8月16日(土)
当日の行程:(JR・堅田駅)…(江若交通バス・堅田駅~佐川美術館) → 【冨嶽三十六景と富嶽百景 北斎 富士を描く(佐川美術館)】 → (江若交通バス・佐川美術館~堅田駅)…(JR・堅田駅~大津京駅) → 【石山寺と湖南の仏像 ―近江と南都を結ぶ仏の道―(大津市歴史博物館)】 → 【弘文天皇長等山前陵】 → 【新羅善神堂】 → 【フェノロサの墓】 → (京阪・皇子山駅~出町柳) → 【五山送り火】
【弘文天皇長等山前陵】
弘文天皇というよりも、大友皇子というほうがピンとくる。
天智天皇の第一皇子、壬申の乱で敗れたあの皇子の御陵だ。
場所は、大津市役所の裏手にあたる。
大友皇子が歴代天皇に数えられるようになったのは、明治3年(1870)のこと。
【新羅善神堂】
新羅善神堂(国宝)は、弘文天皇長等山前陵のすぐ横に建っている。
写真では屋根しか分らないが、建物は三間四方の流れ造りで屋根は桧皮葺だという。
足利尊氏によって再興されたと伝えられる。
祀られているのは新羅明神。
園城寺開祖・智証大師の守護神である。
秘仏の本尊新羅明神坐像(国宝)は、「三井寺展」(於・大阪市立美術館、2008年11月1日~12月14日)で公開されていた。
垂れ目の、愛嬌あるお顔立ちをした神様だ。
【フェノロサの墓】
フェノロサの墓は、法明院にある。
法明院は、三井寺唯一の律院。
享保八年(1723)、義瑞律師性慶によって開かれた。
木が鬱蒼と繁る石段の参道をのぼると、法明院の門が見えてくる。
暗い感じがするのは、雨が降っているからか。
遺言により、フェノロサここに葬られたという。
フェノロサの墓の隣には、医師で日本美術の収集家でもあったビゲローの墓もある。
当日の行程:(JR・堅田駅)…(江若交通バス・堅田駅~佐川美術館) → 【冨嶽三十六景と富嶽百景 北斎 富士を描く(佐川美術館)】 → (江若交通バス・佐川美術館~堅田駅)…(JR・堅田駅~大津京駅) → 【石山寺と湖南の仏像 ―近江と南都を結ぶ仏の道―(大津市歴史博物館)】 → 【弘文天皇長等山前陵】 → 【新羅善神堂】 → 【フェノロサの墓】 → (京阪・皇子山駅~出町柳) → 【五山送り火】
【弘文天皇長等山前陵】
弘文天皇というよりも、大友皇子というほうがピンとくる。
天智天皇の第一皇子、壬申の乱で敗れたあの皇子の御陵だ。
場所は、大津市役所の裏手にあたる。
大友皇子が歴代天皇に数えられるようになったのは、明治3年(1870)のこと。
【新羅善神堂】
新羅善神堂(国宝)は、弘文天皇長等山前陵のすぐ横に建っている。
写真では屋根しか分らないが、建物は三間四方の流れ造りで屋根は桧皮葺だという。
足利尊氏によって再興されたと伝えられる。
祀られているのは新羅明神。
園城寺開祖・智証大師の守護神である。
秘仏の本尊新羅明神坐像(国宝)は、「三井寺展」(於・大阪市立美術館、2008年11月1日~12月14日)で公開されていた。
垂れ目の、愛嬌あるお顔立ちをした神様だ。
【フェノロサの墓】
フェノロサの墓は、法明院にある。
法明院は、三井寺唯一の律院。
享保八年(1723)、義瑞律師性慶によって開かれた。
木が鬱蒼と繁る石段の参道をのぼると、法明院の門が見えてくる。
暗い感じがするのは、雨が降っているからか。
遺言により、フェノロサここに葬られたという。
フェノロサの墓の隣には、医師で日本美術の収集家でもあったビゲローの墓もある。