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回覧板

ひとり考え続けていることを公開しています。また、文学的な作品もあります。

参考資料―吉本さんの政治に対するイメージ②

2014年11月29日 | 回覧板

(吉本)
江藤さんの言った、秘儀をあばけば全部終っちゃうんじゃないか、ということですね。それがたいへん重要なことじゃないかと思うのです。レーニンというのは、それに対しては、わりあいによく洞察できていたと思うのです。だからレーニンが究極的に考えたことは、少くとも政治的な権力が階級としての労働者に移るということはたいした問題じゃない。つまり、それは過渡的な形であって、ほんとうは権力というのはどこに移ればいいのか。それはあまり政治なんかに関心のない、自分が日常生活をしていくというか、そういうこと以外のことにはあまり関心がないという人たちの中に、移行すればいいんじゃないか、というところまでは考えていると思います。そうしますと、そんなことはできるか、ということになるわけで、これはユートピアかもしれないけれども、レーニンは明らかにそういうことを言い切っているわけです。なんらかの意味でイデオロギーをもっていたり、政治的関心をもっていたり、政治的に動いたり、そういう人たちじゃなくて、まったくそういうことには関心のない、ただ日常自分が生きて家族を養い、生活していくという、そういうことにしか関心をもたないというような、そういう人に権力が移行すればいいじゃないか。では、権力が移行するというのは具体的にどういうことか。そういう人たちは政治なんていうのには関心がないわけですから、お前、なんかやれ、と言われたって、おれは面倒くさいからいやだ、と言うに決まっているわけです。しかしお前当番だから仕方ないだろう。町会のゴミ当番みたいなもので、お前何ヶ月やれ、というと、しようがない、当番ならやるか、ということで、きわめて事務的なことで処理する。そして当番が過ぎたら、次のそういうやつがやる。そういう形を究極に描いたんですね。そういうことで、秘儀をあばけば全部終るじゃないかということに対しても、思想的なといいますか、理論的なといいますか、対症療法として考えたわけですよ。

(吉本)
 レーニンが究極的に、ポリバケツをもった、ゴミ当番でいいじゃないかと言った時に、究極に描いたユートピアというものは、ほんとうはたいへんおそろしいことだとおもいます。おそろしいというのは、江藤さんの言い方で言えば、そうしたらすべてが終わっちゃうじゃないか、ということを、ほんとうは求めたということです。つまり、すべてが終わったのちに、人間はどうなるんだとか、人間はどうやって生きていくんだということについては、明瞭なビジョンがあったとは思えないんです。また、そういうビジョンは不可能だと思います。だけれどもすべてが終わったということは、そういう言葉づかいをしているんですけれども、人間の歴史は、前史を完全に終わったということだと言っているわけです。これは、ある意味では江藤さんの言葉で、人間は滅びる、というふうに言ってもいいと思います。なぜならば、それからあとのビジョンは作り得ないし、また描き得ないわけですから。だから人間はそこで滅びるでもいいです。それを、前史が終わる、というふうな言い方で言っています。前史が終わって、こんどは本史がはじまるというように、楽天的に考えていたかどうかはわかりません。だから人間はそこで滅びるでもいいと思います。だけれども、そうすれば前史は終わるんだということです。まず第一に政治的な国家というのがなくなるということは、ほんとうは一国でなくなっても仕方がない。全体でなくならないとしょうがない。そうすると、全体でなくなるまでは、いつも過渡期です。だから、どこかに権力が集まったり、どこかにまやかしが集まったり、どこかに対立が集まったりすることは止むを得ないけれども、それに対しては最大限の防衛措置というものはできる、そうしておけばいい。しかし、そうしながらも究極に描き得るのは、人類の前史が終わるということです。あるいは江藤さん的に言えば、いま僕らが考えている人間は終わる、ということです。それから先は、描いたら空想ですから、描いても仕方がない。理念が行き着けるのはそこまでであってね。だけどそこまでは、超一流のイデオローグは、やっぱり言い切っていると思います。なぜそうなるかという理由についても、そう言えるかという理由についても、僕は言い切っていると思うんですよ。だから僕はそのことはわりあいに信じているんです。

(対談「文学と思想の原点」 江藤淳/吉本隆明「文藝」1970年8月号)
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(わたしの註)

 

 宗教や政治が生まれ、秘儀が生み出され、わたしたち住民とは異質な世界を人類は生み出してしまいました。そしてこの秘儀は、宗教や政治の世界にかかわらず、芸能人や有名人と呼ばれる人々に対しても、それを受け入れる人々の視線の中には、彼らも自分たちと同じ人間であり同じような生活があるだろうという認識があったとしても、何かしら優れている、何かしらすごいというような感受の中に「秘儀」が匂い立っているものと思います。現在ではマレビトの秘儀の威力はずいぶん低下していますが、それは遠い果ての秘儀の始まりから受け継がれてきた遺伝的なものの現在の有り様だと思います。

 わたしはレーニンの述べている箇所は知らないのですが、吉本さんは、ロシア革命の指導者レーニンの描いた理想の政治のイメージをたどりながら、それに自分のイメージを重ねています。「町会のゴミ当番」のような政治担当のイメージです。現状のような党派というものがあり、それぞれがなんらかの層を代表して対立的に活動している状況では、このような政治のイメージは正(まさ)しくイメージに過ぎません。しかし、政治というものの内省点が、その発祥の地であるわたしたち住民の生活世界であることを考えれば、十分にイメージの現実性を持っています。そして、政治家が自分の活動は政治の発祥の地である住民の生活世界のためであり、ほんとうはそこに帰還して普通に暮らしたいという願望を持っているとすれば、自分たちの政治や政党を開くイメージは必須のものだと考えます。

 近年、起源というものを意識するわたしなりに「町会のゴミ当番」のような政治担当のイメージを受けとめれば、秘儀を生み出し受け継いできた果てしない人類史の、再び初めからのやり直し、生まれ変わりのようなイメージとして受けとめています。


