大倉草紙

旅の記録 食の記録 日々の記録

【兵庫】 赤穂 ② 大石神社など

2009年09月10日 21時00分00秒 | 旅 - 兵庫県
5月6日(水)
当日の行程:(車) → 【黒田與一郎・中島太郎兵衛顕彰之碑】 → 【平野國臣捕縛地】 → 【養父神社】 → 【大川藤蔵捕縛地】 → 【山口西念寺】 → 【山口護国神社】【生野銀山】【井筒屋】 → 【生野書院】 → 【延應寺】【息継ぎ井戸】 → 【花岳寺】【大石神社】 → 【大石良雄宅跡の長屋門】【赤穂城跡】 → 【赤穂市立歴史博物館】 

【大石神社】

大石神社の祭神は、大石内蔵助良雄以下四十七義士命と中折の烈士萱野三平命。
浅野長直・長友・長矩の三代の城主と森家の武将を合祀している。


四十七義士石像表門隊
鳥居までの参道の両側には、四十七義士石像が並ぶ。


義芳門
神戸の湊川神社の門を移築したもの。


大石内蔵助良雄像


義士発祥之地の碑


舟石
かつて、浅野家の大坂藩屋敷に置かれていた舟石。


拝殿


大石神社の御朱印


【大石良雄宅跡の長屋門】

内側から見た大石邸長屋門
大石邸長屋門の内側(大石邸庭園)には、大石神社から入ることができる。


通りから見た大石邸長屋門
大石内蔵助の一家三代が57年に渡って使用していた大石屋敷の正面門長屋。
門口約26.8メートル、奥行約4.8メートル。
元禄14年(1702)年には、主君の凶報を知らせる早打もこの門をくぐった。


早かご
「主君浅野内匠頭刃傷を知らせた早駕籠第一の使者は、義士の早水藤左衛門と中折の烈士といわれる萱野三平の二名で、塩谷門より城内に入り、この長屋門に到達した。早駕籠は江戸から赤穂まで百七十里(六八〇㎞)、通常一五、六日を要する距離をわずか四昼夜半で到着したといわれる。
この駕籠を復元したものであり、駕籠は一挺につき四人以上のかき手を必要とし、更に一人が前棒を引っ張り、もう一人が後棒を押して六人曳きとなって宿場ごとに乗り継ぐ駅伝式のものであった。」(案内板より)


大石邸庭園
山鹿素行もこの大石邸に度々遊びに来ていたという。


主君浅野長矩松の廊下刃傷を報らす早打状を読む大石内蔵助と長男松之丞(のち元服して主税)の人形


大石稲荷社


良雄ゆかりの牡丹
大石内蔵助は、花の中でも牡丹を特に好んでいたという。


子宝陰陽石
お互いに向かい合う陽石(男性)と陰石(女性)の間にあるのが子石。


武士道歌碑


大石りく石像


良雄遺愛の枝垂れ桜

そういえば、どこかに仙石山の写真があったはず、と探したらあった、あった。

日比谷線(東京メトロ)の神谷町駅の2番出口を出て、すぐ右手の急な坂をのぼったところにこの碑は建っている。
傍に風情のある桜の木が生えていたが、数年前に切られてしまった。
残念だ。
このあたりに、森ビルが新しいビルを建てることになっている。
間もなく着工されるはずだ。
これもまた残念だ。
虎ノ門5丁目は、都心でありながら、どこか鄙びた感じが残っていて、それが魅力であったのに。

最新の画像もっと見る