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ひとり考え続けていることを公開しています。また、文学的な作品もあります。

表現の現在―ささいに見える問題から⑦

2015年11月28日 | 批評

 新聞の短歌欄も時々さらりと目を通すけど、以下に引用するような川柳の、記号を用いた目新しい表現には出会わない。おそらく川柳の方が、あんまりかしこまらないでカジュアルな意識で表現されているからではないだろうか。もちろん、その分普通誰もがそう思ったりするという通俗性に流される面もある。
 
 
①可愛いね→強くなったね→怖いです (「万能川柳」2015.3.12 毎日新聞)


②どの花に止・ま・ろ・う・か・な・と迷う蝶 (「同上」2015.9.2)


③彼の部屋ヌードポスターに〓(でべそ)書く (「同上」2015.10.31)


 註.〓(でべそ)の正しい表示は、○の中に×印の記号。
 
 
 これらの作品は、たぶん説明の必要はない、読者もぱっとわかるような作品だと思う。→や・やでべそ印という記号を駆使した表現である。

 ①は、通俗性に流されユーモラスに表現しているが、表現としてその通俗性を抜きん出ているのは、女性が成長し、変身していく過程の時間の経過を→で表現している所である。この→がなければ、大きな時間の経過が読者に十分に伝わらないような気がする。また、矢印の代わりに一字分の空白をそれぞれに入れるよりも時の経過がわかりやすい。
 
 ②は、①とちがって・の記号を取り去っても作品の意味としては変わらない。では、・の記号によって何が違ってくるのだろうか。・の記号がなくても、「迷う蝶」(蝶が迷うかどうかはわからないけれども、作者はここでそう捉えている)を追う作者の視線の動きは、言葉に込められている。しかし、・の記号を入れると、花から花をたどる蝶の動きが、よりゆったりとした時間的な動きとなり、より広がりのある空間性を読者に感じさせている。
 
 ③は、おそらく軽い嫉妬心のようなものから出た、ユーモラスな行動の表現である。その落書きが彼にわかった後の、二人のやりとりも連想させる作品になっている。ここでは、記号表現せずに単に「でべそ」という言葉でも変わりはないように見えるけど、記号表現の「でべそ」の方が、読者に与える視覚イメージとして言葉よりも強いし、また落書きした場面の描写をより具体的なイメージとして表現できていると思われる。
 
 川柳といっても、気楽なことを気楽に表現しているわけではない。気楽な心の状態の表現であっても、このように作者たちはいろんな表現上の実験や工夫を日々やっているはずである。作者たちの、日常の中の気づきや思うことや考えたことなどを、言葉に表現していく場合、できるだけ開放的にのびのびと表現するには、現実世界の仕事など様々なことと同様に、その小さな表現の世界でのそれ相応の格闘や修練が日々行われていなくてはならない。


森田真生『数学する身体』から

2015年11月26日 | 批評

 高校生の頃わたしは、若くして決闘に倒れた、数学者ガロアの生涯を読んだことがある。他にもよくわからないなりに自然科学の本を多く読んでいた。原子物理に興味があったけれども、大学は日本文学に進んでしまった。だから、わたしの場合は文系とか理系という仕切りや意識はない。わたしの視野には、人間や人類が生み出したものということで、領域や分野がちがっても自然科学も文学も同一の地平に置かれている。もちろん、音楽や美術など興味はあるけど苦手とする分野もある。
 
 森田真生『数学する身体』を読んだ。数式や記号は使わず素人にも割とわかりやすい。一言で言えないことを一言で言うと、本書は数学の歴史的な現在の頂からの、数学の内省の書。数学という行為や世界を、数学としてのヨーロッパや数学としてのアジアを超えて、太古(アフリカ的な段階)のレベルから現在を照射している。つまり、数学という行為や数学という世界の〈起源〉に横たわる問題の現在的な意味を問うていると言い換えてもいい。
 
 触れられている柱のひとつ、岡潔は高校生の頃偶然読んで、小林秀雄と共に、なんて古ぼけた悟りすましなんだと思ったことがある。今でも幾分はそう思う。当時の時代性の中に埋没していく彼らの言葉の部分(その残余はあるとしても)も大きいと思う。
 
 もちろん、小林秀雄は印象批評から近代批評の確立の立役者でもある。岡潔は数学の世界でのすぐれた功績があるらしい。その数学と随筆などに表現された古ぼけた言説とにある対応があるはずだが、わたしは門外漢だから、ふうんと保留するしかない。
 
 しかし、なぜ戦争期雪崩打つように人々の心性や全ての芸術が古代や古代以前の退行的な世界に落ちこんでいったかはまだ十分に解明されているとは思えない。おそらく、急激な文明度の上昇という近代世界が人々の内面にもたらしたものが、かつてないほどの衝撃だったのだろう。
 
 例えば、立原道造などの「四季派」の、さびしい、どこか遠くの何かになぜか心ひかれる、帰りたい、などの心性を通して、それらの心性は戦争期に「鬼畜米英」などの攻撃的心性として収束し、あるいは、組織化された。また、歴史の靄(もや)の果てにある人柱の考え方が、特攻攻撃として案出され実行される。今では迷妄と見なされる太古の心的な世界が近代の果てにその負の花を開いた。今から振り返れば、それらの退行は近代世界の軋轢や矛盾がもたらした負の内省だったのかもしれない。
 
 最後に、森田真生氏は、「独立研究者」という立ち位置を取っているらしい。当該者には失礼な言い方かもしれないが、大学という保護された割とのんびりした世界ではなく、在野で活躍されているのはそれだけでもすごいことだと思う。似たような形で出前の科学実験などをしている人もいる。数学という行為や世界をわたしたちになじみやすい、開かれたものにする活動は、わたしには歓迎さるべきことだと思われる。
 
 (ツイッターのツイートに少し加筆訂正しています)


 表現の現在―ささいに見える問題から⑥の3

2015年11月22日 | 批評

 次の作品は、おそらく作者の身近な生活圏で目にする疑問がモチーフになっている。わたしたちは、仕事などを通してある分野の専門ではあっても、他の分野についてはよくわからないということが多い。わたしの父の世代は、いろんなことに通じていて自分で自給自足的に、例えば小屋を作ったりなどの大工仕事もできる人が多かった。今では、さらに分業化が進み、自給自足的な面もほとんど途絶え、高度で複雑になってしまった社会にわたしたちは生活するようになってしまった。次の作品は、スーパーなど商品の販売に身近に携わっている仕事の人なら、その事情がよくわかっているのかもしれない。わたしには物の値付けの具体性はよくわからない。スーパーなどの客寄せとしていくつかの商品が極端に安い価格として表示されることがあるということぐらいは人並みに知っている。
 
