表現の現在―ささいに見える問題から⑮ (作品と作者)
以下に引用する、新聞掲載の川柳作品を読んで気づいたのだが、自分の作品を選者の目に留まり載せてもらいたいという動機で詠まれた作品に時々出会う。次の意表を突いた作品もおそらくそんな作品である。「載った句は」という表現にその動機が込められている匂いがする。
載った句は三月も前の自分です
(「万能川柳」2016年2月3日 毎日新聞)
作品を作り上げて投稿し、選ばれて新聞に掲載されるまでにどの位の日数がかかっているのかわたしは知らないが、三月というのがどういうところから来ているのかはわからない。つまり、そんなにもかかるのかなという疑問がある。要するに、ここでは掲載された作品が読者に読まれる今と作者が詠んだ時とは違うということ。したがって、読まれる作品は、現在の作者の心の有り様とは違うかもしれませんよという内容である。表現されたものを読む場に、意表を突いたところからツッコミを入れるのを作品のモチーフとしている。
ところで、わたしがこの作品を取り上げたモチーフは、この作品をきっかけとした次のことにある。福岡伸一は、『動的平衡』で、現在の知見によると人間の細胞は絶えず死滅と生成をくり返していて、私たちの生体は別人になること無く絶えず生まれ変わっていると述べていたと思う。人間の心から精神に渡る世界は、そのこととは直接の対応はしていないように見える。一方に、一般的な見方として人の性格は簡単には変わらないと言われるような固有性の本流があり、他方には、それにもかかわらず人は日々の経験の中でその根強い固有性を反復しながら少しずつ変貌するということがあり得る。また、現実の場で追い詰められたりすると、ちょっとしたことに見えるものをきっかけとして大きく豹変することもあり得る。
以上のことから判断すると、作者という存在にスポットライトを当ててみれば、作品としてかたち成した表現には、作者の性格のような固有の本流とともに、その影響下に現在の何かの対象に触れ、関わったことによる現在性の流れとの二重のものが織り込まれていると思われる。
映像作品から物語作品へ―ささいなことから
(映像作品と言葉の作品における、作者、語り手、登場人物について)
「関口知宏のヨーロッパ鉄道の旅」の日めくり版ベルギーの旅の1日目を観ていたら、おそらく関口知宏が乗って走っている電車を外から撮った場面が出てきた。このような場面は、『関口知宏の中国鉄道大紀行 最長片道ルート36000kmをゆく』でも何回かあった。また、アメリカのテレビドラマ『FRINGE(フリンジ)』でも、舞台はあの牧歌的な西部劇の舞台ではなくこんな高度に錯綜とした世界ですよと観客に意識化させるかのように、ドラマの各回の始まりや場面が大きく転換したときなどに大都市を上から俯瞰した場面が毎回ちらっと出ていた。このことから連想したことがある。
そのことに触れる前に、言葉の作品、物語ということについていくらか触れておく。 ある人が、何かを表現しようとすると「作者」に変身する。現在では、作者は、想像的な時空を生み出すために「語り手」や「登場人物」たちを派遣する。作品の言葉を現実に書き連ねていくのは、当然のこととして「作者」であるが、なぜそのような想像的な時空を生み出したのかという作者のモチーフや作者自身は、影を潜めるように「語り手」や「登場人物」たちの後景にいる。このことにわたしたちは十分に慣れてしまっていて不思議なことには思わない。作者は作品の言葉の細部にも意識的にか無意識的にか散りばめられるように宿っているのかもしれないが、わたしたち読者は、作品の全行程を走破することによって作者の表情やモチーフに触れる、あるいは触れた気持になる。
昔、演劇の劇中で舞台裏(現実)をちらっと明かすような作品があった―ずいぶん昔のビートたけしや明石家さんまの登場した『オレたちひょうきん族』にもそんな舞台裏(現実あるいは偽現実)を明かす要素があったように思う―、また、芥川龍之介は「作者」を作品中に登場させた。これらをもう少しわかりやすい例で言えば、あるとても有名な俳優がいたとして、その俳優(本人からすれば、今は舞台を下りている普通の人)が、自分たちと変わらない買い物などの日常的な行動をしているのを目にした時の、俳優としてのその人への眼差しと普通の生活者としてのその人への眼差しとが、自分たちの中で齟齬(そご)を来たして異和感をもたらすことになる。あるいは、新鮮な驚きという場合もあるかもしれない。これらの感覚の奥深い根は、太古の巫女やシャーマンなどに対する普通の住民の眼差しにあるのは確かだと思われる。
作品や俳優の裂け目を垣間見せることは、わたしたちの自然な感覚に異和感をもたらすものであった。と同時に従来とは違うということからある新鮮さももたらすものでもあった。しかし、わたしたちは日々の生活で、家庭や学校や勤務先などでは同一人物なのだが、それぞれの場面で微妙に違うような人格として振る舞っていて、普通そのことには疑問を抱かない。それと同じように現代では、ある人が何か書き始めようとして「作者」に変身した時、「作者」は想像の物語空間に合わせるように「登場人物」たちを配し、作者と同一とは言えない「語り手」を派遣する。
作者はさっき、「下人が雨やみを待っていた」と書いた。しかし、下人は雨がやんでも、格別どうしようと云う当てはない。ふだんなら、勿論、主人の家へ帰る可き筈である。所がその主人からは、四五日前に暇を出された。前にも書いたように、当時京都の町は一通りならず衰微していた。今この下人が、永年、使われていた主人から、暇を出されたのも、実はこの衰微の小さな余波にほかならない。だから「下人が雨やみを待っていた」と云うよりも「雨にふりこめられた下人が、行き所がなくて、途方にくれていた」と云う方が、適当である。その上、今日の空模様も少からず、この平安朝の下人の Sentimentalisme に影響した。申の刻下さがりからふり出した雨は、いまだに上るけしきがない。そこで、下人は、何をおいても差当り明日の暮しをどうにかしようとして――云わばどうにもならない事を、どうにかしようとして、とりとめもない考えをたどりながら、さっきから朱雀大路にふる雨の音を、聞くともなく聞いていたのである。
(「羅生門」芥川龍之介 青空文庫)
「作者は・・・・・と書いた」とか「前にも書いたように」とあるが、確かに言葉を連ね書いたのは「作者」であるが、普通なら作者から分離された「語り手」が語っていることになる。ここでは、「作者=語り手」となり「作者」と「語り手」が未分離になっている。こういうことがどこから来ているかと考えてみると、西欧文学の影響に関してはわたしはわからないから、この国の表現の歴史から考えれば、長く受け継がれ来た語りの伝統ではないかと思う。
現在、物語において「作者」が「語り手」を分離するのは、わかりやすく言えばちょうどある人が衣装を身に着け化粧もして「俳優」に変身して舞台に上ることと同じである。さらに身近な例で言えば、家族の中では「圭ちゃん」と呼ばれているある少年が、学校という小社会では友達関係でなければ一般に「圭太郎」と呼ばれたり、名字で呼ばれたりするのと同じである。わたしたち人間は、家族や学校や勤務先など誰もが現実の位相の異なる小さな世界間や、何かを連想したり想像したりなどの精神的な世界間を割とシームレスに日々出たり入ったりしていて普通はそのことをあまり意識しない。
ところで、わが国の「語り物」の伝統では、過去に作られた物語やあるいは歴史上の人物や出来事を自らアレンジしたりして、物語を語る「語り手」がいた。柳田国男によればそういう人々がこの列島を旅して村々や町々に語り物を流布させていた。その「語り手」は、一般に、近代小説のように登場人物たちの内面に入り込んで内面描写をすることなく、登場人物たちの行動を外側から語った。例えば「語り物」の例を挙げてみると、
(引用者注.雪が降るすばらしい景色を前にして)……しばらくの間ごらんになってたんだが正宗公(引用者注.若い頃の伊達政宗)はご満足あそばしましたのか、されば帰還をいたすであろうと立ち上がりました。この正宗公という方は非常に癇性(かんしょう)の強い方だったんだそうで、寒中でも足袋をお履きになりません。素足でございます。
