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回覧板

ひとり考え続けていることを公開しています。また、文学的な作品もあります。

新たなイメージの織り上げ方のために(2012年6月)

2014年08月21日 | 回覧板
 会社の存在意義については、今までに触れたことがあるから、もう書き記す必要はないと思われたが、『会社にお金を残さない!』 (平本清 大和書房 2009年)に出会った。管理職もない、ノルマも目標もない、社内競争もない、など現在の会社組織に蔓延しているものの「否定の否定」というより「横超」と言ったほうがしっくりくる感じがする。現在においてこんな会社があり得るのかという驚きから再び取り上げてみる。

 平本清もその会社の一員である株式会社21(トゥーワン)は、そのホームページ(http://www.two-one.co.jp/a21/)の記載によると、設立1986年、現在、関東以西127店舗を構え、メガネ・コンタクトレンズの小売、光学品・補聴器などの販売を事業内容としている。この会社は、現在の会社の競争や効率やノルマなどによる利益至上主義、しかもその利益は社員に十分に還元されないなどの本流からすれば傍流に当たる。 この会社も業者間の競争などの現在にさらされているわけであるが、会社の存在意義と会社の構成の仕方からすれば無意識の本流に当たると言うことができる。

 もともと会社の前身は、柳田国男の発掘した相互扶助的な農村の協働組織にあった。もちろん、共同性における人間性の傾向性にもあるように、人々が協働組織を構成していく中でその相互扶助を逸脱する部分も内在していたと思われる。ちょうど、現在に至る歴史の主流のように。あるいは、現在の会社組織の主流のように。あるいはまた、現在の行政や国家組織のように。現在では会社には、相互扶助に加えて、雇用や社会的支援など社会に貢献するという社会的存在意義も加わってきている。しかし、それらは会社存在の歴史的な無意識としてしか存立し得てないのであって、欧米流の経済論や経営論の浸透の中でもやに霞んだ状態となっている。いわばわたしたちの生活世界にとっては外在的なものになってしまったものが、あたかも歴史の主流のようにおそらく国家形成以降君臨してきていることになる。それらの外在的なものは、人間の無意識の本流が生み出してしまったものには違いないが、いったん共同性に転化されたらある価値創造の威力を持ちつつもそこが仮象の人倫のようにみずからの出所を消去して独り立ちしていくことができるということを意味している。しかし、現在のような高度消費社会では、商品に対する生活者大衆の意志を無視し得なくなってきている。同時に、業者間のきびしい競争にさらされている。あるいは、世界経済規模の競争にさらされている業種もある。この蟻地獄のような熾烈さの中で、会社の存在意義という無意識の起源性を繰り込んで、新たな会社を構想・構成していくことができるのだろうかという疑念は消えない。

 会社というものが相互扶助性を持つということは、積極性としてみれば会社が社員を食い物にしないこと、むしろ社員の幸福(経済的、精神的に)のために存在するということである。現在のまなざしからではあるが、果てしない初源へ、このような組織の存在理由の起源にまでイメージを収束・展開させてみたら、会社という組織の存在意義は明らかであると思われる。しかし、日常の見聞きや新聞などの記事からすると、これは現在危うい状況にあると言える。圧力団体である経団連の前会長や現会長の言動を読むと相変わらずだねということ以外にない。わたしたちの繰り出す論理が、言葉の世界で自立的に増殖する自由度を持つ中で自らの固有の言葉の在所を裏切ることがありうるように、組織もまたその固有の在所を裏切る自由度と増殖性を持ってきている。いずれにおいても生活者大衆の歴史的な無言知の揺らぎの中に歴史の主流があると見なすなら、起源性は絶えず新たな形で包括されていくほかない。


 私を含め「21」の創業メンバーは、広島県内の大手メガネチェーンの出身です。県内シェア六〇%を誇る、巨大かつ強力な会社です。
 その会社の経験が、ときに見本となり、ときには反面教師となり、いまの「21」に影響しています。
 私たちが辞めた当時、その会社では年間約一〇億円の利益を上げていました。
 すると、おおよそ五億円が税金で持っていかれます。典型的な同族会社でしたから、残りのうち三億円が同族の取り分で、一億円が社長の収入となります。(おおよその計算です)。
 すると、残りはたった一億円です。これが社員に配られていました。(株式保有率三〇%の社員株主に対する配当も、このなかから配られるわけです)。社員株主としては、納得のいかない配分方法です。
 あまりに不公平な配分方法も気になりますが、税金として引かれている額(利益の約半分)も無視できません。
 新たに「21」を創業した私たちは、税金の取り分と同族・社長の取り分を減らす方法を徹底的に考えました。
 強大・強力な企業と戦うのですから、まともなやり方をしても太刀打ちできません。そんな切迫した状況のなかで、儲けた分はとにかく社員に配ってしまうという仕組みが誕生しました(社員に配り、会社にお金を残さなければ、法人税をぐっと抑えることができます)。
 私たちのやり方なら、一〇億円の利益を上げなくても、うまくいけば二億円でも勝負はできます。それどころか、社員の収入は二倍になるという構想を練りました。
 会社に内部留保をしなければ、法人所得税の五五%がなくなり、個人所得税を二〇%払っても、社員の収入はグッと増えます。(P19-P21)