 
 いつも半額それって定価
        (「万能川柳」2015年11月17日 毎日新聞)
 
 
 この作品は、最後に疑問符を加えて読むのだろうか、それとも定価だよねと読むのであろうか。いずれにしても、定価と実際の値段との大きな乖離に関心が引き寄せられてできた作品である。商品の価格の中には、仕入れ値や販売経費や利潤が入っているといこともわかる。しかし、同業他社との競争や景気悪化状況下の消費者の引き締めや買い控えなどへの対処などから、店のサービスの工夫などもありうるが、商品の価格を下げるのが一番効果的である。スーパーで買い物をするわたしたちは(わたしが食事担当だからわたしはよくスーパーへ買い出しに行く)、日頃よく買う物の値段の推移をだいたい知っている。例えば、キッチンタオルは安値で最近144円くらいだけどそれ以前は120円くらいだったとか、ティシュペーパーは五個入りで220円位しているけど前は安値で198円とかあったとか。また、カレーやシチューのルーが、おっ安いなと思ったら10皿分だったのが8皿分に減量されているとか。店とわたしたち消費者との間にも、日々の熾烈なたたかいがある。収入が限られた年金生活世代は、さらにきびしい日々の状況があるのかもしれない。
 
 店は、どこまで商品の値段を下げることができるのかはわからない。また、値段の付け方も、逆鯖(さば)読みみたいに高く付けて割引で安く感じさせるなどあるのかもしれないがよくはわからない。わたしは、農協のスーパーであるAコープを日頃よく利用しているが、毎年一度、三日間の感謝祭みたいな大安売りをする。外にはテントも張られ、少しお祭り染みたセールである。客も日頃とは違って大挙して押し寄せる。近年は、全般にものの値段が低下気味のせいか、とっても安いなという感覚は薄れている。それでもいつもより安い商品がいろいろと並べられている。時々、こんなに客が多いなら毎日そんな値段にすればどうかな?と思ったことがある。これから考えてみると、物の値段と買いに来てくれる客の数との相関で、どれくらいの値段が最適解かという問題が店の側にはありそうに思える。そこにはまた、同業他社との競争という要素も相関している。(因みに、わたしの住む町内とその近隣に、同業他社が他に三つはある) そういうことも気にはなるが、わたしたち消費者には直接の関わり合いのない世界である。わたしたちは、毎月の所得と相談しながら、一般にはより安くてより良い物を求めて消費の活動をしている。
 
 わたしたちは、子どもから大人まで割と無意識的に日々の経済活動の渦流の中に居ていろんな経済的な行動を取っている。しかし、普通、この社会で「経済」という言葉で指示されるのは、主要に、経済システムや経済政策、そしてそのような世界規模の世界経済との関わり合いである。それらをほんとうは中心的に支えている普通の生活者についてその経済的活動が本格的に言及されることは稀である。吉本さんが指摘し続けたように、高度な消費中心社会になって、ほんとはわたしたち消費者がこの経済社会の主人公になってしまっているのに、企業も企業団体も国家もエコノミストや学者も、そのことに本格的に触れようとしない。この国の知の悪しき風習で、西欧諸国のエコノミストや学者が、お客様は神様です等と言い出さないとそのことに言及できないのであろうか。
 
 わたしは、一見、本流の流れのように装っている、そのような「経済」という支配的な領域の膨大な経済概念群やそれらの関わり合いにはまったく関心がない。わたしたち普通の生活者にとっては枝葉末節にしか見えないからである。わたしに経済に対する関心があるとすれば、太古に始まり、現在まで流れ来た〈経済〉というものが、普通の大多数の人間にとって何であったのかという根幹としての起源性である。太古から長らくくり返されてきた〈経済〉活動の裏側には、無意識的な行動として相互扶助やみんなの幸が意識されていたと思う。もちろん、一方には、自分だけの独り占めの意識も存在しただろう。個の中の意識で比喩的に語れば、人間は、他者の幸福も願う一方で、自己の利益のみを優先するというような二重性を持っているということだろう。この二重性は、現在まで形を変えつつも保存されてきている。すぐれた見識を持ち実践している会社の経営者もあれば、大企業のトップや経済団体や官僚層や政治支配層などで自己利益や特殊利害のみを追求するものもいる。
 
 そういう相互扶助やみんなの幸を目指すという〈経済〉の起源性、つまりほんとうの本流からの視線に自覚的になれば、わたしのような経済素人でも誰でも、一見、本流の流れのように装っている現在の経済社会の根幹のどこがまずいかが見渡せることになるはずである。

 そして、現在のようなある店と同業他社との熾烈な競争があり、店と消費者との熾烈な駆け引きがあり、ということは、「ブラック企業」のようにその中で働いている人々も熾烈さを日々強いられているということでもある。疲弊し荒れ果てたこれらの関係からの未来性に対しても、なぜ、なんのために会社はできたのかという会社の起源性を意識的に反芻し、繰り込むことによってしか、ほんとうに人間的な未来の方には押し進めて行くことはできないと思う。


表現の現在―ささいに見える問題から⑥の2

2015年11月21日 | 批評

 続けて、作者によって作品に織り込まれた作者の感受や考えをたどってみる。そして、それらを取り出して、少し考察を加えてみたい。



① 一万年前を見てきたこの氷

② ママママがある日突然オフクロに
           (「万能川柳」2015年11月5日 毎日新聞)

③ いとをかし今で言うならチョーウケる
           (「同上」2015年11月7日 )

④ 本当に在ってよかったぁ日本海
           (「同上」2015年11月10日)

⑤ ラグビーは知らんが知ってる五郎丸

⑥ ニュートリノなんや知らんがすごいのね
           (「同上」2015年11月13日)

 
 ①は、時々耳にする捉え方である。そして、数万年の深層水などミネラルウォーターのネーミングと同類の通俗性(大多数の人々が普通に感じ考えること)を持っている。確かに数千年を生き延びてきた縄文杉やアメリカのヨセミテ国立公園にあるメタセコイアの巨木は、見る者にある強い感動を与えるかもしれない。おそらく人間の生涯の時間を遙かに超えて幾多の厳しい環境の中を生き延びてきたことを擬人的(超人的)に捉えるところからくる感動なのかもしれない。その背景には、自然の猛威と恵みとを受け続けてきた太古からの経験、そこからくる人為を超えたものへの畏怖と感動に連なるものがあるのだろう。