(神田松鯉(しょうり)の講談「水戸黄門記より 雲居禅師(うんごぜんじ)」、NHKの『日本の話芸』より)
このように、「語り手」は伝聞や想像を交えて、自らが見てきたように語るが、「語り物」では外面描写になっている。このことの意味は、別に語り物の起源からの歴史的なものとして論じなくてはならないが、ここではそれには触れない。近代以前の語り物では、誰かがあるいは多数の人々が共同で作りあげた物語を、「語り手」はいくらか自らの主観や感情や聴衆への受け狙いなどを付け加えながら語り継いでいったのだと思う。したがって、現在のような物語世界の仕組みの知識に触れていない聴衆(読者)の側から見れば、「作者=語り手」と同一化されたはずである。あるいは柳田国男が小町伝説の全国的な流布の原因として述べたように「語り手=登場人物(主人公)」の同一化も起こりやすかった。テレビ放送が始まりだした頃の話として聞いたことがある。テレビドラマの中で一度死んだ者が、生きていてまた別のドラマに出ているのにおばあちゃんだったかがびっくりしたという話である。真偽のほどは別にして、こういう笑い話が流布するということは、二昔前の聴衆は「俳優」とその演じる世界、「語り手」とその物語る世界、そして想像世界と現実世界とを同一化しやすかったからだと見なすほかない。
近代以降の小説に慣れたわたしたちには、「作者」が「語り手」を分離せずに芥川龍之介の「羅生門」のように「作者」と「語り手」が未分離なのは、現在的には「普通人」と「俳優」とが二重化したような異和感がある。あるいは、読者としてはせっかく虚構(つくりもの)と意識せず物語を読み味わっているのに、これはつくりものだよと言われているようで感動が白けるように感じるかもしれない。つまり、この「羅生門」で作者が登場する必然性は感じられないのである。芥川龍之介の「羅生門」は、登場人物たちの内面に入り込んだり、内面を推し量ったりと、近代小説の構造を十分に備えている。考えられることは、「羅生門」というこの作品が古典を素材としていることであり、そのことが、この「作者」と「語り手」の未分離ということを呼び寄せたのではないかということである。つまり、古典を素材としアレンジする中で、内面描写を伴う近代小説の構造を持ちつつも、わが国の長い語り物の伝統を無意識に体現したものではないだろうか。人間の感覚や意識も、また表現の歴史も、華やかな現代性を持ちつつも、太古からのその深い感覚や意識や表現の奥深い歴史の地層の中に浸かっている。したがって、表現の長らく続いてきた定型は何らかの拍子にこのように顔を出すことがあるからかもしれない。
ここで、ようやく最初の連想に戻る。
最初の連想の話に戻せば、旅の主人公関口知宏を乗せた列車を外から撮るということは、映像作品として見れば作品の舞台を俯瞰的に見渡す映像を重ね合わせただけだという普通のことに過ぎないかもしれない。しかし、この映像作品には、旅の主人公関口知宏という登場人物や彼が現地で通り過ぎたり出会ったりする登場人物たち、数々の情景、口数は少ないにしてもナレーションとしての「語り手」などが存在する。映像を撮り持ち帰りそれを編集しナレーションを加えという、表現される映像空間の外にいて映像作品としての作り上げの過程に関係する人々を「作者」として括ると、「作者」は映像作品の趣旨や現地での旅の主人公関口知宏の行動についてお互いに前もって何らかの打ち合わせをしているはずである。そういう「作者」としての関与があるはずである。大まかにはそれに沿いながら旅の主人公関口知宏が相対的な自立性を持って行動することによって映像作品のための主要な部分が形成されるだろう。ナレーションはおそらく映像の編集過程で後から加えられるもので、言葉の物語作品の語り手の重要な働きとは違って、軽いものに見える。
旅の主人公関口知宏を乗せた列車を外から撮る(見る)ということやその映像を選択して作品に付け加えるということも、作者の映像作品への関与のひとつであり、作者の眼差しが作品に登場したものだと見なすことができるように思う。
そして、先に述べてきたように、このことを言葉による物語作品に対応させれば、芥川龍之介の「羅生門」に「作者」と宣言して登場するように露骨にではなく、見分けにくいけれども作品の中へ「作者」が顔を出すことと対応していると思われる。わたしが小学校の頃には、先生が「みなさん、この部分の描写から作者の気持ちを考えてみましょう」のような国語の時間があったように記憶する。作者と作品とは同列に対応するように見なされていたように思う。このことは、現代から見て単なる誤りということではなくて、この国の文字使用以前からのとても長い語りの伝統の残滓としての自然性、自然な感覚ではないかと思う。柳田国男は語り物について、語り歩くものがいたわけであるが、本当は「群れが作者である」と述べていた。つまり、語り手は大多数の民衆に受けそうな物語を語り、民衆の感動する曲線に沿うように語ったからである。
しかし、主に明治以降の近代社会においては、西欧の思想の影響下、個の存在の自覚が本格的になり、現在に向かって次第に個が先鋭化してきている。それに対応して、近代小説においては、作者という個がせり出してきたために語りという近世までの主流と違って、作品を読み味わい批評する上で「作者」という固有の個を考えざるを得なくなってきた。つまり、作品の背後にそれを生み出した作者という固有の内面を想定せざるを得なくなってきた。
ここから、作者、作者の想像し創出する物語の世界、そこに入り込んで登場人物たちの内面をのぞきこんで説明したり、情景を説明したりする語り手、などの表現過程における各要素や各主体を分離したり関連づけたりしなくてはならないようになってきた。作者は、作品からは退いた後景に位置するが、一般的には作品のモチーフとなって物語世界に参与する。また、作者のいくつもの作品によく出てくるような場面の描写があるとすれば、それだけ作者の意識的か無意識的に固執されたモチーフだから、そこは作者の顔出しと言えるだろう。ともかく作者は小さな破片のようなものとなって作品世界に散布されているはずであるが、その作者の顔を分離して余さず取り出すことはとても難しいように見える。したがって、読者にとってお気に入りの作品であれば、何度も読む度に新たな気づきや発見があり得るかもしれない。
ところで、作者、語り手、登場人物に関して、吉本さんが『悲劇の解読』かそれに関わる対談だったかで触れていたが、そのときは深く考えず意味するところがよく飲み込めなかった。あるいは、わたしの方にそのことに対して吉本さんほどの切実さのモチーフがまったくなかったからかもしれない。人は、互いにある切実さのモチーフという同じ舞台に立てないならば、本当に切実に物事を感じたり受けとめたりすることは難しいものだからである。
吉本さんのモチーフは、生身の「作者」と作者が想像的な表現の世界で変身した、あるいは作者から派遣された「語り手」とを区別しないならば、例えば作者の生存の悲劇をどこに帰したらいいか明確にならないというようなことだったと思う。今は、少しわかってきたように感じている。遙か太古からのつながりの中にありながらも形を変えてしまっているということ、そういう現代において物語を表現するということ、表現された物語を出来うる限り十全に読み味わうということ、そのためにはそのような微細に見える区別と連関に対する理解を深めることが大切な課題になってくる。
表現の現在―ささいに見える問題から⑭ (死のイメージについて)
わたしたちは、知らない間に生まれ育っており、知らない間に死んでいく。誕生も死も人が誰でも通る道筋のように見えるが、その両端の自覚はおそらく本人には訪れない。この「おそらく」という意味は、死をわたしたちは自己体験できないからである。誕生がこの世界での「わたし」の始まりだとすれば、死はこの世界での「わたし」の終わりになるのだろう。一般に現在では、死はこの世界での存在の終わりを意味し、死は大いなる自然へ、あるいは宇宙の物質に還元されていく。わたしもそうだと思う。太古の輪廻転生の考え方とは違って、死は身体―心―精神に渡る統一的な、ひとつの固有な活動する存在の終わりをもたらし、身体は物質へと還元され、心―精神は身近な人々の存在によって想起される一方向の交流へと形を変える。身近な者たちの死に際して、火葬場での骨になった状況を目の当たりにすれば、実感としてそういう捉え方がふさわしいと思える。人の死もまた、植物がこの世界に芽を出し成長し花開き実を結んで枯れていき土に帰る過程と同質のものに見える。