 この会社は、大手との激しい競争の中で生き残りをかけて、日々活動していく中から構想され現実化されてきている。その生き残るための構想は、前居た会社の前社長から学んだことを踏まえて現在の主流の会社の組織構成や経営とは一線を画す方向に形作られている。本書には、「人の意見・主張を否定せず、とりあえず受け入れるのが平本流のやり方」という著者の目から眺められた会社の様子がもっと微細に描かれているが、本書の中から、この会社のイメージを構成する上で大切だと思うことがらを箇条書きに取り出してみる。


 会社に内部留保をしない。社員に内部留保する。つまり、社員がすべて出資する究極の直接金融。自分たちでお金を出して、自分たちの会社を経営し、自分たちの職場を確保する。

 高額賞与は退職金の前払い。

 儲かった分を社員で山分けして、それでも余ったら値引きという形で客に還元する。

 「21」にとって、一番大切なのは社員の幸せです。「社員を幸せにするためにはどうするか」を何より優先して考える。

 同一労働・同一賃金。

 すべての情報を公開する。

 部長、課長などの役職はない。フラットな組織になっている。あくまで対外的な意味で社長という役職は残しているが、社内的には仕事内容は他の社員と同じ。任期は四年。人事、総務、経理などの専属部署もない。

 重要事項に限らず、何か提案があるときはすべて社内ウェブを使う。提案された内容に対して、反対する人が誰もいなければ即決定という仕組み。社内ウェブは、賛成意見は書き込まず、反対だけを書くというルールの上に成り立つ。「黙認は賛成とみなす」という考え。

 ノルマや目標はない。社内の競争は効率ダウンにつながる。

 「ミスを許さない」という姿勢が隠蔽体質をつくる。ミスは許すが、隠さない。

 ギブアップ宣言という制度。「もうこれ以上、○○さんとは一緒に仕事ができません」と宣言することが認められている。それによって、本人(あるいは相手)が異動になり、別々の職場で働くことが可能になる。

 会社のすべての仕組みが巧妙かつ、有機的につながっている。


 社員相互の関係は、垂直的ではなく、フラットな水平的な関係で、社員全員による共同経営的な会社の構成になっている。また、「社内ウェブ」などの現在の技術力の成果もその会社の構成を助けている。社員の個々の労働の発現が、自分に十分に還流してくるような会社の構成になっているから、会社は社員の労働意欲と活動に支えられ、社員はそれに見合って会社に支えられている。日々、生起してくる様々な問題の中で、繰り出される様々な方策は、社員の経済的かつ精神的な幸福を第一義とするという流れから出ている。平本清は、自分たちはこういうふうに会社を作ってくるほかなかったと言っているように見えるが、この試みは現在を超出する、すぐれた試みのひとつとしてわたしたちの前に投げ出されている。共同性における人間の振る舞いというものを踏まえ、それに柔軟に対処してきている、現在における新たな会社の思想であると呼べると思う。そして、それは会社の起源性を包括したものになっている。
                               














経済ということ(2012年2月)

2014年08月19日 | 回覧板
 経済というとなんとなくわたしたち生活者には縁遠いという気持ちになるが、日々の生活が経済という領域と関わっているのは確かである。わたしたちの日常生活に関わる物の値段や給与などについては関心が深いが、国内の経済的な動向や世界経済の動向については、縁遠いと言える。現在では、物や人やお金の流れは世界大に拡張され、正しく世界交通、世界経済と呼ぶにふさわしい段階に到っている。ギリシアの経済破綻が渦流をなし世界経済に大きな影響を与えている。したがって、経済活動を俯瞰的に見る場合には、それぞれの国民経済だけでなく、連動する世界経済の動向も考慮に入れなくてはならない状況になってきている。しかし、もちろん、これはわたしの任ではない。

 内田樹がブログの文章(「雇用と競争について」2011年10月20日)で、『日本は悪くない 悪いのはアメリカだ』 (下村治 文春文庫 2009年)を取り上げていたので、読んでみた。本書は、日本が貿易黒字をアメリカから追及されていた時期の、日米の経済関係に焦点を当てて書かれている。そしてアメリカ経済の多国籍企業群の考え方に影響された経済運営のまずさやアメリカが世界経済そのものとして立ち現れようとする状況を批判的に分析して見せている。さらに、財政赤字を抱えるアメリカ経済への処方箋も提言している。また、貿易黒字対策をアメリカに迫られて、アメリカのよいしょをする日本の経済人の言葉も批判的に取り上げられている。現在でも依然としてそのようなどこかによいしょをする連中が俯瞰的な経済世界の主流を形成している。


 どのような分野でもそうかも知れないが、物事が発展し、複雑になるといつの間にか基本的なことを忘れてしまいがちである。日米摩擦など最近の経済摩擦をみると、つくづくそう思う。
 まるで初歩的な質問だが、一体、経済とは何であろうか。何のために存在するのか。経済活動は何のためにあるのか。
 さらに問題を個人ベースに置き換えて、人は何のために働くのか。何のために会社へ行ったり、工場で汗水たらしたり、田や畑を耕すのか。
 言うまでもない。生きるためである。
 もちろん、ひと口に生きるといっても、単に肉体的生命を維持するという段階から高次な価値を実現するという段階まで、その意味は広い。しかし、いずれにしても人間は、仕事を通じてカネを手にいれなければ、一粒の御飯とて食べられず、したがって生きることは不可能だ。
  (『日本は悪くない 悪いのはアメリカだ』P92-P93
    下村治 文春文庫 2009年)

