大倉草紙

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【福岡】 小倉・森鴎外ゆかりの地

2008年12月04日 18時44分24秒 | 旅 - 福岡県
12月1日(月)
当日の行程:(伊丹空港~福岡空港…福岡市地下鉄・福岡空港駅~博多駅…JR・博多駅~小倉駅) → 【森鴎外京町住居跡碑】 → 【森鴎外旧居】【常盤橋】【鴎外橋】 → 【森鴎外の碑】【八坂神社】【小倉城庭園】【小倉城】【松本清張記念館】 


一日おいて、再び小倉へ。
4時間ほど時間が空いたので、小倉の町を散策することにした。
駅の観光案内所でもらった「小倉ガイドマップ」を片手に歩く。



森鴎外旧居の門

森鴎外旧居は月曜日が休館日。
せめて外観だけでも、と思って訪れた。
明治32年(1899)、小倉の第12師団軍医部長として赴任してきた鴎外が最初に住んだのが鍛冶町にあるこの家なのだそうだ。


森鴎外旧居

門の上に手を伸ばして、写真を撮ってみる。



森鴎外京町住居跡碑

鍛冶町から、鴎外は京町へ引越している。
JR小倉駅南口近くに、森鴎外京町住居跡碑が建っている。
石碑には、次のようにあった。
「 第十二師団軍医部長として赴任した森鴎外先生は、明治三十二年六月から同三十五年三月まで小倉に来住した。
 その前半は鍛冶町の家にあり、後半、三十三年の暮れから第一師団に転任して東京へ去るまで、京町五丁目五十四番地に住んだ。しかし京町の旧居は小倉駅の移転にともない、駅前広場の一部となってしまった。
 今は無いが、茂子夫人と新婚生活をおくり、『即興詩人』の名訳を完成し、のちに、明治の小倉の風物を活写した小説『独身』の舞台となるなど、鴎外文学にとって記念すべき京町の家は、この碑の南二十五メートルの場所にあった。」



鴎外橋

小倉城のそばを流れる紫川には、様ざまな橋が架かっている。
そのうちの一本、森鴎外旧居の前の通りの延長上にかかっているのが鴎外橋だ。
歩行者専用のこの橋は、平成12年3月に開通した。


淀井敏夫「鴎」

鴎外橋の中ほどには、「鴎」の彫刻が置かれている。



森鴎外の碑

鴎外橋を小倉城方面へ渡ると、森鴎外の碑がある。
六角柱のこの碑の各面には、小倉を舞台とした三部作『鶏』『独身』『二人の友』、福岡日日新聞(現・西日本新聞)に寄稿した『我をして九州の富人たらしめば』、それから『小倉日記』から抜粋した文章が彫られている。


今日の歩数:18,932歩

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