わたしたちが平等にかつ自由に現在の社会的な問題について批判しうる根拠について

2014年11月13日 | 回覧板

 ①当たり前のように見えることも、いろいろと思いを巡らせてみると、いろんな問題が浮上し、それらが複雑に関わり合っているということが感じられてくることがあります。

②わたしたちは、偶然のようにこの世界に生まれ落ち、気づいた時には物心が付いています。小さい頃は主に家族に面倒を見てもらい、互いに精神的な交流をなしながら、次第に成長し独り立ちしていきます。そして、個々人の選択やがんばりなどによって、この社会における自分の場所をひとり一人獲得していきます。

③その結果、わたしたちはこの現在の社会にこのように日々生活しているわけですが、人それぞれに職業や経済力など異なっています。それらの個々人の状況は、すべてそれぞれの個人のせいでそういう状況になっている、つまり、いわゆる「自己責任」という考え方で割り切れるものではないと思われます。

④わたしたちがこの世界のある家族に生まれたのもそこから育ってきたのも、本人にとっては選択できない偶然のように見えます。物心ついて自我に目覚めていくとそこに自分というものがせり出してきて、自分に訪れる世界と関わり合いながら選択や行動をして自分の意志を発動していくことになります。
 また、ここでの関わり合いも、本人と他人、本人と職場というように相互の関わり合いとして存在しますから、普通は自分の責任だと見なしがちですが、ある個人の置かれた状況をその個人だけの自己責任に帰することはほんとうは不当なことだと思われます。

⑤このように、わたしたちは誰でも物心つく以前と以後、言い換えると、無意識的な部分と意識的な部分を併せ持った存在ですから、単純な自己責任では割り切れません。また同様に、全て家族のせいや社会のせいにしてしまうこともできません。だれもが、それらの複合した状況で、影響を受けたりはね返したりしながら日々生きています。

⑥つまり、わたしたちのこの社会における有り様には、自分の責任の預からない部分と自己責任に帰する部分とがあります。そして前者には、両親、祖父母、……と果てしない世代を継ぐ流れの存在とそこからの関わり合いがあります。そしてその流れはこの列島の住民たちの歴史に深くつながっています。

⑦したがって、わたしたちのこの世界における有り様は、「現在」だけを切り取って「勝ち組」やら「負け組」やらの「自己責任」に帰することで終わるものではありません。現在というものは、すべてそのもののなかに遙か太古からの歴史を含んでいます。現在に至る社会の有り様を築き上げてきたのは、この列島の住民たちの歴史ですから、誰もがその果てしない歴史を背にしていることになります。

⑧こういう次第から、現在のこの列島の住民であるわたしたちは誰もが、平等に、歴史的な現在としてのこの社会に湧き上がる諸問題について、なんらかの責任を持っていることになります。また、その社会の有り様について自由にかつ平等に批判できる根拠もまた持っていることになります。

  (註.ツイッターのツイートを元に少し加筆訂正)


感動ということ―例えば、桜の花から

2014年11月02日 | 回覧板

①若い頃、めったにない県外出張(大阪だったか、奈良だったか)のついでに(一部さぼって)吉野の山、西行庵を訪れたことがあります。マイクロバスみたいなのに乗ってでこぼこ道を揺られた記憶があります。桜の季節ではなく夏だったのが、とても残念でした。西行は桜がとってもお気に入りでした。桜の歌も多く詠んでいます。吉野の桜は映像や写真でしか見たことがありません。

②岩押して出でたるわれか満開の桜のしたにしばらく眩む
                   (『鳥獣蟲魚』前 登志夫)
 この歌にツイッターの「現代短歌bot」で出会いました。これは作者の体験から流れ出た桜のイメージや感覚だと思われます。山からの仕事帰りでしょうか、その桜の木(々)は作者がよく見かける馴染みのものかもしれません。限られた字数と音数律からなる短歌表現では、詩や散文の描写と比べて省略が大きいですから、逆に読者には場面の具体性を想像する自由度がより多く存在します。そして、中には難解な短歌というものもありますが、一般的にはそんな省略にもかかわらず表現の中枢はちゃんと伝わるようになっています。

③歌意の中心は、「満開の桜のしたにしばらく眩(くら)む」という満開の桜の花への感動ですが、この歌の生命は「岩押して出でたるわれか」にあります。作者は満開の桜の花への感動を荒くれの縄文人のような古い感覚として表現しています。おそらく「あ」とか「う」とか言葉にならぬ感動でしょう。しかし、現代でもわたしたちの何かに対する感動というものは、それと同じような言葉にならないようなものだと思われます。言葉にするとその感動の生命感がこぼれ落ちてしまうような感じで、これはおそらくわたしたちの内臓感覚と密接に関わっているからだと思います。

④「か」という助詞には、満開の桜の花に対する自らの心の有り様をのぞき見る作者のまなざしが込められています。それはあたかも無骨な縄文人のようなとても古い感覚として捉えられています。

⑤わたしの読みでは、この歌は「分厚い岩を押し開いて闇から出てきたのであろうか、わたしは。この光充ち満ちたような満開の桜の花の下で言葉も無く、しばらく目眩(めまい)するよ。」となります。

⑥このように、言葉は、現在の生活感覚や意識を表現するとともに、おそらく遠い遠い時代の古い感覚や意識をも表現することもできます。振り返ってみると、言葉というものは、死語になることもありますが、長い歴史を連綿と変貌しながら残り、使われ続けて来ているということがあります。

⑦ということは、わたしたちすべての者に等しく、この列島の人々(人類)が経験してきた歴史の主流が、なんらかの形で受け渡され保存されているということになります。ちょうど、わたしたちの小さい頃のことがわたしたちの心のどこかに保存されていて、ふと顔を出すことがあるように。そして目に触れる自然に対する感動の質は、遠い遠い昔も現在もあんまり変わっていないように思われます。

⑧『前 登志夫全歌集』、現政権がしつこく退場しませんので、残念ながらまだまだ買えません。(笑い)
 (註.ツイッターのツイートを元に少し加筆訂正)


参考資料―吉本さんの政治に対するイメージ①

2014年10月29日 | 回覧板

「社会の変革は可能か」(註.小見出し)

― 現代の社会状況について、どのように把握し
 ていますか?

