急遽、日帰りで小倉へ行くことになった。
帰り道、こんな案内板を見つけた。
「門司口門跡
京町通りを東に突き当たり、左折して海岸の石垣まで来て反転して門をくぐる。門を出て外堀の砂津川にかかる門司口橋は、今もそのままの位置で長浜に向かう。
この道は江戸時代の参勤交代にも使われた。九州諸藩の大名は、常盤橋周辺の本陣で一泊し、明朝、京町筋を通って大里へ向かった。
小倉ではもっとも重要な道なので、昼夜常に開門しており、番所には数人が交代で勤めていた。
門の内側には数件の寺が並んでいたが、現在では「西顕寺(さいけんじ」)と峯高寺(ほうこうじ)の跡に来た「生往寺(しょうおうじ)」だけである。
小倉北区役所」
右上に「門司口橋」、中央よりやや下に「西顕寺」と「峯高寺」が見える。
現在の門司口橋
このあたりは、見てまわりたいところがたくさんある。
次に訪れたときには……と思うけれど、うまく時間がとれるかな。
帰り道、こんな案内板を見つけた。
「門司口門跡
京町通りを東に突き当たり、左折して海岸の石垣まで来て反転して門をくぐる。門を出て外堀の砂津川にかかる門司口橋は、今もそのままの位置で長浜に向かう。
この道は江戸時代の参勤交代にも使われた。九州諸藩の大名は、常盤橋周辺の本陣で一泊し、明朝、京町筋を通って大里へ向かった。
小倉ではもっとも重要な道なので、昼夜常に開門しており、番所には数人が交代で勤めていた。
門の内側には数件の寺が並んでいたが、現在では「西顕寺(さいけんじ」)と峯高寺(ほうこうじ)の跡に来た「生往寺(しょうおうじ)」だけである。
小倉北区役所」
右上に「門司口橋」、中央よりやや下に「西顕寺」と「峯高寺」が見える。
現在の門司口橋
このあたりは、見てまわりたいところがたくさんある。
次に訪れたときには……と思うけれど、うまく時間がとれるかな。