わたしたちが自己体験できない死であっても、わたしたちはそれにイメージの触手を伸ばそうとする。また、一般には、高校生から大学生に当たる年齢の青年期と老年期には死というものが重たい存在として感じられたり訪れてきたりする時期のように見える。前者は、人間世界の家族の保護下に成長を遂げその保護から解き放たれて社会とのつながりが押し寄せようとしてくる時期であり、後者はいろんなことを潜り抜けてきた人間世界からの離脱が近づいてくる時期である。いずれの場合も、当面する現在の世界の中に無意識のように未来が影さして来ているのが感受されるのかもしれない。これ以外に死のイメージや死の観念が身近に訪れる場合は、吉本さんの『母型論』を援用すれば、「母の物語」の失敗によって、生きようとする生存の心や意識のハードルが低く形成されてしまったため、否定性としての生つまり死のイメージや観念に簡単に魅入られるという場合がある。
太古では、例えば「臨死体験」などの体験がくり返されみんなで共有されていく中で、この世とあの世の通路やあの世のイメージなどが獲得されて、輪廻転生などの魂の死と再生の物語も信じられ、強化されていたのかもしれない。現在では死は相変わらず大きな謎であり続けているのに変わりないが、そのような輪廻転生の物語の中にはもはや存在しない。死は、「臨死体験」ということはあり得ても自己体験できないもので例えようもないけれども、わたしたちはなんとか例えをたぐり寄せて死のイメージをつかもうとすることがある。わたしたちのこの世界における生存は、確固としたもののように見えても、その根源である生誕や死の偶然性のような曖昧さの意識があるから、先に挙げた二つの時期以外でも、ことある毎に死を呼び寄せるのかもしれない。
電池切れみたいな感じ?死ぬときは
(「万能川柳」2016年01月21日 毎日新聞)
「電池が切れる」とそれを内蔵し動力としているものは動かなくなる。この場合、「電池が切れる」といっても、計器で測ってみると低下していてもまだ電圧はある。そのものを動かせなくなっても低下した「電気がある」という状態で、人間の場合の死と似ている。ミシェル・フーコーが触れていたと思うが、人は死んで普通の活動はできなくても、当分は髪の毛や爪が伸びたり、細胞レベルの活動はあるという。つまり、死は瞬時ではなく、じわじわと寄せ広がる分布であると。植物が枯れゆく過程もそういうものかもしれない。わたしの目下思い描ける死のイメージは、ある時夜眠りについてそのまま目覚めることがないというイメージである。
現在、どこから出始めてきたのかはわからないが、死の準備の「終活」などという言葉や活動や仕事がある。人々がそれを受け入れる意識の要素があるから普及するのであろう。他人が遺言書を作ったり「終活」なるものをするのはかまわないけど、わたしには少し異和感がある。死ぬことはこの人間界からの完全な離脱であり、人間界での行動や生活のような「準備」や計画などを超えたものである。つまり、本人にとってはジタバタ準備や計画などの現世的なものの果てに向かうわけだから、無意味だと思う。もちろん、後に人間界に残された者たちがあまり困らないように身辺を整理しておくことには反対はない。
植物や動物たちは、いずれ枯れたり死んでしまうからと「自死」することはおそらくない。わたしたち人間も大多数の人々は、何十億年後にこの太陽系が滅びるだろうとかあるいはもっと身近な百年足らずの生涯しか人は生きられないとかわかっていても、自暴自棄になったり、自死したりせずに、そのこととは無縁なように日々ちいさな世界に生きて活動している。そんな風に遙か太古から人は歩んできている。一方で、今にもこの世界が破滅してしまわないかと心配したという中国の「杞憂」という成語があるように、人間ばかりが、破滅や死の意識に魅入られたり、死を引き寄せることがある。しかし、大多数の人々は、植物や動物たちと同じように、この大地に日差しを受けて無心のように日々を生きていく。それは、そのような素地を自然なものとして植物や動物たちと同様に人間も身に着けているからだろうと思われる。この大いなる自然や大宇宙の方から見たら、わたしたちありとあらゆる生き物は根源的な受動性を強いられている。つまり、この世界の根源は、生き物たちや人間が生み出したのではなく、偶然のようにわたしたちが与えられているということである。死の扱われる形も死のイメージも時代とともに変貌していくとしても、また、ヨーロッパ近代のような自然の上に立つ人間優位の横着な理念や思想が生まれ出ようとも、そのような動植物や人間の根源的な受動性というものの自然な有り様は不変なものに見える。
表現の現在―ささいに見える問題から⑬ (身体と精神の活動の不随性について)
わたしたち人間は、動植物と違って自らの行動や世界の有り様などを振り返る(内省する)ことのできる存在である。もちろん、外に取りだして振り返ることなく動植物と同じようにそのこと自体を生きている存在でもある。現在のわたしたちの生存の有り様から見て、もし全てのものやことを共通のものとしてわたしたちが意識化して把握できるとすると、いいかげんさや遊びがなく、まるで脳の信号的な反応回路や電子回路のようで息苦しいものに見える。一方、作為や虚偽の接続回路も白日の下にさらされすっきりしたものに見えるかもしれない。しかし、わたしたち人間は、下限をあいまいな内臓感覚的なあるいは植物的な心を座とし、上限を脳のネットワークによる精神を座として、両者のある緊密なシームレスの織り成しとして行動している。
現在では過剰な脳中心の社会になってしまっている。しかし、脳が大事な働きを果たしていたとしても、お腹や心臓などが重視されて様々にイメージされ脳というものが大切なものだと見なされていなかった歴史の段階も長らくあったのである。
1.無意識に息をするってすごいこと
(「万能川柳」2016年01月16日 毎日新聞)
2.焼きそばを食べたくなったシュレッダー
(「同上2016年01月19日)
この作品の作者たちの行動を追跡してみる。両者とも、どうしてそういうことに気づいたのかは問わないが(このこと自体はまた別の難しい問題である)、ともにある気づきがやって来る。1.は、わたしたちが日常の生活で不随意性(自分の意志で動かせないこと)を持っていて、わたしたちが気づかない、知らない間にわたしたちが、あるいは、わたしたちの諸器官が、活動しているということに気づき、思いを巡らせ感動したという作品である。2.は、たぶん会社で要らなくなった貴重な書類をシュレッダーにかけていて、その裁断される紙の様子を見てまるで麺のようだというイメージの連結が起こり、そう言えば自分の好きな焼きそばが食べたいな、という、見ている対象と焼きそばという意外なものとのイメージの結びつきのおもしろさを表現した作品である。
わたしたちが、自分たちの行動(物理的かつ精神的)について不明なことがはっきりしてくるということは大切なことであり、いいことである。不明ゆえにあれこれ悩み抜いたり、人間関係で無用な摩擦やくいちがいや離反などを少しでも軽減したり、避けたりすることができるかもしれないからである。同様に、芸術の表現においても、その表現に至る過程が明らかになることは、作品を十全に味わうためにも大切なことである。
わたしたち人間の日々の生活は、身体器官を自分の意志で動かせないという不随意性(一般に、心臓は自己制御できない完全な不随意だが、呼吸を止めたり目を閉じたりなど不随意と随意を併せ持つ器官もある)だけでなく、心―精神に渡る活動でも知らない間にある行動をしていたというような不随意性に支えられている。もし、人間の身体的―精神的な諸活動が、脳や神経のネットワークのみに依存し、かつ、すべて自分に意識化されるものならば、わたしたちの日々の生活は、わたしたちの現在の有り様から見て、ぼおっとしたり、のんびりくつろいだりすることのない、なんと騒々しく神経症的なものに見えることだろう。