 しかし、このことを現在の科学の知見を潜(くぐ)りながら振り返って考えてみると、つまり遺伝子レベルで考えるとわたしたち人間を含めて現在生き残っている生物は、変貌しつつもその生命の始まりからの連続性の内にあり、さらに自然レベルまで見渡せば、自然や生物全ての今存在するものは、原子や分子レベルで考えるとこの宇宙の始まりからの連続性の内にある。これは近代社会以降の新たな知見に基づいた捉え方であり、その途方もない変貌と連続性の劇に、誰もがある時ふと驚きとある感動を味わうことがあるかもしれない。つまり、①の作品の捉え方に対して、一万年の氷りに限らず、この世のあらゆるものが同様にすごいよ、というツッコミも成り立つということである。

 ③は、そうかな、ちょっと待てよというところがある。昔、作家の橋本治が枕草子や徒然草の現代語訳で、固い教科書的な訳と違った、「チョーウケる」のような日常の語り言葉を駆使した訳を試みたことがある。外国はいざ知らず、わが国の日本語の場合、話し言葉に限ってもこの社会の中で表現される時、次の二つの形が考えられる。

1.「チョーウケる」、「メチャいい感じ」
2.「とてもいい味わいがある」「とても趣がある。」

 「いとをかし」は文章語で「チョーウケる」は若者の生み出した流行語の話し言葉だと思われるが、その違いは無視して考えてみる。枕草子の時代である平安期は、貴族や普通の民衆の話し言葉がどんなものだったかよくわからない。しかし、想定されることは民衆はほとんど話し言葉が中心の世界だったろうということ、そして両者はたとえ住居が隣接していたとしても今と違ってその生活世界が隔絶していただろうから、両者の話し言葉は1.と2.以上の相違があったことが想像される。ということは、現在の作者の生活的な視線によって捉えた③の捉え方でいいのだろうかという疑念が湧いてくる。
 
 この1.と2.の二つの形は、現在では若い世代と大人世代、あるいは、私的な場面での言葉と公的な場面の言葉(普段の言葉とよそ行きの言葉)、あるいはまた、地域語(方言)と標準語、などなどに対応させることができる。そして、わたしたちは、相手や場面によって1.と2.の形を使い分けている。したがって、この1.と2.は現在のわたしたちにとっては割と連続したスペクトル帯に属している。しかし、平安期の貴族層の場合、その公的な世界で使う話し言葉や私的な世界での話し言葉が、現在のフラットな社会の話し言葉のどんなものに類比できるかわからないから、なんとも言えないなと思う。
 
 ④は、編者によって「秀逸」の句とされているが、なぜ「日本海」という言葉にこだわるのかわたしにはよくわからない句である。現実的な情感というより、思考を巡らせた概念的な傾向性が強く感じられる。作者名(柳名)の前に「伊勢」とあるから三重県辺りに住む太平洋側の人が、日本海側に旅して、その海を眼前にしたときの体験からくる作品であろうか。知識では「日本海」と知っていたが、現実にそれを目にした時の感動を表現したものと言えようか。それにしても、普通一般にはこんな感受は自然な感情としては起こらないと思われる。

 ④の作品がわたしの理解通りだとすれば、昔で言えば、歌枕となっている名所旧跡を実際訪れた時の感動に連なるものとみなすことができる。しかし、現在では、風景の目新しさは、中世や近世辺りとはずいぶん違ってきているだろう。旅が、死をも覚悟する必要もなく、また、大変な苦労をする必要もなく、容易になったこともその感動の質を変貌させていると思われる。中世の歌人西行の歌に「年たけてまた越ゆべしと思ひきや命なりけり小夜の中山 」という六九歳頃の歌がある。これは逆に見れば当時の旅の苛酷さや困難さを示している歌と言える。現在では、この④の句と違って、風景に対する感動の質が中世や近世よりはずいぶん薄らいできていると思う。

 付け加えれば、④の作品の表現上の生命感は、「よかったぁ」という感動の内臓感覚的な言葉の表現にある。そのことがこの作品を少し生き生きとさせている。

 次に、②は、おそらく誰もが経験してきたある場面、ある転機を歌っている。小さい頃母を「ママ」という言葉で呼び慣わしたことが、青年や大人になっても続いていく場合もあるかもしれないが、一般には青年期にある気恥ずかしさのようなもの訪れるようになり、「おふくろ」や「母さん」など少し中性味の語感を帯びた言葉に代わっていく。そんな誰にも訪れる、人間的な季節の変わり目が歌われている。その意味で、この作品は引用した他の作品に比べて表現としての深みを持っている。

 最後に、⑤と⑥は、わたしたちの日々の具体的な生活圏に湧き上がるものごとではなく、この社会に浮上してくるものがマスコミを通して流されて来る話題に対する、わたしたちの一般的な受けとめ方の問題が表現されている。わたしの場合も⑤や⑥の作者たちと同じような感受を持った。

 この現在の世界は、おそらく二昔以前と比べると社会を流通する情報の量が格段に増大してきていると思われるが、一般に、わたしたちの何かを「知っている」という状態には、よく知っている、大まかに知っている、ぼんやりとした感じで知っている、などの「知っている」度合いの違う状態がある。さらに、その様々な度合いで知っているということには、その対象をたどって自分なりのあるイメージを形作っていく過程において、対象に対する好き・中性・嫌いというような感情的な判断の位相も付け加えられていく。わたしの場合は、⑤と⑥の対象に対しては、中性的な感情しか持たなかった。つまり、積極的な興味・関心を持たなかったということである。

 ところで、⑤と⑥は、「わたしたちの一般的な受けとめ方の問題」と述べたが、この社会に自然に湧き上がったり、あるいはコマーシャルや流行のように意図的に流されたりする中で、わたしたちはそれらにどのように反応するかということは当事者には気付きにくい、日本人としての一般性があると思われる。外国人からの視線ならそのことは気付きやすいのかもしれない。

 例えば、ずいぶん前に読んだ本で、安土桃山時代の頃のことが書かれている、フロイス『日本史』に、たぶん京都辺りでのことだったと記憶するが、やって来た宣教師の中にメガネをかけている宣教師がいて、メガネのもの珍しさでそれを一目見ようと近隣の住民が何日間か大挙して押し寄せたという記述があった。また、宣教師たちがある地を去っていく時、住民たちが何キロも見送りについてくるという記述もあった。また、渡辺京二『黒船前夜~ロシア・アイヌ・日本の三国志』には、役人が北海道で捕虜として捕らえたロシア人を籠に乗せて江戸まで護送する道々では、付近の住民が好奇心を持ちながら食べ物などの世話を焼いたり、話しかけたりしていたという記述があった。
 
