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ひとり考え続けていることを公開しています。また、文学的な作品もあります。

表現の現在―ささいに見える問題から ④(表現の無意識に触れ)上

2015年09月13日 | 批評

 外国映画、たぶんアメリカ映画と思うが、観ていて気になることがある。懐中電灯の持ち方がわたしたちと違っていることである。わたしたちと同様にアメリカの映画監督や俳優もおそらくそのことに無意識なんだろう。
 
 食事でも、欧米のナイフとフォーク、わたしたちの箸を使う、インドでは手を使う、などその摂り方の違いがある。さらに、わたしたちの箸を使うという以前は、おそらくインドのように手を使って食べていたという歴史的な推移の問題もある。しかし、食事の摂り方の違いがあっても、食事を摂るということでは人類、あるいは動物含めて、共通、普遍的である。
 
 こういう無意識の、つまり自然な行動となっているものは、世界のどの地域の人々にもそれぞれ存在しているはずである。そしてそれらはその地域での長い生活のくり返しの中から生み出されてきたものであろう。つまり、人のどんなささいな仕草や表情でさえ、それぞれの個性という固有性を超えて、ある地域の中で長い時間にわたって織り上げられてきた固有の結晶(固有の共同性、風俗、慣習)ということができる。したがって、外国人同士に限らず、異なる地域出身の人々が出会えば、互いにささいなことにも異和感を抱くことがあるはずである。そして、相互の付き合いの中からその異和感は次第に解消していくのだと思われる。
 
 文章においても割と無意識的な固有の慣習やその推移というものがある。現在では物語は、人間界の人と人とが関わり合う心や精神の物語が主流になってしまっているから、その自然描写の部分は、わたしたちは十分に味わうことなくおそらく無意識のように読み飛ばしているのではないか。おそらく遙か昔の人々が語りを聞くという段階では、そのような自然描写に相当するある地の描写などは聴衆はもっと切実なもの、感動を呼び起こすものとして味わっていたものと思われる。


いくさやぶれにければ、熊谷次郎直實、「平家の君達たすけ船にのらんと、汀の方へぞおち給らん。あはれ、よからう大將軍にくまばや」とて、磯の方へあゆまするところに、ねりぬきに鶴ぬうたる直垂に、萌黄の匂の鎧きて、くはがたうたる甲の緒しめ、こがねづくりの太刀をはき、きりうの矢おひ、しげ藤の弓もて、連錢葦毛なる馬に黄覆輪の鞍をいてのたる武者一騎、沖なる舟にめをかけて、海へざとうちいれ、五六段ばかりおよがせたるを、熊谷「あれは大將軍とこそ見まいらせ候へ。……」
 (『平家物語』巻九 敦盛の最期)
 
 
  この物語の語り手が、敦盛の戦衣装や武具や馬のおそらくすばらしさを次々に描写している思われる部分は、登場人物の熊谷次郎直實も「大将軍」の証として見つめているのだろう。おそらく当時の語りや物語においては〈貴人〉の証としてのこういう描写は必須のものだったし、観客や読者もまたその描写を必須のものと思ったに違いない。これから数百年後の、二葉亭四迷の『浮雲』(明治20年頃)の出だしでも、街中に出てくる勤め人たちの長ったらしい細かな描写から作品は始まっている。こちらは〈貴人〉の描写ではないが、無意識のうちに語りの描写の伝統を踏まえてるのかもしれない。しかし、現在のわたしたちはそのような両者の描写には深くは入り込めない。言いかえると、現在では余り感動を呼び起こせない、死語のような死表現になっているからだ。わたしたちの心から流れ出すある感性やイメージがすぐに言葉の表現に結びつくわけではない。その感性やイメージが時代の先端を走るものである場合はなおさらである。表現の定型との格闘を通じて新たな表現は実現される。二葉亭四迷の『浮雲』から約30年後の大正三年に書かれた夏目漱石の『こころ』では、人と人とが関わり合うこの世界の入口から、次のようにストレートに始まっている。現在のわたしたちが読んでも抵抗がないほどの練り上げられた漱石固有の表現の位相が獲得されている。
 
 
 私はその人を常に先生と呼んでいた。だからここでもただ先生と書くだけで本名は打ち明けない。これは世間を憚かる遠慮というよりも、その方が私にとって自然だからである。私はその人の記憶を呼び起すごとに、すぐ「先生」といいたくなる。筆を執っても心持は同じ事である。よそよそしい頭文字などはとても使う気にならない。
 私が先生と知り合いになったのは鎌倉である。その時私はまだ若々しい書生であった。 (『こころ』夏目漱石 青空文庫)
 
