7月、「浜野安宏と歩く―掛川ストリートワークショプ」を実施したとき、ライフスタイルプロデューサーの浜野安宏さんはこんなことをおっしゃった。
「報徳図書館に、二宮尊徳に関するあらゆる蔵書を入れよう。そして、庭とはす池、中央図書館に向かって開かれているオープンテラスのあるカフェをつくろう。金次郎カフェ、金ちゃんカフェ。美味しいコーヒーの飲めるそんな店があったらいい」
私が小学生だった頃、二宮尊徳(金次郎)のことは誰もが知っていた。今の小学生に聞いてみれば、たぶん、知らない子もたくさんいるだろう。
勤勉。勤労。倹約。
二宮金次郎のイメージであり、これらはちょっと古くさく、言葉のイメージとして、押し付けがましさを感じてしまうところがある。
私自身、掛川市に住んでいながら、尊徳の報徳思想を広めるための本社「大日本報徳社」があるということ自体、意識したことがなかったし、そもそも報徳思想が何かも知らなかった。
なだれ込み研究所に在宅勤務という形で関わっていた平成16年10月、「木の文化のまちづくりフォーラム」が行われ、そこで私ははじめて、報徳思想には「分度」「推譲」という考え方があるのだと知った。
分度は「度をわきまえる」ことであり、推譲は「余剰分は他者、あるいは次の世代に譲る」ということである。正門には「道徳門」と「経済門」があり、それらは同じ高さで「道徳と経済の調和した社会を目指す報徳の教え」を象徴しているのだと知った。
報徳について、まだまだちゃんと知っているとは言えないけれど、それでも「これって今の時代にぴったりじゃん!」と私は思ったものだ。「全然古くないじゃん!」と。
ただ、その考え方を広める表現の仕方が、どことなく辛気くさく、古くさく感じてしまうだけなのだ。これは非常にもったいない。
では、どうすればいいか。
冒頭の金ちゃんカフェである。
図書館帰りの女子高生たちが、当たり前のように金ちゃんカフェに寄るようになって、はじめて「ここって何だっけ?」とその存在に気づき、意識する。それがスタートではないかと思うのだ。
今、大日本報徳社の大講堂は修復工事の真っ最中であり、修復後は、もしかしたら国の重要指定文化財になったりするかもしれない。でも、いくら歴史的に、文化的に素晴らしくても、私などの感覚からすれば、見て終わりの建物群に親近感はわかない。
経済優先の社会の価値観にストップがかかりつつある今、大量生産大量消費はやめて、ほどほどいいじゃないかと考える人が増えている今、次世代のために何ができるか考え始めようとしている今、こんな「今」だから、よけい、このままではもったいないと思うのだ。
そんなとき、森絵都の『風に舞いあがるビニールシート』(文藝春秋.2006年刊)を読んだ。第135回直木賞受賞作なのだが、なんと、この短編集の中の「守護神」に、二宮金次郎が重要な役割で登場しているのだ。といっても、もちろん登場人物として出ているのではない。金次郎ストラップ(だったか、マスコットだったか)としての、ある意味キャラクターとしての登場である。
モチーフはやっぱり「勤勉」なのだが、それでも、今を時めく作家森絵都が金次郎を書き、直木賞を取った作品の中に登場しているということがすごいではないか!
