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画像・詩シリーズ #8 思わぬことがあり

2023年09月07日 | 画像・詩シリーズ
画像・詩シリーズ  #8

 思わぬことがあり
 
どのくらい草が伸びているかなと
畑の見回りに出た
その日もとても暑い日だった
 
下の畑の人と話し込んでいて
ふと自分の畑に目をやると
ひどく低いところを電線が新たに通っていた
(後日測ったら一番低いところで地上180㎝だった)
電線にしてはストレートではなく
なんかヘンな飾りのようなものが巻き付いていた
ふしぎに思ったが
そこから引き返して電線に落ち着ついてしまった
 
わたしの畑に電線が新しく通っていた
(普通なら他人の敷地を通す時は必ず承諾を求めに来る
しかしそれはなかった)
何か変ですねと下の畑の人と話した
 
土日明けの次の週初めに
電力会社の営業所に電話した
いくつかの電話の音声案内の分かれ道を通って
やっと人の声に到着した
メモして帰った電柱の番号などを告げても
何か反応が鈍い
結局それは「電柱」ではなく「電信柱」だった
電力会社ではなくNTTだった
 
そういえば
落ち着いて見上げてみると
上部の付属物やケーブルから見て
「電柱」ではなく「電信柱」だ
(何という思い込み
けどコンクリート製の柱だけほんやり眺めていたら
よくわからない)
 
ところで
今では電気は「電柱」で通信は「電信柱」と呼んでいるらしいが
まだ黒電話が普及していなかった
わたしの小さい頃は
今言う「電柱」のことは「電信柱」と呼んでいた
ような気がする
 
石川啄木の歌によると
「かぞえたる子なし一列驀地(ましぐら)に北に走れる電柱の数」
宮沢賢治の「月夜のでんしんばしら」( 1921.9.14)という短編では
その「電信柱」は
電気とも通信とも関わっているようなのだ
当時の「電柱」と「電信柱」の姿は
調べてみるとわかるだろう
しかしもうこれ以上は下って行く気はない
ただわたしの言葉の耳は
電気を通す「でんしんばしら」をたしかに保存している
 
たわいもない
ことかもしれないが
(でんしんばしら)
忘れていた
遙かな耳の記憶に出会ってしまった
 
その畑はイノシシが出入りするから
木立ダリアを際に植えたり
フキノトウを取ったり
草刈りしたり
するくらいしか利用していない
畑の上の低すぎる電話線のケーブルは
きちんと対処してもらうことになった
それはいい
問題は
(誰にも判断の誤りはあるにしても)
わたしが電話の通信ケーブルと電気の電線を間違ったこと
よくあるささいなことかもしれないが
軽いショックを受けた


註.
道を隔てた畑の反対側に家が何軒か新築中で、電柱も通っている。その電柱と共用していた電話線とケーブルテレビのケーブルが、それらの新築の家の邪魔になって移設してくれと言う依頼があって、しかも相手業者の遅い申請と締め切りの切迫とで今回のような事態になったらしい。
 


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