 
 こういう場面への入り方や場面の描写法という表現の歴史的な推移というものは、避けがたいものとしてある。また、こういう違いが気になるということは、病的であると見なさないならば、現在が、グローバル化した人と人との関わり合いでも、文学表現の世界でも、新たな段階に到っているということの促す現象であるのかもしれない。


現在とは何か―オリンピックの「エンブレム」盗用疑惑問題から

2015年09月04日 | 批評

 今回のオリンピックの「エンブレム」盗用疑惑問題で、次々に新たな盗用ではないかという指摘が上がっていた。誰がどうやって調べるのだろうと疑問に思っていた。威力を発揮したのは、画像検索などではないかと朝日新聞の記事(2015.9.2)にあった。(また、本日4日の朝8時代のワイドショーみたいな番組が「五輪エンブレム騒動で話題 ネット民のパクリ発見法」というのをやっていた)わたしは以前何という名の樹木かを知りたくてネットで調べようとして、画像検索というのがあることを知った。なるほど、検索機能が言葉だけではなく、画像にも拡張されたのかと驚いたことがある。将来的には音楽の検索も音でできるようになるのだろうか。因みに、グーグルの「ウェブ検索ヘルプ」によると、画像検索についての次のような説明がある。わたしもある虫の画像で画像検索をやってみたが、うまく検索できなかった。


○画像を使用して検索する

写真を使用して、関連する画像をウェブ全体から検索できます。


○画像を使用して検索する仕組み

画像を使用して検索すると、検索結果には次のものが含まれます。
・類似画像
・画像を含むサイト
・検索に使用した画像の他のサイズの画像

画像を使用して検索する機能は、画像がウェブ上のさまざまな場所に表示される可能性が高い場合に最適に動作します。そのため、個人的な画像(たとえば最近の家族写真)よりも、有名なランドマークの画像の方が多くの結果を得ることができます。


 ネットでの言葉の検索もそうだが、この画像検索もネット全体から瞬時に探し出してくるのだろう。幅やゆとりを含ませて類似画像や異なる画像サイズも検索に引っかかるようになっている。また、個人的な画像より社会的によく知られた者の画像の方が良い検索結果をもたらすということだから、今回の場合はそれにぴったりだったことになる。
 
 ところで、表現の盗用ということは、おそらく太古においては無意味なものだった。歌や絵や踊りなど、普通の人々が感じとったり成したりしている表現を普通の人々より上手にできる者たちは有り難がられたと思うが、現在のような著作権問題はなかったはずである。しかし、得意な表現力を持つ人々は、そこから次第に経済的にか地位・待遇としてか何かいいことがあるという風になっていったと思われる。
 
 近世あたりを含む近代社会では、個が社会の基底に置かれるようになったから、表現されるあらゆる芸術分野の作品には、個の作者が想定され、個の作者がその持てる力によって生み出した作品という見方が自然なものとなってきている。そして、それによって経済社会で生活していくというように組み込まれてしまっている。ただし、太古から芸術の表現というものを考えてみると、その見方は自然なものではない。また、現在の作家たちからも作者がすべてを造型するというよりも登場人物たちがこうせいああせいと語りかけてくるというようなことが、『ゲド戦記』の作者として知られているアーシュラ・K. ル=グウィンや、吉本ばななや、もうすぐ完結する『居眠り磐音江戸双紙』の作者である佐伯泰英などの、証言がある。
 
 わたしの場合は、現在の慣習を半ば尊重しつつも、著作権問題云々を言い立てるという考えはあんまりない。最初のエンブレムといわれるものも類似のものと比較して造型はほとんど同じでも色使いが違い、形や色に込めたイメージ(意味)は違うだろうと思う。つまり、表現における作者の選択というものだけは込められていることになる。ただし、現在の慣習ではこのようなことは盗用と見なされるということはある。
 
 昔、批評家の内田樹が、自分の文章は勝手に使っていいし、あなたの名前を貼り付けて自由に発表してもいいですよ、とブログに書き付けていたことがある。芸術表現を職業としてしている人々のことは一応棚上げして考えると、わたしの思いからは、こんなあっけらかんとした考え方や対処が、自由でおもしろいと思っている。
 
 しかし、人間の歴史が、起源や太古がどうであれ、現在に到り、現在のような有り様を示していることには、それなりの重みがある。したがって、作品において、どこまでが作者個人の固有のものや力が生み出したものであり、またどこまでがこの社会全体がもたらした無意識の贈り物なのか、など表現とは何かを含めて、表現の盗用という問題が考察されることは意味があることだと思う。けれども、わたしがここで取り上げたいのはそのことではない。
 
