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浄瑠璃姫

2006年03月18日 | Weblog
岡崎に浄瑠璃姫に関する遺跡が沢山あります。

岡崎公園の横には供養搭、
国道1号線をはさんで 松坂屋の横には浄瑠璃寺、
身を投げたという菅生川には浄瑠璃ケ淵、
姫を葬る誓願寺、
義経が姫の菩提を弔うために建てたという安心院等々 
本当に国道1号線沿いにいっぱいあります。

伝説となっておりますので 
本当かどうか定かではありませんが、
浄瑠璃・・・は岡崎が発祥の地です。由来だそうです。

先年薬師寺の副住職さんや 
人間国宝の竹本住大夫さんが岡崎園遊会に来られそのようにお話されておりました。ビックリです。
凄い岡崎!!

又園遊会では岡崎の呉服屋さん達が岡崎市に寄贈した 
義経と浄瑠璃姫のお人形が披露されました。
 
今製作中だと言う義経と浄瑠璃姫の浄瑠璃 
出来上がる事・・・楽しみにしております。 
三味線の方が作曲されているそうです。

3月14日に岡崎まほろば塾の講演会があり、
大盛況だったそうです。
人間国宝竹本住大夫さんの浄瑠璃と岡崎、
薬師寺山田副住職さんの持統桜〔持統天皇お手植えの桜〕と岡崎等 
興味深いもの・・・見に行けず残念でした。


義経と浄瑠璃姫のお人形は市役所で飾りますと 
市の方が言われていたので飾ってあると思いますので見に行ってください。〔現在リブラで展示〕
人形の写真を披露いたします。1.5m位の大きい物です。

尚伝説は  
矢作〔やはぎ〕の年老いた老夫婦〔長者 兼高夫婦〕が 
鳳来寺の如来から授かった子 
浄瑠璃姫と義経の悲しい恋の物語・・・です。
義経が平泉の藤原家を頼って旅を続ける途中
宿としてお貸ししたのが長者の家。
そこで浄瑠璃姫の琴と義経の笛と吹き合わせをし・・愛が生まれたという。
義経は平泉へ行かなければならないので 
形見の名笛薄墨〔うすずみ〕を授け矢作を去った。
浄瑠璃姫は義経を日ごとに慕い思い、 
添えぬ恋に菅生川に身を投じ短い人生をとじました。




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