時代は金次郎に追い風である……と、私一人が盛り上がっているようだが、一人でも、盛り上がっていたいと思う。
だって、金ちゃんカフェが本気で欲しいし、「守護神」もものすごく面白いから。
中央図書館で『風に舞いあがるビニールシート』を借り、その足で、アールデコ調の報徳図書館に立ち寄り、金ちゃんカフェでコーヒーを飲みながら「守護神」を読む。
そんな日が本当に来たらいいなあ。
「報徳図書館に、二宮尊徳に関するあらゆる蔵書を入れよう。そして、庭とはす池、中央図書館に向かって開かれているオープンテラスのあるカフェをつくろう。金次郎カフェ、金ちゃんカフェ。美味しいコーヒーの飲めるそんな店があったらいい」
私が小学生だった頃、二宮尊徳(金次郎)のことは誰もが知っていた。今の小学生に聞いてみれば、たぶん、知らない子もたくさんいるだろう。
勤勉。勤労。倹約。
二宮金次郎のイメージであり、これらはちょっと古くさく、言葉のイメージとして、押し付けがましさを感じてしまうところがある。
私自身、掛川市に住んでいながら、尊徳の報徳思想を広めるための本社「大日本報徳社」があるということ自体、意識したことがなかったし、そもそも報徳思想が何かも知らなかった。
なだれ込み研究所に在宅勤務という形で関わっていた平成16年10月、「木の文化のまちづくりフォーラム」が行われ、そこで私ははじめて、報徳思想には「分度」「推譲」という考え方があるのだと知った。
分度は「度をわきまえる」ことであり、推譲は「余剰分は他者、あるいは次の世代に譲る」ということである。正門には「道徳門」と「経済門」があり、それらは同じ高さで「道徳と経済の調和した社会を目指す報徳の教え」を象徴しているのだと知った。
報徳について、まだまだちゃんと知っているとは言えないけれど、それでも「これって今の時代にぴったりじゃん!」と私は思ったものだ。「全然古くないじゃん!」と。
ただ、その考え方を広める表現の仕方が、どことなく辛気くさく、古くさく感じてしまうだけなのだ。これは非常にもったいない。
では、どうすればいいか。
冒頭の金ちゃんカフェである。
図書館帰りの女子高生たちが、当たり前のように金ちゃんカフェに寄るようになって、はじめて「ここって何だっけ?」とその存在に気づき、意識する。それがスタートではないかと思うのだ。
今、大日本報徳社の大講堂は修復工事の真っ最中であり、修復後は、もしかしたら国の重要指定文化財になったりするかもしれない。でも、いくら歴史的に、文化的に素晴らしくても、私などの感覚からすれば、見て終わりの建物群に親近感はわかない。
経済優先の社会の価値観にストップがかかりつつある今、大量生産大量消費はやめて、ほどほどいいじゃないかと考える人が増えている今、次世代のために何ができるか考え始めようとしている今、こんな「今」だから、よけい、このままではもったいないと思うのだ。
そんなとき、森絵都の『風に舞いあがるビニールシート』(文藝春秋.2006年刊)を読んだ。第135回直木賞受賞作なのだが、なんと、この短編集の中の「守護神」に、二宮金次郎が重要な役割で登場しているのだ。といっても、もちろん登場人物として出ているのではない。金次郎ストラップ(だったか、マスコットだったか)としての、ある意味キャラクターとしての登場である。
モチーフはやっぱり「勤勉」なのだが、それでも、今を時めく作家森絵都が金次郎を書き、直木賞を取った作品の中に登場しているということがすごいではないか!
時代は金次郎に追い風である……と、私一人が盛り上がっているようだが、一人でも、盛り上がっていたいと思う。
だって、金ちゃんカフェが本気で欲しいし、「守護神」もものすごく面白いから。
中央図書館で『風に舞いあがるビニールシート』を借り、その足で、アールデコ調の報徳図書館に立ち寄り、金ちゃんカフェでコーヒーを飲みながら「守護神」を読む。
そんな日が本当に来たらいいなあ。
木漏れ日の中のオープンカフェ♪
ずっと記憶に残るような「なんだか居心地がいい」空間があの場所なら作れそう。
遅くなりましたが
別ブログにリンク貼らせて頂きました。
『店長の雑記帳』
http://unjour.motto-egao.com/
それにしても、ブログというツールによって、力のある人たちがどんどん出てくるようになりましたね。それぞれに、心地いい空間を作り出しています。
ちなみに、私も甘いものは大好きです。