大川原有重 春夏秋冬

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「住民戻れるまで向き合う」 横浜市消防局 特別高度救助部隊・日比谷隊長

2013-09-24 17:28:11 | 原子力関係
東京新聞
2013年9月24日
東日本大震災から二年半、全国の消防は、被災地の消防本部に消防士やレスキュー隊員を派遣するなどの支援を続けている。横浜市消防局も延べ五百十五人の職員を派遣。六月、福島県双葉町などに派遣された特別高度救助部隊長の日比谷岳徳(たかのり)消防司令補(39)は「原発事故とは故郷を失ってしまうことなのか」と、東京電力福島第一原発事故の悲惨さをあらためてかみしめた。 (小沢慧一)
 双葉地方広域市町村圏組合消防本部の管轄地域では、震災後の人員不足に加え、警戒区域などの再編で人の出入りが増え、火災のパトロール強化が必要になっている。今年四月、同本部からの応援要請が消防庁を通して全国の消防本部にあり、日比谷隊長は横浜市消防局派遣隊として六月初旬から約二週間派遣された。
 「ここはにぎわっていたのかな」。全住民が避難している双葉町内の商店街を消防車で巡回しながら思った。
 双葉町には電気が通っており、信号や街灯がついていて明るい。所々倒壊した建物もあるが、そのまま住めそうな家も多い。だが、原発施設がある同町は、96%が原則立ち入り禁止の「帰宅困難区域」で、人を見かけることはほとんど無い。
 「普通の災害ならば、家を失っても再びその土地に建て直すことができる。だが今回は違う」。終わりの見えない原発事故被害に恐ろしさを感じた。
 同本部への派遣は日比谷隊長が自ら志願した。それは震災のあった二年半前に派遣された際、果たせなかった救助や任務への思いからだ。
 二〇一一年三月十一日の震災発生当日は、仙台市宮城野区へ派遣された。任務は沿岸一キロ以内の地域の捜索活動。現場は町ごと津波に流されており、五日間「誰かいませんか」と何度も呼び掛けた。しかし返答はなかった。
 同区内を消防車で移動する際、被災した人たちが感謝を伝えるためか、自分たちに拝むようなポーズをしていることに気付いた。「生存者を助けたかった」。冷静でいようと押し殺していた感情が爆発して涙が出た。
 同月二十三日にも東京電力福島第一原発事故で、3号機の使用済み核燃料プールに海水を注入する作業に向かった。作業開始直前に施設から黒煙が上がり、作業は中止。撤退を余儀なくされた。
 日比谷隊長は「三度目の派遣は、二度悔しい思いをして、次こそは役立ちたいとリベンジのつもりもあった」と明かす。だが、双葉町などの現状は復興までまだ遠い。「住民が故郷に戻れるようになるまで、地元の消防士などと一緒に震災と向き合っていきたい」と意気込む。

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