 国民経済とは何であるか、人々が経済によって生きて行くためにはどういう条件が必要であるか、という問題が分からなくなっている。目に見えないのである。
 では、本当の意味での国民経済とは何であろうか。それは、日本で言うと、この日本列島で生活している一億二千万人が、どうやって食べどうやって生きて行くかという問題である。この一億二千万人は日本列島で生活するという運命から逃れることはできない。そういう前提で生きている。中には外国に脱出する者があっても、それは例外的である。全員がこの四つの島で生涯を過ごす運命にある。
 その一億二千万人が、どうやって雇用を確保し、所得水準を上げ、生活の安定を享受するか、これが国民経済である。
 もちろん、日本は日本でそういう努力を重ねるが、他の国は他の国でそういう努力をする。そこでいろんな摩擦が起きるのは当然なことである。それをなんとか調整しながらやっていくのが国際経済なのである。
  (同上 P95)

 非常に簡単、かつ明瞭なことだが、世界中の国がそれぞれ節度ある経済運営をすれば、世界経済は安定する。世界経済といえばいかにも大げさに聞こえ、複雑に思われがちだが、これは各国経済の単なる連鎖にすぎない。したがって、どこかの国が異常な経済運営をすれば、世界経済にそのまま反映して、世界経済そのものが不安定になる。
 ただ、それだけのことである。
  (同上 P116)


 わかりやすい、俯瞰的な経済世界の像になっている。とりあえず、素人のわたしには役に立つ像である。明治生まれの下村治は、経済官僚出身で、高度経済成長期のブレーンも努めていたらしいが、経済活動というものの根底にある、この大多数の人々の幸福というイメージは、本来なら経済運営を担当する層の基本イメージであるべきなのに、現在では希少価値になってしまっている。

 官僚出身の柳田国男が、たぶん血縁的な結合に始まる相互扶助的な「親方子方」という農村の労働組織(その組織性は、商や武家の組織にも取り入れられていく)の存在に照明を当てたのも、その動機にはそのような基本イメージが内包されていたと思われる。

 政治も経済も、いかに占有や権力をまといつかせてしまっていても、人類の歴史の累積から照射させれば、この人間界で生きる大多数の人々の幸福というイメージは必須のものである。それに触れない、それを繰り込んでいない、経済論や政治論は塵芥(ちりあくた)というほかない。
                       









回覧板 ②

2014年08月17日 | 回覧板
 わたしは、六十代になったばかりの住民です。インターネットで一枚の画像を開くのに数分もじっと待っていなくてはならなかった頃以前から、二十数年にわたってパソコンやインターネットには馴染んできています。
 
 そこから眺めると、最近の電子網の高度化や多様化はめざましいものがあります。わたしは、最近のSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)は必要を感じていなかったので利用していません。今回の回覧板をたくさんの人々に読んでもらいたくて、mixi(ミクシィ)に加入しようとしたら、「※mixiをご利用になる場合、携帯電話番号の登録が必要です。」とありました。わたしは、これまた必要を感じていないのでケイタイを持っていません。電子網や電子機器の利用の仕方からすれば、わたしは旧世代に相当します。別にそのことに不満はありません。ただ、わたしの場所からこの列島の住民の方々につながりをつけ回覧したいと思った場合、例えてみれば手足がもつれてうまく走れない、というような自分に対する印象があります。

 願わくば、若い世代の人々が、わたしよりもっと柔軟な言葉やスムーズな走行でやってもらえたらなあ、と思います。 (2014.8.17)

日々の感想(2014年1月)

2014年08月16日 | 回覧板
 またしても靖国神社参拝問題が問題化している。わたしは靖国神社のことはよく知らないし、また興味もない。そして、戦争の本質的な意味はそこにはない。戦争の本質的な意味は、戦争による多数の大衆的な死と苦渋の内に戦後を歩んできた戦争世代の沈黙の中に仕舞い込まれていると言うことができる。

 柳田国男によれば、現在の石塔などを建てる墓地以前には死者はある一定の場所に野ざらしのようにしていたようである。この現在の墓地の形式は、死者を遇する仕方として受け継がれてきている。そして、わたしもまた、その慣習をある程度自然なものとして受け入れている。わたしがもの心ついた頃には同居していた父方の祖父は亡くなっていたが、その祖父母や両親が埋葬されているわたしの家の墓は、近くの高台にあり、お盆などに墓参りに行くくらいである。身近な死者は、わたしたちが折に触れて想起するものであり、また、生理的かつ心的に或る関わりの時間性として血肉化されていると言えるかもしれない。しかし、それらをかたち成すものとして現在に到る墓地の形式を慣習として生み出したということは、人々の無意識的な死生観が促したものであろう。

