会社の存在意義については、今までに触れたことがあるから、もう書き記す必要はないと思われたが、『会社にお金を残さない!』 (平本清 大和書房 2009年)に出会った。管理職もない、ノルマも目標もない、社内競争もない、など現在の会社組織に蔓延しているものの「否定の否定」というより「横超」と言ったほうがしっくりくる感じがする。現在においてこんな会社があり得るのかという驚きから再び取り上げてみる。
平本清もその会社の一員である株式会社21(トゥーワン)は、そのホームページ(http://www.two-one.co.jp/a21/)の記載によると、設立1986年、現在、関東以西127店舗を構え、メガネ・コンタクトレンズの小売、光学品・補聴器などの販売を事業内容としている。この会社は、現在の会社の競争や効率やノルマなどによる利益至上主義、しかもその利益は社員に十分に還元されないなどの本流からすれば傍流に当たる。 この会社も業者間の競争などの現在にさらされているわけであるが、会社の存在意義と会社の構成の仕方からすれば無意識の本流に当たると言うことができる。
もともと会社の前身は、柳田国男の発掘した相互扶助的な農村の協働組織にあった。もちろん、共同性における人間性の傾向性にもあるように、人々が協働組織を構成していく中でその相互扶助を逸脱する部分も内在していたと思われる。ちょうど、現在に至る歴史の主流のように。あるいは、現在の会社組織の主流のように。あるいはまた、現在の行政や国家組織のように。現在では会社には、相互扶助に加えて、雇用や社会的支援など社会に貢献するという社会的存在意義も加わってきている。しかし、それらは会社存在の歴史的な無意識としてしか存立し得てないのであって、欧米流の経済論や経営論の浸透の中でもやに霞んだ状態となっている。いわばわたしたちの生活世界にとっては外在的なものになってしまったものが、あたかも歴史の主流のようにおそらく国家形成以降君臨してきていることになる。それらの外在的なものは、人間の無意識の本流が生み出してしまったものには違いないが、いったん共同性に転化されたらある価値創造の威力を持ちつつもそこが仮象の人倫のようにみずからの出所を消去して独り立ちしていくことができるということを意味している。しかし、現在のような高度消費社会では、商品に対する生活者大衆の意志を無視し得なくなってきている。同時に、業者間のきびしい競争にさらされている。あるいは、世界経済規模の競争にさらされている業種もある。この蟻地獄のような熾烈さの中で、会社の存在意義という無意識の起源性を繰り込んで、新たな会社を構想・構成していくことができるのだろうかという疑念は消えない。
会社というものが相互扶助性を持つということは、積極性としてみれば会社が社員を食い物にしないこと、むしろ社員の幸福(経済的、精神的に)のために存在するということである。現在のまなざしからではあるが、果てしない初源へ、このような組織の存在理由の起源にまでイメージを収束・展開させてみたら、会社という組織の存在意義は明らかであると思われる。しかし、日常の見聞きや新聞などの記事からすると、これは現在危うい状況にあると言える。圧力団体である経団連の前会長や現会長の言動を読むと相変わらずだねということ以外にない。わたしたちの繰り出す論理が、言葉の世界で自立的に増殖する自由度を持つ中で自らの固有の言葉の在所を裏切ることがありうるように、組織もまたその固有の在所を裏切る自由度と増殖性を持ってきている。いずれにおいても生活者大衆の歴史的な無言知の揺らぎの中に歴史の主流があると見なすなら、起源性は絶えず新たな形で包括されていくほかない。
私を含め「21」の創業メンバーは、広島県内の大手メガネチェーンの出身です。県内シェア六〇%を誇る、巨大かつ強力な会社です。
その会社の経験が、ときに見本となり、ときには反面教師となり、いまの「21」に影響しています。
私たちが辞めた当時、その会社では年間約一〇億円の利益を上げていました。
