3月7日(土)
当日の行程:(車) → 【金崎宮】 → 【金ヶ崎城跡】 → 【永賞寺(大谷吉継の供養塔)】 → 【氣比神宮】 → 【真願寺(敦賀城跡)】 → 【八幡神社(敦賀郷土博物館)】 → 【来迎寺(敦賀城中門)】 → 【武田耕雲齋等墓】 → 【松原神社(鯡倉)】 → 【氣比の松原】 → 【常宮神社(朝鮮鐘)】 → 【一乗谷朝倉氏遺跡資料館】 → 【一乗谷朝倉氏遺跡】 → 【永平寺】 → (滋賀・尾上温泉泊)
【武田耕雲齋等墓】
「武田耕雲齋等墓
元治元年十月水戸藩士武田耕雲齋の党は尊攘の大義を唱え西上の途次越前に入り十二月敦賀郡新保宿にて大雪に遭い幕府の軍門に降れり 翌年二月幕府は耕雲齋以下三百五十三名を斬首せり 今此の墓地は当時の刑場にして遺骸を埋めて土盛り、方十二間高さ八尺西面して十五基の墓が建てられている(以下略)
敦賀水戸烈士遺徳顕彰会」
武田耕雲齋が来迎寺境内において斬首されたのをはじめ、353名が処刑された。
類を見ない程の大量処刑である。
島流しは137名、水戸藩渡しは130名。
墓所の前には、武田耕雲齋の像が建つ。
中央が武田耕雲齋の墓。
水戸烈士追悼碑
【松原神社(鯡倉)】
松原神社は、武田耕雲齋等の墓に隣接している。
武田耕雲齋以下411柱を祀る。
社殿
水戸烈士記念館
「元治二年(一八六五年)武田耕雲斎等八百二十三名は舟町の鯡(ニシン)倉十六棟に収容された。
この記念館は築港工事のため鯡倉の大部分を取りこわすことになったので昭和二十九年の秋九十年祭を記念してここにその一棟を移築したものである。 水戸烈士遺徳顕彰会」
当日の行程:(車) → 【金崎宮】 → 【金ヶ崎城跡】 → 【永賞寺(大谷吉継の供養塔)】 → 【氣比神宮】 → 【真願寺(敦賀城跡)】 → 【八幡神社(敦賀郷土博物館)】 → 【来迎寺(敦賀城中門)】 → 【武田耕雲齋等墓】 → 【松原神社(鯡倉)】 → 【氣比の松原】 → 【常宮神社(朝鮮鐘)】 → 【一乗谷朝倉氏遺跡資料館】 → 【一乗谷朝倉氏遺跡】 → 【永平寺】 → (滋賀・尾上温泉泊)
【武田耕雲齋等墓】
「武田耕雲齋等墓
元治元年十月水戸藩士武田耕雲齋の党は尊攘の大義を唱え西上の途次越前に入り十二月敦賀郡新保宿にて大雪に遭い幕府の軍門に降れり 翌年二月幕府は耕雲齋以下三百五十三名を斬首せり 今此の墓地は当時の刑場にして遺骸を埋めて土盛り、方十二間高さ八尺西面して十五基の墓が建てられている(以下略)
敦賀水戸烈士遺徳顕彰会」
武田耕雲齋が来迎寺境内において斬首されたのをはじめ、353名が処刑された。
類を見ない程の大量処刑である。
島流しは137名、水戸藩渡しは130名。
墓所の前には、武田耕雲齋の像が建つ。
中央が武田耕雲齋の墓。
水戸烈士追悼碑
【松原神社(鯡倉)】
松原神社は、武田耕雲齋等の墓に隣接している。
武田耕雲齋以下411柱を祀る。
社殿
水戸烈士記念館
「元治二年(一八六五年)武田耕雲斎等八百二十三名は舟町の鯡(ニシン)倉十六棟に収容された。
この記念館は築港工事のため鯡倉の大部分を取りこわすことになったので昭和二十九年の秋九十年祭を記念してここにその一棟を移築したものである。 水戸烈士遺徳顕彰会」