わたしたち人間に張り巡らされてきた、身体から精神に渡る不随性と随意性とのシームレスな織り成しは、おそらく生命の発生及び人間の発生以来の積み重ねられてきた分厚い地層のようなものとして現在的に存在しているのだと思われる。そして、その機構を内省によって少しでも明らかにしていくことは、わたしたちが大いなる自然に囲まれながらこの人間界でよりよく生きていくことと深いつながりがあると思われる。
作品の中の自然描写は、登場人物たちが作品世界でいろんな関わり合いやドラマを演じていく上で必須のものというわけではないように見える。けれど、作者が物語世界に語り手を派遣して、登場人物たちの振る舞いや内面の流動を表現する時、わたしたちが日常において場のふんい気を大事にしたり自然物の様相に目をやり心なごませたりするのが必須なことのように、場のふんい気や色合いを生み出すのに自然描写は必須なものとして大きな貢献をしているように見える。
作者は、物語の起伏だけでなく、自然描写や情景描写にも同様に力こぶを入れているはずだ。すなわち、この作品というひとつの世界の構成に全力を注いでいる。それがうまくいったかどうかはわからない。しかし、主人公「僕」が師と仰ぐ「お笑い芸人」の神谷との関わり合いを通して、作者が体験してきている〈芸〉の世界を切り開き、読者をそこへ引き込み読ませるというひとつの世界を造型できたことだけは確かである。
午後七時に池尻大橋の駅前で待ち合わせた。色づいた銀杏を見て、秋だと感じ、そのあまりに平凡な意識の流れをみっともないと思った。
(又吉直樹 『火花』P108)
これは、語り手でもある主人公「僕」の内面の記述であるが、読者であるわたしにとっては少し唐突な感じがする。わたしたちは、心や意識を集中して何か考え事をするとか内省するとかの場合ではなく、街を歩いているなどの心の自然な状態では、普通このような内面の流れを持つことはない。したがって、この部分は主人公の「僕」が急に芸人としての意識にとらわれたか、あるいは作者が乗り出してきたかのいずれかである。わたしにはそれらの両方が複合された表現だと思われる。
作者は、「僕」という「お笑い芸人」の主人公(語り手)を設定し、師事する先輩芸人の「神谷」との関わり合いを通して物語に起伏をもたらし、〈芸人〉として思い悩み考えていることや〈芸〉とは何かなどを浮かび上がらせている。作者は、おそらく〈芸〉というものの新鮮な本質に触れたいのだ。そして、そのことは翻れば、この作品世界のあらゆる描写において―自然描写や情景描写にも―、そのような新鮮さを表現として貫徹したいのだ。次に引用するのは、「紫色に暮れ出す」と「一様に黒っぽい洋服」と「冬っぽい匂い」ということに、普通そうかなあとわたしは少し異和感を持ったが、おそらく普通の見慣れた描写(レベル0)と見なしていいのだろう。
(レベル0)
1.辺りが紫色に暮れ出すと雨粒が僕の方を濡らし、次第にシャツを濡らした。
(『同上』P29)
2.年の瀬の街を行く人々は一様に黒っぽい洋服を着てどこか足取りも慌ただしげに見えた。 (『同上』P36)
3.部屋に入ると、自分が着ている上着から冬っぽい匂いがした。
(『同上』P89)
4.十一月の半ばを過ぎ、本格的な冬の到来を感じさせる風が吹いた頃、神谷さんの居場所を知らないかと大林さんから電話があった。
(『同上』P135)
自然描写や情景描写が(現在において)普通の表現ということは、わたしたちが特別の驚きや感情の高ぶりや感動などを持つことなく何かを見ているような(現在的な)心の状態に対応している。つまり、コンサート会場やお祭り会場でのなんとなく心高ぶる状態(心の励起状態)ではなく、平静な心の状態(心の定常状態)の表現と見なすことができる。そして、いずれの表現も、作品世界の流動していく場に合わせたふんい気や色合いを生み出していく。
次の引用は、普通の自然描写とは違った不明の表現を含めて、特別な驚きや感情の高ぶりを持って風物を眺めるような心の状態に対応している描写の部分(レベル1)である。これは作者としては「お笑い芸人」としての〈芸〉と同様に、表現における〈芸〉を意識し、試みたのではないかと思う。ただし、そのことの意味は別に検討されなくてはならない。
(レベル1)
1.熱海湾に面した沿道は白昼の激しい陽射しの名残りを夜気で溶かし、浴衣姿の男女や家族連れの草履に踏ませながら賑わっている。
(『同上』P3)
2.雨が上がり月が雲の切れ間に見えてもなお、雨の匂いを残したままの街は夕暮れとはまた違った妙に艶のある表情を浮かべていて、そこに相応しい顔の人々が大勢往来を行き交っていた。
(『同上』P35)
3.渋谷駅前は幾つかの巨大スクリーンから流れる音が激突しては混合し、それに押し潰されないよう道を行く一人一人が引き連れている音もまた巨大なため、街全体が大声で叫んでいるように感じられた。
(『同上』P44)
4.買い物袋を持った人達が純情商店街のざわめきを引き連れ公園を突っ切っていく。僕達はベンチに腰掛けたまま、夜の気配に言葉を溶かし、あらゆることを有耶無耶にして何事もなかったかのような顔でいた。
(『同上』P60)
5.井の頭公園入口の緩やかな階段を降りて行くと、冬の穏やかな陽射しを跳ね返せず、吸収するだけの木々達が寒々とした表情を浮かべていた。
(『同上』P76)
6.この小さな劇場では毎日のように、お笑いライブが開催されてきた。劇場の歴史分の笑い声が、この薄汚れた壁には吸収されていて、お客さんが笑うと、壁も一緒になって笑うのだ。
(『同上』P124)
まず、不明な描写から。2.の「そこに相応しい顔の人々」、3.の「それに押し潰されないよう道を行く一人一人が引き連れている音もまた巨大なため」、4.の「人達が純情商店街のざわめきを引き連れ公園を突っ切っていく」、これらはなんとなくわかるけどわたしにとっては不明な表現に属している。2.は、ある通りが若者向けの街でそれにふさわしいファッションに身を包んだ若者たちが行き交っているというのならわかるが、それとは少し違うことを指示しているように見える。3.の一人と一人の引き連れる音が、連れとのお喋りや足音などから生まれるとすれば、それらを合わせた音がどんな感じか東京を歩いたことは何度かあるが、そんなに巨大な音になるのかなという疑念と共に静かな地方都市住まいのわたしには実感が湧いてこない。4.は、3.と違って実際の音がもちろん聞こえてくるわけではない。ただにぎやかな通りを抜けてきたら、一般的にはどことなく心に微妙な変化が起こっているかもしれないということは言えそうだ。
1.5.6.は一連の表現と見なすことができる。見慣れない表現だから、あれ?と読者が立ち止まる箇所である。いずれも無生物が動作主体のように描写されている。1.は典型的な励起状態の表現になっている。5.は、もちろん木々も絶えず活動しているわけだが、理科の分析的な捉え方のイメージがする。「寒々とした表情」というのは語り手が感じ取っていることである。6.は、この種の励起状態の表現の失墜例に当たっている。つまり、お笑いの芸でいえば、すべってしまった表現である。わたしたちが信じてないけどそんな冗談を言ってみたりすることがあるような、通俗性の表現になっていると言ってもよい。
しかし、1.から6.は、少々ぎこちなさを伴うけれど、普通の描写を超えて励起状態の表現を作り出そうという点では共通している。ところで、3.の描写がいくらか他の描写より気づきやすいと思うが、作者が物語世界に派遣した〈語り手〉の視線の位置がはっきりしない。通りや街中に主人公の〈僕〉として居て対象を見ているのか、それとも街や駅などの全体を見渡す視線を行使しているのかはっきりしない。こういう疑問を挙げるのは、後者ではないかと思うからだ。おそらく描写のぎくしゃくした感じは、作者が語り手の方に概念のようなものになって(いい表現を思いつかないが)乗り出してきて描写に参画しているからではないかと思う。