すると、おおよそ五億円が税金で持っていかれます。典型的な同族会社でしたから、残りのうち三億円が同族の取り分で、一億円が社長の収入となります。(おおよその計算です)。
すると、残りはたった一億円です。これが社員に配られていました。(株式保有率三〇%の社員株主に対する配当も、このなかから配られるわけです)。社員株主としては、納得のいかない配分方法です。
あまりに不公平な配分方法も気になりますが、税金として引かれている額(利益の約半分)も無視できません。
新たに「21」を創業した私たちは、税金の取り分と同族・社長の取り分を減らす方法を徹底的に考えました。
強大・強力な企業と戦うのですから、まともなやり方をしても太刀打ちできません。そんな切迫した状況のなかで、儲けた分はとにかく社員に配ってしまうという仕組みが誕生しました(社員に配り、会社にお金を残さなければ、法人税をぐっと抑えることができます)。
私たちのやり方なら、一〇億円の利益を上げなくても、うまくいけば二億円でも勝負はできます。それどころか、社員の収入は二倍になるという構想を練りました。
会社に内部留保をしなければ、法人所得税の五五%がなくなり、個人所得税を二〇%払っても、社員の収入はグッと増えます。(P19-P21)
この会社は、大手との激しい競争の中で生き残りをかけて、日々活動していく中から構想され現実化されてきている。その生き残るための構想は、前居た会社の前社長から学んだことを踏まえて現在の主流の会社の組織構成や経営とは一線を画す方向に形作られている。本書には、「人の意見・主張を否定せず、とりあえず受け入れるのが平本流のやり方」という著者の目から眺められた会社の様子がもっと微細に描かれているが、本書の中から、この会社のイメージを構成する上で大切だと思うことがらを箇条書きに取り出してみる。
会社に内部留保をしない。社員に内部留保する。つまり、社員がすべて出資する究極の直接金融。自分たちでお金を出して、自分たちの会社を経営し、自分たちの職場を確保する。
高額賞与は退職金の前払い。
儲かった分を社員で山分けして、それでも余ったら値引きという形で客に還元する。
「21」にとって、一番大切なのは社員の幸せです。「社員を幸せにするためにはどうするか」を何より優先して考える。
同一労働・同一賃金。
すべての情報を公開する。
部長、課長などの役職はない。フラットな組織になっている。あくまで対外的な意味で社長という役職は残しているが、社内的には仕事内容は他の社員と同じ。任期は四年。人事、総務、経理などの専属部署もない。
重要事項に限らず、何か提案があるときはすべて社内ウェブを使う。提案された内容に対して、反対する人が誰もいなければ即決定という仕組み。社内ウェブは、賛成意見は書き込まず、反対だけを書くというルールの上に成り立つ。「黙認は賛成とみなす」という考え。
ノルマや目標はない。社内の競争は効率ダウンにつながる。
「ミスを許さない」という姿勢が隠蔽体質をつくる。ミスは許すが、隠さない。
ギブアップ宣言という制度。「もうこれ以上、○○さんとは一緒に仕事ができません」と宣言することが認められている。それによって、本人(あるいは相手)が異動になり、別々の職場で働くことが可能になる。
会社のすべての仕組みが巧妙かつ、有機的につながっている。
社員相互の関係は、垂直的ではなく、フラットな水平的な関係で、社員全員による共同経営的な会社の構成になっている。また、「社内ウェブ」などの現在の技術力の成果もその会社の構成を助けている。社員の個々の労働の発現が、自分に十分に還流してくるような会社の構成になっているから、会社は社員の労働意欲と活動に支えられ、社員はそれに見合って会社に支えられている。日々、生起してくる様々な問題の中で、繰り出される様々な方策は、社員の経済的かつ精神的な幸福を第一義とするという流れから出ている。平本清は、自分たちはこういうふうに会社を作ってくるほかなかったと言っているように見えるが、この試みは現在を超出する、すぐれた試みのひとつとしてわたしたちの前に投げ出されている。共同性における人間の振る舞いというものを踏まえ、それに柔軟に対処してきている、現在における新たな会社の思想であると呼べると思う。そして、それは会社の起源性を包括したものになっている。
