9月21日(月)
当日の行程:(車) → 【竹田城】 → 【出石】 → 【英賀】
平殿から南二の丸・南千畳を望む
竹田城といったらこの風景。
早朝、雲海に浮かぶ天空の城を写真におさめに訪れる人も多いのだという。
関西生活最後の遠出は、迷うことなく竹田城に決まった。
しかし、道には迷った。
「山城の郷」に車を停めて登ろうとしたが、8月9、10日に発生した台風9号による土砂崩れで、ここからの道は全面通行止めとのこと。
貼ってあった地図をたよりに、南登山道へと向かった。
南登山道の駐車場は、山の中腹にある。
道は狭く、車がすれ違うのには難儀する。
連休中だからだろうか、駐車場は車でいっぱい。
駐車場のそばにある竹田城山門
駐車場の奥にある山名氏赤松氏両軍陣歿諸霊供養塔
こちらの登り口を使うと、10分ちょっとで本丸に着く。
花屋敷
花屋敷からの風景
花屋敷から本丸方面を望む
平殿
本丸への登り口
本丸
天守台
天守台にある三角点
竹田城が築かれていた古城山(虎臥山)の標高353.7メートル。
天守台からの風景
天守台から二の丸を望む
天守台から南二の丸・南千畳を望む
二の丸から南二の丸・南千畳を望む
南二の丸
南二の丸から本丸・天守台を望む
正門
搦手口
「史跡竹田城跡
-遺構について-
竹田城は嘉吉年間(一四四一~四三)に、守護大名の山名持豊(宗全)が有力家臣のひとりである太田垣氏に築かせた城である。そのころの竹田城は砦(小規模な要塞)に近かった。
最近の調査では、現存する総石垣の城郭になったのは、廃城時(慶長五年・一六〇〇)にごく近い年代と考えられている。
竹田城の縄張りは、最高所の天守台をほぼ中央に置き、本丸以下、二の丸・三の丸・南二の丸が梯郭式に配され、大手口を防御する枡形部に沿って北千畳郭と搦手口のある南千畳を双翼とし、さらに、天守台の北西部には花屋敷と称する一郭を配している。
また、城郭の周囲には現存の石垣より古い時代の遺構である竪堀も確認され、複合遺構として今後の総合的な調査・保存が必要となっている。
規模は南北約四〇〇m、東西約一〇〇mである。
(昭和一八年九月八日 国史跡に指定)
―石垣について-
竹田城の見どころは石垣にある。この石垣は穴太(あのう)積みと呼ばれる石積み技法を特徴としている。穴太積みとは、近江(現滋賀県)坂本を中心に発達した石垣構築法である。安土城をはじめとする城郭の多くが、その技法により築かれている。
竹田城の石垣は、加工をほどこさない石をそのまま積んでおり、一見して粗雑にみえるが水はけがよく、崩れを防いでいる。
竹田城は、石垣が築かれてから約四〇〇年経つが、一部の復元箇所を除いて当時のままの姿を今日に伝え、石積みのもつ深い味わいはたとえようもない。」(案内板より)
当日の歩数:9,316歩
当日の行程:(車) → 【竹田城】 → 【出石】 → 【英賀】
平殿から南二の丸・南千畳を望む
竹田城といったらこの風景。
早朝、雲海に浮かぶ天空の城を写真におさめに訪れる人も多いのだという。
関西生活最後の遠出は、迷うことなく竹田城に決まった。
しかし、道には迷った。
「山城の郷」に車を停めて登ろうとしたが、8月9、10日に発生した台風9号による土砂崩れで、ここからの道は全面通行止めとのこと。
貼ってあった地図をたよりに、南登山道へと向かった。
南登山道の駐車場は、山の中腹にある。
道は狭く、車がすれ違うのには難儀する。
連休中だからだろうか、駐車場は車でいっぱい。
駐車場のそばにある竹田城山門
駐車場の奥にある山名氏赤松氏両軍陣歿諸霊供養塔
こちらの登り口を使うと、10分ちょっとで本丸に着く。
花屋敷
花屋敷からの風景
花屋敷から本丸方面を望む
平殿
本丸への登り口
本丸
天守台
天守台にある三角点
竹田城が築かれていた古城山(虎臥山)の標高353.7メートル。
天守台からの風景
天守台から二の丸を望む
天守台から南二の丸・南千畳を望む
二の丸から南二の丸・南千畳を望む
南二の丸
南二の丸から本丸・天守台を望む
正門
搦手口
「史跡竹田城跡
-遺構について-
竹田城は嘉吉年間(一四四一~四三)に、守護大名の山名持豊(宗全)が有力家臣のひとりである太田垣氏に築かせた城である。そのころの竹田城は砦(小規模な要塞)に近かった。
最近の調査では、現存する総石垣の城郭になったのは、廃城時(慶長五年・一六〇〇)にごく近い年代と考えられている。
竹田城の縄張りは、最高所の天守台をほぼ中央に置き、本丸以下、二の丸・三の丸・南二の丸が梯郭式に配され、大手口を防御する枡形部に沿って北千畳郭と搦手口のある南千畳を双翼とし、さらに、天守台の北西部には花屋敷と称する一郭を配している。
また、城郭の周囲には現存の石垣より古い時代の遺構である竪堀も確認され、複合遺構として今後の総合的な調査・保存が必要となっている。
規模は南北約四〇〇m、東西約一〇〇mである。
(昭和一八年九月八日 国史跡に指定)
―石垣について-
竹田城の見どころは石垣にある。この石垣は穴太(あのう)積みと呼ばれる石積み技法を特徴としている。穴太積みとは、近江(現滋賀県)坂本を中心に発達した石垣構築法である。安土城をはじめとする城郭の多くが、その技法により築かれている。
竹田城の石垣は、加工をほどこさない石をそのまま積んでおり、一見して粗雑にみえるが水はけがよく、崩れを防いでいる。
竹田城は、石垣が築かれてから約四〇〇年経つが、一部の復元箇所を除いて当時のままの姿を今日に伝え、石積みのもつ深い味わいはたとえようもない。」(案内板より)
当日の歩数:9,316歩