この又吉直樹 『火花』の自然描写や情景描写を考えていたら、大正末期に登場した「新感覚派」と呼ばれた表現を思い浮かべた。その中の横光利一を少し知るくらいである。横光利一の短編小説「頭ならびに腹」(1924年 大正13年)によく知られた有名な出だしの部分がある。
真昼である。特別急行列車は満員のまま全速力で馳けてゐた。沿線の小駅は石のやうに黙殺された。(青空文庫より)
この作品の描写の際に、作者が「新感覚派」の表現を意識していたかどうかはわからないけれども、先に引用した(レベル1)の1.の表現は、「新感覚派」の表現に類似する、あるいは模倣ということができる。模倣だとすれば、その当時の「新感覚派」と呼ばれた作者たちが表現の必然として取った表現の姿をアンティークとして新鮮味をもたらすように現在に蘇らせていることになる。確かに読み進みながらわたしの言葉の足取りは、それらの箇所に引っかかった。何か変だという異和を感知したということである。ただし、文体の新鮮みは残念ながら感じなかった。
次に考えられることとして、このレベル1の自然描写や情景描写を昭和初期の新感覚派の単なる模倣と見なさないならば、新たな社会の段階に対応する表現の必然的な姿の一つとして、次のように理解する他ない。
作者も作品も、まずこの現在を生き、呼吸している。現在というものの性格について、どんな言い方でもできるだろうが、昭和初期の大きなテーマだった「都市と農村」の問題から、都市の中の小さな部分としての農村に現在は変貌してきている。前者の自然を利用したり作り変えていく第一次・二次産業中心の産業構成から、現在では自然性とのシステムを介した任意のつながりを持てる第三次産業中心の消費資本主義社会に変貌している。キュウリやトマトは、ハウス栽培などにより年中見かけるようになり、また冷蔵技術の向上により、ずいぶん長期間の保存も可能になったように見える。また、従来のいちいち現場に出向いて対面してという交通(やりとり)の自然性から、ネットやシステムを介していろんな場とのつながりをつけて情報を得たり手続きをしたりショッピングをしたり等が可能になってきている。これらを一括りにして捉えるならば、わたしたちの人間界における自然との関わり合いが、従来の生の自然な関わり合いから人工的な自然との関わり合いに一段階繰り上がってしまったということになる。わたしたち人間は、一般に変貌に少しずつ慣れていく。気づいたときには大きな変貌を遂げているということになる。
この新たに人工化した自然(例えば、この年中あるキュウリやトマトも従来から一段抜け出た人工化した自然と見なせると思う)や人工的なシステムとの関わり合いの世界に、わたしたちは日々生活していて、変貌に少しずつ慣れて来たから、そのことにあまり異和感は持たないと思われる。つまり、新たな自然性の感覚を携えながらわたしたちは日々生きていることになる。又吉直樹 『火花』における自然描写や情景描写のレベル1の表現は、このようなわたしたちの一段階繰り上がった人工化した自然性の感覚から、おそらくその無意識的な内省として、人工化した自然物とわたしたちの関わり合いの自由度や任意性の象徴として取りだして見せたのではなかろうか。(註.わたしはまだ十全に捉え切れているとは思っていない。)たんなる新感覚派の模倣と捉えるよりも、この方が作品に即しているように思える。そして、以上のことは、実現できたかどうかは別にして、この作品が芸人を目指している「僕」を通して、今までを超える「芸」の姿形や深度を志向する「火花」をも秘めていることを意味している。
毎日新聞の「万能川柳」から作品を抽出して、以下にA群とB群に分けてみた。語のルビという表現から短詩型文学の表現の現在を少し考察してみる。
A-1 嫁が風呂入るまで息子(こ)の電話来ん (2014年10月30日)
A-2 鏡みる亡母(はは)に逢えるが嬉しゅない (2014年11月04日)
B-1 雨音は雨音でしかない凡人(わたし) (2014年10月30日)
B-2 娘の写真背景(まわり)鑑定してる父 (2014年11月07日)
B-3 コマよりもぴったりのルビ独楽(スマホ)です (2015年01月10日)
B-4 体中(あちこち)が主張するんだ年とると (2015年01月10日)
B-5 犬(キミ)と見る視線の先は別のもの (2015年03月07日)
A-1の作品は、後で述べるが、二通りの捉え方ができると思う。つまり、一点に絞り込んだ意味としての確定が難しい。その他の作品は、大意をたどる必要もなく読者に意味は伝わると思う。
A群のルビは、語の元々の読みや指示する意味に近い。A-1では、子でもいいはずであるが、娘ではなく息子であることを表現するために「息子(こ)」という表現にしたのだろう。「嫁」という呼び方から作者と嫁は中年位で息子は大学生かそれ以上であり、この「息子(こ)の電話」は、二通りに受け取れる。「息子への電話」と「息子からの電話」との二通りである。家から学校や会社へ通っている息子が、家に居るのなら、彼女(恋人)からの電話であろう。息子が進学や就職で家を出ているのなら、息子が家に電話するということになる。いずれの場合も、母親が息子に対しておしゃべりすぎるか口うるさいからか、母親が煙たがられているということであろう。A-2では、作者の母親なんだけど、もう亡くなっているということを表現するために「亡母(はは)」という表現になっている。
B群のルビは、語の元々の読みや指示する意味から離脱したものになっている。この中でも、B-2と4の作品の、「写真背景」(まわり)や体中(あちこち)は、語の元々の読みではなくて指示する意味の方での離脱の度合いは低い。残りの作品は、語の元々の読みや指示する意味から離脱していて、語とそのルビとが読者が読み取れるような意味つながりでつなぎとめられている。
語とそのルビによる表現によって、A群のような複雑な指示性(説明)を盛り込んだり、B群のように「写真背景」や「体中」などの固い言葉を(まわり)や(あちこち)のように柔らかい日常感覚的な言葉にしたり、あるいは、凡人(わたし)や犬(キミ)のように対象を説明的に二重化したり、独楽(スマホ)のように、「独楽」という語のイメージからその読みを超えて新たに(スマホ)と読んだ方がふさわしいという表現になったりしている。このようにB群の中は、さらにいくつかに細分できそうである。B群の中では、B-3の独楽(スマホ)という表現が一番高度なものだと言える。言いかえると、あまり見慣れない新しい表現だと言える。
そして、B-5の作品を除いた他の作品は、作者たちの表現の欲求と5・7・5という音数律からの形式上の要請とがうまく出会ったところで作品の表現が成り立っている。つまり、「息子(こ)」でも「亡母(はは)」でも「写真背景(まわり)」でも、5・7・5の音数からのちゃんと音数に収まるようにと言う要請にも応える形になっている。5・7・5の短詩型の音数律に乗りながら表現が貫かれているのである。
NHKBSに、「関口知宏のヨーロッパ鉄道の旅」という新しい番組がある。以前、関口知宏のヨーロッパの鉄道の旅は放送されたことがあるから、再放送かなと思って調べてみたら、新規のものだった。オランダ編を最近やっている。昔、彼の中国大陸の長期にわたる旅(『関口知宏の中国鉄道大紀行 ~最長片道ルート36000kmをゆく~』2007年)を観続けたことがある。構想され撮影され編集された、仮想の旅体験を興味深く味わった。思い出したエピソードがある。
もう旅も終盤の中国の辺境の地だったと思う。そこで関口知宏の小走りが女性風だったからか、その地の子どもたちがおもしろがって追いかけてくる場面があった。関口知宏は、作品の舞台にリラックスしつつも少し張り詰めて、登場人物として登場している。つまり、映像作品の登場人物に変身してしまっている。
しかし、登場人物になってしまっても、関口知宏の固有の性格的な行動が無意識として滲み出す。この小走りは、意図的なものではなく映像作品の舞台に立った登場人物(関口知宏)の性格的な無意識の表現に当たると思う。
