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ぽぉぽぉたんのお部屋

季節の移ろい、道ばたの草花、美味しい食べ物、映画や友人のこと、想いがいっぱいの毎日をお話します

被災地訪問~石巻大川小・門脇小

2022-07-08 | きょうのできごと
久しぶりの被災地訪問は石巻市
最初に訪れた大川小学校

娘をなくしたお父さんのお話を
暑い日差しを浴びて聴いた・・・
どんなに恐かったか、寒かったか、
辺りはガランとして
静かにゆったりと川は流れていた。

私たちは子どもたちが登らなかった山と
いち列になって逃げた軌跡をたどった。

大川小学校の裏山を少し登ると ずっと辺り全体が見渡せた。
ちょっと上っただけなのにこんなにも・・・
助かった先生はひとり、児童は4人だが、テレビで肉声を聞くのは5年生だった男の子一人だけ
彼は妹も母も祖父も津波で失っている。
彼のおかあさんはいったん学校に迎えに来て戻っていた。

つい登ってしまったものの杖だけでは降りる自信がなかった。
ええいままよと思っていると、先に降りた方が下で手を伸ばしてくれていた。
その手を頼りに深い段差を何とかこなせた。
あまり使っていない右股関節が軋んだのがわかった。

これからどうなるのだろう・・・

子どもたちも先生もこんなところに水が襲ってくるなんて
思いもしなかったのだろうなあ・・・

「自分も教師として」と佐藤さんはおっしゃった。
子どもたちを助けようと思わない先生なんて絶対いないはずだ。
何がよくなかったのか、普段から準備することの大切さ。
もしもと想像力を巡らせなければいけない
何もなかったらそれでいいんだ。

子どもたちの当日の逃げた順路を巡った。

「ここまできて行き止まり、
家が立ち並んでいて、こんな風に広くないから 
いち列になって家の裏を進んだらもういけなかった

そうして見えたのは襲ってくる黒い水」

「小さい子たちはきっと泣いていたと思う」と佐藤さんは続けた。

「その時、娘はどんな顔をしていたのか・・・」

何度も何度も父はその顔を想い浮かべて生きてきたのだろうか・・・



立ち入り禁止の校舎の中に雨水がたまっているのが見えた。
そうやってだんだんと朽ち果てるのを待っているように思えた。
朽ちるように辛い思い出もなくなるのだろうか・・・
もう見たくない人と、きちんと見据たい人と
このことをたくさんの人に知ってほしい人がいる