 気付いたときにはものごとはずいぶん深く進行しているということが多い。わたしたちの気づきはいつも遅れてやって来るように見える。それは事態が進行してみないと明らかにならないことが多いからでもある。今回のオリンピックの「エンブレム」盗用疑惑問題が、明らかにしたことがある。
 
 ネットという仮想的な世界に張り巡らされた電子網に連結されたSNSの普及によって、この複雑で高度な社会が、あたかも太古の小さな集落レベルの規模の社会として仮想的に現出している。このことの帰結として、その太古の小さな集落においては成員の家庭の事情などが他の成員に対して筒抜けである(このことは、太古に限らず、つい二昔くらい前までは現存していたと思われる)のと同様に、この仮想のネット社会でも、現実社会から連結してそこに足跡を残している人々や物事は、容易にその成員に知れ渡るということになる。
 
 わたしはオリンピック騒ぎには中性的な感情しか持っていない、あるいはこんな日本列島の現況では止した方がいいのではと思っているから、「エンブレム」問題にも本質的な関心はない。したがって、盗用疑惑がネットで次々に指摘されるのをぼんやり見ていた。それでも、ネットにすばやく現れる探索結果や反応には驚かされた。おそらく、問題の当事者たちもこの社会の筒抜けの可能性を持つ現状をうまく理解していなかったのだろう。
 
 この絶えず変貌を遂げゆく現在は、いかに秘密の扉でガードしたり、うまく隠れたつもりになっていても、あらゆる秘密や隠蔽が暴き出される可能性を手にしているのではないだろうか。わたしが探索しなくても、誰かが探索すればその結果をわたしたちは共有できることになる。この社会のどんな部署にも、人間的な内省の存在がありうるだろう、そんな個人的な、自由な、人間的なものにそのことは支えられている。

 


表現の現在―ささいに見える問題から ③

2015年07月26日 | 批評

 次の川柳作品は、近年わたしがよく目を通している新聞連載のものである。考える素材としての作品は、新聞連載の短歌作品でも構わないが、より身近で毎日掲載されているから取り上げやすいという理由がひとつ。さらに、短歌は芸術としての洗練が加わりがちだが、言い換えるとわたしたちの普通の生活者の生活感覚から抜け出た表現になりがちであるが、川柳には日常の生活感覚が生の形で現れやすいということもここで取り上げる理由である。
 
 
①まかせると言っときながら覗くボス
 
②税収減なのに外国援助増
 
③耳アカはどうしてるのか野生たち
 
(「仲畑流・万能川柳」毎日新聞 2015年07月17日 柳名(作者名)は略)
 
 
 わたしたちが作品へと表現の過程を馳せ上っていくとき、最初は誰でも表現の初心者であって見様見真似をしながら初心者なりに表現上の様々な苦労をする。しかし、何度も何度もくり返し作品を生み出すことをくり返していれば、作品を生み出そうという態勢に入り込んだら、ふいと言葉が湧き出してくるということもある。あるいは、そういう態勢に入り込まなくても、日常の行動の中にふいと湧き上がってくるということもある。あるいはまた、修練を積み重ねていてもうまく言葉が出てこないということもある。ここでは、初心者の時の苦労とはまた違った段階の苦労が押し寄せてくる。
 
 ところで、どんな作者であっても、作品の言葉を生み出す最初に当面することは、まず何を表現の対象として選択するのかということである。わたしたちは、可能性としては生きて在るこの世界のあらゆることを対象として選択し、表現の世界に言葉によって取り上げることができる。さらに、この作者の最初の選択は、意識的であってもその中には無意識的なものも加味されている。わたしたち人間は、例えば、現実のある行動において、どんなに計画的、意識的にあることを成し遂げようとしても、押し寄せてくる現実の中で何事かを織り上げていく過程には、無意識的な選択や行動も含まれている。作品を生み出していく過程においても同様のことが言える。
 
 この作者の表現における最初の選択は、作者固有の選択ということができる。しかし、その選択の背景には、作者がこの世界の有り様と日々対話をくり返しているということや、あるいはこの世界に流通しているある考え方やイメージと出会い、葛藤したり、親和したり、異和を放ったりしながら、日々対話をくり返しているということがある。作者は、その最初の選択から、川柳なら川柳の歴史的に積み重ねられてきた言葉の表現の世界の現在に滑り込み、言葉によってあるまぼろしの世界を生み出していく過程を踏んでいくことになる。そして、作品②のように現実に対する批判や批評性を持っていても、それらは作品として表現する過程では、積み重ねられてきた川柳という5・7・5の形式の中で、まず「税収減」と「外国援助増」の対比は正しいだろうかと判断・検討され、それらを「なのに」で連結し、対比的に構成する、などという表現上の苦戦に置き換えられていく。
 