 個や家族を超えた世界でも、墓地と同じように様々な祈念碑から原爆碑や靖国神社の慰霊碑などが存在する。そのことにとやかく言うつもりはない。しかし、これらは共同の意志の具現化とも言うべきもので、家族の墓地とは違って、政治的な回路に接続される可能性を絶えず内包している。わたしは敗戦後に生まれ育っているから戦争の具体性や現実は知らない。したがって、戦時下に生きた人々や死者たちに関しては、一般の大多数の大衆が好き好んで戦争に出かけるわけはないだろうから、主に言葉を通してその内面に仕舞い込まれた下降していく願望や意志を共同の意志として想起するほかにない。

 そして、その仕舞い込まれたものの抽出される共同の意志とも言うべきものは、本質的には靖国神社などではなく、形あるものとして、しかも未来性を持つものとして想起するならば、憲法九条以外にはあり得ない。依然として国家間や国家内の紛争の解決として戦争を避けることができない現状で、アメリカ占領軍の意志が加わっていたとしても戦争による死者たちによって促された条項と受け止めるべきである。そして、それをたんなる飾餅のように見なすことなく現実化されるべきものとして生かしていくことが遠くなってしまった戦争の負の遺産の内面化に当たると思われる。

 相変わらず世界は、国家の内部対立や外部との対立において戦争という形を回避できない状況が続いている。住民大衆の上向する意志は戦争に加担した、あるいは加担せざるを得なかったとしても、その意志を分離してみれば、住民大衆の生活世界に下降する願望や意志は、戦争とは無縁であると思われる。戦争から遠く歩んできた現在において、中国や韓国など、そしてわが国の現政権も、戦争の歴史を話題化することを止めない。未だ戦争世代が生きてあるはずだから、中国や韓国などが言いつのることが政治的な駆け引き以外の部分があるとすれば、戦争は長きに渡って大きな禍根を残すということを意味するだろう。そして、そのことは加害国内、被害国内に関わらず言えることである。

 人類の初源における隣の集落とのいさかいや戦争から大規模な内戦をたどり、そして近代の国家間の戦争を経て、世界がグローバル化して経済・政治として相互に関わり合うほかない現状となり、先の大戦のような大規模な国家間戦争というものがほぼ不可能になってしまった現在があるということ。こうした人類史の時間の旅程に思い至れば、自ずと政治を担当する者の採るべき道筋が見えてくるはずだ。そのことは、加害国、被害国に関わらず、遠く消え去りつつある戦争、更には人類史的な規模の戦争という負の遺産の積極的な内面化と内省でもあるはずだ。

会社についてのメモ(2011年8月)

2014年08月16日 | 回覧板
 会社と言っても、様々である。「食品偽装」を行なう会社もあれば、今大衆的規模でもっとも切実な食品の「放射能汚染」に対して無自覚であったり政府任せの会社もある。利潤追求と効率第一の会社もある。一方、ここはすごいなという会社もある。クロネコヤマトの新聞広告について4月にひと言書いたが、その関わりから、クロネコヤマトの宅急便で知られる、ヤマト運輸の経営者であった小倉昌男の『経営学』を読んだ。本書は、そのようなすぐれた会社活動の報告書になっている。現在の会社という社会組織は、近代的な欧米の波をかぶりつつも当然ながらこの列島の歴史性を負った組織である。小倉昌男の会社活動を読むと、その最良の部分を内包していると思われる。 


 企業が永続するためには、人間に人格があるように、企業に優れた"社格"がなければならない。人格者に人徳があるように、会社にも"社徳"が必要なのである。
 企業の目的は営利であり、利益が出ている会社が良い会社であり、儲からない赤字の会社は、いくら良い商品を作り、優れたサービスを提供しても、良くない会社だ、という考え方の人もいると思う。要するに企業の存在価値は利潤を生み出すことにある、と割り切るわけだが、はたしてそれが正しい考えなのであろうか。
 私はそうは思わない。企業の目的は、永続することだと思うのである。永続するためには、利益が出ていなければならない。つまり利益は、手段であり、また企業活動の結果である。
 企業は社会的な存在である。土地や機械といった資本を有効に稼動させ、財やサービスを地域社会に提供して、国民の生活を保持する役目を担っている。さらに雇用の機会を地域に与えることによって、住民の生活を支えている。企業は永続的に活動を続けることが必要であり、そのために利益を必要としているのである。
 (『経営学』P288-P289 小倉昌男 日経BP社 1999年)


 たぶん、現在の企業活動の主流は、「企業の存在価値は利潤を生み出すこと」に置いており、そのための効率的な組織性を発揮しているのかもしれない。つまり、会社内や会社外の人の顔は抽象化されてしまっている。企業の社会貢献などどこの会社も掲げていると思われるが、それらは単なる飾りであることが多い。もちろん、そのような会社であっても、無意識裡には社会性をある度合いで果たしていると言うことはできる。一方、小倉昌男の「永続性」という企業理念は、彼らの企業実践で培われた肉体性を持った言葉であり、人の顔に対して開かれているように感受される。「永続」が第一義とは、会社活動によって、従業員や住民を支えるということであり、そこから「利益」ということも呼び込まれていく。

 現在の会社というものが、近代に導入された西欧起源の会社組織であるとしても、それは近世からの商の組織と張り合わされてきたものと思われる。つまり、組織原理は西欧の契約原理を模倣していても、商の慣習としてや会社内の慣習や会社活動としては近世以来の商の連続性を内包してきたものと思われる。 岩井克人が日本の会社組織の歴史性について述べている。