平本清もその会社の一員である株式会社21(トゥーワン)は、そのホームページ(http://www.two-one.co.jp/a21/)の記載によると、設立1986年、現在、関東以西127店舗を構え、メガネ・コンタクトレンズの小売、光学品・補聴器などの販売を事業内容としている。この会社は、現在の会社の競争や効率やノルマなどによる利益至上主義、しかもその利益は社員に十分に還元されないなどの本流からすれば傍流に当たる。 この会社も業者間の競争などの現在にさらされているわけであるが、会社の存在意義と会社の構成の仕方からすれば無意識の本流に当たると言うことができる。
もともと会社の前身は、柳田国男の発掘した相互扶助的な農村の協働組織にあった。もちろん、共同性における人間性の傾向性にもあるように、人々が協働組織を構成していく中でその相互扶助を逸脱する部分も内在していたと思われる。ちょうど、現在に至る歴史の主流のように。あるいは、現在の会社組織の主流のように。あるいはまた、現在の行政や国家組織のように。現在では会社には、相互扶助に加えて、雇用や社会的支援など社会に貢献するという社会的存在意義も加わってきている。しかし、それらは会社存在の歴史的な無意識としてしか存立し得てないのであって、欧米流の経済論や経営論の浸透の中でもやに霞んだ状態となっている。いわばわたしたちの生活世界にとっては外在的なものになってしまったものが、あたかも歴史の主流のようにおそらく国家形成以降君臨してきていることになる。それらの外在的なものは、人間の無意識の本流が生み出してしまったものには違いないが、いったん共同性に転化されたらある価値創造の威力を持ちつつもそこが仮象の人倫のようにみずからの出所を消去して独り立ちしていくことができるということを意味している。しかし、現在のような高度消費社会では、商品に対する生活者大衆の意志を無視し得なくなってきている。同時に、業者間のきびしい競争にさらされている。あるいは、世界経済規模の競争にさらされている業種もある。この蟻地獄のような熾烈さの中で、会社の存在意義という無意識の起源性を繰り込んで、新たな会社を構想・構成していくことができるのだろうかという疑念は消えない。
会社というものが相互扶助性を持つということは、積極性としてみれば会社が社員を食い物にしないこと、むしろ社員の幸福(経済的、精神的に)のために存在するということである。現在のまなざしからではあるが、果てしない初源へ、このような組織の存在理由の起源にまでイメージを収束・展開させてみたら、会社という組織の存在意義は明らかであると思われる。しかし、日常の見聞きや新聞などの記事からすると、これは現在危うい状況にあると言える。圧力団体である経団連の前会長や現会長の言動を読むと相変わらずだねということ以外にない。わたしたちの繰り出す論理が、言葉の世界で自立的に増殖する自由度を持つ中で自らの固有の言葉の在所を裏切ることがありうるように、組織もまたその固有の在所を裏切る自由度と増殖性を持ってきている。いずれにおいても生活者大衆の歴史的な無言知の揺らぎの中に歴史の主流があると見なすなら、起源性は絶えず新たな形で包括されていくほかない。
私を含め「21」の創業メンバーは、広島県内の大手メガネチェーンの出身です。県内シェア六〇%を誇る、巨大かつ強力な会社です。
その会社の経験が、ときに見本となり、ときには反面教師となり、いまの「21」に影響しています。
私たちが辞めた当時、その会社では年間約一〇億円の利益を上げていました。
すると、おおよそ五億円が税金で持っていかれます。典型的な同族会社でしたから、残りのうち三億円が同族の取り分で、一億円が社長の収入となります。(おおよその計算です)。
