なだれ込み研究所の一日

物語作家を目指すもの書きが、ふとしたことから変な事務所で働くことに!
日々なだれ込んでくる人や仕事、モノやコト観察記。

農について考える

2006-05-16 23:08:49 | ビジネスシーン
なだれ込み研究所には、常勤のスタッフのほか非常勤スタッフ、そして別の会社に出向している用心棒もいる。S藤さんが「マニュアルを越えたところの、経営の本質のわかる人」と評するY村さんである。

めずらしく朝から事務所に出勤していたY村さんは、S藤さんとともにお客様との打ち合わせである。ベラベラ病のS藤さんと、寡黙だけれど、大事なところでピシッと深いことを言ってくれるY村さんのコンビはなかなかだった。S藤さんが話を進め、Y村さんが話を深めていく感じ。
私は、経営のことや経済のことはよくわからないけれど、Y村さんの言うことが、物事の本質を語っていることや、たくさんの知識や知恵や経験に裏付けられた重みのある言葉であることは、感じ取ることができた。

「意識の高い人は、農業に目が向いている」
とY村さんは言った。
遺伝子組み換えの大豆の話をしていたのだが、ちょうど今日の夕刊で、Y村さんが言っていたのと全く同じことをデンソー会長の岡部弘氏が書いていた。日経の「あすへの話題」と題したコラムの中での言葉である。

さらに、「地域で採れた野菜を、スーパーと同じように商品として陳列してはだめ」「生産者から消費者へ、手から手へ生産物が渡されなくてはだめ。朝市(市場)から離れたときからだめになる」「地域の人から人へ、会話と共に直接手渡されてはじめて、100円のものが110円でもいいと消費者は思うのだ」と言った。
これはまさに、先日講演に来て下さった内山節氏の言っていることと同じだった。
「地域社会と結びついたところに農の営みがある」
「関係的価値が『半商品』の世界を成立させる」

ちょうど昨日、S藤さんが森林と家づくりの関係について話していたのだが、問題の根本はまったく同じだと思った。
「産業構造が、自前の素材で、自分たちの技術で家を建てる、という仕組みを手離したときから、循環していた自然との共存の作法が崩壊した」

生産効率を最優先させ、自然の作法を忘れ、関係性を面倒くさいものとして引き受けなくなったことは、今までうまく回っていた循環の仕組みそのものを手離すことでもあった。サスティナブル、持続可能な社会、ロハスな生活、様々な言葉が使われるが、全ての根っこは同じなのではないだろうか。うまく書けないのだが、たぶん、そういうことなのだと思う。

今日の日経夕刊のトップの見出しは「農業再編へ『再生機構』」。
農水省が、経営体力が強い農家を育て、日本の農業の国際競争力を高めることをねらいとして、再生機構をつくるという記事である。
「農業を資本主義的産業の一つにしようとしても無理でしょう」「はじめに自然があり、はじめに農民の営みがある」と投げかけた内山さんは、この記事を読んでなんと言うだろう。そして、Y村さんは……。
今度、会ったときに聞いてみよう。

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