 ここで面白いのは、家の「当主」という言葉です。ヨーロッパや朝鮮や中国の家族制度では、家族の長は、家族の資産の所有者であることによって、まさに支配者として君臨しています。ところが、日本の「当主」とは、まさに言葉通り、当座の主人でしかないのです。たとえ三井総本家の当主であっても、「家」の支配者という色彩は薄い。むしろ、個々の人間を超越した存在である「家」を末代まで永続させていくことを目的とした、筆頭管理者という色彩が濃いのです。資本家というよりは、法人の代表機関としての経営者に近い役割をはたしていたと考えたほうがよいのです。
 その意味で、江戸時代における商家のあり方と、戦前の財閥グループのあり方と、戦後の会社グループのあり方とのあいだには、共通性があるというわけです。それは、江戸時代の商家も資本主義的な会社も、日本の場合は、たんなるヒトの集合であるのではなく、それぞれ「家」や「会社」として、あたかもそれ自体がヒトとしての主体性をもっているかのように存在していたということです。すなわち、法人名目説的ではなく、法人実在説的な存在であったということなのです。
 たしかに第二次大戦直後におこなわれたアメリカの占領軍による財閥解体は、戦前の日本資本主義を一瞬のうちに崩壊させたかもしれません。だが、それはその後に現れる資本主義の形態、とくに会社組織のあり方までは、決定することはできなかったのです。戦争の廃墟のなかから、ふたたび会社という組織を作り直していくときに、江戸時代の商家のあり方を規定し、戦前における財閥のあり方にも影響をあたえた、あの「家」という組織文法が強力に作用したのだと思います。結果として、戦後の日本の会社システムは、アメリカの民主化政策の当初の意図に反して、まさに日本型としかいいようのない形態のものになってしまったということなのです。
 (『会社はこれからどうなるのか』P215-P216
         岩井克人 平凡社ライブラリー 2009年)


 このような日本的な歴史性を内包した会社組織も、現在の欧米の経済学や企業思想の新たな波をかぶり解体的な乾いた様相を呈しているように見える。「中流社会」を解体した現下の荒れ果てた社会状況は、背景には欧米化の浸透と欧米追随があるのだろうが、主流は、自前の「経営哲学」を放棄し、会社活動というものが利潤第一や効率化となってしまって、人の顔を見失い、その社会的な存在の意義を後景に追いやってしまっている。

 日本の会社の特徴、会社の存在意義を近世よりさらに遡さかのぼるとどういった光景が現れるだろうか。
 柳田国男は、「オヤ」と「コ」という言葉の多義性に注目する。たぶん、たくさんの資料を収集し、吟味してきたものと思われる。


 親という漢字をもって代表させているけれども、日本のオヤは以前は今よりもずっと広い内容をもち、これに対してコという語も、また決して児または子だけに限られていなかったように思う。……中略……
 オヤとコとの内容が本来はもっと広かったらしい証拠は文献の上にも見られる。父母を特にウミノオヤといい、その所生の子女をウミノコといった例はいたって多く、単にオヤといいまたコとのみいえば、それ以外のものを含む場合が決して少なくないのである。『万葉集』などの用い方は人がよく知っている。ある時にはわが思う女をコと呼び、また時としては兵士をもいざコドモと喚びかけている。沖縄の神歌にコロというのも兵卒であったり、人民のことであったりする。決して家々の幼な児には限らぬのである。文章以外の国語には、今でも特に小児を意味するアカゴ・オボコの類が多く、一方にはまた個々の労働者を、セコだのヤマコだの、アゴだのカコだのハマゴなどと、コと呼んでいる語が無数にある。そうしてその頭に立つ者がオヤカタなのである。
 第二の痕跡としては現在の日用語で、弘く親類をオヤコという土地が、ちょっと方言ともいえないほど多いことである。
  (『柳田國男全集12』「親方子方」昭和12年 P499-P500)