 これらは、社会に浮上してきた物珍しいものに対する、わたしを含めたこの列島の人間たちの反応の形や共同の心性を物語っているのかもしれない。いわゆる「マレビト」を有り難がる反応の形や共同の心性である。そして、それはこの列島の大きな精神史の流れとして、ずいぶん薄まりつつも現在にまで残り伝わっているように思われる。一方、以前、韓流ドラマやスターに対する熱狂があったけれども、このようなことが人類共通としてあるという面もあるかもしれない。そのことは、それぞれの地域で、どこまでが地域独自でどこからが人類普遍かというように、互いに付き合わせていけばそのことが明らかになるだろう。

 軽い遊び心からの表現的な解放感と言ってもいいかもしれない川柳の作品たちに、そんなにマジで力んで捉え返さなくてもいいじゃないか、という声が自他共にから湧いてくる感じもあるが、以上、作品に現れた、作者たちの感受や考えを少しまじめになって取りだして考察を加えてみた。


 表現の現在―ささいに見える問題から⑥の1

2015年11月07日 | 批評

 人は生まれ育っていく過程で、誰もがその生きている家族や地域や社会から良い悪いは別にして、ある〈おくりもの〉を受け取る。その内実は、個に贈られる個にとっての成長していく、位相の異なる環界(もちろん生を助けもするし阻害もする)であり、個とそれらは相互交通に入り、次第にその個は、それらとのつながりの意識や関わり合いの仕方を獲得していく。そして、個にとっての様々な環界には、人類史的な規模の歴史的なものも浸透している。

 こういうわけで、個の感受や考え方は、個そのものに還元し尽くせない性質を持っている。個の側から見れば、それは個による、個と様々な環界との合作と言うことができる。個の感受や考えやさらには芸術表現を織り上げていく主体は、あくまでも個にあり、その織り上げ方の固有性は個に属している。このことは、遙かに歴史を遡れば遡るほど、個は環界に溶けてぼんやりしたものになっていく。つまり、個の固有性が薄らいでいく。

 芸術表現の世界で、個のある感受や考え方を持った作者によって表現された作品には、その作者の感受や考えやイメージなどが織り込まれている。それが、個にとっての環界に当たる社会で現在を生きる大多数の人々の平均的な感受や考えやイメージなどと異質な、自ら考え抜いたものである場合もあれば、大多数の人々の平均的な感受や考えやイメージなどと同じ場合もある。次に引用する作品は、後者の場合に当たる。


 便利さがいつしか人を弱くする (「万能川柳」2015年11月05日 毎日新聞)


 大多数の読者が、この作品を読んで、「ああ、そうだよね」と思うのではないだろうか。作者に大多数の人々の平均的な考えやイメージと異質な微妙な面があったとしても、短詩型文学という形式からくる制約として、連作ではなくひとつの作品では相当複雑な考えや微妙な感受を表現することは難しい。

 この作品で作者は、「便利さ」に否定的な感情を抱いている。しかし、この問題をよくよく考えてみると、そんな単純な捉え方でいいのだろうかという疑念が湧き上がってくる。時代の新しい動向に対しては、主に現在を揺すぶられる不安から必ずと言っていいほど逆向きの、それを押し止めようという考えが出てくる。これが時代の新しい動向に対する内省として働くならばいいけれども、退行的な場合が多い。

 わたしが小さい頃は、まだ川はきれいで、人々は近くの川で洗濯していた。そこから洗濯機という「便利さ」が登場した。それは、川の洗い場での人々の語らいや交流を奪ったかもしれないが、他方、労力を省き自由になる時間を拡大した。また、テレビのビデオ装置という「便利さ」の登場は、いやな気持ちしか残さないテレビのチャンネル争いに終止符を打った。このようなことは数え上げれば切りがない。柳田国男がたどって明らかにした「火の歴史」もそのようなものだった。絶えず誰かが側で見ていなければならなかった灯りとしての火の利用法から、明治になって電灯が開発されて登場したことは感動的なまでに驚くべきことだったと思われる。

 このように、「便利さ」は、人間の能力を延長したり自由になる時間を拡張したりして、わたしたちの自由度を拡大してくれる。こういう「便利さ」を追い求め続ける人や産業の文明史的な変貌は、避けがたい自然の趨勢である。ものすごい量の本を書きまくっている齋藤孝が、江戸期の人々の方が現在のわたしたちより足腰が強かったみたいなことを、現在に対して少し否定的なニュアンスでどこかに書き付けていたが、それは産業社会の水準に対応した労働や生活のもたらす必然性であり、もし現在のわたしたちのからだの有り様がマズければ内省が加えられていくはずである。おそらく二昔前には、ほとんどなかったと思える「散歩」などの登場はその内省のひとつの形である。

 この引用作品のように、芸術作品の中には美的な感動だけではなく、作者の考えや感受も織り込まれている。そして、そのことがわたしたち読者に内省を促すということもある。


『日本人は人を殺しに行くのか―戦場からの集団的自衛権入門』(伊勢崎賢治)を読んで

2015年11月06日 | 批評

『日本人は人を殺しに行くのか―戦場からの集団的自衛権入門』(伊勢賢治 2014年)を読んだ。著者の「紛争屋」としての危うくしんどい体験に基づく、わかりやすい、いい本だ。住民保護の名目に該当国に深く関与する(戦闘)ように変貌した国連PKOの現状にも触れられている。現状は、国会等で語られたのんきなPKOの状況ではなく、関与すれば戦死をも覚悟せざるを得ないものとなっているそうだ。そして、憲法九条を巡る敗戦後から現在に到る道程を踏まえた上での著者の真摯な考えが展開され、憲法九条を活用したわが国の国際社会での今後の関わり合いの道筋が提案されている。

敗戦後、この国の官僚たちや政治指導層は、一面では戦争による多数の死者に贖われ、また一面では占領軍により偶然転がり込んできた、未来性のある憲法九条をずるずるとアメリカを斟酌して少しずつ崩してきた。したがって、現実の自衛隊などと憲法九条とが食い違うようになってきた。この矛盾を踏まえた上での自衛隊の意味づけを考えるならば、わたしたち生活者住民や地域行政の規模や力では不十分な、不測の災害時の災害救援ボランティアが主任務であるべきだと思う。

そんな矛盾する現状とPKOなどの現状を踏まえ、未来性のある憲法九条を持つこの国の、武力に拠らない世界での貢献にもこの本は触れている。ぜひ読んで欲しい本だと思う。また、付け加えれば、伊勢崎賢治氏は軍事を含む外交においては並の官僚や政治家より卓越していて、ブレーン無しで総理大臣をやれる器だと思われる。

