本日の行程:(JR百舌鳥駅) → (自転車@自転車博物館サイクルセンター) → 【仁徳陵古墳】 → 【堺市博物館】 → 【堺市茶室「伸庵」】 → 【大仙公園日本庭園】 → 【千利休屋敷跡】 → 【与謝野晶子生家跡】 → 【本願寺堺別院】 → 【石津太神社】 → 【北畠顕家供養塔】 → 【石津神社】 → 【履中陵古墳】
5月の連休中に堺東駅を通ることがあった。
仁徳陵古墳があるという程度でしか堺のことは知らなかったのだが、駅前の地図を見れば、なかなかおもしろそうな町である。
そこでさっそく訪れてみることにした。
堺は自転車の町、というのも今回はじめて知ったこと。
国産自転車の約40%が堺で生産されているというのだから驚きだ。
百舌鳥駅近くの「自転車博物館サイクルセンター」で自転車を借りる。
一日借りても300円と安い。
電動自転車も用意されていたので、それを選ぶ。
まず向かった先は仁徳陵古墳。
社会科の資料集で目にしていた仁徳陵古墳は、いつでも上空からの写真。
鳥瞰するわけではないので、森のようなものが見えるだけだろうと思っていたのだが、じっさいに行ってみてよかった。
多くの人が訪れ、その喧騒の中にあっても、近づき難い神々しさのようなものがある。
仁徳陵古墳を一周してから堺市博物館へ行ってみる。
200円という観覧料なのに、盛りだくさん。満足。
堺市博物館に隣接している堺市茶室「伸庵」でお茶をいただく。
「伸庵」は国の登録有形文化財。
干菓子が付いて、一服300円で気軽にお茶を楽しむことができる。
この茶室は、昭和4年に芝公園に建てられたものを移築したとか。
大仙公園日本庭園へ。
人は多かったが気持ちがいい。
この和室は申し込みをすれば利用可能(有料)。
千利休屋敷跡。
敷地内にあるのは、利休が茶湯に常用していたといわれる椿の井戸。
与謝野晶子生家跡には、歌碑と「与謝野晶子生家の跡」という石碑があるだけで、うっかりすると通り過ぎてしまいそうな場所だ。
歌碑には『恋衣』のあの有名な歌があった。
「海こひし 潮の遠鳴り かぞへつつ 少女となりし 父母の家」
北西へ進むと、市場が見える。意外だ。
堺魚市場。
お腹が空いていたので、どこか開いていればと思って覗いてみたが、振替休日のきょうは、どこも閉まっている。
近くに堅川が流れていて、川岸には堺事件の石碑と天誅組上陸の地の石碑とが建っていた。
聖フランシスコ・ザヴィエル芳躅
堺駅を通り過ぎ、ザビエル公園へ。
京都をめざすために堺に上陸したフランシスコ・ザビエルがをもてなした豪商・日比屋了慶の屋敷跡につくられた公園。
本願寺堺別院は、かつて堺県庁として使われていたこともあるそうだ。
山口家住宅(重要文化財)の佇まいを見たかったが、あいにく補修工事中でシートが掛けられていた。
時間に余裕があったので、南下してみることにした。
紀州街道沿いにある石津太神社、そして北畠顕家供養塔へ。
北畠顕家供養塔
石津川に架かる橋のたもとに供養塔はある。
「此附近北畠顕家奮戦地」の碑と供養の五輪塔が建っている。
石津神社本殿
祈願板
石津神社は熊野街道に面している。
紀州街道あり、熊野街道あり、この辺りはすごいなあ。
本殿に向かって右手に祈願板がある。
木槌で「三度たたいてお願いする」と願いが叶うらしい。
履中陵古墳は日本で3番目に大きな前方後円墳なのだそう。
仁徳陵古墳より前に造られたものだという。
静かで、荘厳な雰囲気に包まれていた。
5月の連休中に堺東駅を通ることがあった。
仁徳陵古墳があるという程度でしか堺のことは知らなかったのだが、駅前の地図を見れば、なかなかおもしろそうな町である。
そこでさっそく訪れてみることにした。
堺は自転車の町、というのも今回はじめて知ったこと。
国産自転車の約40%が堺で生産されているというのだから驚きだ。
百舌鳥駅近くの「自転車博物館サイクルセンター」で自転車を借りる。
一日借りても300円と安い。
電動自転車も用意されていたので、それを選ぶ。
まず向かった先は仁徳陵古墳。
社会科の資料集で目にしていた仁徳陵古墳は、いつでも上空からの写真。
鳥瞰するわけではないので、森のようなものが見えるだけだろうと思っていたのだが、じっさいに行ってみてよかった。
多くの人が訪れ、その喧騒の中にあっても、近づき難い神々しさのようなものがある。
仁徳陵古墳を一周してから堺市博物館へ行ってみる。
200円という観覧料なのに、盛りだくさん。満足。
堺市博物館に隣接している堺市茶室「伸庵」でお茶をいただく。
「伸庵」は国の登録有形文化財。
干菓子が付いて、一服300円で気軽にお茶を楽しむことができる。
この茶室は、昭和4年に芝公園に建てられたものを移築したとか。
大仙公園日本庭園へ。
人は多かったが気持ちがいい。
この和室は申し込みをすれば利用可能(有料)。
千利休屋敷跡。
敷地内にあるのは、利休が茶湯に常用していたといわれる椿の井戸。
与謝野晶子生家跡には、歌碑と「与謝野晶子生家の跡」という石碑があるだけで、うっかりすると通り過ぎてしまいそうな場所だ。
歌碑には『恋衣』のあの有名な歌があった。
「海こひし 潮の遠鳴り かぞへつつ 少女となりし 父母の家」
北西へ進むと、市場が見える。意外だ。
堺魚市場。
お腹が空いていたので、どこか開いていればと思って覗いてみたが、振替休日のきょうは、どこも閉まっている。
近くに堅川が流れていて、川岸には堺事件の石碑と天誅組上陸の地の石碑とが建っていた。
聖フランシスコ・ザヴィエル芳躅
堺駅を通り過ぎ、ザビエル公園へ。
京都をめざすために堺に上陸したフランシスコ・ザビエルがをもてなした豪商・日比屋了慶の屋敷跡につくられた公園。
本願寺堺別院は、かつて堺県庁として使われていたこともあるそうだ。
山口家住宅(重要文化財)の佇まいを見たかったが、あいにく補修工事中でシートが掛けられていた。
時間に余裕があったので、南下してみることにした。
紀州街道沿いにある石津太神社、そして北畠顕家供養塔へ。
北畠顕家供養塔
石津川に架かる橋のたもとに供養塔はある。
「此附近北畠顕家奮戦地」の碑と供養の五輪塔が建っている。
石津神社本殿
祈願板
石津神社は熊野街道に面している。
紀州街道あり、熊野街道あり、この辺りはすごいなあ。
本殿に向かって右手に祈願板がある。
木槌で「三度たたいてお願いする」と願いが叶うらしい。
履中陵古墳は日本で3番目に大きな前方後円墳なのだそう。
仁徳陵古墳より前に造られたものだという。
静かで、荘厳な雰囲気に包まれていた。