すると、残りはたった一億円です。これが社員に配られていました。(株式保有率三〇%の社員株主に対する配当も、このなかから配られるわけです)。社員株主としては、納得のいかない配分方法です。
あまりに不公平な配分方法も気になりますが、税金として引かれている額(利益の約半分)も無視できません。
新たに「21」を創業した私たちは、税金の取り分と同族・社長の取り分を減らす方法を徹底的に考えました。
強大・強力な企業と戦うのですから、まともなやり方をしても太刀打ちできません。そんな切迫した状況のなかで、儲けた分はとにかく社員に配ってしまうという仕組みが誕生しました(社員に配り、会社にお金を残さなければ、法人税をぐっと抑えることができます)。
私たちのやり方なら、一〇億円の利益を上げなくても、うまくいけば二億円でも勝負はできます。それどころか、社員の収入は二倍になるという構想を練りました。
会社に内部留保をしなければ、法人所得税の五五%がなくなり、個人所得税を二〇%払っても、社員の収入はグッと増えます。(P19-P21)
この会社は、大手との激しい競争の中で生き残りをかけて、日々活動していく中から構想され現実化されてきている。その生き残るための構想は、前居た会社の前社長から学んだことを踏まえて現在の主流の会社の組織構成や経営とは一線を画す方向に形作られている。本書には、「人の意見・主張を否定せず、とりあえず受け入れるのが平本流のやり方」という著者の目から眺められた会社の様子がもっと微細に描かれているが、本書の中から、この会社のイメージを構成する上で大切だと思うことがらを箇条書きに取り出してみる。
会社に内部留保をしない。社員に内部留保する。つまり、社員がすべて出資する究極の直接金融。自分たちでお金を出して、自分たちの会社を経営し、自分たちの職場を確保する。
高額賞与は退職金の前払い。
儲かった分を社員で山分けして、それでも余ったら値引きという形で客に還元する。
「21」にとって、一番大切なのは社員の幸せです。「社員を幸せにするためにはどうするか」を何より優先して考える。
同一労働・同一賃金。
すべての情報を公開する。
部長、課長などの役職はない。フラットな組織になっている。あくまで対外的な意味で社長という役職は残しているが、社内的には仕事内容は他の社員と同じ。任期は四年。人事、総務、経理などの専属部署もない。
重要事項に限らず、何か提案があるときはすべて社内ウェブを使う。提案された内容に対して、反対する人が誰もいなければ即決定という仕組み。社内ウェブは、賛成意見は書き込まず、反対だけを書くというルールの上に成り立つ。「黙認は賛成とみなす」という考え。
ノルマや目標はない。社内の競争は効率ダウンにつながる。
「ミスを許さない」という姿勢が隠蔽体質をつくる。ミスは許すが、隠さない。
ギブアップ宣言という制度。「もうこれ以上、○○さんとは一緒に仕事ができません」と宣言することが認められている。それによって、本人(あるいは相手)が異動になり、別々の職場で働くことが可能になる。
会社のすべての仕組みが巧妙かつ、有機的につながっている。
社員相互の関係は、垂直的ではなく、フラットな水平的な関係で、社員全員による共同経営的な会社の構成になっている。また、「社内ウェブ」などの現在の技術力の成果もその会社の構成を助けている。社員の個々の労働の発現が、自分に十分に還流してくるような会社の構成になっているから、会社は社員の労働意欲と活動に支えられ、社員はそれに見合って会社に支えられている。日々、生起してくる様々な問題の中で、繰り出される様々な方策は、社員の経済的かつ精神的な幸福を第一義とするという流れから出ている。平本清は、自分たちはこういうふうに会社を作ってくるほかなかったと言っているように見えるが、この試みは現在を超出する、すぐれた試みのひとつとしてわたしたちの前に投げ出されている。共同性における人間の振る舞いというものを踏まえ、それに柔軟に対処してきている、現在における新たな会社の思想であると呼べると思う。そして、それは会社の起源性を包括したものになっている。