 ここで取り上げるのは、その表現の過程の入口の問題である。この最初の表現する対象の選択は、①では、おそらく会社の仕事上のこと。②は、国の政治・経済のこと。③は、自然界の動物界のこと。ところで、吉本さんは、戦争を潜り抜けてきたその反省を込めつつ、実験化学者の手付きで、人間界で人が生み出す〈幻想〉(観念、考え、イメージ)に自己幻想、対幻想、共同幻想、という三つの基軸を設けて曖昧さの靄(もや)を打ち払い、それらの相互関係によって人間社会で流通する〈幻想〉の有り様を押さえようとした。このことを念頭に置けば、この人と人とが関わり合う人間界で、個の世界、家族の世界、職場などの具体性を伴う共同的な世界、政治や宗教等の抽象的な共同的世界、という風にいくつかの中心的な場面を取り上げることができる。そして、もちろんそれぞれの世界での個(作中の私や登場人物など[分身となった作者])の関わり合いの有り様にスポットライトが当てられるはずである。
 
 このように人間界(作品①②)だけでなく、自然界(作品③)にも作者固有の選択は及んでいく。いずれの作品も、その対象選択のなかに作者のある気づきが込められている。ある一人の作者にとって、なぜこのように対象選択が多様なのだろうか。それは、わたしたちが複雑な人間界においても、自然界においても、多層的な関係(関わり合い)の構造の中に置かれ、日々生活しているからである。もう少し正確に言えば、「多層的」という言葉は、次元が異なるという意味で「位相的」と言った方が正確かもしれない。


表現の現在―ささいに見える問題から②

2015年06月27日 | 批評
 又吉直樹の『火花』を読んだ。この作品は、「お笑い芸人」でもある作者の、自らが「火花」を散らしつつ直面してきた〈芸〉の内省的な表現の物語と見なすことができる。
 
 この作品には、読みながら「あれっ」と立ち止まってしまうような、お笑いの〈芸〉の内省的な表現の物語と同質の〈芸〉と見なせる自然描写がいくつか見受けられた。それはまた別の機会に考えてみたい。作品には、物語の主流もあれば、傍流もあるし、滞留もあるだろう。しかし、いずれにおいても、同質の流れが注ぎ込まれているはずである。例えて言えば、人が他人に重大な頼み事をする場合、他人の前でのその人の動作、表情などは、一般的にどうしてもその重大な頼み事をするという主流の流れに連動しているはずである。次に引用するのは、そんな目新しい描写ではなく、現在では月並みな表現に当たっている。
 
 
 空車のタクシーが何台も連なって走っていた。一台一台が僕の横に来ると様子を窺うように徐行する。それは僕を喰おうと物色する何か巨大な生き物のようにも見えた。神谷さんは、一体どこへ行ってしまったのだろう。  (『火花』 P136 又吉直樹)
 
 
 まず、「一台一台が僕の横に来ると様子を窺(うかが)うように徐行する。」という比喩表現で語られ、それに誘い出されるように「それは僕を喰おうと物色する何か巨大な生き物のようにも見えた。」の月並みな比喩が続く。しかし、この二つ目の比喩は、表現の必然性が感じられない。つまり、主人公「僕」の師と尊敬するお笑い芸人の「神谷」が失踪してしまったという不安感はあるはずだが、「僕」自身が世の中から追いつめられているようには描かれてきていないからである。この箇所は、「僕」=語り手と作者の連携の失敗と思われる。
 
 ところで、ここでの車が人の様子を窺うという比喩表現には、おそらくわたしたち読者の抵抗感はないと思われる。斎藤茂吉も短歌の中で似た表現をしている。
 
 ガレージへトラック一つ入らむとす少しためらひ入りて行きたり
                     (S10.『寒紅』)
 
 わたしたちが用いる道具や器具や乗り物などが、わたしたち人間の諸能力の延長や高度化であると見なせば、車の動きには運転している人の振る舞い方が反映、あるいは連動しているはずである。車を運転している人ならわかるはずであるが、他の車の振る舞い方には明らかに運転者の性格や振る舞い方が連動している。そして、様々な人々が存在するように、色々な動機も加わって様々な車が選択・購入され、様々に走り回っているから、自分に合わせた車の運転の注意の仕方だけでは足りない。ちょうど、人間認識において自分だけを基準にしては独善的になってしまうように。
 