(吉本) ごろんと寝転んで、役にも立たないことを、とりとめもなく考えています。それは非常に抽象的なレベルで考えます。もう何年も考え続けていますから、自分なりの構想があります。ただ、いちばんの本音は誰にも言いません。いま俺はこういうふうに困っている、どういう対策がいちばんいいですか、と普通の人に聞かれれば答えますよ。お前が政治指導者をやれと言われれば、これを真っ先にやる、という自分なりの考えもあります。けれどもそれは別に自分から言うべきことではないし、お前の言うことを役に立ててやるという奇特なやつもいないから沈黙しています。
 僕は政治にそんなに縁がなくて、文学者という程度のところで済んでいるけど、もし口を開くとしたら、民主党、自民党から共産党から、いまの政党や政治家はみんな駄目だということになっちゃいます。「じゃあお前がやってみろよ」って言われれば、いつだってそんなことはできる(笑)。

― たとえば明日から総理大臣をやれ、と言われ
 たら、やる準備はありますか?

(吉本) 面倒くさいから寝転んでいたほうがいいよ、と本音では思います(笑)。でも、お前はこれまで大きなことを言ったり書いたりしているけど、本当にできるのか、と言われれば、それはできるのは当たり前です。左翼の中には、いまだに何かのアンチテーゼで考えているやつらがいるんですよ。だけど、僕らはもうアンチテーゼなんか終わったんだ、とずっと言ってきた。次にどうすればいいか、俺にさせてくれたら、翌日からでもちゃんとやってみせるぞ、と思ってます。
 戦後、アメリカが日本に占領軍としてやってきて、一つだけいいことをしたんですよ。それは小作人を解放したことです。アメリカの軍人にそういう思想があったわけじゃなくて、占領軍と一緒に来た日本学者が教えたとおりにやった。日本からも然るべきいい学者を集めて協議させて、地主の畑を耕していた小作農をぜんぶ解放して自作農に変えちゃった。それでも誰も文句を言えないんです。これは胸がすーっとするほど、たいへん見事なものでした。アメリカはそれだけのことはやって日本を占領した。日本の政治家が考えもしない戦後のいちばんの大変革、いわば革命です。ただし、アメリカが日本でいいことをしたのは、それだけですね(笑)。

― いまの日本も、戦後と同じくら
いの大きな変化が必要な時期だと思います。

(吉本) ある意味では、当時とそっくりですね。民主党はもっとやると思っていたけど、自民党と何も違わなかった。知恵なんか何もなくて、素人が考えるようなことしか考えていない。
 戦後の農地改革に相当することがあるとしたら、いまであれば失業者とか、家を取られてしまった人に、お金をいちばんに与えることです。金持ちの会社からふんだくって与えればいい。そういう人たちがちゃんと働ける場所に直すということは、黙ってたってせざるを得ない。もし僕が総理大臣だったら、多少の抵抗があったって、それを強行します。どんな人が総理大臣になっても、それはやらなきゃお話にならない、それを真っ先にやって、それからが本当の変革だということですね。

― こんどは日本人自身の手で社会を変えられる
でしょうか?

(吉本) できるか、できないかといえば、それぞれの境遇や運命があって、誰もなかなか大口は叩けない。でも、もし自分にその番が来たら、まずは世の中を平らかにして、何か開かれたな、と思えるようにする。隠れて背後で何かをやるみたいなことは絶対にしないで、開かれた場でちゃんとやってみせる。普通の人の誰もがそう思うようになったらたいしたもので。そのときは本当に社会は変わります。そうじゃなければ、決して変わらない。共産党を頼ってとか、社民党を頼ってとか、そんなことで変わるわけがない。それは自明の理だから、そんなことはあてにしないほうがいい。心の中で、普通の人が「俺が総理大臣になったらこうしようと思っている」ということをもてたなら、それでいいんですよ。あとは何もする必要ないから、遊んでてください (笑)。 (終わり)

 (「吉本隆明インタビュー」より 季刊誌『kotoba』2011年春号 小学館)

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(わたしの註)

 このインタビューをはじめて読んだとき、吉本さんはすでに八十代だろうから、できればやりたくないと言いながらいつでも政治を担当できるという吉本さんの言葉にびっくりしたのを覚えています。吉本さんは2012年3月16日に亡くなられていますから、今から振り返れば最晩年に当たります。編集の記述から、2011年春、吉本さん86歳のときのインタビューのようです。

 現在の選挙による政治システムではそういう政治担当は不可能ですが、お世辞や形だけの挨拶とは無縁な吉本さんは、本気で語っています。この国の現在の学者や文学者や表現者でこういう言葉を語れる者は皆無だと思います。わたしもまた、現在のところ語ることはできません。

 ところで、わたしがものを考える場合、そのものごとのはじまり(起源性)ということから照らし出すことを近年よくやります。そのように考えてみると、初源の人間の集落においては、すべての成人した集落のメンバーが平等に集団的なことがらを担当していた可能性が想定できます。それは、国家以前の、集落の宗教的なものや行政的なものが専門化されるずっと以前の段階として想定します。そう想像する根拠として、現在では消えかけているかもしれませんが村の行事の担当として、各戸輪番制のようなものが存在していたようですし、また現在でも町内会の班長の輪番制としても残っています。これらが存在してきたし、存在しているということは、長い歴史の中に根強い根拠を持っているからだと思われます。他方で、それらの集落の上に覆い被さるように宗教や政治が専門化されていったのは、政治的な権力の構成の歴史と深い関わりがあり、現在の政治にまで及んでいます。