裁判のこと、生き残った子供や教師の事

津波の様に渦をまいていたのだろうね

裁判も結審した。

大川小
    

門脇小
  

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病院で

2022-06-16 | きょうのできごと
きょうは2週間ぶりに病院に出掛けました。

具合を聞かれて、やはり夜痛むことがあること、それからと

いいかけましたらベッドにと言われ移動しようとすると

言いかけた言葉を気にかけたのか

椅子に戻るように言われました。

仕方がないことなのでしょうが、関節が固い感じで足に力が入らないこと

具体的には自転車のペダルの踏み始めが不安定で…と続けました。

同じビルの美容師さんいわく、ハードコアの先生にしては、よくぞ聞いてくれたという感じです。

そっと膝を触っていましたがレントゲンを撮ることになりました。

映像をじっと見ていましたが問題はなさそうです。

ぎくしゃくした感じで寝た姿勢で膝裏が付かないと付け加えました。

ベットに寝て膝に痛い注射をして、そのあとすぐに息を吸ってと始まりました。

まだまだ、注射の痛い余韻でいっぱいなんですけど・・・と思いながら

吸ってはいてと言いながら足を上げて引っ張ります。

力を抜いてと言われ、ずずっと引っ張られました。

「膝のばしてみて」と言われ、改めてののばすと もう一方の足よりしっかりひざ裏がついている・・・

原因は膝をひねっていたとのこと。

毎日のしぐさの中で、左からではなく右足から踏み出すように

とは初診の時もいわれたことを思い出しました。

先生もいつになく膝が熱を持っていたので骨を心配したようですが・・・

時々の不調は 特に身に覚えはないのですが、

膝をひねっていたり、腰をひねっていたりが原因のようです。

両足のバランスが悪いのでいろいろと負担がかかっているのでしょうね。



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深夜の地震

2022-03-20 | きょうのできごと
3月16日深夜、私はまだ起きていて、パソコンをしていた。
揺れがきた、いつになく強い揺れ、大きな地震だった。
食器棚の上のカップラーメンがパラパラ落ちた程度のように思えてほっとした。
1、2分経っただろうか、続けざまにやってきた次の地震は強烈だった。
今までにない揺れ、横でも縦でもない、色々な方向に振り回されるようなめちゃくちゃな揺れだ。
こんなひっかき回されているような揺れの恐怖はたとえようがない。
いつものようにドアに走ることもできなかった。
膝の壊死でしゃがむことのできない私は立ったままおろおろするしかなかった。
気づくと家じゅうのあらゆる引き出しや扉があいて、中の物があふれ出ていた。
鍵のない内窓はすべて開いてポットがひっくり返っている。
食品を入れたケースが倒れ災害用のペットボトルがなぎ倒され
床がぬれている。ふたがねじあけられたようだ。
随分気を付けていたはずなのに、かなりきついサイドボードの扉があいて
グラスやカップが壊れ落ちていた。
こっちもだ。上等な食器程やられている。
タンスはまたもやバラバラ、崩れ落ちている。
きれいに拭き上げて乾いていたはずの風呂場は水浸し
天井から漏れてきているのかと目を凝らすがその気配はない。
風呂蓋がぬれていて、中ののこり湯が大きくふりまわされ
こぼれたのだと悟った。

3・11の揺れとは比較にならない強さと体験したことのない揺れだ。
方向性がないあちこちに振られるような揺れが恐ろしい。
ぞっとするような揺れ方だった。
昨年の2月も似たような揺れだった。
経験したことのない種類の揺れと強さに言いようのない叫びがやってくる。
もう嫌だ。本当にもう嫌だ。



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ふいうちのようにやってくる

2022-01-10 | きょうのできごと
先月気になることがあってメールをしたが返事がない。
使われていないなら送信不能で戻ってくるはずなので少しは安心かも
いつも素敵なChristmasカードをいただいていたが、気が付くと一昨年から届いていない・・・
手が込んだ手作りだったので、もうやめたのだろうか?
それとも、この頃はやりの断捨離で身辺整理をしてしまったのかしら?
映画館でばったりお会いしてお茶したこともあったが、既に10年以上も前のことだ。
コロナのご時世、心身健やかに過ごされていればいいのだが・・・
とても気になっていた。

買い物帰りに郵便受けをみるとはがきが届いていた。
お正月もあけたから年賀状はさすがに来ない。
いつも元気な友人の名前があった。
そういえば年賀状がきていなかったかな?ご不幸でもあったのかしら・・・
エレベーターの中でよく見ると別の名前が記してあった。
年賀状のお礼の後に、妹は昨年2月に他界しましたとあった。
体調に気づいてやれなかったことが心残りだと結んであった。
あんなに元気だったのに。来月会おうと思っていたのに。

わたしが気にかけていた友人ではなく
当たり前にいつも元気な同い年の彼女が逝ってしまっていた。

気になっている友人に電話をしてみたい思いでいっぱいになった。

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あっという間の大晦日

2021-12-31 | きょうのできごと
9月の足の不調からあっという間の毎日だった。
通院と杖歩きと薬と血圧を測る生活が続いて
そしてついに大晦日
相変わらずの痛みと重苦しさだがやがて慣れて折り合いがつきそうな気配。
年賀状も掃除もほどほどに
体重をかけられない、かがめない、しゃがめない生活が続く。
結構できないことが多い。
腰やひざが少々痛くとも、普通に動けるありがたさを思い知るが
まあ仕方がない。
今日はずっと氷点下で気温も上がらない。
細かい雪が舞う。
厚い雲の向こうに太陽の兆しを感じる一日になりそうだ。
来年はどんな年になるのだろう。


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わたしの右足は・・・

2021-12-06 | きょうのできごと
11月26日金曜日、タクシーでMRIを予約している病院に行った。
初めてではないのに、一昨年の記憶は既に失せていた。
大した事のなかった腰はその後、変な痛みはないからだろう。
喧騒のカプセルに入ると色々な思いがめぐった。
だが、30分はあっという間だったのか、思いの他長かったのかよくわからない。
取り留めのないことを思いながら時間は過ぎた。
昼食を食べようと外に出ると木枯らしの季節になっていた。
トンネルを抜けると・・などという想いがして現実に戻ったことを知った。
今年の晩秋は暖かすぎたようだ。
午後の診療に戻ると、映像を観たドクターは
人工骨を入れる状態にぎりぎりセーフのひざ下の骨の壊死
「半年はかかるね」と「なるべく体重をかけないように」
との言葉が耳に残った。
「○○さんの人生だから無理して手術になるのも
安静にして元気に動けるように戻すのも自分次第」だとおっしゃる。
もちろん
わたしの人生なのだが、私のための人生ではないのだよね。
今は、私以外の人の為にしなければならないことを抱えて生きているのだと・・・