 最後に、付け加えておきたいことは、今述べた人が車に乗り運転しているからということを超えて、別の考え方はできないかということである。人類は遙か太古には動物を人間と同類だと見なしていた段階がある。そして、現在でも動植物が言葉を話したりしても自然に受け入れることができる乳幼児期にはそのような意識が見られるのでなかろうか。つまり、この種の表現には、そうした人類の遙か太古の意識のなごりも密かに重畳していないだろうか。

『チベットの先生』(中沢新一 角川ソフィア文庫)を読む

2015年06月10日 | 批評

 中沢新一のチベット仏教の修行体験記だと思って注文し、取り寄せた本であるが、彼の師であるケツン先生の自伝だった。
 
 中沢新一の本はいろいろと読んでいるが、西欧のポストモダン的な哲学の概念や言葉を引きずっていて、ほんとかなという思いを抱きつつ読んできた。中沢新一が修業体験で触れた世界は、おそらくわたしたちが遙か昔に通り過ぎてきた世界、そしてまたわたしたちの心の奥底に今なお残留し続けているものと通じるものがあるという思いから、わたしはそのあまり語られていない修業体験の中身に関心を持っていた。しかし、本の中身が予想とちがっていたけれども、興味深く読んだ。
 
 ケツン先生の自伝は、主にニンマ派という密教修業の記録である。何人かのラマ(僧)との出会いがあり、瞑想修行などを通して、「自分の心の詳細な観察」を行いつつ、「心と存在の本当の姿をありありと見届けようとする」そのことが同時に、人がこの世界で生きる意味の追究に当たっている。いろんな修業の具体的な記述もあって興味深い。
 
 ケツン先生がチベットで生活し修業している間に、中国のチベット侵攻があり、家族と離ればなれになって、ケツン先生もインドに亡命している。日本にも十年滞在されている。
 
 この本に収められている中沢新一の序文やあとがきの文章は、西欧のポストモダン的な哲学の概念や言葉を行使することなく、ストレートに思いを語っているように感じられる。いわば、師との修業を通した関わり合いの具体性を伴うある深みから、言葉を表出しているように見える。
 
 
 かつてこの地球上には、人間が魂の成長ということだけを人生の重大事と考えて、自分の全生命をささげて探究をおこなっていた世界があったのです。」
 (「あとがき」中沢新一)
 
 
 現在、わたしも当然ながら働きお金稼ぎをやっているから、お金儲けするのは別に構わないけど、経済至上主義でそのためにあらゆることを巻きこんで突き進んでいる世界が一方にある。また一方で、芸術の世界(もちろんこの世界も経済との関わりを持つ)では、日々作品が作り出され、読者(観客)に読まれ(鑑賞され)ている。そこでは、悩み苦しみ、生きる意味の追究もあり、美や感動もあり、つまりわたしたちがこの世界に生きて在ることから来る心や精神の波立ちや躍動がある。

 あとがきの中沢新一の言葉は、このような芸術表現の中に、その規模のちがいはあっても形を変えていても現在でも継続されているのではないかと思う。そして、そのいずれの探究(かつてと今)の背後にも、わたしたち大多数の無名の者たちの主に沈黙の内に日々くり返される生活世界というものが古い岩盤のように存在しているのである。


人間生(人として生きる)について

2015年04月22日 | 批評

 現在までの研究の成果によると、人も、途方もない巨きな時間の中で、単純な生命体から様々な生物に進化・分化を遂げてきたことになります。これを思うと目まいのような気分になります。今は亡き三木成夫は、植物生から動物生への移りゆきを興味深く解き明かしてくれています。また、胎児の変貌の様子から魚類から爬虫類を経て人に到る人の進化の様子も明示しくれました。(註.1)

 危険があっても逃れられない植物生やそれなりの安楽を持ちつつも群れのむごい掟もある動物生と人間生がどこが違うのかと、遠い彼方の分岐してきた地点から想像の視線を走らせると、危険を避けたりむごさを解除可能なものにすることを人間は手に入れたのではないでしょうか。

 しかし、巨きな歴史の流れを眺めれば、宗教や制度や法としてかたち成してきたむごさや、人と人とが家族や社会の場で関わり合う時のむごさなどがいくらかは解除されてきていても、まだまだという気がします。そのことは、わたしたちが見聞きしたり、体験したりしている現在の世界の現状が示しています。

 この宇宙に偶然のように生まれた生命体の中から、さらに偶然のように言葉というものを手にし、内省することができる存在として、わたしたち人間が登場しました。現在の知見から判断して、もし、この銀河系がなくなればそこに存在するものは形をなくしてしまうのでしょう。さらに、この宇宙自体が無くなればすべての存在は消滅してしまうのでしょう。しかし、そうした宇宙史の中で、人類の歴史に「歴史の無意識」というものを想定すれば、わたしたち人類は、危難やむごさを次々に解除して安楽な生を欲求する、大きな川の流れに棹(さお)さしているように思われます。

