最近のツイートや覚書など2023年12月 ①
023/12/03
現代短歌bot@gendai_tanka
ハロー 夜。 ハロー 静かな霜柱。ハロー カップヌードルの海老たち。
穂村弘『手紙魔まみ、夏の引越し(ウサギ連れ)』
ハロー 夜。/ ハロー 静かな/霜柱。/ハロー カップヌー/ドルの海老たち。
句切りしてみると、句と句の間で文が切れていない「句またがり」はあるが、短歌の5・7・5の音数律はまだ意識されている。もっと言えば、句点が打たれていることによって、短歌的な音数律とは別の新たなリズムが二重化され
ているようにも見える。〈私〉は部屋でカップヌードルを食べながら外を見たりしている、現在のありふれた情景。そして、世界への無言のあいさつ。表現として見れば、旧来短歌からはるかに脱した自由さを獲得している。短詩に近づいている。
2023/12/04
RT
イギリス料理の不味さについて
「イギリス料理は不味い」と何度が耳にするけど、イギリス人自身は「不味い」とは思っていないだろう。なぜなら、人は大事な食事を不味いままでは耐えられないと思うからだ。ちなみに、明治33年(1900年)から二年間英国に留学した、夏目漱石に「倫敦消息」(青空文庫)がある。
それを「秀丸」にコピーして、「食」で検索をかけたら、朝食のメニューの描写はあったが、貧乏生活していたせいもあるかもしれないが、マズいということは書いてなかった。夢の西洋と思っているわけでもなくズケズケ言う漱石だから、記述があれば信用できるかなと思った。
漱石には、ロンドン滞在日記もあるらしいけど、青空文庫にはない。漱石全集にあるだろうか。
2023/12/06
現代短歌bot@gendai_tanka
恋人の恋人の恋人の恋人の恋人の恋人の死
穂村弘『手紙魔まみ、夏の引越し(ウサギ連れ)』
恋人の/恋人の恋/人の恋/人の恋人/の恋人の死
普通は、例えば「知り合いの女性の恋人」くらいまでしかこの関係的な社会の糸はたどられたり語られたりしないから、この歌はそんなわたしたちの社会の関係のつながりの複雑さが表現されている。
短歌的な音数律の5・7・5で区切ってみるとその複雑さが浮上する。しかし、作者の本来のモチーフは、現実にはあり得ないようなつながりの言葉遊び歌に見える。
現代短歌bot@gendai_tanka
紐育空爆之図の壮快よ、われらかく長くながく待ちゐき
大辻隆弘『デプス』
会田誠が紐育空爆之図(戦争画RETURNS)(1996年)を描いている。9.11(2001年)より前で、そのモチーフは知らない。歌集『デプス』(砂子屋書房、2002)に収められているこの歌は、会田誠の紐育空爆之図と9.11の衝撃を重ねて表現されたものと思われる。「紐育」(ニューヨーク)という古い表記は、
戦前につながるイメージを喚起するための使用だろう。ざまあみやがれというこの歌の心は戦争世代なら当然だろうが、わたしたち戦後世代には日本人の温和すぎる心性とともにピンとこない。戦争時代との連続性を意識するごくわずかの層は、9.11に心深くでそんな思いを抱いたのかもしれない。
2023/12/08
「両毛線」ねえ、冗談かと思えば、現実にあるJR線。両毛の由来は、「毛野(けの)は後に、令制国として上毛野国(かみつけのくに、現在の群馬県)と下毛野国(しもつけのくに、現在の栃木県)となり、二国に跨る地域名としての両毛(りょうもう)」(wiki)とのこと。「毛」は音の借用のみだろう。
白川静@sizukashirakawa
朝の開戦のニュースは、中学の羽栗賢孝校長、商業の今小路覚瑞校長、そして私たち教務二人で聞いた。羽栗校長はニュースを聞くと直ちに「エライことをした」と吐き棄てるように叫んだ。歴史家である羽栗校長は、これが何を意味するかを直覚したのであろう。
「直覚」、若い頃の吉本さんの文章にも出てきた。直観のこと。言葉の使用にも時代性がある。たぶん、明治以来の哲学や心理学の用語から流れ出てきたものであろう。そう言えば、「精神分裂病」も見直されて現在では「統合失調症」に変更されている。