あらゆる芸術表現において、作者や登場人物たちの、こうしよう、そのように組み立てようなどの意識的な表現とともに、このような無意識的な表現が、作品には織り込まれている。その無意識的な表現には、登場人物や作者の性格のような場合もあれば、時代の流行や風俗習慣など時代の性格のような場合もある。この無意識的な表現(選択や行動)は、無意識故に登場人物や作者たちの意識を超えている。つまり、はっきりとは意識され得ない。
ただ、作者の側からも読者(観客)の側からも、作品を意識的に作り上げていくという面と、それに織り合わされる無意識的な面とを明確に分離することは難しいように見える。以上のことは、芸術表現に限らず、政治的な表現も含めて、あらゆる人間的な行動(表現)に当てはまるはずである。
(ツイッターのツイートに少し加筆訂正しています)
ただ今でテストの結果分る声
(「万能川柳」2015年12月25日 毎日新聞)
作者名から作者は女性であるから、おそらく母親の位置に立って学校から帰宅する子どもの様子を捉えた作品であろう。子どもは、「ただ今」と言っているだけであるのに、母親は、今日テストがあって(これは事前に知っていたのかもしれない)その結果が良かったか悪かったかがまるで占い師のようにわかるということが表現されている。
しかし、このようなことはわたしたちの日常では普通のことである。個人差があるとしても、一般に人のうれしい悲しいつらいなどの内臓感覚的な感情は、顔の表情や言葉の微妙な力強さやか細さなどのしゃべり方として表に現れてくる。そして、自分が何か気がかりみたいなものを抱えていて、それに気付けない場合があり得るとしても、こういう言葉そのものに拠らないコミュニケーションは、現在なお生きて活動している。これはおそらく人間の歴史としてもより古い層に属するものと言える。一人の生涯で言えば、生まれて言葉を覚え始めるまでに形成され、表現として使われる初源の言葉ということができる。吉本さんは、このような言葉の古い層でのコミュニケーションを「内的コミュニケーション」あるいは「内コミュニケーション」と呼び、胎児から乳児に至る時期に形成される母子関係に発祥すると見なすほかないと考えていたと思う。まだ、子どもが言葉を覚える以前の互いに察知するコミュニケーションのことである。その察知力を普通以上に鋭く研ぎ澄ませ統御できる力を偶然に持たされた者が占い師や霊能者と呼ばれる人々だろう。
その思い込みの元というのは察知能力です。つまり、相手の表情をみたとか、相手をみたら何を考えているかをだいたいわかるような気がする。特に親しい人や恋愛関係の人となると、その人の精神状態がすぐわかっちゃうというのは、元をただせば、正常な能力なわけです。言葉ではないんですが、それを内コミュニケーションといえば、すでに胎児の5~6ヶ月の段階から成り立つということがいえることになります。
では、内コミュニケーションの段階の範囲というのはどこまでかというと、それもみなさんご存知のように、1歳未満で初めて人間は言葉を覚えますから。受胎して10ヶ月して出産されて、乳児ということになるわけですけど、1年未満の段階の乳児までの間に、この内コミュニケーションの原型ができてしまうというふうに理解すればいいと思います。つまり、言葉ではないんだけど、言葉に似た、言葉以前の段階でそれができてしまう。どう考えても、胎児5~6ヶ月から1歳未満までの間以外にできる過程があり得ないわけですから、その段階までに内コミュニケーション、つまり言葉なき言葉といいますか、言葉以前の言葉みたいなものでわかってしまうという能力というのは、そこで形成されるというふうに考えるのがいちばんよろしいだろうと僕は思います。
(A124『言葉以前のこと─内的コミュニケーション』、「2察知能力・思い込みと内的コミュニケーションの異常」より 吉本隆明の183講演)(註.有り難いことにこの講演も書き起こされたテキストもネットにある。それを借りた。)
このように、わたしたちが日頃意識的、無意識的に使って表現している言葉というものには、曖昧さを含みつつ察知することから明確に何ものかを指示するということに渡るひとつの層成す構造がある。この構造の下限には言わなくても分かるなどに対応する言葉の世界があり、上限には刺戟→反応のようなクリアーなコミュニケーションやその理論の世界がある。そして、遙か太古から現在までの人類の歩み(歴史)を包み込んだようなものとして、その下限から上限までが複合されて言葉は発動しているものと考えられる。また、わたしたちが作品を読むときにも、下限から上限に渡って言葉を発動しながら読んでいることになると思われる。
最後に、ひとつ付け加えておきたいことがある。ウィキペディアにもある「ブーバ/キキ効果」についてである。
。「ブーバ」という言語音は曲線的な図形を,「キキ」という言語音は鋭利な図形を連想させるようです。この効果は,音声がある特定のイメージを喚起する(音象徴性)というものであり,ゲシュタルト心理学で知られたW.ケーラーが見出し,V.S.ラマチャンドランが広く紹介したものです。音と形は無関係ではないことを示す格好の材料であり,音声に伴うイメージに対して,比較的それに合う図形があることを容易に示すことができます。(木藤恒夫 「音と形の心理学」 http://www.psych.or.jp/publication/world_pdf/63/63-30-31.pdf)
この「ブーバ」と「キキ」という言葉、あるいは初源的な言葉が、地域や文化や人種を超えて、高い割合でまるっこい画像ととんがった画像とにそれぞれ対応するらしい。たぶん多くの者がうなずきそうな気がする。これも上の「内的コミュニケーション」と同様の、人類の普遍的な古い層としての初源的な言葉の有り様を示唆するものかもしれない。言葉とその語音とは、遙かな不明の靄の中、恣意的なつながりと見なされているのかもしれないが、一考の余地があるかもしれない。柳田国男は、わが国の地名はその土地の形状から来ていると述べている。この場合に、その「ブーバ/キキ効果」があるのかどうか分からないし、また、わたしにはそれを確認する力量はないけれども、土地の形状と言葉としての地名の対応からさらに何か明らかにできることがあるのかもしれない。
註.「ブーバ」と「キキ」の画像
村瀬学の『宮崎駿再考』(2015.7 平凡社新書)という本が目に留まり、以前、内田樹の『風立ちぬ』論(註.1)を読み、それに興味をかき立てられてその映像作品を観たことがあるから、買って読んでみた。この著者には、『宮崎駿の「深み」へ』という論考が別にあり、昔読んだけど中身はすっかり忘れている。本書を読むとていねいに宮崎駿作品を追いかけてきているように見える。わたしはこの著者の論考をほとんど追いかけて読んできている。わたしがその批評の方法や深度に敬意と信頼とを置いている数少ない表現者のひとりである。
この内田樹の『風立ちぬ』評を読んで、今年だったか『風立ちぬ』がテレビで放映されたので観た。主人公たちの上層の階層の社会的なふんい気や関わり合いの描写になんかついていけなかったのを覚えている。もちろん、どんな階層の登場人物を描こうがそのこと自体には作品の本質とは関わりはない。そして、この映像作品の作者、宮崎駿のモチーフがどこにあるのかよくわからなかった。確かに内田樹が指摘したように、風物の描写は今までになくこだわりを持ってリアルに描かれていた。しかし人物の描写は普通の単調さで、両者のアンバランスがあり、これなんだろうと印象に残った。また、イタリアの「飛行機設計家カプローニ」が主人公堀越二郎の夢に何度か現れ、対話する。このことの意味。さらに、戦時中の話なのに、戦争の描写や影はほとんど描かれてなかったように思う。これもなぜなのかと印象に残った。つまり、戦争という重たい時代の中の出来事だけれども、別のことを表現しようとしたからだろう。作品を読む練習として、何度か観てみようかとも思ったが、1回観てビデオを削除してしまった。宮崎駿の作品は、テレビで放映されたのをいくつか観ている程度で、今のところそれ以上の関心がなかったせいもある。