(註.1)
人間の胎児は母親のお腹のなかで、受胎から三十六日前後に、「上陸する」とされています。つまり、水棲動物の段階から両棲類の段階へと進むわけです。
 この進化を確定したのは日本の発生学者、三木成夫(一九二五~八七)さんです。三木さんの『胎児の世界』(中公新書)によれば、人間の胎児は三十六日目前後に魚類みたいな水棲動物から爬虫類のような両棲動物へと変化します。つまり「上陸する」わけですが、そのとき母親はつわりになったり、精神的にすこしおかしくなったりします。たいへんな激動を体験しているわけです。三木さんによれば、水棲動物が陸へあがるときに鰓(えら)呼吸から肺呼吸に変わるわけですが、いかに困難な段階かということはそれでよくわかるということです。(『詩人・評論家・作家のための言語論』P8-P9 吉本隆明 1999年)

  (註.ツイッターのツイートを元に少し加筆訂正)


ツイッターについて

2015年04月08日 | 批評

(1/3)ツイッターというソフトを提供する側が、ツイッターというものに「ツイート」「リツイート」「お気に入り」「ダイレクトメッセージ」等々の諸機能を装備させた設計思想というものがあり、思惑やイメージもあるだろう。またユーザーの使用感に合わせた改良も行ってきているようだ。

(2/3)一方、ツイッターを利用する側からの感想としては、おそらく提供側の思惑やイメージを超えていると思われる。例えば、「リツイート」や「お気に入り」の具体的な選択の場面を考えても多様な動機があり得ると思われる。このことは生産―消費のどんなものについても当てはまるような気がする。使用者(消費者、またシステム設計者自身も含む)の動機の領域への想像や考察が、システムの改良やまた新たなシステムの創造を促すものと思われる。

(3/3)わたしたちが「リツイート」や「お気に入り」の選択をするとき、自分では見ることができなかったものと出会い、見ることができるという、わたしたちはいわば拡張された目を獲得しているということになる。そうして、そういうものをもたらす互いに多重のつながりの中に居ることになる。一昔前なら少しの画像でも扱うのが難しかった。ツイッターにおける膨大な画像がどう処理されているのか知らないが、ブロードバンドやシステム設計の現在的な技術力に支えられているのは確かであろう。

 (ツイッターのツイートに少し加筆訂正しています)


表現の現在―ささいに見える問題から①

2015年04月01日 | 批評

 ものごとは、どんなにささいに見えようともその本質は貫かれています。例えば、時々指摘される手紙の宛先の書き方について、その他の地域については知りませんが、アメリカやイギリスとわが国とでは住所(地名)を書き表す順序が逆になっています。前者は自分の居場所から始まり、後者では自分の居場所がどういう大きな場面の中にあるか、その大きな場所から始まります。ここではそのことの地域的な違いについて細かに考えることはしませんが、人々はおそらくなぜそうなのか考えることなく自然に書き記してきていると思われます。しかし、こうした一見ささいに見えることのなかにも、それぞれの地域の人々の長く積み重ねられ来たものの認識や社会意識の有り様が潜在しています。
 
 まず、取り上げる素材として扱いやすいという理由に過ぎませんが、自分の作品から取り出して考えてみます。作者(表現の現場に足を踏み入れたわたし)の、作品へと表現する過程の内部に照明を当ててみます。わたしは西欧の波をかぶって近代にはじまる自由詩(現代詩)はずいぶん書き慣れていますが、短歌は今までほとんど経験がなく今回初めて集中的に書き出しました。したがって、57577の音数律(音数の組み合わせが作り出すリズム)を意識していても無意識的にも自由詩の方に引き寄せられているかもしれません。そういうわけで、短歌の世界や短歌表現を長らく本格的にやられている人々を意識して、「短歌味体な」(短歌のようなスタイル)と自身を少し控えめにあるいは自由に位置づけています。
 
 
外力と内力と(そとからうちからひびきあい)
揺れ揺られ
ひとひらひらの流るる小舟

 註.例えば、椿の花びらの落下から
 (短歌味体な Ⅱ 16  椿シリーズ)
 