 ここから、村落社会における「オヤコが一つの共同労働団」という像を浮上させていく。


 親方が最初から吉凶歳時の往訪や、贈遺交換など繁瑣はんさにするためだけに、設けられたものでないことはこの言葉の用法からでもわかる。我々のよく使う普通のオヤカタは、職人の頭のことだけれども、江戸期の文献によれば商家の主人も、手代・丁稚等の親方であり、武家でも奉公人は失礼でなしに、抱え主を親方と呼んでいる。東北では地主の大きいのも親方であるとともに、農家の亭主を雇人がそういい、さらに全国にわたって総領の兄を、親方といっている例はいっばいである。嫡子が一家の農作業を、指揮する権能を付与せられていた結果と考えられる。オヤコが一つの共同労働団でなかったら、親を認める必要はもと起らなかったのである。一つの場合はカイナリオヤ、すなわち人為の親の最も自然に近いものにシュウトオヤがある。この語の本来の意味はまだ誰も考えておらぬようだが、あまねく地方の語を調べて比較してみたら、おそらくこれが労働から出た名であることが判るであろう。現在は信濃の下水内郡(しもみのち)などに、舅をシゴトジッサ、姑をシゴトバアサという例がある。すなわち聟はその家から働く女をつれて行く代りに、この縁によって妻の家の労働の、一部分を負担していた名残かも知れぬのである。近世は家々の生産が孤立し、オヤコの間にも協力の機会は少なくなったが、それでも家作りとか山伐りとか、その他臨時の大作業だけには、出て行って大きな手助けをしている。個人の知能が今少し低かった時代には、中心に一人の「敬うべき者」の存在を、必要としたことは疑いがなく、それがまた武家としての軍隊編制の、日頃からの練習ともなっていたかと思う。家の分裂ということは少なくとも農業山村にとっては、いたって近代の変化に他ならなかった。しかもそういう再合同をせずとも、各自が自立して行かれる多くの条件が具わって、人はただ経済以外の目途のためだけに、主として今までの団結感の、ある部分だけを保存しようとしたかと思われる。死んで墓場に行くときの伴の数、もしくは年に何度という身祝いの日に、同じ飲みもの食いものを共にする者が、多い少ないなどは何でもないことのようだが、我々はただこの無形の満足のためにも、自ら所望していろいろの親方となり、たくさんの子分契約子を集めるのに努力した。だからこれがもし社会上の地位を築き、政治の力を養うに便だとわかると、次にさらにいかようの種類の親方制度を発明するか知れたものでない。日本がまだ純乎(じゅんこ)たる個人主義の国に、なり切っていないということはこれで明らかになった。この上は弊害を警戒してそれが悪者によって濫用せられるを防ぐべきである。前車の覆轍(ふくてつ)はすでに眼前に横たわっている。博徒の子分は理非を弁(わきま)えずに、ひたすらに親方の指揮に服従する。それがあるゆえにこの古来の慣行を、けしからぬものだと断定するは過ぎている。
  (同上 P524-P526)


 このオヤ―コの労働組織は、村落の「共同労働団」にかぎらず、商家や武家ややくざ世界などあらゆる世界に貫徹していたように見える。柳田国男が述べているが、商の世界は多く農村出身者から構成されている。支配的な政治・文化層を別にすれば、長らく農村社会が中心だったから、そこがあらゆる母体になっていたものと想像される。つまり、その組織原理はそこから分化し発展を遂げていったものと思われる。また、村落のオヤ―コの労働組織は、婚姻や年中行事など他の様々なものと関連し合っていたはずである。むろん、その組織構成の問題点も抱えていたはずであるが、少なくとも村落社会の生活の促す知恵として編み出されてきたものであるということは確かなことである。そして、そこには相互扶助も内包されていた。

 わたしの直感に過ぎないが、この組織性は、原発を巡る「原子力村」や他の公共事業を巡る、外に対してはがむしゃらな攻撃性と内閉性を併せ持つ組織原理にまで残留しているように見える。内側では、たぶん和気藹々(わきあいあい)の情緒性を持っているのだろう。

註.
『ほぼ日イトイ新聞』に「クロネコヤマトのDNA」①~⑫の
記事あり。2011-08-17~09-01)







回覧板① わたしは、目下ひとりたたかっています―昼寝のすすめ

2014年08月14日 | 回覧板

 わたしは、新たな社会状況になっても未だ存在している右とか左にも関わりなく、また、いろんな社会運動とも無縁に生きてきた、おそらく普通のこの列島の住民の一人です。一方で、日々のあわいに、いま・ここに生きる自分を照らすためにもこの列島の住民が遠い果てからどのような歩みをなしてきたのか、ということに深い関心を持ち、考え続けてもいます。吉本さんの「消費資本主義社会」の分析を何度か読んでいたことをきっかけに、最近ふと思いついて、考え実行していることを書いてみます。

 戦争による無数の死者たちの存在や敗戦後の大多数のこの列島の住民の戦争に対する内省などからくる無意識的な意志を、制定の経緯がどうであれ、汲み上げかたち成した憲法9条の非戦の意志が、しだいにひびが入り、さらに現政権の巧妙にすり抜けようとする「集団的自衛権」という無思慮と横暴によって本格的に無に帰す事態に当面しています。このことは敗戦後のこの列島の住民の歩みの総否定に当たると思います。また、経済や教育などに対する施策も古びた亡霊のような観念を拠り所に、社会にくさびを入れようとしています。これは、逆から言うと、戦争期は遠い時代になってしまいましたが、政治層もわたしたち一般住民も戦争の内省から戦争はいやだという気分的なものではない、自覚的な意志の形成をなし得なかったということになります。わたしたちの生活世界の理想は、平凡につつましくゆったりと生活することにあると思っています。これ以外に大切なことはありません。現在の政治の動向は、そういう理想を大きく揺さぶるものであり、見過ごしたり、聞き流したりできるような事態だとは思えません。

 敗戦後の経済に力を注いできた歩みは、現在のような割と豊かな社会をもたらし、消費中心の電子網で結びつけられた高度な社会を築き上げました。インターネットを含む電子網の普及は、世界の距離感を縮め、現在の複雑で高度な社会があたかも王や天皇などが現れる以前の割と平等な集落レベルの世界を仮想的に現出させていると思われます。このことは、後に述べる吉本(吉本隆明)さんの現在の社会分析と併せると、人類の歴史は、遙かな昔から住民が巻きこまれる形で、あるいは積極的に加わる形で隣の集落とのいさかいから他国との戦争に至るまで幾多の戦争を経てきて、今なお戦争をくり返しているわけですが、わたしたち集落の住民の生活にとって不本意なことを集落の代表層が行おうとすれば拒否権を発動できるという可能性が転がり込んできていることを意味しています。もともと、集落の代表層は集落の住民の幸福のため存在するはずですが、世界中どこでも王や将軍などを生みだし、転倒された歴史をたどってきました。現在の政治や行政の有り様と同じく、太古においても単に住民の代表に過ぎない組織が恣意的な権力を行使する芽生えはあったはずです。この連綿と続いてきた負の組織性を人類が手放せない限り、わたしたち普通の住民の内省と意志表示は必須のものと思います。