「これは痛いはずだ」
「薬を飲まなければ痛みは我慢できないでしょう」とも言われた。
電気をかけてから、改めて病名を聞いた。
「けい骨内顆骨壊死」かぁ・・・
全くね。困ったもんだなぁ
2ヶ月我慢してこれからもそれなりの我慢比べらしい

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続々 続 右足もよう

2021-11-12 | きょうのできごと
少しでも早く治りたいので電気をかけに杖をついて通った。
足を着くたびにひざ小僧左下あたりに痛みが走る。
杖をついても歩くのもままならず
信号が変わると同時に気合を入れてスタートしないと横断歩道も渡り切れない

それが、月曜辺りから
痛いだけでなく右足がギョインと棒のように固くて
うまく上げられない感じがしてきた。
慣れない杖をつくのもしんどい、
結構力を入れないと進まないので
もうどっちゃでもいいわとばかりに
右手に持ったり、左手に持ったりで
とにかくこれ以上、右足膝に負担をかけたくないだけだ。
どうしてこうなっちゃったの?と思いながら過ごす日々・・・
木曜の診察では炎症で水も溜まっているとのことで
とうとう注射になった。
とにかく早くよくなりたい。
初めて膝にうった注射は(えっ?)と思うほど痛みがなく驚いた。
胃がむかむかするので新たに弱めの薬を処方してもらって電気をかけた。

ただ注射を打つ前の血圧が150台後半だったことが気になった。
帰宅して午後、血圧を測ると180を超えていた。
止めても薬は2週間ぐらい体内に残るというのを以前何かで見て知っていたが
前の薬の影響はあるとしてもこんなにも上がるはずはない。
調べてみると注射薬にも高血圧の影響がありそうだ。
どこまでついていないのかしら・・・
特異体質かぁ・・・知っていたつもりだったが、これほどまでとは・・・
娘の出産もあるし、母の介護は歩けなくなってからずっと妹に任せきりだ。
何とか血圧をセーブしないと、頭や心臓で何か起こってしまっては取り返しがつかない。
まだ死ねない。やることがいっぱい残っている。

翌日、早めに近くの内科へ出かけた。
血圧が高くなった薬や注射液のデータを渡し、
待っている間に機械で計ると190あり下も100を超えている。朝は150台だったが・・・
看護師さんに、赤いカプセルとお水を渡されすぐ飲むように言われる。
待合室でとても恥ずかしかったが仕方がない。
落ち着いた頃に検査をするとのことだった。
検査を受ける頃合いになっても、血圧がまだ下がり切らず160台あったが
先生の指示で検査を続行
血管の状態は両手両足共に良好で、固さも年齢よりずっと若いと結果が出ていた。
やはり注射の副作用だった。
だが痛みが続いていておさまらず、治療は続けた方がいいとのこと、
痛みも血圧上昇の要因にはなるだろう・・・
新たに整形で出された薬は副作用に高血圧とあり戸惑ったが
内科の先生はそれは飲んでも大丈夫とおっしゃる。
血圧を下げる薬を2種類処方された。
一つは先程のように160以上ある時に飲む薬だ。

どうか落ち着いてくれますようにと祈るしかないが
血圧を上げる薬と下げる薬を使いながら早く治すしかないのだろう。
ピリン系やテオドールなどをあわない薬としてきたが
それらは大したことはなかったようだ。

1週間後の注射も効いて早くようなりますようにと祈らずにはいられない。



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「ひろせ」がなくなったぁ・・・

2021-11-11 | きょうのできごと
「ひろせ」は老舗の地元和菓子屋さん。
エスパルができた時から地下に入っていて、
その頃はたくさんの季節の和菓子が並んでいて素晴らしかった。
よく買い求めたものだ。
結婚してからも、
帰阪するたびに空港で買い求めていたお気に入りのずんだ饅頭。
ずんだが有名になって、あちこちでずんだ饅頭を作り始めたけれど
「ひろせ」のはダントツで美味しかった。
味わいが素晴らしかった。ずんだ餡がたっぷり入った程よい甘さが私のお気に入りだった。
昔は仙台空港に行く途中に工場があったのだが
いつだったろうか、大梶のダイシン向かいに工場と店舗が新築オープンした。
その時は並んで買いに行ったのを覚えている。
それからも何度か訪れていて
最近、エスパル地下で「ひろせ」が見つけられなくなっていた。
先日しばらくぶりに生協のセラビ幸町店に行った時
気になって「ひろせ」のお店を探したが更地になっていた。
ショックだった。
もうあの美味しいずんだ饅頭が食べられないってことなんだよね。
明治43年の創業、令和3年1月12日をもって廃業と今日知った。

