコメントをアップしたんですねぇ。
私も毎日、ブログアップを待ってますよ。
今日の本編、読み応えがありました。
修行が足りねーな。
小説をお書きとのことですが、ブログ拝見している限りでは、ノンフィクションを書いたらいいのに、なんて思っちゃいます。例のサーファーさんのことなんか、どうです?僕は読んでみたいなあ。
それはさておき・・・
このテーマは、僕の本業ずばりなのですが、僕が参考にしている本を2冊ご紹介しておきます。もう、読んではるかもしれませんが。
●なぜこの店で買ってしまうのか
パコ・アンダーフィル 早川書房 4-15-208335-2
●脱・片思いマーケティング
服部隆幸 日経BP 4-8222-4331-1
アンコメさん。それは、マスマーケティング世代の悪癖ではなく、ニッチなコトやモノへの愛ゆえ、だと思いますよ。
dunkelさん、私に対して「小説ではなく、ノンフィクションを書いたらいいのに」 は禁句ですぞい。フィクションは向いてないかもしれない、と感じつつも、小説への愛ゆえに、あきらめきれない業(ごう)があるのです。とほほ。
参考書は、さっそく探してみます。
なるほど、最近出版された『80対20の法則を覆す ロングテールの法則』(菅谷義博著・東洋経済新報社刊)も面白うそうですね。これからも、いろいろ教えて下さい。