残念なことに、私含めたこの島国の人々は、自前で「農地改革」もやれなければ、自前で敗戦にどう身を処すかもできなかった。良く言えば、『逝きし世の面影』(渡辺京二)に描かれたような温和な人々ということになるかもしれないが、一方で言えば、倭の五王辺りからの引っ込み思案や卑屈さの属国・住民性を捨て切れていないということになる。

わたしの外(国内の隣人や他の地域、あるいは外国)に向かう立ち位置は、イデオロギーを排した〈生活者住民〉の一人であるということ、そこからの視線である。したがって、国家指導層間のいわゆる力の政治関係ではなく、そこに住まう人々の置かれた有り様にまず目を向け、想像を働かせるということになる。

国内外を問わず、ある地域の〈生活者住民〉といっても、行政やある政治集団とつながったりしてそれを呼び込み利害対立が錯綜とする場合も多い。原則としては、その地域住民の最大多数としての利害が追究されること、そして、全住民のいろんな選択が許容され、保証されることだと思う。

その点からすれば、政治が絡んだ現在の大きな地域的な問題は、福島を含む関東の原発大事故被災処理の問題であり、もうひとつは沖縄の基地問題であるが、依然として、その地域住民の最大多数としての利害が追究されていないし、いろんな選択が許容され、保証されていない。

ということは、ほとんどの政策において多数の民意を反映できない政治の現状は、わたしたち〈生活者住民〉とはかけ離れた「乗っ取り政権」というほかない。〈生活者住民〉不在の政治の液状化現象の中で、政治家やイデオロギーがかった者たちが、力の政治による国際関係という空理空論をもてあそんだり、たき付け煽動したりしている。むしろ、わたしたちはそんなことに惑わされず、そんな国際政治なんて日々の生活中心を生きるわたしたち〈生活者住民〉には全く関係ないと思っていた方がいいと思う。わたしたちの絶望もまた深い。けれど、わたしたちは、日々を生き、意志を放ち続けていくだろうと思う。

 (ツイッターのツイートに少し加筆訂正しています)

註.著者名の「崎」は、別字の「さき」ですが、表示されないのでこの字にしています。


書物から知ること、ひとつふたつ

2015年10月18日 | 批評

(1/8)「フランスの人口学・歴史学・家族人類学者である」エマニュエル・トッド『帝国以後』をずいぶん前に買ったまま読んでいない。気楽に読めそうなインタビュー集の『「ドイツ帝国」が世界を破滅させる 日本人への警告』 (文春新書) を読んでみた。少しわかったことがある。

(2/8)ひとつはヨーロッパの現状。民族国家を超える試みのユーロ圏が抱える問題。ユーロ圏内で、主要にドイツがユーロ以外の周辺の労働を取り込むことで強力になった経済的な権力を行使し、政治性にまで及んでいること。わたしにとっては遙かな地のよく分からない世界である。

(3/8)しかし、ユーロ圏に日々生きる人々の肌合いの感覚、つまり具体的な現実感の現状については、本書からはよくわからない。トッドには私のような、生活者住民という考え方はなく、こちらからすると少し乾いた個人や家族がその社会の基底になっているという考えのようだ。

(4/8)もうひとつ、「乳児死亡率」の増減からその社会や国家の現状を把握できるということ。(P81-P84)その把握の支えとして、「経済や会計のデータは易々と捏造」できるけど、年々つながっていくデータゆえに「人口学的なデータはきわめて捏造しにくい」ということ。

(5/8)「1976年に、私はソ連で乳児死亡率が再上昇しつつあることを発見しました。・・・中略・・・というのも、乳児死亡率の再上昇は社会システムの一般的な劣化の証拠なのです。私はそこから、ソビエト体制の崩壊が間近だという結論を引き出したのです。」(エマニュエル・トッド)

(6/8)「プーチン支配下のロシアでかつてとは逆に、乳児死亡率が目覚ましく低下しつつあるという現象」「これは、ロシア社会が、ソビエトシステムの崩壊による激しい動揺と、一九九〇年代のエリツィン統治を経て、今、再生の真っ最中だということを示しています。」(トッド)

(7/8)現在では、人工衛星も他国の観察や偵察に利用されていて、外からでも中の様子をある程度把握できるようになったようだ。以前シリア地域の夜の灯りが年度の相違によってはっきり違っているという衛星画像を見たことがある。http://blog.goo.ne.jp/okdream01/e/111b8f1e9d8efd698b16ebe99b7eb48e

(8/8)トッドは、「乳児死亡率」からソ連やロシアの内部を把握したが、どんな要素からでもその中の様子をある程度把握することができるはずである。その衛星画像もそのひとつ。わたしたちのこの社会の現状もいろんな要素を通してクリアーに把握しなくてはならないのだと思う。

(ツイッターのツイートより)


表現の現在―ささいに見える問題から ⑤

2015年10月14日 | 批評
 「万能川柳」(毎日新聞)から次のような作品を拾い上げてみた。
 
 
 1.一報で信じぬことにする科学  (2015.2.16)
 2.二百回成功したのにありません (2015.3.7)
 3.牛肉を買うぞ下仁田ネギが来た (2015.3.12)
 4.コピペってデザイン分野もあるんだね (2015.9.8)
 
 
 これらの作品は、歌われている対象がマスコミを通して社会的に広く流通したことだから今ならまだ説明する必要もないかもしれないが、いずれも社会的な事件を背景としたものである。1.と2.は、「スタップ細胞」問題。3.は、約1年前に問題になった、国会議員が支持者などと催した観劇ツアーのお金を負担したり、支持者などに下仁田ネギを贈っていたという、不明朗な政治資金問題として報道された事件を指している。そして、4.は、オリンピックのエンブレムのデザイン盗作問題を指している。
 
 時間が経ってそれらの事件や出来事が風化し忘れ去られてしまったら、これらの作品はその現在性としての生命を枯らしてしまうことになる。別の言い方をすれば、時代のある場面と対応して両者とも時間の海に埋もれてしまうことになる。〈背景の消失〉である。したがって、それらの作品は、ちょうどツイッターで話のつながりが埋もれたツイートを単独のものとして目にしたときのように、どういう背景があってどういう場面を歌っているのかが不明になってくる。特に、2.の作品は、指示性が絶たれてしまって何のことかわからないものになってしまうと思われる。 
 
 わたしたちの日々の人間的な諸活動も芸術的な表現も、絶えざる現在の生産=消費の活動(わかりやすく言えば、何ものかを生み出しつつ、同時にそれを精神的に味わう活動)であるが、一方で、わたしたちの現在に対して、わたしたち自身の過去や未来、あるいは歴史が関与して来るように、わたしたちの活動や表現の現在性を超えて行く部分がある。こうしてわたしたちは思想や芸術の古典というものと出会っている。
 