 高度で複雑な社会でありつつも電子網で結びつけられ、距離感が収縮して感じられる世界の現在は、遠い遠い集落レベルの、誰もが「政治」を担当する可能性が、回り回って新たな形で浮上しつつあるように思われます。現在の政治家になる意識の主流のように、喜んでとか、意気込んでとかではなくて、しょうがないから輪番制で政治を担当するか、といったように。もちろん、まだまだ微かな兆しやおぼろなイメージとしてではあります。


日々の感想(2013.12月)―現下の道徳教育うんぬんに関して

2014年10月22日 | 回覧板

 ネットのニュースによれば、文部科学省の有識者会議なるものが、「道徳教育」の教科化を求める最終報告書案作り上げたということだ。文部科学省や中央教育審議会は、膨大な人員や時間を費やして「道徳教育」について論議してきているのだろう。そして現在のこの動向には当然ながら現政権も関与しているはずだ。これは膨大な無意味というほかない。

 わたしの、子どもとしての学校体験と十年程の高校教員としての学校体験からすれば、「道徳教育」をあれこれ問題にするのは無意味である。人が何にどのように影響を受ける存在であるかはわからないという観点からすれば、それもなんらかの影響を子どもたちに与えるかもしれない。あるいは、与えないかもしれない。道徳教育指導という啓蒙主義、あるいは強制は、人間存在への洞察という点で表層的であり、形式主義である。つまり、いかにある方向に引き上げようとかある形を形成しようと作為をこらしても、人間存在の根幹やその活動性と十全に交わることはない。そういう形で、子どもや人々に迫ってくるとき、子どもや人々は、「本音と建て前」という形で表出し行動することになる。

 この世界は、膨大な無意味に満ちている。しかもそれを織り込まずにはわたしたちの生存は有り様がない。それは人間の歴史の積み重ね来た現在的な有り様であるからである。膨大な無意味を生産、消費しても世界はその動きを止めることはない。ちょうど理論物理でどのような空想的な理論を生み出し続けようが、現実の世界はその有り様を止めることがないのと同様に。この「膨大な無意味」というとき、現在に至る人類の歴史における数々の不幸な出来事を念頭に置いている。無意味と言うには余りに生々しく、簡単には解決しがたい世界にわたしたちは日々生きている。 

 この世界には個人の力ではどうしようもないこともある。この世界がまだ国家以前の集落レベルの社会であったときは、まだ成員と組織の間には現在のような亀裂や膨大な無意味はなく、相互に流れ合うものであっただろう。個人の力を超えたものはその中で処理されて来たにちがいない。そして、巫女やシャーマンなどが晴れがましく登場するようになり、動乱を経て国家形成、そして統一国家形成へと突き進み、無意味を降り積もらせてきた。つまり、行政や政治が住民の日々の生活から分離され、逆にそれに介入するようになる。もちろん、その動向が一方で文明度を飛躍的に押し上げてきたのは確かであろう。

 歴史の初源からの照り返しでいえば、現在も相変わらずの生活世界と支配上層の間に大きな亀裂が存在する。わたしたちの生活世界に降りかかる本質的な問題は、制度的、政策的にいい加減に捨て置かれても、人々や世界は動き続ける。しかし、例えば現下の東電や国が引き起こしたと言える原発災害による生活世界への放射能被害は、個人の力を超えたものだ。個人には、困難を背負って居住地から避難することくらいしかできない。責任主体である東電や国が政策的、制度的に解決するほかない問題である。マスコミは作為的にその話題を避けているのがわかる。当該地域(関東、東北)の健康被害の調査の動きも感じられない。放射能被害は、公開的ではなくタブー視されている。ネットによると、死者や病気になる者が事故以前に比べて増大しているというデータも見かけるが、わたしたちには確かめる術もない。このように述べるのは、社会的に立ち現れる表現には、虚偽も作為も含まれることがあるからだ。よくわからないせいもあって誰もまともには語り出さない、あるいは語り出せない。また、わたしの場合はその圏外ということもあり、生活的な切実さが薄いということもある。原発の事故処理や放射能被害というこれまでに経験したことのない、たぶんどうしていいかわからないようなお手上げに近い現状で、国や官僚層や自治体は、原発や原発利権や経済性や自治体の温存とこれくらいでは大したことは起こらないはずだという願望が、生活世界への放射能被害をないものとするという閉鎖的な最悪の対処しか採らないできている。現実の動きがその大したことは起こらないはずだという願望の通りであれば言うことはないが、そうではないような気がする。高度経済成長期がもたらした公害の教訓は、この規模もレベルもちがった新たな公害に対して公開性という一点に限っても十全に生かされてはいない。

 現下の放射能被害問題とちがって、支配上層から降りてくる道徳教育問題に関してはアホらしいと思えば無視すれば済む。もちろん、学校では生徒たちはなんらかの新たな枠を強いられるかもしれない。しかし、これもまた、「本音と建て前」でなんとかすり抜けることはできるにちがいない。

 道徳教育などとことさらに言わなくても、子どもは日々学校という場で自己や他人や教師と関わり合い、無意味な諸制度や政策とは無縁な固有の位相で、悩み、喜び、日々を生活している。学校という枠や勉強がいかに無意味でも、義務教育ではそれを通してしか自己を実現できない。多様な人間の集まりの中、人と人との関わり合いの具体性こそが貴重であり、人は見聞きし行動し、肌感覚として多くを学ぶものだ。もちろん、いいことも悪いこともある。学校という世界にもこの人間社会の原型的なものが散りばめられているからだ。そして、この時期に体得した学びは、人それぞれの固有性を抱えて、成人して社会の場に登場したときの振る舞いにも通底しているはずである。降りてくるそれらの無意味な諸制度や政策の流れと交差し様々な軋轢(あつれき)は存在し続けるが、その独自の位相はわたしたち大人の生活世界と同様に不変である。 (少し加筆訂正あり)