 
 この作品で、「外力と内力と」を無理やり「そとからうちからひびきあい」とルビを振り読ませています。作者としては、前者、あるいは後者だけの言葉では不満がありました。前者だけなら硬めの物理的な論理の言葉になり、後者だけなら情感的な言葉の方に片寄りすぎるという感じを持ったのだと思います。また前者は57577の音数律からすれば破調をなしています。しかも力強い感じを与え過ぎます。そこで、前者と後者の二重化の表現を選択したのだと思います。一般に、短歌のような定型詩は、音数や音数律の制約(考えようによっては、制約による自由)がありますから、自由詩などとは違って言葉が和語的な方に吸引されがちに見えます。
 
 前者と後者による二重性としての表現は、積極性として理解すれば日本語の自由度とも見なせますが、マイナスと考えれば和語的な日本語の論理性のなさからくる補填(ほてん)と見なすこともできます。言い換えれば、言葉の概念や論理性を駆使しながら情感的な生命感を込めたいという作者の欲求がそのような表現を選択したということになります。作品としての出来不出来は別にして、作者の日本語としての十全な表現への欲求がそういう表現を選択したのです。
 
 このわたしの表現の内部での選択の揺らぎの問題を歴史性の方に返せば、この列島から見て硬質の論理性を持つ中国の漢語・漢文の大きな波をかぶり、この列島の人々(主に知識上層)が、漢語・漢文から万葉仮名を、そしてさらに平仮名や片仮名など生み出し、現在に受け継がれている、漢語と和語とを組み合わせた漢字仮名交じり文を創り上げていく過程で、直面した言葉の表現の問題があります。漢語を日本語化しながら漢語と異質な和語と組み合わせていくわけですから、そこには様々な困難や苦労があっただろうと推測できます。そして、そこで直面した言葉の表現の問題は、その起源からの刻印のように現在のわたしたちの表現の場においても、起源の困難や苦労がずいぶん希釈された形で、つまり無意識的な感じで、くり返されているのだと思われます。


二つの視線から

2015年03月28日 | 批評

 視線といえば普通は人間含めて動物に対して使われるが、人工衛星から捉えた画像も人間の拡張された目が捉えたものと考えれば、人工衛星からの視線として扱っていいと思われる。まず、「火の昔」から柳田国男の視線を取り上げてみる。
 
 
 この石油ランプから電燈へ移って行く中間に、都会地だけにはさらに今一種、瓦斯燈(ガスとう)というあかりの方法が行われました。これは石油に比べると、さらにずっと短い歴史しかもっていませんが、三府五港というような大きな市街では、一時は街燈が全部このガス燈になっていて、夕方になると人夫が長い竿(さお)に火の附いたものを持って、この街燈の瓦斯に火をともしにあるきまわっていました。今になって考えたみるとこの最近の四五十年間というものは、日本の夜の燈明に関する限り、過去は申すに及ばず、遠い将来にかけても、ちょっと想像のできないような大きな変化が、連続して起こっていたのであります。私は大正の始め頃に、愛知県のある海岸の岡の上に登って、東海道の村々の夕方の燈火が、ちらちらとつくのを眺望していたことがあります。いつになったらこの辺の農家の屋根が、全部瓦葺きになり、そうして電気がついてその下で働くことになるだろうかと、よほど遠い未来のように想像してみました。ところがたいていの世の中の改良というものが待遠(まちどお)であるのに反して、これだけは予想よりはるかに早く、実現したのであります。その時からわずか十七八年の後、再び同じ場所の高みから里を見ると、見える限りの屋根屋根がすべて瓦葺きで、どの窓にも電気の燈があかあかと映っていたのにはびっくりしました。国には数千年を経ても少しも変らぬものが確かにありますが、一方にはまたこれほどにも激しくえらい速力で、しかも何人も気がつかずに、変って行く燈火のようなものもあるのであります。
 (「火の昔」P242-P243『柳田國男全集23』ちくま文庫)
 
 
 柳田国男は、まず「大正の始め頃に、愛知県のある海岸の岡の上に登って、東海道の村々の夕方の燈火が、ちらちらとつくのを眺望して」いる。それから「十七八年の後、再び同じ場所の高みから里を見ると、見える限りの屋根屋根がすべて瓦葺きで、どの窓にも電気の燈があかあかと映っていた」のを目にして、彼の予想に反してその急激な変貌ぶりに驚いている。こういう高いところから人々の生活している集落や農耕地を眺めるということは、柳田国男がそのことに関して意識的かどうかは別にして、古代の「国見」の風習につながるものと思われる。古代の「国見」には人々の生活世界の状況把握と同時に宗教的・儀礼的な意味もあったようだ。
 