 以上の問題は、古語から口語に言葉が変化したという問題とは別に、例えば万葉集や古今集などの作品にわたしたちが向かう場合の問題に似ている。斎藤茂吉は、当時の近代的な視線でもって古典としての万葉集を捉え、自らの短歌を生命感を込めた〈写生〉として実践したけれども、残された万葉集の作品にも以上述べてきたような〈背景の消失〉や埋もれてしまった(時代)意識の水準があったはずである。したがって、古典に向かう時、作品の全体性に出会うためには、まず自らの時代の自然な感覚や意識をいったん脱ぎ去って、〈背景の消失〉や埋もれてしまった(時代)意識の水準を掘り起こさなくてはならない。もちろん、これはたくさんの人々の研究成果の上に成されるとても難しいことである。
 
 このことは、同じ地域の時間軸を下っていく場合に浮上する問題であるが、現在の世界の各地域に起こっている問題を考える場合にも似たような問題が浮上してくる。現在では、二昔前のこの列島のある集落で、あの山の向こうのことはよくわからないとか大きな旅行は一生に一、二回ほどというような牧歌的な状況から、世界は収縮して、マスコミやネットを通して世界中の事件や出来事がわたしたちに入り込んでくるようになった。わたしは諸外国のことに関心がないわけではないが、ストレートな意識としての反応や対応にはためらいがある。歴史的な背景があって現状があるのだろうが、あまりにもその背景が分かりづらく錯綜としていて重たく感じられるからである。

 ただ、わたしたち人類の一人一人は、吉本さんが人類の無意識の層から発掘した〈存在倫理〉として、つまりこの同じ世界に同時期に人として生を受けている者に自然に湧き上がってくる他者に対するまなざしや感受として、だれもがまなざしと感受とを世界に対して開いているのだということは言えると思う。

表現の現在―ささいに見える問題から ④(表現の無意識に触れ)下

2015年10月12日 | 批評

 物語作品は、現在でも登場人物たちの振る舞いや内面の描写だけでなく、必ず舞台となる土地や風景が登場し、描写される。太古において物語を聴衆に語る場合は、狭い集落を想定すれば、現実界であれ異界であれ、同じ集落あるいは近隣の集落に住む話者が、ある土地や場所を語ると、ははあ、あそこだな、そういうことだな、という風に聴衆はすぐに了解できたのではなかろうか。そういう舞台を背景として、聴衆に受けるような不思議な語りがなされていたのかもしれない。
 
 そこから世界や交通が発達したこの次の段階として、同じ集落出身ではない、遠い他所からやってきた話者の場合、聴衆は自分たちの知らない遠い地方の物珍しい土地や風物を背景とした物語を聞くということが想定される。この場合、聴衆の集落との同一性もあれば異質な面もあるだろう。物語の舞台が都などの大きな都市の場合は、聴衆に物珍しさを与える面が強かったかもしれない。柳田国男はこうした各地を漂泊していく語り部の存在を何度か追究していた。そして、そういう語りは、語り手の脚色もいくらか付け加えられていったとしても、語り手の独創というより、ある物語の定型が主要には聴衆の興味関心に沿って語られていったと記している。つまり、民衆に受けるような語り物であったということである。
 
 明治になると、個の内面描写を獲得した西欧近代の波をかぶり、わが国にも近代小説の形式や表現が浸透してくる。現在から見渡すと、二葉亭四迷の『浮雲』辺りは当時としては斬新だったとしても表現としてまだ十分こなれていないし読みづらいが、夏目漱石の『こころ』辺りでは、現在の読者にとっても割と自然な表現になっている。そして、そうした物語の世界は、わたしたちが現実の様々な場所で活動し、生活しているのと同じように、物語世界の登場人物たちに関しても単に内面の描写に終始することなく、彼らの活動する物語世界の舞台背景や風物の描写を必要とし、伴っている。そして、そのことは地方と都市の落差から来る、聴衆(読者)のもの珍しさという興味・関心に答えるという面も併せ持っていた。
 
 現在に近づくにつれて、このもの珍しさは薄れてきている。つまり、大都市や地方都市という都市の規模の違いはありつつも、この列島全体が都市化されて均質化されてきているからである。もちろん、現在でも大都市を中心にして新たなもの珍しさは絶えず生み出され、更新されてはいる。
 
 遠い遙か太古から近代以前は、物語の舞台となる土地や風景の描写は聴衆(読者)に対してある強度を持っていたとすれば、それ以降現在に近づけば、物語の舞台となる土地や風景の描写は、無意味だと消失してしまうことはなく作品の中に相変わらず存在しているが、その強度はずいぶん薄れてきている。言い換えれば、わたしたちが作品を読むとき、そういう土地や風景の描写は流し読みのように読まれているのではないだろうか。
 
 例えば、わたしの読書経験から言えば、よく知らない街の描写などは読み飛ばすことが多い。おそらく作者たちが東京などの大都市に居住していることが多いせいか、詩や物語の中でよく東京の街々などが描写される。わたしはそれらの街をほとんど知らない場合が多いから、熱心に読みたどるという気分になれない。また、文学にも村上春樹や吉本ばなななど極わずかながらグローバル化の波に乗って世界中に読者を持っている作者たちもいる。この場合、作者たちは、読者のわたしが作品の中の東京などの知らない街の描写を読み飛ばしたというようなことを表現の問題として繰り込み、今度は世界中のファンに対する配慮として描写の有り様を考えていくことを強いられているのではなかろうか。これ以外にも先端を行く作者たちは、様々な具体的な自己配慮と表現の工夫を促されているのではないだろうか。
 
 ここで、現在の二つの作品から土地や風景の描写に当たるところを取り出して考えてみる。
 
 
 
① (引用者註.名古屋から東京の大学へ出て来て)
しかしつくるのまわりには、個人的に興味を惹かれる人物が一人も見当たらなかった。高校時代に彼が巡り合ったカラフルで刺激的な四人の男女に比べれば、誰も彼も活気を欠き、平板で無個性に見えた。深くつきあいたい、もっと話をしたいと思う相手には一度も出会えなかった。だから東京では大方の時間を一人で過ごした。そのおかげで前より多く本を読むようになった。
「淋しいとは思わなかったの?」と沙羅は尋ねた。
「孤独だとは思ったよ。でもとくに淋しくはなかったな。というか、そのときの僕にはむしろそういうのが当たり前の状態に思えたんだ」
 彼はまだ若く、世の中の成り立ちについて多くを知らなかった。また東京という新しい場所は、それまで彼が生活していた環境とは、いろんなことがあまりに違っていた。その違いは彼が前もって予測した以上のものだった。規模が大きすぎたし、その内容も桁違いに多様だった。何をするにも選択肢が多すぎたし、人々は奇妙な話し方をしたし、時間の進み方が速すぎた。だから自分とまわりの世界とのバランスがうまくつかめなかった。そして何より、そのときの彼にはまだ戻れる場所があった。東京駅から新幹線に乗って一時間半ほどすれば、「乱れなく調和する親密な場所」に帰り着くことができた。そこは穏やかに時間が流れ、心を許せる友人たちが彼を待っていてくれた。
 (『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』P27-P28 村上春樹 文藝春秋 2013年) 