現政権とそれを取り巻く言説に対して

2014年10月20日 | 回覧板

①韓国のドラマを観ることもあります。こちらとの風習の違いなどに目が留まることがあります。モンゴル辺りから、中国、韓国などインドより東のアジア諸国に生活している人々は、言葉を話さなければ日本人と同じに見えます。言葉を喋ると、各々の微妙な差異が際立って感じられてきて、おそらく互いに分離された感覚になるのだと思われます。

②顔かたちがとても似ているということは、お互いにとても近しい関係にあるということを意味するはずです。しかし、互いになんらかの交流をしながらも、長らく違う地域に住み、異なる風習や文化や言葉を築き上げてきました。でも、ベースには互いに共通するアジア的なものがありそうです。

③さらに、さかのぼれば人類のアフリカ起源ということで、世界全体にわたって人としての身体的共通性や死生観などの基本的な共通性も見られます。遺跡や遺物など遺されたものからはもうこれ以上人類の足跡はたどれそうにないと思われたとき、科学の発展と呼応するようにして遺伝子技術が人類の移動の足跡の探査に貢献できることがわかりました。おそらくこのように靄に包まれた果てしない時の彼方も少しずつ明らかになっていくのだろうと思います。つまり、人は人としての共通性と差異性を抱えながら、各地域に住民として生活してきています。そして、その社会の上には現在でも、民族国家というものが覆い被さっています。

④先の両大戦を経てきた現代では、大規模な戦争は不可能な時代となり、住民同士や国同士の付き合いも、主流としては力を行使することなく話し合いによって交流したり解決する段階にようやく至っていると思えます。この背景には先の大戦の膨大な死者の存在と苦い反省があります。しかし、今なお戦争や対立をしている国と国なども存在しています。

⑤こういう世界関係の主流の現状で、今流行っていると言われる「嫌韓」などの外国やその住民を敵視する言葉は、何を指し示そうとしているのだろうか、という疑問がわたしにはあります。それらの言葉は、現在でも存在する国同士の敵対的な関係を築こうとしているのではないかと思われます。

⑥したがって、それら「嫌韓」などの言葉や憲法九条の非戦の理念を否定するイデオロギーは、人類の未来性を持つものではなく、退行的で、過ぎ去った過去的なものと見なすほかないようにわたしには思われます。ということは、現政権は決定的に現在という時代と無縁に後ろ向きに存在し行動していることになります。

⑦もともと、この列島では古代の大陸(朝鮮半島)との戦争や秀吉の朝鮮出兵や近代の戦争ということを除けば、あるひとつの地に対して異質な地名が共存することなどから、割と平和的な流入や混じり合いがあったのではないかと見なされています。また、保守派がよく口にする「伝統」とかいっても、混じり合っていてどこまでが大陸的なものでどこからがこの列島の古い縄文的なものなのかなどよくわからないものとなっています。ただ、一般に認められている考え方に拠れば、いつの時期かは確定的ではありませんが、この列島に南方的なものと大陸の北方的なものとが押し寄せてきて、二層を形成していると見なされています。排外主義的な右翼も存在しますが、主流はわたしたちの現在でもいいかげんさやあいまいさを許容し合う部分に、その遠い過去のこの列島の人々の体験は保存されているのではないかと考えます。そのいいかげんさやあいまいさを否定的なものと見なさないとすれば、そこには遠い先人たちの戦いを避ける交流の足跡が記されているのであり、その文化的な遺伝子をわたしたちが引き継いでいることになります。

⑧現在の世界史的な段階では、旧来的な「文化」や「伝統」はもはや半分は終わっているのではないかと思います。それをもっともっと突き抜けたところで、人間の存在や社会の有り様を問われてきているのだと考えます。それが地球規模で経済や政治が関わり合うようになったグローバル化というものの本質だと考えています。
  (註.ツイッターのツイートを元に少し加筆)

 


この列島の住民ということ

2014年10月11日 | 回覧板

①人と人の関わり合う関係の有り様の原型は、学校の文化祭や体育祭を巡る話し合いや活動にあると思われます。そこでは、ひとり一人の具体的な事情の言葉や飾りの言葉や同意や反発などが渦巻きつつも、一つの流れをたどっていきます。義務教育であれば、原則として誰でも学校の住民であることを離脱できません。

②学校行事への参加などを巡って、そこを通過してきたわたしたちは誰でも、なかなかうまくいかない人のいろんな関わり様を見聞きし、自ら体験してきています。そして、自らも学校の住民の一人としてなんらかの関わり合いの仕方をたどってきています。

③大人になって特に小さい子どもが居たりすると、学校やPTAなどを介した地域での関わり合いに参加することしばしばあります。また、町内会に加入していれば、その関わりもあります。ここでの人々の関わり方も学校の原型的なものと対応していると思います。 

④地域の行事に参加することもしないこともあり得ます。しかし、観念(頭)の中では、地域住民の一人ということは消去できても、ある地域に住み具体的に生活している以上住民としての自分の存在を消去することはできません。人は観念の世界を生き観念を増殖させることがあります。

⑤ウヨクもサヨクも集団的な観念(イデオロギー)の世界です。亡霊のように共に未ださまよっていますが、わたしの理解では、前者は先の戦争の敗戦により、後者はソ連崩壊により終わったと考えます。イデオロギーが悪だとは思いませんが、具体的なひとり一人の住民を殺傷することがあります。 

⑥この住民とイデオロギー(宗教)の関わり合いは、聖書によく知られた描写があります。(「マルコによる福音書」第六章 他) 郷里での住民とイエスの対照として描かれています。住民の側から見ると、イエスは大工の息子でどこでこんな偉そうなことを学んできたのか、となります。

