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「作品を読むということ」 付論9 「私」(語り手)の死の描写 (追記.2021.1.19)

2021年01月19日 | 作品を読むということ
「作品を読むということ」
付論9 「私」(語り手)の死の描写
 (追記.2021.1.19)



 町田康の短編集『記憶の盆をどり』の中の「エゲバムヤジ」という作品では、その最後の場面で「私」(語り手)の死の描写がなされる。つい最近読んだ柳美里の『JR上野駅公園口』(河出文庫)も主人公(語り手)の死で終わる。読者にとってはあいまいに感じられる描写を潜るとどうも主人公は山手線の電車に飛び込んだようなのである。語り手が語り手の死を語るなんて矛盾ではある。まるで臨死体験やフラッシュバックのようにその死に臨んだ場面が割と長く描写されている。

 故郷相馬の妻も亡くなり、主人公の「私」(語り手)は、大きな喪失を抱えて出稼ぎで長年来ていた東京に舞い戻り、上野で今度はホームレスとして生きていく。そうして、「私」は大きな喪失と空白を抱えていたことは間違いないが、何が拍車をかけたかはわからない。故郷への入口でもある上野駅で、その入口を永久に閉ざすように自死するのである。「私」は、次のように自死への道行きに入り込んでいく。


 空を見上げ、雨の匂いを嗅ぎ、水音を聞いているうちに、いまこれから自分がしようとしていることをはっきりと悟った。悟る、という言葉を思い付くのは、生まれて初めてだった。何かに捕らわれてそうしようというのではなく、何かから逃れてそうしようというのではなく、自分自身が帆となって風が赴くままに進んでいくような――、寒さや頭痛はもう気にならなかった。 (『JR上野駅公園口』P158-P159 柳美里 河出文庫 )


 そうして、自死の行為に入る場面はたぶん次の個所であろう。


「まもなく2番線に池袋・新宿方面行きの電車が参ります、危ないですから黄色い線まで
下がりください」
(引用者註.これは、ゴチック体の表記)


 黄色い線の上に立って目を閉じ、電車が近付いてくる音に全身を傾けた。
 プォォォン、ゴォー、ゴトゴト、ゴトゴトゴト、ゴト、ゴト・・・・・・
 心臓の中で自分が脈打ち、叫び声で全身が撓(たわ)んだ。
 真っ赤になった視界に波紋のように広がったのは、緑だった。
 (『同上』P161)



 この後、主人公の「私」(語り手)に関わる過去の場面が、「風景をみているのではなく風景から見られているように」続き、P166でこの作品は終わる。この電車に飛び込んだと思える場面の語り・描写は、当然に極微の時間である。これを荒唐無稽な描写と見なさないためには、語り手は「私」から浮上して「私」の臨死体験を語っていることになる。もちろん、それを言葉として書き留めているのは作者である。

 こうした死の場面の描写には、当然死にゆく本人は関与することはできない。しかし、似たようなことが、ずいぶん前に読んだ『記憶する心臓―ある心臓移植患者の手記』にあったような気がすると思い出した。この本の著者である難病に冒されたクレア・シルヴィアという四〇代の女性が、バイク事故で亡くなった十八歳の青年の心肺を移植する。移植後に、著者に、その事故の場面のイメージが浮かんでくることがあった。これは、臓器移植に伴って提供者(ドナー)の記憶の一部が受給者(レシピエント)に移る現象で「記憶転位」と呼ばれている。


 ①
 数週間後、ふたたびティムが夢の中に現われた。

 わたしは女になった男だ。スピードをあげていくつものヘアピンカーヴを曲がっていく。爽快な気分だ。だが今、カーヴを曲がりそこねてわたしは車線を越し、対向車の流れに向かって道路上を飛んでいく。わーっと叫びだしたくなるような解放感にあふれた気分だ。車が崖から落ちていく『テルマ&ルイーズ』の最後のシーンにもちょっと似ている。宙を舞うような感覚だ。わたしは道路を飛びだし、無限の空間を感じる。
 (『記憶する心臓―ある心臓移植患者の手記』P139 クレア・シルヴィア/ウィリアム・ノヴァック)


 この時点では、著者はまだ自分に心肺を提供したドナーのことは何も知らない。後で、図書館で日付け含めてたぶん彼だろうと思える交通事故の青年の記事に偶然出くわすことになる。そうして、いろいろな逡巡があった後そのドナーの家族に連絡を取り、会いに行く。そこでわかった事故の様子は次のように語られている。


 ②
 姉妹は左手に見える茶色い家を指差した。「事故の少し前にティムがあの壁を塗ったのよ」カーラ(引用者註.以下の「ジョージィ」も、ともにティムの姉たち)が言った。「あの出来栄えにすっかり御満悦だったから、わたしたちは、きっとあの子はふり返ってもう一度あの家を見たんだと思うの。だから、ドライヴウェイに入ってくる車に気がつかなかったんだわ」ジョージィが大きな木のそばに車をとめ、わたしたちは車からおりた。
「ここよ」ジョージィは言った。「運転していた女性は、車をそこに残したままにしておかなきゃならなかった。そして、もう二度と乗ることはできなかった。車はあそこに放置されたまま、数週間経ってようやく撤去されたわ。ティムがここを通りかかる手前で、うちの前を通ったとき、父が大声で、あの子にスピードを落とせと言ったの。父はいつもうるさくそう言ってた」
「ティムは頭からあの木に突っ込んだの。ヘルメットなしでね。」ジョージィが言った。「救急車が来たときには、あの子の脳味噌はすっかり露出していたわ」
 (『同上』P222-P223 )