 しかし、この近代の旅人、柳田国男の視線にはもはやその種のものは窺(うかが)い知ることはできない。ただ、生活する人々の家々がおそらく茅葺きかワラ葺き屋根から瓦葺き屋根になり、ということは、替えの茅やワラの確保や何年か毎に集落の共同作業で行われるきつい屋根葺き替えの仕事が軽減されるということであり、また石油ランプから電燈へと変わるということも火の管理をする必要がなくなり、しかもずいぶん明るい照明となり、いずれも人々の生活環境の改良になっている。集落の住民たちは、そういう改良をおそらく驚きと共に喜ばしいものとして受けとめただろう。柳田国男もこれらの改良による人々の生活の変貌を想像し、人々のそういう思いに共感して喜ばしく思い、その人々の喜ばしい思いに自分の共感する思いを重ねるように表現しているように思われる。
 
 例えば、「いつになったらこの辺の農家の屋根が、全部瓦葺きになり、そうして電気がついてその下で働くことになるだろうかと、よほど遠い未来のように想像してみました。」とある。この「その下で働くことになる」という柳田の想像の視線から来る表現は、単に上から眺めている視線ではなく、明らかに柳田が今までに見知っている農の現実を踏まえて、農を営む人々の目線から想像を繰り出しています。上の文章を読みたどれば、そういうことが言えると思う。
 
 つまり、高いところから人々の集落を眺めたら、家々が瓦葺きになり電灯が点っているという風景としての変貌はつかむことができるが、その変貌がその集落の人々にもたらしているものをつかむことはできない。したがって、その変貌を喜ばしく思えるためには、その集落の人々と同じ目線から眺めるということ、つまり、そのような想像の視線から眺めるということが必要になる。こうして、ここでの柳田国男は、集落を眺めるという高いところからの視線を行使しながら、同時に集落の人々と同じ目線という想像の視線を行使しているということができる。
 
 二つ目は、人工衛星から見た画像である。(以下に引用した画像2枚。「シリアから消えた灯。衛星画像は語る(比較画像)」The Huffington Post 2015年03月15日 )これはツイッターを通して出会ったものである。
 
 少し前、北朝鮮の夜の灯りが他の諸国に比べて暗くなっているという衛星画像の比較をツイッターを通して出会い、見たことがあった。シリアの夜の灯りを示す衛星画像もそれと同様のものである。しかし、前者が同時的な諸国間の地域的な差異を示しているのに対して、後者のここに挙げた衛星画像は、同一地域の時間的な差異(2011年と2015年のシリアの諸都市の夜の灯りの画像)を示している。
 
 わたしたちは、マスコミを通してシリアを脱け出している多数の難民がいるなど地上を飛び交う様々なシリアを巡る情報に出会うことができる。そのなかには真偽がはっきりしないものもあるかもしれない。また、作為や虚偽も混じっているかもしれない。わたしたちは、出会う世界が拡大してきた代わりに、マスコミを通して知るなどという間接的な出会いが多くなってきている。それは信頼性が持てるのだろうか、というわたしたちが抱く疑念や知ることのためらいは、この間接性と世界には集団的な作為や虚偽が存在するということに起因している。
 
 ところで、人工衛星の高度からの、おそらく画像処理されたものであろうが、その人間の拡張された高度からの視線は、2011年と2015年のシリアの諸都市の夜の灯りの明るさの違いしか映し出さない。そして、これが偽造の画像でない限り、最低限これだけは真と見なすことができるということを示している。つまり、2011年と2015年のシリアの諸都市の夜の灯りの変貌は、多数のシリアの住民がその地からいなくなったということを示している。しかも、現地に行ってあれこれ見聞きしたり、調べたりすることなく、公開された衛星画像を通して知ることができる。なんだそれだけかという思いも湧いてくるかもしれない。
 
 しかし、この人工衛星からの視線は、偽造などの操作が成されない限り、地上を飛び交う作為や虚偽などに着色される情報に対して、ひとつの優位を持っている。それは地上的な情感や倫理や対立的な見方などを脱け出て乾いた視線に見えるけれども、地上的な作為や虚偽を免れる普遍的な視線を意味しているように思われる。そして、その視線は、その画像を見るわたしたちにその諸都市の明るさの差異は何に起因するどのような状態を意味するのかという問いを投げかける。つまり、シリアという遠い、よくわからない地域でありながらも、わたしたちと同じような住民が日々生活していたのだ、いるのだという、わたしたちの地上的な想像の視線を行使するよう迫ってくる。
 
 現在では、衛星からの視線による地上のものの位置情報把握と制御など農機具はじめあらゆる分野に及んでいる。わたしたちの現在は、人工衛星の高度からの視線を獲得し、それを様々な分野に応用し始めている。上のシリアの二枚の衛星画像もそういう現在の流れの中から現れてきたものである。