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ぽぉぽぉたんのお部屋

季節の移ろい、道ばたの草花、美味しい食べ物、映画や友人のこと、想いがいっぱいの毎日をお話します

「カンベンガ・マリールイズさんのこと」

2015-06-02 | きょうのできごと
桑山さんとの30分ほどの対談で、マリールイズさんのことを知った。
と思っていたが、エピソードは私の記憶に残っていた。
神がついていると思えるほどの幸運が重なって今日本にいること。
笑顔のとても素敵なルワンダ人
首都キガリの専門学校で洋裁の先生をしている時に
海外青年協力隊カウンターパートナーとして来日し
福島で10カ月ほど洋裁の研修を受けた。
帰国して間もなく内戦が勃発。
普通に生活していたのが急に街は騒がしくなり
停電し、日本のホームステイ先からの電話で
初めて内戦状態にあることを知ったと言う。

これには大変驚いた。

アフリカの中ほどにある小さなルワンダという国。
日本からは果てしなく遠い国のように思う。
それが、その国にいて何が起こったのかわからないのに
わずか10カ月いた日本からの電話で戦争を知ったとは・・・

そうして2歳と4歳と6歳の子どもを連れて
コンゴに逃れることを決意する
何カ月もかかっての逃避行
コンゴに入る直前に
ずっと会えなかった夫とも偶然に出会い難民キャンプへ

無事を福島の知り合いに知らせたいと書いた
ひらがなのメモが目に止まって
日本人医師の通訳になり12月には再来日を果たしたという。
なんと運の強い人
一昨年、日本に帰化し
永遠にルワンダを忘れないという思いを込めて
「トワリ」と姓を決めた。
永遠と瑠璃色の璃 素敵な漢字がきらりと光る

ルワンダの教育を考える会理事長として
故郷に学校を建設、
いのちの尊さ、教育の大切さを講演し全国を駆け巡っているという

震災と原発事故も体験し、避難所や仮設でボランティアもしているそうだ

彼女のエネルギーもたくましい
日本語はペラペラ、

突然に家族を失ったキャンプと被災地は同じ
自分の体験した苦労や思いはまず置いておいて
仮設を訪れルワンダカフェを開く

ルワンダのコーヒーや紅茶を入れてみんなで一緒に飲む
温かい飲み物で心もほぐれる
カラオケでは「翼を下さい」を歌うそうだ

難民キャンプにいて
福島の人から手紙をもらった時
世界が見守ってくれている、考えていてくれていると
とても励まされたという

日本の子どもたちは「ちゃんと宿題したか」「何やっているのか」と
言われてばかり、そうして怒られることも多い。

でも、子どもに「あなたに支えられて私は生きています」と
声をかけたことがありますか?

日本に着いた時に4人目の子どもを妊娠していたが
役所で手続きをするように言われたそうだ。

「まだ生まれていないのにどうして」と驚いたという
生まれる前から母子手帳を貰って
検診をきちんと受けて、
その都度、子どもの成長も書き入れて
そんな母子手帳のこと
子どもと話していますか?

生きていることをまず喜ぶ、あとはついてくる
人の命があって守られる
だから夢ができる
と流ちょうな日本語が続く

「つながっている」とここでもふと感じた。
私は親として、今の時代の人間として、何を伝えていけるだろうか



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「地球のステージ」

2015-06-02 | きょうのできごと
ユニセフのつどいが福祉プラザであった。

日曜の昼過ぎの喧騒の人込みの中を自転車でかき分けるように
何とか たどり着いた。
陽射しは夏、海からの東風がさわやかに流れている。

平和な街、大勢の人々が信号待ちをして
青に変わるとあふれるように横断歩道を渡っていく。
話題の店や美味しい物には楽しげに行列して
催し物があればみな集う。

会場の300席はほとんど埋まっていた。

地球のステージ代表の桑山紀彦さん

彼が国際支援活動を始めて四半世紀が過ぎたが
今もパレスチナ、ガザ地区での心理ケアや
東ティモールでの妊産婦や新生児にかかわって活動している。

東日本大震災では自らも被災したそうだが
彼の活動を通しての映像やお話し、
自作の曲を歌ったり、ギターを弾いたり
時にはバイオリンも奏でる

精神科医とはいえ、このエネルギーはいったいどこからくるのだろう
日本の人たちに「いのちの大切さ」や「ほんとうのしあわせ」を伝えている。

ルワンダ…ツチ族とフツ族との殺し合いがあってからもう20年余だろうか

ブータン…幸せの国とマスコミで取り上げられたが、
英語だけの学校の授業、子供二人政策、
決まった給料の公務員は積極的に働こうとしないなど問題もあるらしい

パレスチナガザ地区…学校までもが爆撃対象になっていると報道で取り上げられていたが
実際はこちらも学校から爆撃しているので狙われているだけのことだという

東ティモール…インドネシアからの独立妨害や武力制圧があり
家族を連れ去られ、取り残された子供たちの笑顔がまぶしい

目の前で家族を殺された子供たちは
現実と向き合わざるを得なかったのかもしれない。
現実と向き合い、まっすぐ未来を見る子供たち
だからあんな風に笑顔が輝いているのかしら

折り合いをつけざるを得ない厳しい現実
希望や夢がなければ生きていく力は持てないだろう
子供たちには未来があるからあんな風にできるのかしら
そうして、大人たちはそんな子供たちを支えにして生きていける


大川小学校の生き残った生徒の
「大人たちは現実と向き合わない」という言葉が重かった。






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