 本書を読んで書かれていることが作り話とはとうてい思えないが、臓器移植による「記憶転位」が起こりうるものとすれば、引用①は、死にゆく者が見た瞬間の映像を臓器移植を受けたクレアが「記憶転位」によって感じ取り語っていることになる。通常ではあり得ないことである。①は、事故の当事者の内からの映像であり、②は事故後の現場を目にした家族の語る外からの像である。外から現場を後から捉えたのはそうなのだろうが、①は「記憶転位」ということを現在の科学が明確に突きとめ得ていない段階だから、そうなのかもしれないと少し保留を含めて判断するしかない。つまり、現段階では、わたしちは死の場面(内面)をうかがい知ることはできない。だから、死にゆく者が見た瞬間の映像であると断定的には言えない気がする。


 先に、『JR上野駅公園口』の作品の終わりで主人公の「私」(語り手)が自死する場面の描写は、語り手は「私」の臨死体験を語っていることになり、そしてそれを言葉として書き留めているのは作者である、と書いた。このことを『記憶する心臓―ある心臓移植患者の手記』の場面と対応させると次のようになる。上の交通事故の場面では、主人公の「私」に当たるのは交通事故死した青年ティムであり、普通は以下のことは不可能であるが、「記憶転位」によって臓器移植を受けたクレアが「語り手」として主人公の「私」の死の場面を感じ取り語ることになる。そうして、それを書き留めているのは「作者」のクレアである。わたしたちの現在の「主人公」「語り手」「作者」というものに対する捉え方からはそう見るほかない。


 ところで、アイヌの神話に「梟の神の自ら歌った謡『銀の滴しずく降る降るまわりに』」(『アイヌ神謡集』知里幸惠編訳 青空文庫)がある。これは梟の神が一人称で語る話になっている。次のような出だしである。


「銀の滴降る降るまわりに,金の滴
降る降るまわりに.」という歌を私は歌いながら
流に沿って下り,人間の村の上を
通りながら下を眺めると
昔の貧乏人が今お金持になっていて,昔のお金持が
今の貧乏人になっている様です.
海辺に人間の子供たちがおもちゃの小弓に
おもちゃの小矢をもってあそんで居ります.


 この後、梟の神は、「今お金持になってる者の子供等」の金の小弓による金の小矢には当たらずに、貧しい家の子のただの粗末な弓矢に射られて「死ぬ」ようなのだが、その後も物語の最後まで梟の神は語り続ける。 その子の家に連れて行かれて、梟の神と受けとめられもてなされる。寝静まった真夜中に梟の神は、その貧乏で粗末な家を「神の宝物」でいっぱいにする。その後その家の者は近所の人々を招いて歌や踊りの酒宴を二三日催し、梟の神のもたらしたものを喜び分かち合う。そうして、「人間たちが仲の善いありさまを見て,私は安心をして」アイヌの村を去り神の国の自分の家に帰っていく。この梟の神も神々を招いて酒宴を催し、神様たちへ人間の村を訪問した時の その村の状況や出来事を詳しく話す。そうして、次のようにこの神話は終わる。


彼(か)のアイヌ村の方を見ると,
今はもう平穏で,人間たちは
みんな仲よく,彼のニシパが
村に頭になっています,
彼の子供は,今はもう,成人
して,妻ももち子も持って
父や母に孝行をしています,
何時でも何時でも,酒を造った時は
酒宴のはじめに,御幣やお酒を私に送ってよこします.
私も人間たちの後に坐して
何時でも
人間の国を守護(まも)っています.
  と,ふくろうの神様が物語りました.


 梟の神は、わたしたちの現在の世界では矢に射られて肉体的にも死ぬわけである。しかし、肉体は死んでも霊魂として神は生きつづけているということが人間の世界(アイヌ)で信じられていたから、梟の神は霊魂として生きていると見なされている。それゆえの梟の神の語りであろう。「私は私の体の耳と耳の間に坐って」いて、というふしぎな描写があり(これは霊魂になってしまった梟の神ということか)、そこからその子の家の者が寝静まった夜中にその子の家を「神の宝物」でいっぱいにするのである。熊を殺してその魂であるカムイを神々の世界に送り帰し自然からのまたの恵みを祈る祭りのイオマンテは熊ばかりではなさそうである。つまり、わたしたちの現在の感じ考え方からすれば、梟の神が射殺された後も「語り手」として語り続けるのはあり得ないこと、子どもの童話や荒唐無稽なことになる。しかし、熊や梟が神として感じ考えられていた世界では、十分に「語り手」として生きていると見なされていた。人々はそういう世界に生きていた。

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