 
 
 この簡潔な描写から、外国の読者が読んでも地方の名古屋から大都会の東京に出て来た「つくる」という主人公の境遇や内面に引き起こされる戸惑いなどの波紋はすっと理解できるだろう。むしろ、作品の重力の中心は、夏目漱石の『こころ』と同様に、主人公つくるを巡る人と人とが関わり合う世界の物語に置かれていて、その地平では色合いや感触の違いがあっても、現在を共有する世界共通性として外国の読者にも受け入れられるのかもしれない。普遍的に語れば、この作品のモチーフは、利害関係を意識する以前の無償性の少年期、その関係の有り様から大人の世界に入り込んでいく時期の、誰にも訪れるある喪失と移行に置かれているものと思われる。
 
 
 (引用者註.主人公多崎つくるは、東京の大学を出て、東京の鉄道会社(設計の仕事)に勤めて十四年ほどになる。この日沙羅と出会って用件を済ました後)
 さて、どこに行けばいいのだろう?
 結局、行くべき場所はひとつしかなかった。
 彼は大通りを東京駅まで歩いた。八重洲口の改札から構内に入り、山手線のホームのベンチに座った。そしてほとんど一分おきに次々にやってきて無数の人々を吐きだし、また無数の人々を慌ただしく呑み込んで去っていく緑色の車両の列を眺めて、一時間あまりを過ごした。彼はそのあいだ何も考えず、ただその光景を無心に目で追っていた。その眺めは彼の心の痛みを和らげてはくれなかった。しかしそこにある反復性はいつものように彼を魅了し、少なくとも時間に対する意識を麻痺させてくれた。
 人々はどこからともなく引きもきらずやってきて、自主的に整った列を作り、順序よく列車に乗り込み、どこかに運ばれて行った。かくも多くの数の人々が実際に(「実際に」に傍点)この世界に存在していることに、つくるはまず心を打たれた。そしてまたこの世界にかくも多くの数の緑色の鉄道車両が存在することにも、同じように心を打たれた。それはまさに奇跡のように思えた。それほど多くの人々が、それほど多くの車両で、なんでもないことのようにシステマティックに運搬されていること。それほど多くの人々が、それぞれに行き場所と帰り場所を持っていること。
 ラッシュアワーの波がようやく引いた頃、多崎つくるはゆっくり腰を上げ、やってきた列車の一台に乗り、うちに帰った。心の痛みはまだそこにあった。しかしそれと同時に、彼にはやらなくてはならないことがあった。
 (『同上』 P149-P150)

 
 
 
 引用した部分の「彼は大通りを東京駅まで歩いた。八重洲口の改札から構内に入り、山手線のホームのベンチに座った。」は、途中の道筋や風景を細々と描写することなく、とても簡潔な描写になっている。そして、描写の中心は、その後の「心の痛み」を抱えた主人公つくるが、駅のベンチに座りながら眺める光景や、そこからこの世界の有り様に思いめぐらすということに置かれている。この描写は、東京駅でなくて外国のどこかの駅でもいいし、そういう場面で人がある思いを抱えていて、もの思いするということは、世界普遍性を持っているのではないか。つまり、外国の読者でも自分の生活する地域に変換して十分に読み味わえると思われる。ただし、この作品の場合、時間を持てあました主人公つくるがなぜ東京駅にやってきたのかは、この日沙羅と出会って用件済ました場所が東京駅に近かったということや、余り遊び歩くこともなく割と内向的なつくるの性格や電車や鉄道に愛着を持ちつつその種の仕事していることから、必然的に東京駅に吸い寄せられたということであろう。
 
 
 
② (引用者註.教育実習生で熊本にやってきたあや子先生に、構って欲しくて仲良し三人の二人が悪戯したり無礼を働いたりしたので、中一の春休みに謝りがてら大牟田に住む先生に会いに行く話。本心としては、友達三人で遠出する心躍りのある、久しぶりに先生に会うのを楽しみとした旅行であった。)
 
 銀水行きの普通電車は、午前一〇時半すぎに熊本駅を発車した。日帰りとはいえ中学生だけで県外に出るのは初めてだった。気持ち弾んで、浮かれるのがあたりまえだのに、どうしたことか三人とも言葉少なだった。たまらずぼくは車窓を引っ張りあげて、外の風を迎えいれた。ここは無人駅だろうか。ひとけのないホームに〈田原坂〉の駅名を掲げた看板がぽつねんと立っている。西南の役の古戦場。各停が大牟田に到着するまであと三十分はゆうにかかるだろう。
 
 
 大牟田の景色は熊本とはずいぶんようすが違った。
 
 白っぽい色あいの町並みを縫うように国鉄の引込み線が何本も走っている。鋳物かなにかの工場だろうか、煉瓦造りの古い建物が目立つ。とくに赤白だんだらに塗られた集合煙突は熊本ではお目にかかれないものだった。
 (『春休みの友』【Ⅱ】イワシ タケ イスケ 
http://kp4323w3255b5t267.hatenablog.com/entry/2015/03/24/%E3%80%8E%E6%98%A5%E4%BC%91%E3%81%BF%E3%81%AE%E5%8F%8B%E3%80%8F )
 

 
 特急の通過待ちで停車中の窓を開いて、ぼくは水気をたっぷりと含んだ風に顔をさらした。福岡の雨が熊本まで追いついた。ただしいまは霧雨だ。ホームの看板に〈木葉〉と記されている。駅のすぐ裏手に小高い山が迫り、石灰質の山肌をあらわにしている。午後五時過ぎの空には夜の帳が降りて、稜線との境目は判然としない。
 (『同上』【Ⅴ】 )

 
 
 
 この二つ目の作品は、村上春樹の対象とした少年期から青年期への移行の時期より前の、誰も通り過ぎてきた、また時折その時期を思い起こし反芻したりする、少年期を対象としている。
 
