7月13日(日)
当日の行程:(JR姫路駅)…(タクシー) → 【特別展 夏・甲子園(兵庫県立歴史博物館)】 → 【アメデオ・モディリアーニ展(姫路市立美術館)】 → 【姫路城】 → (JR姫路駅~JR神戸駅)…(阪神・高速神戸~甲子園) → 【プロ野球 阪神タイガース vs 広島東洋カープ(阪神甲子園球場)】
国宝であり、世界遺産でもある姫路城。
数年前の元旦に訪れたときのことを思い出しながら石段をのぼる。
大手門
搦手門
姫路城には、21の門がある。
時間があれば、「いろはにほへと」の順に辿ってみるのも面白いかもしれない。
1ヶ月くらい前だったか、テレビで奥村土牛の『門』(1967)について放送していた。
『門』は、姫路城の「はの門」を裏側から描いた作品。
昭和の大修理(昭和31年~39年)の後に姫路城を訪れた際に描いた作品で、明暗のコントラスト、面の重なりが特徴的だという。
腹切丸
腹切丸では、実際に切腹を行うことはなかったと考えられている。
濠を渡ってくる敵を攻撃するための櫓だといわれる。
生い茂る木立の薄暗い雰囲気、検死役人の座に見える石打棚、腹切場に見える板場、首を洗うために使ったと想像してしまうような井戸があるために、いつの頃からか「腹切丸」の名で呼ばれるようになった。
お菊井戸
「永正年間(1500年頃)、城主小寺則職の執権青山鉄山が主家横領を企てているのを、忠臣衣笠元信の妾(いいなずけ)で、青山家に住み込んでいたお菊が探知し、元信に知らせて城主の難を救いました。
しかし、鉄山は浦上村宗等の加勢によって則職を追放し、一時主家を要領しました。
村宗等を招いた饗応の際、お菊を恋慕していた町坪弾四郎は、家宝の十枚揃いの皿の一枚を隠し、お菊を責め殺し井戸に投げ込みました。
その後、毎夜この井戸から皿を数えるお菊の声が聞こえたということです。やがて、元信らが、鉄山一味を滅ぼし、お菊は『於菊大明神』として、十二所神社の境内に祀られました」(「お菊井戸」の案内板より)
長壁神社
天守閣最上階には、長壁神社がある。
長壁神社は、この天守の丘にあった地主神で、築城の際、いったん城外に移築されたものの、神のたたりがあると言われ再び城内へ戻されたそうだ。
天守閣からの眺め
中村大佐顕彰碑
明治6年(1873)、太政官では全国144の城に廃棄を通達、姫路城は23円50銭で売却されていた。
取り壊し寸前の明治11年(1878)12月、陸軍省第四局長代理(第四局は、陸軍の建築修繕を担当する局)の中村重遠大佐は、芸術的にも築城学的にも極めて価値の高いこの名城を後世に残したいと考え、陸軍卿山県有朋に名古屋城および姫路城の保存を太政官に上申してもらいたいという内容の意見書を提出する。
その結果、明治12年(1879)1月、陸軍の費用で修理することに決定し、廃棄を免れることができたそうだ。
その業績を讃え、菱ノ門の近くに「中村大佐顕彰碑」が建てられている。
来年から、姫路城の天守閣が「平成の大修理」に入る。
白壁の漆喰を塗り替えや、屋根瓦の入れ替えをするのだという。
美しい姿が完成するのは、3年後の平成23年(2011)の予定だそうだ。
当日の行程:(JR姫路駅)…(タクシー) → 【特別展 夏・甲子園(兵庫県立歴史博物館)】 → 【アメデオ・モディリアーニ展(姫路市立美術館)】 → 【姫路城】 → (JR姫路駅~JR神戸駅)…(阪神・高速神戸~甲子園) → 【プロ野球 阪神タイガース vs 広島東洋カープ(阪神甲子園球場)】
国宝であり、世界遺産でもある姫路城。
数年前の元旦に訪れたときのことを思い出しながら石段をのぼる。
大手門
搦手門
姫路城には、21の門がある。
時間があれば、「いろはにほへと」の順に辿ってみるのも面白いかもしれない。
1ヶ月くらい前だったか、テレビで奥村土牛の『門』(1967)について放送していた。
『門』は、姫路城の「はの門」を裏側から描いた作品。
昭和の大修理(昭和31年~39年)の後に姫路城を訪れた際に描いた作品で、明暗のコントラスト、面の重なりが特徴的だという。
腹切丸
腹切丸では、実際に切腹を行うことはなかったと考えられている。
濠を渡ってくる敵を攻撃するための櫓だといわれる。
生い茂る木立の薄暗い雰囲気、検死役人の座に見える石打棚、腹切場に見える板場、首を洗うために使ったと想像してしまうような井戸があるために、いつの頃からか「腹切丸」の名で呼ばれるようになった。
お菊井戸
「永正年間(1500年頃)、城主小寺則職の執権青山鉄山が主家横領を企てているのを、忠臣衣笠元信の妾(いいなずけ)で、青山家に住み込んでいたお菊が探知し、元信に知らせて城主の難を救いました。
しかし、鉄山は浦上村宗等の加勢によって則職を追放し、一時主家を要領しました。
村宗等を招いた饗応の際、お菊を恋慕していた町坪弾四郎は、家宝の十枚揃いの皿の一枚を隠し、お菊を責め殺し井戸に投げ込みました。
その後、毎夜この井戸から皿を数えるお菊の声が聞こえたということです。やがて、元信らが、鉄山一味を滅ぼし、お菊は『於菊大明神』として、十二所神社の境内に祀られました」(「お菊井戸」の案内板より)
長壁神社
天守閣最上階には、長壁神社がある。
長壁神社は、この天守の丘にあった地主神で、築城の際、いったん城外に移築されたものの、神のたたりがあると言われ再び城内へ戻されたそうだ。
天守閣からの眺め
中村大佐顕彰碑
明治6年(1873)、太政官では全国144の城に廃棄を通達、姫路城は23円50銭で売却されていた。
取り壊し寸前の明治11年(1878)12月、陸軍省第四局長代理(第四局は、陸軍の建築修繕を担当する局)の中村重遠大佐は、芸術的にも築城学的にも極めて価値の高いこの名城を後世に残したいと考え、陸軍卿山県有朋に名古屋城および姫路城の保存を太政官に上申してもらいたいという内容の意見書を提出する。
その結果、明治12年(1879)1月、陸軍の費用で修理することに決定し、廃棄を免れることができたそうだ。
その業績を讃え、菱ノ門の近くに「中村大佐顕彰碑」が建てられている。
来年から、姫路城の天守閣が「平成の大修理」に入る。
白壁の漆喰を塗り替えや、屋根瓦の入れ替えをするのだという。
美しい姿が完成するのは、3年後の平成23年(2011)の予定だそうだ。