 近代のすぐれた思想家である柳田国男は、集落に保存された習俗や言葉を中心にしてこの列島の住民の心性や住民たちの組織性の原理の古層を探り当てようとしました。例えば、この列島の至る所に互いに矛盾するような同じような伝説が存在するのはなぜかと問いを起こして、それは例えば小野小町伝説であれば、説話を持ち運んだ語りの者が自分が見た聞いた、あるいは小野小町になりきって語るなど一人称形式で語った、そのことから素朴な村々の聴衆は語り手と小野小町を同一化することになり、列島各地に同じような小野小町の塚や伝説が残されることになったと分析しています。その背景には、この列島の住民の次のような心性があったと述べています。


 我々の愛する里人は、終始変せず御名などには頓着なしに、尊き現人神(あらひとがみ)来たってこの民を助け恵みたもうと信じ、すなわちこれを疑う者を斥(しりぞ)け憎んで、ついにかくのごとき旧伝を固定したのである。それが大切なる村々の神道であった。そうしてまた多くの不可解なる伝説の根原であったように思う。
  (『史料としての伝説』 P325 柳田国男全集4 ちくま文庫)


 つまり、「御名などには頓着なしに」ということは、「尊き神」ならなんでもかまわず伝説としてくっつけてしまう。おそらくこれはこの列島の太古の住民が長い長い自然の猛威と慈愛の中で身に着けて来た自然に対する対処の心性が、人間界の関係においても同様に発動されてきたものと思われます。柳田国男はなつかしさと愛情を込めて描いていますが、これは生活世界のわたしたちが今なお引き継いでいるあなた任せの負の心性であると思います。生活世界のわたしたちが過剰に政治を遠ざけたり、過剰に政治にからめ取られたりすることはそこから来ているはずです。わたしたちこの列島の住民は、必要で大切な自己主張に依然としてあまり馴染んでいません。

 自分がおかしいと思うことが、わたしたちの生活世界を離れたところで成されています。しかも、それらはわたしたちの生活世界に跳ね返って来ます。遠いはじまりにおいて、行政的なものや宗教組織は本来は集落の問題を解決するものとしてあったろうと思われます。蜜に群がる蜂のような政党や政治家たちが多いように見える中で、わたしたちの意志を行使できる主要な手段は、間接的な不毛に感じられる選挙権しかありません。わたしもまた、あの負の心性に捕らわれそうになることがあります。

 ところで、今は亡き吉本さんがわたしたちへの無償のおくりもののように、必死で現在の社会を実験化学者の手付きで分析した言葉があります。


 つまり、収入に対して総支出が五〇%を超えている。それから総支出のうちで選んで使える消費、だから自由に使える消費です。つまり選んで使える消費はまた、今申し上げましたとおり、五一・一から六十四%の範囲内で、半分を超しています。これは消費社会、あるいは消費資本主義といってもいいのですが、消費資本主義の大きな特徴になるわけです。
 つまり、この二つの条件があれば、その社会は消費資本主義社会に突入しているといっていいと思います。そうすると、何はともあれ、消費のほう、特に選んで使える消費を含むと、自由度が入ってくるわけです。つまり、消費のほうに重点が移ってしまっている社会ということになります。
 私は全く極端なことを言いますけれども、今言いましたように、それぞれの給料によって五一%から六十四%の範囲内で選んで使える消費になっているわけですから、例えばそれを皆さんのほうで選んで使える消費だけ、半期なら半期、一年なら一年使わなければ、大体どんな政府もつぶれてしまうのではないでしょうか。つまりそれに耐えられないのではないでしょうか。半分以下の経済規模になってしまうわけですから、ちょっとそれに耐える政府は考えられない。ですから、そういう意味合いでは経済的なリコール権を潜在的には持っているというのは、消費資本主義社会に突入した、つまり世界の先進地域の資本主義はそこに突入してしまっていますから、それはいってみれば一般大衆の中に政府をリコールする権利が既に移ってしまっているということ。経済的にいえばもう移ってしまっているということを意味すると、私はそういうふうに主張しています。だから、あとは政治的なリコール権に書き換えればいいと私は思います。それが政治的課題だと思います。 (「現代(いま)という時代」1995年 P17-P18 『吉本隆明資料集135』)


 付け加えれば、国の行政組織もわたしたちの家計消費の重要性に触れています。現在は月毎の家計消費動向が発表されていますが、上から目線で大いに一喜一憂しているのではないかと思います。


● 経済社会活動の中で大きなウエイトを占める消費活動

経済社会活動の中で、消費活動は非常に大きなウエイトを占めています。消費者が支出する消費額の総額は、2011年度は279兆円で、経済全体(国内総生産(GDP)=470兆円)の約6割を占めています。消費者の消費活動は、我が国の経済社会全体に大きな影響を及ぼすことになります。したがって、経済の持続的な発展のためには、消費者が安心して消費活動を営める市場を構築することが重要です。
 (「消費者問題及び消費者政策に関する報告(2009~2011年度)」消費者庁ホームページより)



