本日の行程:【旧乃木邸】 → 【高橋是清翁記念公園】 → 【豊川稲荷東京別院】 → 【「虎屋・寅年・虎づくし」展(虎屋ギャラリー)】 → 【圓通寺】 → 【鈴降稲荷神社】 → 【浄土寺】 → 【激動の明治国家建設〔特別展〕(衆議院憲政記念館)】 → 【藤本能道 命の残照のなかで(菊池寛実記念 智美術館)】 → 【特別展 根来(大倉集古館)】 → 【特別展 幻の京焼 京都瓢池園(泉屋博古館分館)】
衆議院憲政記念館で開かれている「激動の明治国家建設特別展」に行く。
2階の展示場入口で、自由民権運動や憲法の制定について15分ほどでまとめられた映像を見る。
展示は、西南戦争に関するもの、自由民権運動や私擬憲法や大日本帝国憲法誕生に関するもの、そして、以上の事柄に関係していた人々に纏わる品々を「人物回想」と題して紹介している。
そういえば、太融寺は国会期成同盟結成大会が開かれた場所だった、と思い出す。
太融寺にある「国会期成同盟発祥之地」の碑
書状には、それぞれ解説が付されている。
また、一部写真付きの展示品一覧と解説をまとめた小冊子もいただける。
憲法の制定と国会開設に至るまでの決して平坦ではない道のりが、よく分かる。
展示の最後のほうにきて、独語版の『ベルツの日記』があった。
「憲法発布の奉祝準備に慌ただしい東京市内の様子に、『こっけいなことには、誰も憲法の内容をご存じないのだ」とつづっている」と。
複雑な気持ちで、1階の展示場へ。
議場体験コーナー
映像は、麻生太郎前内閣総理大臣。
「鳩山由紀夫内閣総理大臣の所信演説の映像は、現在制作中です」とあった。
1階には、尾崎行雄の遺品や写真などを展示する「尾崎メモリアルホール」もある。
こちらは、三重県の尾崎咢堂記念館を訪れたときの記録。
憲政記念館の周りを歩いてみる。
記念館の前に建つ尾崎行雄銅像
国会前庭へ。
時計塔
尾崎記念会館(現・憲政記念館)が建てられた時に設計され、昭和35年(1960)に完成した時計塔。
三面塔星型は、三権分立を象徴している。
塔の高さは、「百尺竿頭一歩を進む」ということわざから、百尺(30.3メートル)より高い31・5メートルあるのだそうだ。
日本水準原点標庫(千代田区特別登録有形文化財)
「日本全国の統一された標高決定のための基準として、明治二十四年(一八九一)五月に水準原点が創設されたが、この建物はその水準原点標を保護するために建築されたものである。設計者は工部大学校第一期生の佐立(さたち)七次郎(一八五六~一九二二)。(中略)
日本水準原点標庫は石造による小規模な作品であるが、ローマ風神殿建築に倣い、トスカーナ式オーダー(配列形式)をもつ本格的な模範建築で、明治期の数少ない近代洋風建築として建築史上貴重である。
平成九年三月三十一日 建設 東京都教育委員会」
「この地の由来」の碑
碑によれば、江戸時代のはじめ加藤清正が居住し、寛永年間に井伊家の居所となり、井伊直弼もここに住んでいたという。
明治以降は、弾正台ついで参謀本部となり、昭和27年に衆議院に移管されたそうだ。
すぐそばに、皇居のお堀も見える。
国会議事堂
銀杏もそろそろ色づいてきた。
今日の歩数:18,485歩
衆議院憲政記念館で開かれている「激動の明治国家建設特別展」に行く。
2階の展示場入口で、自由民権運動や憲法の制定について15分ほどでまとめられた映像を見る。
展示は、西南戦争に関するもの、自由民権運動や私擬憲法や大日本帝国憲法誕生に関するもの、そして、以上の事柄に関係していた人々に纏わる品々を「人物回想」と題して紹介している。
そういえば、太融寺は国会期成同盟結成大会が開かれた場所だった、と思い出す。
太融寺にある「国会期成同盟発祥之地」の碑
書状には、それぞれ解説が付されている。
また、一部写真付きの展示品一覧と解説をまとめた小冊子もいただける。
憲法の制定と国会開設に至るまでの決して平坦ではない道のりが、よく分かる。
展示の最後のほうにきて、独語版の『ベルツの日記』があった。
「憲法発布の奉祝準備に慌ただしい東京市内の様子に、『こっけいなことには、誰も憲法の内容をご存じないのだ」とつづっている」と。
複雑な気持ちで、1階の展示場へ。
議場体験コーナー
映像は、麻生太郎前内閣総理大臣。
「鳩山由紀夫内閣総理大臣の所信演説の映像は、現在制作中です」とあった。
1階には、尾崎行雄の遺品や写真などを展示する「尾崎メモリアルホール」もある。
こちらは、三重県の尾崎咢堂記念館を訪れたときの記録。
憲政記念館の周りを歩いてみる。
記念館の前に建つ尾崎行雄銅像
国会前庭へ。
時計塔
尾崎記念会館(現・憲政記念館)が建てられた時に設計され、昭和35年(1960)に完成した時計塔。
三面塔星型は、三権分立を象徴している。
塔の高さは、「百尺竿頭一歩を進む」ということわざから、百尺(30.3メートル)より高い31・5メートルあるのだそうだ。
日本水準原点標庫(千代田区特別登録有形文化財)
「日本全国の統一された標高決定のための基準として、明治二十四年(一八九一)五月に水準原点が創設されたが、この建物はその水準原点標を保護するために建築されたものである。設計者は工部大学校第一期生の佐立(さたち)七次郎(一八五六~一九二二)。(中略)
日本水準原点標庫は石造による小規模な作品であるが、ローマ風神殿建築に倣い、トスカーナ式オーダー(配列形式)をもつ本格的な模範建築で、明治期の数少ない近代洋風建築として建築史上貴重である。
平成九年三月三十一日 建設 東京都教育委員会」
「この地の由来」の碑
碑によれば、江戸時代のはじめ加藤清正が居住し、寛永年間に井伊家の居所となり、井伊直弼もここに住んでいたという。
明治以降は、弾正台ついで参謀本部となり、昭和27年に衆議院に移管されたそうだ。
すぐそばに、皇居のお堀も見える。
国会議事堂
銀杏もそろそろ色づいてきた。
今日の歩数:18,485歩