映像の作品に限らないけれど、言葉の物語でも一読と数回読みとではイメージが少し変わって来たり、気付かなかったことに気付くことがある。映像の作品も同じと思う。作者の織り成したり、散布してあるイメージは、階層的なもので、何度も観るうちにまた観客(読者)の作品に対するイメージが修正されることがあるのかもしれない。つまり、言葉であれ、映像であれ、それらの作者たちは、幾層かに分けて作品を構成しているのかもしれない。エンターテインメントの作品の上層から孤独できまじめなテーマを追究する下層というように。さらに、そこには作者たちの無意識というものも加担している。したがって、観客(読者)の持つ印象や考えも作品のいくつかの層に対応して様々に出てくるように見える。
さらに、批評家ではない普通の観客が、この作品を観てどんな印象や感想を持っても自由である。たとえそれが作者から見て「違うんだけどな」と感じられても仕方がない。どんな作品でも同時代の大気を呼吸していても、固有性と呼んでいいほどの、生い立ちやものの感受や考え方の違いをそれぞれの観客(読者)は持っていて、そこを通して、あるいは、そこに呼び込まれるようにして、作品は観られる(読まれる)からである。作品の骨の部分は、ほぼ共有されつつも、細かい部分では、作者や観客(読者)の固有性や無意識も加担してくるから、いろんな微差はどうしても生まれてくる。
一方、作者(たち)の方も、作品が多くの人の心引きつけ、観られる、作品が売れて経済的にも余裕が出るなどの現実世界のこともどこかで意識しながら、作品やそのプロモーションビデオなどを作るはずである。それはどのように作品に現れるかといえば、読者(観客)に受け入れてもらうための人物選択やいろんな仕掛けやもてなしとして現れるはずである。それは作品のモチーフとの折り合いとして現れるのだろう。また、作者の意図した作品のモチーフが十分に作品に実現されるとはかぎらない。なぜなら、映像の作品であれ、言葉の作品であれ、作品には読者の場合と同様に作者の無意識も入り込み関与するからである。
批評家は、できるだけ丹念に作品を観たり読んだりする、また、作者(たち)はその作品におそらく集中して全力を注いだと思われるが、批評家は、作者の無意識も含めて同じ作者の作品の流れの中に位置づけようとする。観客(読者)は、作者(たち)と展開されていく映像の裏側でひっそりと出会い、物語の起伏を情感を波打たせながら作品とともに歩んでいくとすれば、おそらく批評家と作者は、それを越境して、作品のモチーフが無意識の乱流の付加を受けながら表現世界の現実的な負荷をかいくぐって実現されていく流れで出会うのであろう。出来得るならば、作者は十全に作品のモチーフを作品全体で実現したいし、一方、批評家は十全に作品のモチーフを作品全体に渡ってたどりつくしたいのである。
わたしはいつもふしぎに思うのであるが、映像や言葉などの芸術的な作品にかぎらず、なぜ人間の生み出す表現というものは多義的なのかということである。作品と観客(読者)とが数学の一対一対応のようには対応しない。必ずと言っていいほど揺らぎが起こり多義的な対応になってしまう。このことは、同時代の精神的な大気を呼吸していても、作者も観客(読者)もそれぞれ固有の育ちと固有の無意識とを携えているからである。さらに、映像や言葉にかぎらず人間が表現する媒体は、人間的な表現に備わっている植物的、内臓感覚的な情動が、生み出される頭脳的な概念や論理に生命感を与えるように作用し、その両者の織り成しとして働くような本質を内蔵している、あるいは喚起するからである。
このような諸条件によって、芸術的な表現や人間の表現は、数学や自然科学の捉える、人間的な情動をぬぐい去った二者関係や一対一対応とは違って、錯綜としたものになってくる。わかるということ、わかり合うということが、難しいのである。
ここで触れた二人の『風立ちぬ』評の中心的と思える部分を取り出してみると、
『風立ちぬ』にはさまざまな映画的断片がちりばめられている。
それのどれかが決定的な「主題」であるということはないと思う。
むしろ、プロットがその上に展開する「地」の部分を丹念に描き込むことに宮崎駿は持つ限りの技術を捧げたのではないだろうか。
「地」というのは「図」の後ろに引き下がって、主題的に前景化しないものである。
宮崎駿が描きたかったのは、この「前景化しないもの」ではないかというのが私の仮説である。
物語としては前景化しないにもかかわらず、ある時代とその時代に生きた人々がまるごと呼吸し、全身で享受していたもの。
それは「戦前の日本の風土と、人々がその中で生きていた時間」である。
宮崎が描きたかったのは、私たち現代人がもう感知することのできない、あのゆったりとした「時間の流れ」そのものではなかったのか。
(『風立ちぬ』内田樹) (註.1)
なぜ「地震」から始まっているのか(小見出し)
『風立ちぬ』は少年の夢から始まっているが、実質は、大地震から物語が始まっている。
(『宮崎駿再考』P218 村瀬学)
もしここで、大地震のどさくさを利用して、二郎の女性への関心を描きたかったのだとしたら、この地震は別に関東大震災でなくてもよかったということになるだろう。単なる列車事故でもよかったはずだ。しかし宮崎駿は、この「大震災」を描くことにものすごく思い入れを持っていたのである。もちろんアニメーターに描かせているのだが、町の揺れ動き、群衆が右往左往する四秒の描写に、とんでもない時間をかけさせていたことが後になってわかる。
NHKの「プロフェッショナル 仕事の流儀/宮崎駿スペシャル「風立ちぬ」1000日の記録」(二〇一三年八月二六日放映)で、「関東大震災」の「たった4秒のカットに1年3ヶ月を費やした」というナレーションが流れた時にはびっくりしたものだ。…………中略…………確かに宮崎駿は、周りのものが推し量れないほどの思い入れをもって、この「大地震」を描こうとしていたのであって、だからこの大災害の描写を、二郎の下世話な色恋を演出するための小道具にしているようにみなしてはいけないのである。さらに主人公にモデルがあって、彼の二〇歳の時、たまたま関東大震災が起こったからそれを描いているという見方も否定されなくてはならない。
そうだとしたら、この大地震は何のために描かれたのか。考えられることは、これから始まる主人公の「物語」が、とんでもない「大災害」を前提としていることを、観客に意識してもらうためであろう。こういう「物語」の設定は、観てきたように『未来少年コナン』や『風の谷のナウシカ』の始まり方とよく似ている。まず「地球規模の破局」が起こってしまうのである。それにもかかわらず、人々は下世話な動機も含めて生きてゆこうとする、そういう展開である。この最初に「破局」を持ってくるというのは、宮崎駿のアニメ人生の最初から意識されてきたことであった。そのことをこの最後の作品にも読み取るかどうかである。
始めに「破局」ありき。それは長い地球の歴史を考えることで初めて想定し得るものである。この「地球感覚」と私が呼んできたものが、ここでも呼び起こされているのである。そして人類は、この地球感覚と向かい合って生き延びてきたのである。
『風立ちぬ』では、その「地球感覚」がまず「関東大震災」として描かれ、そのあと地球の鉱物資源を元に作る兵器(戦闘機から原子爆弾まで)で、「太平洋戦争」の「破局」を予感させてゆく。そういう武器のもたらす破局と共に、『風の谷のナウシカ』が描いた「菌」とのせめぎあいの世界も描かれる。「結核菌」との戦いである。
映画の大地震も偶然に描かれ、菜穂子の結核も、堀辰雄の小説が偶然そうなっていたからそう描いているだけだというのなら、それらの出来事を「演出」の小道具のように見ているかもしれないが、武器との戦い、菌との戦いは、宮崎駿の出発から抱えていたテーマであったはずである。そこのところはもっと見てゆかなくてはならない。
(『同上』P219-P221 村瀬学)
宮崎駿は老年になって、自らのアニメ人生を振り返ろうとしていたはずである。それを、「美しい飛行機」を作りたかったという『風立ちぬ』の二郎の夢に重ねるように考えようとした。しかし「美しい飛行機」を作ることも、「美しいアニメ」を作ることも、その「美しさ」を支えるのは「技術」という「数理的な理性」であった。そうなると、ここでどうしても「倫理」を飛び越える思考と向かい合わざるを得なくなる。そこに同じように「ファウスト問題」 (註.2) が出てきていたのである。