 柳田国男の民俗学という方法には、旧来の貴族や武家などの政治層中心の歴史観とは異質な、名も無き大多数の生活者の世界に錘鉛(すいえん)を下ろしその精神史を明らかにしようとした、この国の思想史においては画期的なものが秘められています。それはわたしたち万人に開かれた可能性を持っています。誰もが視線を巡らせることのない場所に視線を届かせた吉本さんの考察も、同じように万人に開かれた言葉だと思われます。流れてくるのは、相変わらず経済・政治など上から目線の、自分の場所に都合のいいような言説ばかりですが、何がわたしたちの生活の現在において本質的な問題であるか、この波風立つ世界で日々生活する自分を開いて、静かに思いめぐらすことが大切だと思っています。

 現在の社会は文明史的にもいろんな新たな事態をもたらしています。急速に普及してきているインターネットなどの電子網もそのひとつです。この電子網は、「東日本大震災」による被災住民の支援プロジェクトの形成にも活用されています。「ふんばろう東日本支援プロジェクト」代表である西條剛央さん及び多数のスタッフは、インターネットなどの電子網を活用することによって行政の支援とは異質な、小回りのきく、多数の支援者・被支援者とが関わり合う流れを形成しました。インターネットなどの電子網という仮想の世界を仲立ちとして現実的な多くの力を束ねることができたのだと思います。ネットにホームページも設けられています。
 (『人を助けるすんごい仕組み――ボランティア経験のない僕が、日本最大級の支援組織をどうつくったのか 』西條剛央 ダイヤモンド社 2012年)

 まず、わたしたちひとり一人が、この距離感が縮まって太古の集落レベルのような仮象を示す新しい社会の状況を認識し自覚することが大切だと思います。そこからひとり一人の社会や政治に対する批判という意味では無意識的な、生活防衛的な消費を控えるという消費行動は、自覚的な過程に入り込み、ひとり一人の力が手を重ねるように束ねられていけば巨きな力になり得るはずです。目下わたしは一人、実験に入り込みました。

 外に出かけて消費することなく家で昼寝していてわたしたちの意志を表現することができるなんて、なんと痛快なことだろう、と驚いています。まだこれはおそらく誰も意識的に実行したことがありませんから、ひとつの実験と言えるかもしれません。このあらたな社会の有り様に対応して、このわたしたちの経済的な力の行使には、旧来的な組織性、主催者や代表がいてそれに参加するなど、そういうことがここにおいては無用であり、この列島の住民が、ひとり一人外に出かけて消費することなく家でゆったりと昼寝していてわたしたちの意志を直接的に表現することができます。また職業や地位などまったく関わりなくこの列島の住民ひとり一人が平等に持てる力を発揮できます。

 目下わたしは、選択消費(娯楽費など)をできるだけ控えて半年か一年先に先送りしています。食費などの必需消費も以前にも増して意識的に抑えています。家計の状況は人それぞれでしょう。わたしもそんなに余裕はありません。しかし、使うお金が同額でも、無意識的な生活防衛の切り詰めとノウという自覚的な切り詰めとは大いに違います。

 吉本さんが指摘したように、GDPの過半を占める、このわたしたちの消費が、社会の経済的な心臓部にまちがいないと思われます。わたしたちの経済的な力の行使によって、負の「トリクルダウン」で、もちろんわたしたち生活者にも悪影響は下っては来るでしょう。しかし、わたしたちの日々の生活やそれを取り巻くものの有り様に対して、なにが本質的な理想であるかは、しっかり握りしめ、それを守るために意志表示をしていきたいものだと思います。わたしたちの代表に過ぎない政府が、こちらではなくあっち向いた経済政策や政治を行い、わたしたちの生活世界に害悪をもたらすような、その権力を恣意的に行使するのを、わたしたちがいつでもリコールする可能性を手にしているのですから。

 もしこの列島の一住民であるわたしが作った回覧板に賛同されたら、この回覧板を、あるいはこの回覧板に自分のコメントを付けて、あるいはまた、みなさんのもっとやさしい柔らかな言葉で新たに作られた回覧板を、お金は入ってくることはありませんがネズミ講のようにこの電子網を利用して回覧したらいいのではないかと思います。わたしたちの力を十分に束ねることができないとしても、わたしたちが知らない間に大きな経済的な力を持たされてしまったというこの社会の新たな事態を、現在のような政治・社会状況においては特に、この列島の住民ひとり一人が自覚することはとても大切なことだと思います。
 昼寝の夢の中で、この社会がもたらしたいろんな可能性を想像するのは楽しいことです。わたしにはそこまでの余裕や力量はありませんが、ネットに中継地を作って交流したりなどさまざまな自由な意志の表現が可能ではないかと考えます。それぞれがそれぞれのやり方で表現すればいいのだと思います。

                この列島の一住民より (2014.8.14)


 追記
 とりあえず、臨時のブログ「回覧板」( http://blog.goo.ne.jp/okdream01 )を開きました。そこに回覧板などを置きます。