⑦一方、イエスの側からは、「『預言者は、自分の郷里、親族、家以外では、どこででも敬われないことはない』。そして、そこでは力あるわざを一つもすることができず、ただ少数の病人に手をおいていやされただけであった。そして、彼らの不信仰を驚き怪しまれた。」と描いています。この両者の視点は現代でも通用します。 

⑧そういう意味で、両者の視点を取り出し描いた聖書の内省的な記述は、普遍的な優れたものだと言えます。ところで、わたしは集団的な観念(イデオロギーや宗教)以前の、この列島に住み日々生活している無名の具体的な住民という、おそらく誰もが認めるだろう場所から、考えようとしています。そして、その背景には、この列島の無名の住民たちの連綿と続いてきた、大きな歴史がひかえています。 

⑨もちろん、この列島の住民といっても、考え方の違いや対立もあるでしょう。ただ、その場合、わたしたちの共通の了解事項であって欲しいのは、この列島の住民の一部ではなく、全体の利益や幸福を第一に置くことです。政治や経済や経営などの学問もそのように書き換えられていくべきだと考えています。

  (註.ツイッターのツイートを元に少し加筆)

 

  最新の文章として、「何度(たび)か、生活者住民として (1)~(4) 一括版」があります。
http://blog.goo.ne.jp/okdream01/e/ad1432a8d5d6ddf607bf29692756e5d0


わたしの活動のメモ ① 2014.9.20

2014年09月20日 | 回覧板

 その分析を読むのはもう何度目かになりますが、今年の6月に吉本(隆明)さんの現在の社会分析とそこから来る帰結について読んでいたら、そのことについて考えたことを文章にしてみようと思い立ちました。署名活動やデモもいいけど、どうして運動を組織する者が、それらよりも強力な、吉本さんのおくりものに応えようとしないのかなとふしぎな気持ちになりました。わたしはそのような社会運動や政治運動の組織者ではないから、自分ひとりでも消費を控える活動を開始するぞ、という文章を6月に書きました。

 それ以後もそのことを時々考え続けていました。そして、文明のもたらした現在のような社会では、わたしのような活動の経験もない普通の者でも、たった一人ででも、その意志を表現し、社会的に波及するような、この列島の住民ひとり一人の力が束ねられていくきっかけを作り出せるのではないかと思い立ち、「回覧板①」を8月14日に書き上げました。それは、従来のイデオロギーや政治思想のようなものではなく、同じ時代にこの列島という同じ地に生活する住民同士というイメージで、あくまでわたしたちが生活する世界を主体とする、住民同士のメッセージのやりとりとして「回覧板」ということを思いつきました。そしてその「回覧板①」を、ネット上のブログやホームページのコメント欄やメールを通して、あるいは掲示板に書き込んだりして、約60軒配って回りました。そして、この臨時ブログを開設し、この回覧板①に関係する、わたしの過去の文章や、「おもてな詩」を掲載してきています。

 消費を控える、経済的な力の行使という行動は、現政権や自民党が退場するまで続けるけれど、もう、これでわたしのネット上の活動は、お終いかなと思いました。一方では、野党勢力は当てにならず、しかも現政権に近い政党があったり、現政権と同じような考えを持つ政治家やらが野党の中にもあちこちにいて、イデオロギーではなくわたしたち住民の生活や意志を第一に考える政治家(代表者)はいないのか、うんざりだねと苦い思いを感じていました。この活動は、当面、未だかつてなかった復古的なイデオロギーで組織された現政権や自民党の退場を目指していますが、これはまた、いい加減なことをやればわたしたちはいつでもこの経済的なリコール権を行使するよという、すべての政治家に対するメッセージでもあります。

 わたしたち住民の意志を表現するやり方として署名活動やデモなどがすぐに思い浮かびますが、大多数の普通の人々がそれらの活動に参加することは、3.11の東日本大震災及び福島原発の大事故以前は特にあまり考えられなかったと思います。選挙以外に国レベルの政治的なリコール権をわたしたちが持っていない現状では、このわたしたちの消費を控えるという経済的な力の行使は、署名活動やデモにも勝るもっとも強力で効果的なものと思えます。しかも、この列島の住民ひとり一人が主人公として、平等にその力を発揮することができます。

 現政権は、また経済に力を注ぐと言っていますが、またモグラのように別の顔を出して、「集団的自衛権」のための法的な措置を謀ってくるはずです。現政権の支持母体と思われる日本会議は、例えば、その地方議連による「国会に憲法改正の早期実現を求める意見書」の地方議会決議運動を組織しています。今回は、いわば言ってみるだけではなく、本気でこの国を復古的なイデオロギーで塗り替えようとしています。それらへの対抗として当てにならない野党の状況で、法的な措置がずるずるとすんなり通っていけば、何をきっかけに何が起こるかわかったものではありません。したがって、この危ない状況で、現政権及び自民党を退場に追い込まなくてはならないと考えています。

 ものごとは、流れに漬かって考えていると、なんとかまた新たな道が開けるもので、それまでやったことがなかったツイッターを8月24日に利用開始しました。これによって、今までより多くの人に回覧板を読んでもらえるかな、と思っています。現在、この回覧板に関するいろんなことを考えながら、不慣れなツイッターに取り組み、はじめての自転車乗りの練習のような日々を送っています。ほんとは以前のような穏やかな日々に早く戻りたいのですが、しょうがないなと思いつつふんばっています。わたしの場合は、ツイッターは控えめで、臨時ブログの方が主になるのではないかと考えています。このわたしのネット上の活動は、もう少し先まで行けそうに思いますが、また変わったことがあったら報告します。