2023/12/14
ふしぎに思ってきたのだが、安倍晋三ほど目立ってヘンな政治家はいない。日本会議や統一教会やネトウヨどもを背後にして、マスコミや司法に手を突っ込み、御用評論家たちに囲まれ、ネトウヨの神としてあがめられてきた。社会の主流から外れた退行的なヘンな人々のヘンな中心的存在として祭り上げられた。
狡猾なスネ夫とさらに虎の威を借りたジャイアンの振る舞い、もうひとつエリートとは無縁ののび太の子供っぽさを併せ持っていたのが、その魅力と崇拝の源泉か。安倍晋三の悪(退行)を結集する謎は、政治の具体領域での、解明されるべき研究対象であり得ると思う。
現代短歌bot@gendai_tanka
この煙草あくまであなたが吸ったのね そのとき口紅つけていたのね
佐藤真由美『プライベート』
この煙草/あくまであなたが/吸ったのね/ そのとき口紅/つけていたのね
なんか男女の言い合っているような場面が浮上する。短歌を抜け出たただの会話に見えるが、短歌的な韻律の5・7・5は意識されている。そして、古今集あたりの男女の愛憎を歌った歌の系譜にも連なっている。
白川静@sizukashirakawa
僕が思うに、人間はもう宗教を卒業せねばならんと思うとる。
それはわかるけど、難しいだろうなあ。まだまだ続くと思う。始まりは動物生かもしれないが、自然に神を見る感じる自然宗教から、あの人(シャーマンや集落の代表)スゴイ輝いている崇拝するよ等人間界に転位し、次には各種の世界宗教や新興宗教が生まれてきた。強度の宗教性は現在では国家を含めて弱まってはいる。
弱度の宗教性は、有名人への〈推し〉から崇拝感まで、太古以来ずっと続いている。もちろん、こちらは社会的には無害であり、人それぞれが好きにやればいいことだが、ただその背後には、平等と見なされている人間への価値序列観や意識が潜在しているはずである。
023/12/03
現代短歌bot@gendai_tanka
ハロー 夜。 ハロー 静かな霜柱。ハロー カップヌードルの海老たち。
穂村弘『手紙魔まみ、夏の引越し(ウサギ連れ)』
ハロー 夜。/ ハロー 静かな/霜柱。/ハロー カップヌー/ドルの海老たち。
句切りしてみると、句と句の間で文が切れていない「句またがり」はあるが、短歌の5・7・5の音数律はまだ意識されている。もっと言えば、句点が打たれていることによって、短歌的な音数律とは別の新たなリズムが二重化され
ているようにも見える。〈私〉は部屋でカップヌードルを食べながら外を見たりしている、現在のありふれた情景。そして、世界への無言のあいさつ。表現として見れば、旧来短歌からはるかに脱した自由さを獲得している。短詩に近づいている。
2023/12/04
RT
イギリス料理の不味さについて
「イギリス料理は不味い」と何度が耳にするけど、イギリス人自身は「不味い」とは思っていないだろう。なぜなら、人は大事な食事を不味いままでは耐えられないと思うからだ。ちなみに、明治33年(1900年)から二年間英国に留学した、夏目漱石に「倫敦消息」(青空文庫)がある。
それを「秀丸」にコピーして、「食」で検索をかけたら、朝食のメニューの描写はあったが、貧乏生活していたせいもあるかもしれないが、マズいということは書いてなかった。夢の西洋と思っているわけでもなくズケズケ言う漱石だから、記述があれば信用できるかなと思った。
漱石には、ロンドン滞在日記もあるらしいけど、青空文庫にはない。漱石全集にあるだろうか。
2023/12/06
現代短歌bot@gendai_tanka
恋人の恋人の恋人の恋人の恋人の恋人の死
穂村弘『手紙魔まみ、夏の引越し(ウサギ連れ)』
恋人の/恋人の恋/人の恋/人の恋人/の恋人の死