(『同上』P231 村瀬学)
これらの二つの作品批評は、まず作品に対する読みの部分性としてならどちらもはずれているわけではないと思う。しかし、作品をどれくらいの規模ですくい上げているかという問題はある。したがって、こちらこそが作品の総体を捉えたものだとして、両者の批評がまともにぶつかり合えば、それらの異質性が際立ってくることになる。作者の実現しようとしたモチーフは実現できたかどうかは別にして明確なものとしてあるはずだから、批評が大きく異なるということは、作品読みの深さの問題になってくる。
内田樹の批評は、作品を一度観た(一読に相当)中で感じた印象やいろんな疑問を煮詰めていって、作者のメッセージ (註3) も参考にして、それらを一つに絞り込んでみたという印象を与える。しかも、物語性が景物やそこを流れるゆったりした時間の方に解体されている、あるいは溶け込んでいると見ている。時代が今と違う時間の流れる速度感を持っていたから、作品を創り上げていく過程で無意識の内に制作側もそのゆったりしたリズムにいい感じを持ったということはあるかもしれない。また、そんなゆったり流れる時間を背景とした主人公二郎の夢は、その背景の映像表現によって美を強化されているということがあるかもしれない。
一方、長く引用した村瀬学の批評は、長い引用部分から、今までの宮崎駿の作品を考慮しながら(それらとの同質性や異質性)、作品をていねいに具体的に追いかけ考えを絞っていく様が見て取れるはずである。他の宮崎駿監督の作品やこの作品を何度もていねいに観てきた(百回読むに相当)のではないだろうか。また、指摘されればおそらく誰もが意識できるだろう、宮崎駿監督の最後の作品ということを、彼の内部のモチーフにそってすくい上げようとしている。作品『風立ちぬ』の作品批評としては、内田樹よりこちらの方が作品世界の総体に十分に迫れているように見える。
ところで、『風立ちぬ』(宮崎駿監督作品)の批評を二つ取り上げただけで、それ以上のこと、つまりわたしのその作品批評はないし、今のところできない。ただわたしがここで取り上げたかったのは、作品(言葉であれ映像であれ)というもの、そしてその作品を読者(観客)として味わうこと、さらに作品を批評として俎上に載せることについてである。これらのことが現在なお十分に解明されていない状況があり、しかもそのことに割と無自覚に批評が成されているということを感じるからある。
言葉自体についても作品の捉え方である批評にしても、先人たちの功績として残されたものを「おくりもの」として受け継ぎながら、まだまだそれらをはっきりした形のものとして明らかにしていく課題が、わたしたちの前には残されていると感じている。
註1 内田樹の『風立ちぬ』論 (「内田樹の研究室」2013.8.7 http://blog.tatsuru.com/2013/08/07_1717.php )
註2 村瀬学 「『風立ぬ』とファウスト問題」(その1)(その2)
http://www5e.biglobe.ne.jp/~k-kiga/murase.html
http://www5e.biglobe.ne.jp/~k-kiga/murase2.html
(「編集工房 飢餓陣営 佐藤幹夫さんのホームページ」http://www5e.biglobe.ne.jp/~k-kiga/index.html 内にあります)
註3 宮崎 駿 『風立ぬ』の「企画書」
http://kazetachinu.jp/message.html
古今集の時代には、「詠み人知らず」という歌もある。現在では、作品には作者という個が必ず控えていて、現在の世界の精神的な大気を呼吸する中で培った、あるいは、そこから借りてきた作者の感受や感覚や考えが、作品世界の言葉の「選択・転換・喩」などを通して織り込まれている。
5・7・5の形式や音数律(註.5音や7音の組み合わせが生み出すリズム)の枠の規制(あるいは枠による自由度)を受けながら、言葉を構成していく。わたしの短歌味体の実作の内部の体験から言えば、その枠は、語の選択や語順などにも関わってくる。つまり、作者たちは5・7・5の形式や音数律の枠を舞台とする表現の空間で表現活動をしている。したがって、風景や情景や事実の描写と見えても、そこには以上のような表現形式の舞台での作者の表現活動という具体的(抽象的、観念的、幻想的)な行動の数々が作品の背後にはある。
① 安倍さんは未来朴氏は過去語る
② 大臣の椅子のためなら変える主義
③ たわわの実シブでっせとの貼り紙が
(以上全て、「万能川柳」2015年12月10日 毎日新聞)
①から③、すべて事実を詠んだ作品のように見えないことはない。しかし、それらは事実そのものではなく、語の選択や転換に作者の対象に対する感受や判断・解釈が込められている。もし①が事実の歌なら、テレビニュースなど観ながらその対象の外に興味関心もなくぼんやりした状態で佇む作者の像を思い描くことになる。これなら事実を詠んだことになる。
①は、わが国の首相と韓国の大統領とを並べ、前者は(開かれた)未来を語り、後者は(閉ざされた)過去を語るというようにある価値判断や評価の下に対比的な表現で構成されている。「さん」と「氏」の対比も音数による制限と言うよりも、作者の対象に対する親疎を、つまり、作者の価値イメージや薄っぺらな政治意識を語るものと言えよう。①の作品には選者によるニコニコマークが付いているが、作品としてはつまらない駄作だ。
なぜなら、個の具体的な感情や感動というより、そんな日常の生活次元を抜け出して概念(薄っぺらな政治言語)に乗り移った、あるいは取り憑かれた上から目線の自己の感覚を歌っているにすぎないからだ。しかも、その総理は、(開かれた)未来を語れる器どころではなく、正しく復古的な(過去)亡霊を呼び寄せようとしている政治イデオロギーにイカレタ者に過ぎないからである。このように生活次元の感受や考えを抜けだした表現は、川柳という短い形式の言葉では特に、丘陵地のでこぼこなどは平坦に均されてしまって、つまらない作品になりがちである。
②は、具体的な大臣を想定しなくても成り立つ作品だが、行革担当相として安倍内閣に入閣した河野太郎自民党衆議院議員のことを指しているのだと思う。脱原発の考えを積極的に披露していたのに自身の考えと大違いの政権に入閣したという点を捉えた作品である。①の政治世界に乗り移ったイデオロギー的な視線(上から目線)と比べて、②は生活者の地上的な視線だと思う。ただし、政治世界にはそれなりの清濁の歴史や現状があり、つまり、外からよくわからない他人の家の事情を論ずるような微妙さがある。
③は、たわわに実った柿を見かけて、すごいなあなどと見とれていたら、側に「シブでっせ」という貼り紙があって、作者の柿に対する感動がひきづり下ろされたような気持ちを表出した作品である。ここでも前半と後半とが対比的に表現され、作者のがっかり感が表現されている。また、柿の歌もある正岡子規は、柿がとても好きだったらしいが、この作者も柿が好きなのだろう。好きだからこそ作品に詠まれたのではないかと思う。
わたしたちがふだん作品を読むというとき、半ば無意識的な状態で以上のような過程をもっと細かに通り抜けていくものと思われる。
ちなみに、③関しては似たような出来事として、『徒然草』10段に次のような話がある。
後徳大寺大臣の、寝殿に、鳶ゐさせじとて縄を張られたりけるを、西行が見て、「鳶のゐたらんは、何かは苦しかるべき。この殿の御心さばかりにこそ」とて、その後は参らざりけると聞き侍るに、綾小路宮の、おはします小坂どのの棟に、いつぞや縄をひかれたりしかば、かのためし思ひ出でられ侍りしに、「まことや、烏の群れゐて池の蛙をとりければ、御覧じかなしませ給ひてなん」と人の語りしこそ、さてはいみじくこそと覚えしか。徳大寺にも、いかなる故か侍りけん。
こちらは、別の事情があって西行は誤解していたかもしれないという話になっている。(註.現代語訳省略。必要な人は、ネットにあります。)人の日常に感じることは、生活の形や社会が変わっても時代を超えて通じる部分があると言えるだろう。