3月7日(土)
当日の行程:(車) → 【金崎宮】 → 【金ヶ崎城跡】 → 【永賞寺(大谷吉継の供養塔)】 → 【氣比神宮】 → 【真願寺(敦賀城跡)】 → 【八幡神社(敦賀郷土博物館)】 → 【来迎寺(敦賀城中門)】 → 【武田耕雲齋等墓】 → 【松原神社(鯡倉)】 → 【氣比の松原】 → 【常宮神社(朝鮮鐘)】 → 【一乗谷朝倉氏遺跡資料館】 → 【一乗谷朝倉氏遺跡】 → 【永平寺】 → (滋賀・尾上温泉泊)
一乗谷朝倉氏遺跡を訪れる。
朝倉氏は、文明3年(1471)から天正元年(1573)まで、一乗谷を領国支配の拠点としていた。
一乗谷朝倉氏遺跡資料館
まずは、こちらに寄ってから。
下城戸跡
幅約80メートルと谷の最も狭まったところに設けられた城口。
朝倉景鏡(かげあきら)館跡
景鏡は、朝倉氏最後の城主義景の従兄弟。
朝倉一族の中でも特に地位が高く、大野郡司を務めていたという。
諏訪館跡庭園
諏訪館は、義景の夫人小少将の屋敷跡と伝えられる。
初代朝倉孝景墓(英林塚)
初代朝倉孝景の墓石
唐門
豊臣秀吉によって再建されたもの。
朝倉義景館跡
朝倉義景墓
湯殿跡庭園は、一乗谷で一番古い庭園。
南陽寺跡
3代城主貞景が娘のために再興した尼寺。
瓜割清水
朝倉氏の御膳水に供したといわれている。
現在も、生活用水として利用されているそうだ。
復原町並
一乗谷城があった山を望む。
城跡まで登ってみたかったのだが、前日までの雨のため、立ち入り禁止になっていて戻ってきた。
復原町並の受付の方に尋ねると、他にも城跡まで登るルートがあるとのことだったが、夕刻が迫っているのに加え、雨後であることと熊が出るということで、止めたほうがいいとご忠告いただいた。
残念だけれど断念し、山に登らなかった分だけ時間ができたので、永平寺へ向かうことにする。
当日の行程:(車) → 【金崎宮】 → 【金ヶ崎城跡】 → 【永賞寺(大谷吉継の供養塔)】 → 【氣比神宮】 → 【真願寺(敦賀城跡)】 → 【八幡神社(敦賀郷土博物館)】 → 【来迎寺(敦賀城中門)】 → 【武田耕雲齋等墓】 → 【松原神社(鯡倉)】 → 【氣比の松原】 → 【常宮神社(朝鮮鐘)】 → 【一乗谷朝倉氏遺跡資料館】 → 【一乗谷朝倉氏遺跡】 → 【永平寺】 → (滋賀・尾上温泉泊)
一乗谷朝倉氏遺跡を訪れる。
朝倉氏は、文明3年(1471)から天正元年(1573)まで、一乗谷を領国支配の拠点としていた。
一乗谷朝倉氏遺跡資料館
まずは、こちらに寄ってから。
下城戸跡
幅約80メートルと谷の最も狭まったところに設けられた城口。
朝倉景鏡(かげあきら)館跡
景鏡は、朝倉氏最後の城主義景の従兄弟。
朝倉一族の中でも特に地位が高く、大野郡司を務めていたという。
諏訪館跡庭園
諏訪館は、義景の夫人小少将の屋敷跡と伝えられる。
初代朝倉孝景墓(英林塚)
初代朝倉孝景の墓石
唐門
豊臣秀吉によって再建されたもの。
朝倉義景館跡
朝倉義景墓
湯殿跡庭園は、一乗谷で一番古い庭園。
南陽寺跡
3代城主貞景が娘のために再興した尼寺。
瓜割清水
朝倉氏の御膳水に供したといわれている。
現在も、生活用水として利用されているそうだ。
復原町並
一乗谷城があった山を望む。
城跡まで登ってみたかったのだが、前日までの雨のため、立ち入り禁止になっていて戻ってきた。
復原町並の受付の方に尋ねると、他にも城跡まで登るルートがあるとのことだったが、夕刻が迫っているのに加え、雨後であることと熊が出るということで、止めたほうがいいとご忠告いただいた。
残念だけれど断念し、山に登らなかった分だけ時間ができたので、永平寺へ向かうことにする。