 わたしは熊本に数年居たせいでこの路線の電車には何度か乗ったことがある。降りて歩き回ったわけではないけど、〈上熊本〉や〈田原坂〉などの駅名もわたしの耳には親しい。しかし、鈍行の普通列車じゃないから、あれと思う駅名があった。〈木葉〉(このはえき)もその一つで、調べてみると「熊本県玉名郡玉東町大字木葉にある」らしい。またわたしの奥さんの実家が熊本であるから、この玉名の町並みは車でも何度も通り過ぎていて、玉名という名前には少しなじみがある。しかし、〈木葉〉からの眺める風景はわからない。
 
 このように読者に親しい街や駅や地名の描写があれば、作品はいっそうその読者に身近になるような気がする。肌合いの感覚として描写が具体性を帯びて感受されるはずである。作品というものは、作者が紡ぎ出す幻の物語世界であるけれども、それを肌合いの感覚として現実化するのは、作者の表現力であり、また他方では読者の感受する力である。わたしが読み飛ばすことの多い、作品の中の東京の街の描写に感じることと同じことを、この熊本からその県境にある福岡県の大牟田に渡る地域を物語の舞台にしたこの作品に対して、これらの地を知らない読者たちは感じるのではないだろうか。もちろん、このような街や風景の描写は、現在にあっては特にささいなことかもしれない。つまり、作品世界の本質にはそれほど深く関わっているわけではない。しかし、そういう街や風景などの場(舞台)がないと、物語世界は十分に駆動したり、展開したりできないことも確かである。
 
 この作品は、少年たちの、「気持ち弾んで、浮かれ」たり、気持ちが沈んだり、また立ち直ったりと、それぞれの性格の違いはあっても、少年たちの関わり合う世界とその固有の曲線を描いていく。大人より、低い視線の見つめる世界。通り過ぎてしまったら、その現場の鮮度が色あせてしまってもはや生き生きとは出会えないような世界。こんな少年期には、汲み尽くせない何かがあるから、作者たちはくり返し発掘を試みるのだろう。
 
 この作品では、残念なのは、おそらく作者は読者へのもてなしとしてそこに力こぶを入れたのだと思われるが、芥川龍之介の「羅生門」などのように作者たちが作品世界に登場したりして、作品の舞台裏が明かされながら物語が進行することである。わたしにとっては、物語の進行と起伏をはぎ取るような、ちょっと邪魔くさい感じで受けとめられた。むしろ、虚構の作品として、物語の舞台の中枢に降り立って、少年たち固有の曲線を描いていき、そこから浮かび上がるものに作品世界を絞り込んでほしいと思われた。
 
 もう今では「車窓を引っ張りあげて、外の風を迎えいれた」りできる電車ではないかもしれない。時代は変貌し風物も変化していく。しかし、人が生まれ育ち成人となり老いてゆくという固有の曲線は、時代や風物が変貌してもある不変な相であり続けている。


わたしの苦手な経済の話から

2015年09月28日 | 批評

 わたしたちは誰でも、日々経済活動の中に在り、経済活動に具体的に参加している。仕事してお金を稼いだり商品を購入したりするような自分の具体的な「経済活動」を行っている。しかしわたしは、それ以外の一国の経済や、あるいは企業や国家が世界レベルで相互に関わり合う経済など、大規模な動態的な構造としての経済というものに興味や関心を持ったことがないし、今でもそのことはあまり変わりはない。また、株や投資にも関心はない。
 
 バブルやその後の後始末期、そして現在のどんより重たい曇り続きの経済、しかも一部には光さしている所もある奇妙な空模様の経済が続いている。しかもこの世にはたくさんのエコノミストやら経済学者やらが居るようなのに、現在の天気予報ほどは期待しないが、あんまりぱっとした予測もできないようなのだ。
 
 吉本さんは、第三次産業がウエイトを増し、天然水などの水が商品となり得るようになった70年代初頭辺りからのこの社会の変わり目の時期をたどり、現在が家計消費がGDPの6割ほどを占める新たな「消費資本主義」の段階に到っていることを明らかにした。 
 そんな段階の社会に到って、わたしたち普通の生活者住民が、経済的にはもはや本物の主人公になっているということ、そして、不況をほんとうに離脱したかったら、土木工事などの公共事業ではなくこの社会の中心のウェートを持つ第三次産業にこそお金を使えばいいのだとか、家計消費を促すような政策を実行すればいいと分析していた。
 
 いまでこそ公共事業はたいして意味無しと見なされるようになったが、当時はそんなこと誰も言ってなかったと思う。エコノミストやら経済学者やらが、ぶつぶつ蟹さんのようにわけのわからない複雑な事情をつぶやくなかで、吉本さんのこの分析はわたしには衝撃であった。経済に限らないが、太古と比べたら複雑系にはまり込んでしまった経済というものを、どこでつかんだらいいか、何を主要な構成要素とする動態的な構造であるか、これらが十分に問われ煮詰められて出て来た吉本さんの現在の経済社会分析であると思う。 そうして、この吉本さんの分析に沿った経済政策は未だ本格的には取られていない。それは、この現在の最後の退行的な復古政権の先にある課題であるはずである。
 
 経済は、人間的な諸活動の一領域であり、その活動の計量は近代以降現在までのところ〈お金〉の動きやその多寡として計量されている。経済は、商品、生産、流通、宣伝、交換、消費などの概念で捉えられるものが相互に関わり合う、生命活動のような複雑で動的なひとつの構造を成している。そして、経済活動にはお金だけではない精神的な要素も関わっている。おそらく歴史を遙か彼方まで下っていけば行くほど、経済という領域は現在のように〈お金〉の動きやその多寡として計量されるだけの世界ではなかったはずである。
 
 もちろん現在でも、商品、生産、流通、宣伝、交換、消費などの諸概念で捉えられる商品の動態は、旧来的な物質的なものに限らず、現代ではサービスなどの精神的な様相をまとっているものも商品となっている。さらに、現在の経済社会では、二昔前とは違い、広告・宣伝が重要な位置を占めていて、有名人などがテレビコマーシャルなどに出ているのを目にしても誰も変だとは思わなくなっている。このマスコミを通して立ち現れる膨大な厚味を持ってしまった広告産業は、二昔前の、街の所々におたふく綿や飲料などの小さな看板が取り付けてあった牧歌的な時代からは考えられない風景である。
 
 経済についてはわたしの任ではないけど、ほんとは新しい経済の記述が深いところから促され、迫られているのかもしれない。さらに、経済に限らず、教育、スポーツ、芸術、科学などのあらゆる分野で、現在までの人類の達成を踏まえ、捉え返した新たな記述と行動が促されているように見える。しかも、複雑系を誰にもわかるような易しい記述で描くこと。

 (ツイッターのツイートに少し加筆訂正しています)