大川原有重 春夏秋冬

人は泣きながら生まれ幸せになる為に人間関係の修行をする。様々な思い出、経験、感動をスーツケースに入れ旅立つんだね

核燃再考 変貌30年(上)六ヶ所村のいま 平穏、核と引き替え

2014-05-05 21:55:29 | 原子力関係
核燃再考 変貌30年(上)六ヶ所村のいま 平穏、核と引き替え河北新報


かつて「鳥も通わぬ」と言われた青森県六ケ所村。中心部にはコンサートホールやショッピングモールが並ぶ

 青森県下北半島には東通原発、建設中の大間原発、使用済み核燃料再処理工場など、全国に例のない数の原子力関連施設が集中立地する。核燃料サイクル施設の立地申請から30年たつ。40年前の原子力船「むつ」の歴史を起点に国のエネルギー政策に翻弄(ほんろう)されてきた青森で、核燃問題を考える。(青森総局・狭間優作)

◎人間関係 見えぬ壁なお

 青森県六ケ所村はヤマセの通り道だ。まさかり型の下北半島の柄の部分に位置し、夏に冷たく湿った風が吹く。かつては村民自身が「鳥も通わぬ」と呼ぶ荒涼な土地だった。そこに今、ショッピングモールやコンサートホールが立つ。
 平日の昼、幼子が母親と手をつなぎ、楽しそうに歩く姿があった。建設関連会社の社長種市治雄さん(47)は「核燃が来る前は、そういう平凡な風景も見られなかったんですよ」と話す。

<盆と正月だけ>
 人口は約1万1000人。数字は30年前とあまり変わらないが、昔は基幹産業がなく、子どもたちは中学を卒業すると集団就職で上京し、父親は出稼ぎに出た。一家全員がそろうのは盆と正月だけだった。
 今、村には使用済み核燃料再処理工場やウラン濃縮工場など、建設中も含め日本原燃の核燃料サイクル施設がひしめく。
 種市さんの会社は、再処理工場の保守管理などを手掛け、売上高4億円のうち約7割を原燃関連が占める。従業員は59人。種市さんは「将来も現状維持が目標。社員がいつまでも笑って暮らせれば、それでいい」と生活の安定を一番に考える。

<原燃城下町へ>
 1984年4月20日、電気事業連合会(電事連)が青森県に核燃サイクル施設の立地を申し入れた。その日を境に、村は原燃城下町へと変貌していく。激しい反対運動が起きたが立地は進み、県内で常に下位だった村民の所得水準は急上昇。2006年度には、雇用者所得や企業所得の合計を人口で割った1人当たりの村民所得が1558万円に達し、県内の過去最高を記録した。以来、県内1位を維持している。
 平穏に見える今の村の姿を、昔の闘争を知る泊地区の新聞販売店の松下志美雄さん(58)は、複雑な表情で眺める。「人間関係の修復までに10年かかった。見えない壁は今もある。昔、怒鳴り合った者同士が会話すると、顔が引きつっている」
 漁業中心の泊地区は、核燃をめぐり賛否が真っ二つに割れた。親族、幼なじみ同士がいがみ合い、平穏だった漁師たちの人間関係は崩壊した。

<「想像できぬ」>
 それから30年。漁港で機動隊と激しく衝突した知人は、原燃の警備関係の仕事に就いた。その姿を見た松下さんに、知人は「過去のことは言うな」と、ばつが悪そうに語ったという。
 松下さんはしみじみと話す。「1年を通して、家族が一緒に生活できるということが当たり前になった。核燃に反対とか、賛成とか、そういう議論はもういい。核燃サイクル施設がなくなることは、今は想像できない」


2014年05月05日月曜日

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