普通は、例えば「知り合いの女性の恋人」くらいまでしかこの関係的な社会の糸はたどられたり語られたりしないから、この歌はそんなわたしたちの社会の関係のつながりの複雑さが表現されている。
短歌的な音数律の5・7・5で区切ってみるとその複雑さが浮上する。しかし、作者の本来のモチーフは、現実にはあり得ないようなつながりの言葉遊び歌に見える。
現代短歌bot@gendai_tanka
紐育空爆之図の壮快よ、われらかく長くながく待ちゐき
大辻隆弘『デプス』
会田誠が紐育空爆之図(戦争画RETURNS)(1996年)を描いている。9.11(2001年)より前で、そのモチーフは知らない。歌集『デプス』(砂子屋書房、2002)に収められているこの歌は、会田誠の紐育空爆之図と9.11の衝撃を重ねて表現されたものと思われる。「紐育」(ニューヨーク)という古い表記は、
戦前につながるイメージを喚起するための使用だろう。ざまあみやがれというこの歌の心は戦争世代なら当然だろうが、わたしたち戦後世代には日本人の温和すぎる心性とともにピンとこない。戦争時代との連続性を意識するごくわずかの層は、9.11に心深くでそんな思いを抱いたのかもしれない。
2023/12/08
「両毛線」ねえ、冗談かと思えば、現実にあるJR線。両毛の由来は、「毛野(けの)は後に、令制国として上毛野国(かみつけのくに、現在の群馬県)と下毛野国(しもつけのくに、現在の栃木県)となり、二国に跨る地域名としての両毛(りょうもう)」(wiki)とのこと。「毛」は音の借用のみだろう。
白川静@sizukashirakawa
朝の開戦のニュースは、中学の羽栗賢孝校長、商業の今小路覚瑞校長、そして私たち教務二人で聞いた。羽栗校長はニュースを聞くと直ちに「エライことをした」と吐き棄てるように叫んだ。歴史家である羽栗校長は、これが何を意味するかを直覚したのであろう。
「直覚」、若い頃の吉本さんの文章にも出てきた。直観のこと。言葉の使用にも時代性がある。たぶん、明治以来の哲学や心理学の用語から流れ出てきたものであろう。そう言えば、「精神分裂病」も見直されて現在では「統合失調症」に変更されている。
2023/12/14
ふしぎに思ってきたのだが、安倍晋三ほど目立ってヘンな政治家はいない。日本会議や統一教会やネトウヨどもを背後にして、マスコミや司法に手を突っ込み、御用評論家たちに囲まれ、ネトウヨの神としてあがめられてきた。社会の主流から外れた退行的なヘンな人々のヘンな中心的存在として祭り上げられた。
狡猾なスネ夫とさらに虎の威を借りたジャイアンの振る舞い、もうひとつエリートとは無縁ののび太の子供っぽさを併せ持っていたのが、その魅力と崇拝の源泉か。安倍晋三の悪(退行)を結集する謎は、政治の具体領域での、解明されるべき研究対象であり得ると思う。
現代短歌bot@gendai_tanka
この煙草あくまであなたが吸ったのね そのとき口紅つけていたのね
佐藤真由美『プライベート』
この煙草/あくまであなたが/吸ったのね/ そのとき口紅/つけていたのね
なんか男女の言い合っているような場面が浮上する。短歌を抜け出たただの会話に見えるが、短歌的な韻律の5・7・5は意識されている。そして、古今集あたりの男女の愛憎を歌った歌の系譜にも連なっている。
白川静@sizukashirakawa
僕が思うに、人間はもう宗教を卒業せねばならんと思うとる。
それはわかるけど、難しいだろうなあ。まだまだ続くと思う。始まりは動物生かもしれないが、自然に神を見る感じる自然宗教から、あの人(シャーマンや集落の代表)スゴイ輝いている崇拝するよ等人間界に転位し、次には各種の世界宗教や新興宗教が生まれてきた。強度の宗教性は現在では国家を含めて弱まってはいる。
弱度の宗教性は、有名人への〈推し〉から崇拝感まで、太古以来ずっと続いている。もちろん、こちらは社会的には無害であり、人それぞれが好きにやればいいことだが、ただその背後には、平等と見なされている人間への価値序列観や意識が潜在しているはずである。