 消費を控えるというこのわたしの「昼寝のすすめ」に賛同されるみなさんも、ゆったりと「昼寝」されながら、お互いに智恵を出し合い、それぞれの場所で、それぞれのやり方で、自力を発揮してもらえたらいいなと願っています。また、何かいい智恵を思いつかれたらわたしにも教えてください。

 わたしのツイッター 「 nishiyan @kotobano2  」


 


参考資料―吉本さんの社会分析

2014年08月27日 | 回覧板

 どうして国家を開くというのが難しいのかといいますと、この問題は社会主義的な理想というものの鼎の軽重を問われる問題ですから、やはり一所懸命考えざるをえなかったんですが、ソ連も中共も全部だめだ、国家社会主義にしかすぎない、どうしたらいいんだ、国家を開く、民衆に対して開くということを一所懸命考えました。そこで、さしあたっていちばん簡単な方法は、国民の無記名の、議会を介してではない、直接投票で半数以上が現内閣であり現勢力に反対であるという投票結果が出たら国家はかわるべきだ、リコールされるという法律を作ればいいんだ、少なくとも国民に対しての半分だけは国家を開けたといえるんだという結論に達しました。そして、その法律を作るために誰が奮闘してくれるだろうかと日本の政党を眺め渡すと、一つもありません。進歩政党と名乗りながら、国家社会主義の真似ごとをする政党はありますが、やってくれそうな人もいないし、日本国の半分の署名を集めるなんてできっこないしなぁと考えて絶望的になります。
 しかしウカウカしていました。一年足らずのつい最近、あっそうだと思い至りました、それは、日本国とアメリカと欧州共同体は経済的な意味からいえば、ひとりでに国民はいつでも国家をリコールできる状態になっているということに気がついたんです。この三地域は経済的にいいますと、所得の五〇パーセント以上が消費に使われている社会になっています。つまり、給料の半分以上は消費に使われている。消費に使われている半分以上は選択的な消費というか、選んで使える消費に使われているんです。選択的な消費とは、少し金が余ったから旅行に行こうとか映画を観ようとかいった消費ですが。先進三地域はこの二つの条件をほぼ確実に持っています。
 そこで、極端なことをいいますと、皆さんが半年間選択消費、つまり選んで使う額をかりに一銭も使わなければ、この地域の政府は潰れてしまいます。経済規模が四分の三から二分の一に減ります。経済規模が四分の三から二分の一に減って、それに耐えるだけの責任を問われずにすむ政権なんてありえないわけです。民衆が半年選択消費をがまんすると、どんな政府でも潰れてしまいます。それだけの潜在的実力をこの先進三地域はすでに持っているということなんです。皆さんはそれに気づいていないだけで、また、一斉にやりましょうと誰かがいって一斉にやらないだけです。この場合、生活費は落とさないでそうすることができるのです。エングル係数二〇パーセントの毎月の食費は必需消費の中に入りますから、生活費は落ちないということになります。
 このことは先進三地域においては、資本主義は日本資本主義もそうですが、一種の超資本主義というか凄い段階に入ったということなんです。現在の不況を考えても、国民総生産に占める個人消費が六〇パーセントということは、皆さん個々の国民が脇を緩めないかぎり、企業体が単独で経済不況から脱出できません。設備投資とか輸出入とかは二〇パーセントを出ない。やはり皆さんが何気なくお金を使っていないから不況をダラダラと長くしているんです。不況を測るには家計簿を見て、選択消費が昨年の同月と比べてどれくらい減ったか見ればわかります。もう少し大雑把な測り方ですが、百貨店とかスーパーとかの売上高が前年同月と比べて減っているか増えているかを見れば、選択消費の額に匹敵しますので、やはりわかります。
 それは逆にいうと、政治認識でいう政治の究極的な理想とは何なんだということの達成点に、先進三地域はすでに達した、すでに終わったよというのが私の内緒の声でいいたいことです。これをあからさまにいうと、社会党とか共産党とか進歩的知識人はみんな失業してしまいます。しかし、その三地域の社会の産業経済は、その段階に入ったんです。資本主義が終わったといってもいいし、資本主義段階における革命思想は終わったといってもいいです。いま社会変革の思想がありうるとすれば、十年、十五年あとの問題に対していかに適応できるかということがこれから始まることであり、作っていかなければいけないことなんです。先進三地域では資本主義下における革命思想は無効です。そこで、理念、思想の課題は何かといえば、十年、十五年後にやってくる社会に対する課題なんです。

(「近代国家の枠を超える力」1994年講演 P47-P50『吉本隆明資料集137』猫々堂)

 

 


個々人の意志が連結・構成されうる可能性(2012年3月)

2014年08月23日 | 回覧板

 『ほぼ日イトイ新聞』に、「ほぼ日桜前線(2012)」というのがあって、昨年も目にしている。自分の近所に桜が咲いたら、カメラで撮影してメッセージとともに投稿する。その中から選ばれたものが、この列島の地図の中の桜マークに、日付のある写真とメッセージが収められる。このような出し物は、各地に支社があるだろうから、大手の新聞社などでも可能なことかもしれないが、やりようによってはそれ以上の規模と細かさで簡単に出し物として作り上げることができるように思える。

 ダイヤルアップ接続の時代は、画像一枚開くのに一分前後かかっていたように記憶している。ブロードバンドと呼ばれる大容量通信ができるインターネット接続サービスの時代になって可能になった出し物と言える。技術力の成果が絶えず社会の網目に流し込まれ、わたしたちの関わり方の自由度を更新している。別に、他の地域の桜の開花状況なんてどうでもいいや、というのはもちろんありうるが、各地域に住む人々のカメラに収めた写真とメッセージを編集・連結して容易にひとつの出し物として作り上げることができ、また、それを目にすることができるということは、旧来的なものから離脱した社会における連結のイメージや連結の仕方をわたしたちに思い巡らせる。