「ひろせ」のおばあちゃんが有名だった。
「ゴダイゴ」でベースやボーカルをしていたスティーブ・フォックス のおばあちゃんだったから・・・
よくテレビで取り上げられていた。
彼も60代、京都で牧師をしているようだ。

最近気になっているのは昔上杉に工場と店舗があった
やはり地元の「こだまのどら焼き」だ。
工場は大分以前に郊外に移ったようだが
移転しながら上杉に店舗はおいていた。
それが数年前になくなり
西多賀にあったお店もその後なくなってしまった。
だから今はせっせとエスパル地下に通っている。
絶対無くなってほしくない。
とにかく美味しい。ふわふわふっくらのかわ、求肥と餡の取り合わせが昔から有名で
今頃は季節の栗が出ている。
なまドラは抹茶やずんだやイチゴ、ティラミスなどもこじゃれていておいしい。
季節限定のモンブランもあるようだ。季節の和菓子も登場する。
カステラはもう作っていないようだが・・・
こちらも70年の老舗、しっかり応援していきたい。



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続・続・右足もよう

2021-11-06 | きょうのできごと
右足が痛い・・・
膝が痛くて歩けない・・・
全然よくならない・・・
足をつくたびに左下あたりにズキン、ズキンとやってくる。
先月19日に右ひざ裏の痛みで通院しだしてから
1週間ほどして痛みは和らいだはずなのに・・・
肉離れで28から杖なしでは歩けなくなり
30日あたりからは前膝も痛みだした・・・
11月に入って2日の血圧は160台
そして4日は170台
2週目に出された消炎剤を飲み始めてから血圧が上がっていると
うすうす感じていた。
先生に話すと
機械ではなく、別のタイプの長い目盛りの大きな
手ばかりの血圧計でやり直しとのことで・・・
今度は180って何なの?
下も100を超えている・・・

あの手術前でさえ、160だったのだから
想像もできなかった値だ。
頭痛は?吐き気は?と尋ねられたが
180あると知っただけでめまいがしそうだがまだ何とかなっている。

つい調子にのって油断していたのだ。
今までは少々無理をしても何とかつじつまがあっていたのだが
気を緩めて無茶をした分、今回は何倍にもなって返ってきたようだ。

痛いのに我慢してやってしまったのだ。
少々我慢すれば何とかなると思っていた・・・
やっぱり思うように歩けない、
階段を上り下りできないという不自由さを
つくづく思い知った。
足が棒のようにギョインと固まっていて
上がらない
自分の足ではないような感触にぞっとする。
甘やかしてはいられない様な気分で特訓したくなるが
それも通用しないようだ。

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続 右足もよう

2021-11-03 | きょうのできごと
9月24日の夜、立ち上がった時から右ひざ裏の痛みが始まった。
様子見をしているうちにどうしようもなくなり
病院に行き始めたのが1か月後、
1週間ほど薬を飲んで痛みは大分取れたのだが、さほど腫れは引かず。
注射は嫌いですかと聞かれた時は何と答えようかとどぎまぎした。
強めの消炎剤を飲み始めて2日目、
治療を始めてから10日目にやっちまった。

ひざ裏上の部分の肉離れで歩けなくなったのだ。
痛くて足が付けない、上げられなかったのが
痛いながらも杖をついて歩けるようになって
電気をかけに通い始めたのもつかの間
また二日ほどして、今度は膝小僧の左下部分がぎりぎりと痛みだした。
裏部分をかばいすぎて消耗してしまったようだ。

1か所だったのが、一つ加わり、また一つ加わり
よくなるどころか、次々と増えていく。
弱い左足をかばって20数年、頑張ってきた右足
仕方のないことなのだが
今度はかばっていた左足にダメージが行くのかと思うと恐い。
しゃがめない、かがめないため腰を痛めそうな気もする

実家に置いていた、自分の背丈に合わせて作った杖をとりに行きたいが
バスのステップも登れないので今日はあきらめた。
無理はもうやめよう。
これ以上、増えたらたまらないものね。


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