すごうじんじゃと呼びます。
もうすぐ・・・暑い夏がやってきます。
岡崎は・・・今年も暑そうです。
岡崎の花火は菅生神社から始まりました。
三河花火が・・・ここでも活躍します。
神社は現在 例祭として花火に携わっておりますが・・・
古は7月19日に行われておりました。
菅生川〔乙川〕に浮かべた鉾船の上で行われる花火が主でした。
金魚花火の川で泳ぐ花火・手筒花火等の船の上から行われる花火を・・・皆さんで楽しんだようです。
観光花火になって?船〔3隻の船〕の花火と川岸から打ち上げる花火が加わり・・・盛大な花火大会になりました。20000発の花火・・・
菅生川〔乙川〕と矢作川の2箇所から打ち上げられる花火・・・岡崎の人口より多い観光客が来られます。
神社は
岡崎で最古の神社です。
日本武尊が東征の時、高岩〔現在の菅生川畔の満正寺あたり〕で矢を作り、賊にむけて矢をはなった。その一矢が・・神風にのり小川を流れたと言う。
そのことから川を吹矢川と名づけ・・矢を御霊代と仰ぎ・・・伊勢の大神を祀り・・・吹矢大明神と申し上げたと言う。
先日ブログに
甲山寺の時、寺記に日本武尊が甲を埋めたと・・・載せましたが・・その時代のお話です。
その後日本武尊と姫と王子も祀り・・稲前神社惣社神明宮と申し上げ、吹矢大明神の名とともに・・・武門の神として松平始祖の親氏から松平一族が崇敬し祈願所とした・・
その後、京都伏見から稲荷大明神も合わせて奉り
家康の祖父 清康が岡崎城に入る際には 開運稲荷大明神も一緒に菅生神社に祀ったと言う。
1517年の洪水の時・・額田郡宮崎郷に天王宮の御流着があり菅生天王宮とした・・・
そして明治元年に現在の菅生神社と改められました。
何度も名を変えておりますが、江戸時代は岡崎城内の鎮守の守護神として代々の祈願所と御参りされておりました。
神社は岡崎公園の菅生川沿いにあり、岡崎グランドホテルは菅生神社に隣接しております。
日本武尊から始まった矢は・・・
岡崎の矢〔匠で少し紹介しています〕として伝説の地で継承されている!
伝統的なものでした。
矢は矢作川の竹を使い、竹を磨く砂は矢作川の砂を使用しているとか。
今年の花火大会は8月5日です。
雨天や川が増水した場合順延されます。
今年は・・・桟敷席で見られたら幸せですが・・・
もうすぐ・・・暑い夏がやってきます。
岡崎は・・・今年も暑そうです。
岡崎の花火は菅生神社から始まりました。
三河花火が・・・ここでも活躍します。
神社は現在 例祭として花火に携わっておりますが・・・
古は7月19日に行われておりました。
菅生川〔乙川〕に浮かべた鉾船の上で行われる花火が主でした。
金魚花火の川で泳ぐ花火・手筒花火等の船の上から行われる花火を・・・皆さんで楽しんだようです。
観光花火になって?船〔3隻の船〕の花火と川岸から打ち上げる花火が加わり・・・盛大な花火大会になりました。20000発の花火・・・
菅生川〔乙川〕と矢作川の2箇所から打ち上げられる花火・・・岡崎の人口より多い観光客が来られます。
神社は
岡崎で最古の神社です。
日本武尊が東征の時、高岩〔現在の菅生川畔の満正寺あたり〕で矢を作り、賊にむけて矢をはなった。その一矢が・・神風にのり小川を流れたと言う。
そのことから川を吹矢川と名づけ・・矢を御霊代と仰ぎ・・・伊勢の大神を祀り・・・吹矢大明神と申し上げたと言う。
先日ブログに
甲山寺の時、寺記に日本武尊が甲を埋めたと・・・載せましたが・・その時代のお話です。
その後日本武尊と姫と王子も祀り・・稲前神社惣社神明宮と申し上げ、吹矢大明神の名とともに・・・武門の神として松平始祖の親氏から松平一族が崇敬し祈願所とした・・
その後、京都伏見から稲荷大明神も合わせて奉り
家康の祖父 清康が岡崎城に入る際には 開運稲荷大明神も一緒に菅生神社に祀ったと言う。
1517年の洪水の時・・額田郡宮崎郷に天王宮の御流着があり菅生天王宮とした・・・
そして明治元年に現在の菅生神社と改められました。
何度も名を変えておりますが、江戸時代は岡崎城内の鎮守の守護神として代々の祈願所と御参りされておりました。
神社は岡崎公園の菅生川沿いにあり、岡崎グランドホテルは菅生神社に隣接しております。
日本武尊から始まった矢は・・・
岡崎の矢〔匠で少し紹介しています〕として伝説の地で継承されている!
伝統的なものでした。
矢は矢作川の竹を使い、竹を磨く砂は矢作川の砂を使用しているとか。
今年の花火大会は8月5日です。
雨天や川が増水した場合順延されます。
今年は・・・桟敷席で見られたら幸せですが・・・