 昨年の6月に、『ほぼ日イトイ新聞』での西條剛央と糸井重里の対談を読んでいたので、『人を助けるすんごい仕組み―ボランティア経験のない僕が、日本最大級の支援組織をどうつくったのか』(西條剛央 ダイヤモンド社 2012.2)を読んでみた。著者は、宮城県仙台市の生まれで、震災後二十日くらい経って南三陸町に被災地入りしている。そこからすぐに、著者の実家で「ふんばろう南三陸町」のサイトを立ち上げている。


 通電はしておらずパソコンも使えないが、宅配便が届き、携帯電話もつながるという現地の「状況」を把握したうえで、ホームページとツイッターといったいま使えるツールを組み合わせて、被災者支援という目的を達成するための新たな仕組みを考案した。
 それはシンプルなものだった。


 ―ホームページに、聞き取ってきた必要な物資とその数を掲載し、それをツイッターにリンクして拡散し、全国の人から物資を直送してもらい、送ったという報告だけは受けるようにして、必要な個数が送られたら、その物資に線をひいて消していくのだ―。

 そうすれば必要以上に届くこともない。また、仕分ける必要もなければ、大きな避難所や倉庫で物資が滞ることもない。必要としている人に必要な物資を必要な分量、直接送ることが可能になる。ツイッターの文面に直接必要なものを書いて拡散する人がいたが、その方法では無限に広がり、物資が充足しても延々と届き続けてしまう。

 ツイッターの拡散力と、ホームページの制御力を組み合わせて、新たな支援の仕組みをつくったのである。

 そして、驚くべきことに、それから24時間以内に、そこに掲載した物資はすべて送られていたのだ。
  (『同書』P62-P63)



 三泊四日の後東京に戻ると、大学の教員をしている著者は、周囲の学生に協力を求める。あるいは、著者のツイッターを読んだ友人、知人が協力を申し出てくれる。


 反響は凄まじく、最初「ふんばろう南三陸町」から始まったプロジェクトは、東北全体に拡大して、「ふんばろう東北支援プロジェクト」になり、さらに東日本全体に拡大して、「ふんばろう東日本支援プロジェクト」となった。
 この間、わずか数日のことだった。ツイッター上で立ち上がったプロジェクトは、こうして拠点もないまま、瞬く間に広まっていったのである。
  (『同書』P66)

 フェイスブックはプロジェクトごとにグループをつくることができ、またメーリングリストと異なり、この人に入ってほしいという人をすぐに追加することができる。チャットも書類を送ることもできる。情報をシェアすることで、拡散ツールとしても使える。メール、メーリングリスト、ミクシィ、チャットといった既存のメディアの包括ツールのようなもので、これさえあれば、ひととおりのことはできる。
 また、フェイスブックにはグループをつくる機能があり、それを使うことで、グループや支部ごとにメンバーの登録や情報の伝達、共有、交換が容易にできる。
 そうしてフェイスブック上に、マネジメント、Web構築、会計、翻訳、電話窓口、渉外、庶務、公的支援申請、広報など、多くのチーム(班)が立ち上がっていったのである。
 こうしてフェイスブックは、ネット上で立ち上がった「ふんばろう」が動きながら規模を拡大していくためには欠かせないツールとなっていった。……中略……
 情報拡散のツールであるツイッターと、組織運営ツールとしてのフェイスブックのグループ機能(+サイボウズLive)が、「ふんばろう」の両輪となり、被災地をかけ巡ることになるのである。
  (『同書』P87-P88)


 わたしは、他人のツイッターを読んだことはあるけれども、ツイッターもフェイスブックも使ったことがない。だから、ぼんやりと想像するほかないが、それら現在の技術力がもたらしたものを柔軟に使いこなしている人々を目にしていることになる。たぶん、それらの世界はわたしから見たらどうでもいいことやあるいは悪意や憎悪のはけ口になっている面もあるように見える。それはそれで別に言うことはない。しかし、半面、それらは個々ばらばらの周囲の人間や友人、知人、そして見知らぬ他人をすばやい速度で波及的に連結して、幻想的な網目状の高度な時空を築き上げ、ある流れに沿って信号を交わし合うことを可能にしているように見える。それを支えているのは、西條剛央のしなやかな人間理解である。もちろん、そのシステムを稼働させている主体は、被災者や支援者や支援スタッフなどの具体的な個々の人々である。そのような一人一人の主体が稼働するシステムに連結され、あるいはシステムを増殖させ、ひとつの大きな力能の表現を可能にしている。これは旧来的な国や自治体などの、融通の利かない縦方向(上下方向)の被災地や被災者支援(例えば、P82-P83,P135,P276,P283)とは異質なものになっている。大規模な復興は、国の力が必要だろうが、被災地の放射性物質を含む瓦礫を全国にばらまくことにうつつをぬかしたりして、放射能汚染対策も被災地復興支援も明確な方針を出せない旧来的な支援が色あせて見える。ほんとうにこのようなどんづまりの国家なんて要らないよ、という思いが込み上げてくる。

 この「ふんばろう東日本支援プロジェクト」(http://fumbaro.org/)は、「『ふんばろう』の全体の目的は、『物資を送ること』ではなくて、『すべてを失った人たちが、もう一度、前を向いて生きていこうと思えるような条件を整えること』なんです」(P175)という明確な方針の下、現在も継続中である。被災地や被災者の現況をくみ取って、その形態を柔軟に対応させてきている。また、なぜ無償ボロンティアなのか、いつどのようにこの支援プロジェクトを収束させるかなどの組織運営や、組織内のスタッフの心理的な負荷にも、きちんと目配りや対応を取っている。

 西條剛央は、学者で「構造構成主義」という思想を研鑽しているようだが、これまでのその思想の研鑽の経験が、ツイッターやフェイスブックなどの現在の技術力に助けられながら、このすぐれた大きなプロジェクトに生かされていることは確かだと思われる。