シロ猫ピッピの「おいら物語」

生死をさまようガン闘病中に人間の言葉がわかるようになったシロ猫ピッピの物語。ニュージーランドからお送りしています!

Vol.0322■天寿

2007-09-24 | 最後のメッセージ
おいらは死ぬ5日前から「カミサマの水」ってのを飲んでた。
「カミサマ」んとこに置いてあった水さ。ほんのちょっとしかなかったから最初は足りなかった。
「ドーンと1リットルくらい置かしてもらったらどうだ?」
って連れ合いが言ってたけど、最後はそのほんのちょっとも飲めなくなってたな。
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朝になると、アイツは「カミサマ」ってもんの前で手を合わせてムニャムニャムニャ。
頭のテレビにはいろんなもんが映る。「カミサマ」は紙みたいなもんで、水と白い喰いもんをあげる。
紙がそんなもん喰ったり飲んだりするのか?

一度、アニキが「カミサマ」が並んでるところに飛び乗って、アイツらは、
「チャッチャが神様になった!」
って大騒ぎの大笑い。アニキは立ってる紙を蹴倒して戻ってきた。

(カミサマになったアニキ。アニキの前にあるのがおいらが飲んでた「カミサマの水」→)

でも、アイツの頭のテレビに映るムニャムニャムニャは見てると面白い。
「へー。そんなこと考えてんのか。」
っていうのもあるし、おいらが知らない四つ足や場所が出てくることもよくある。
ガンがわかってからは、おいらもいっぱい出てきた。あと、アニキも。
ときどき忘れんのか、出てこない日もあったな。

ガンがひどくなってから必ず出てきたのが、
「ピッピがガンで死にませんように。草木のようにテンジュをマットウして、いつか枯れるように消えるように、静かに苦しまずに逝きますように。」
ってのがあった。
テンジュ?マットウ?

「顔より広がってるガンができてるってのに、“ガンで死にませんように”か。ふーん。」
でも、それもいいかもな。
静かに、苦しまずに、草や花みたいにか・・・。
それがテンジュで、マットウなのか?
痛いのと苦しいのはヤだった。1回目のガンみたいなことがまた起きるんだったら、ホントに死んだほうがよかった。2回目だし、トシもとったし、同じことは「もうできない」ってわかってた。

8月の終わりにアイツらの友だちがイヌを連れて遊びに来たことがあった。
そのイヌもガンだった。デッカいガンがずっとあったんだけど、取ったんだと。
「これから、どうなるかはわからないけど、今のところ手術は成功ね。でも、このコはガンでは死なないと思うの。なんでかわからないけど、そんな気がするの。」
ふたりの二本足はイヌをナデながら話してた。

おいらは顔がガンでパンパンになってたけど、庭を散歩できたし、イヌを見てもコワいとは思わなかったのでけっこう近くにいた。
「私もそう思ってるの。どうしてかわかんないけど、ピッピはガンでは死なないって信じてるわ。」
アイツがそう言うのが聞こえた。
そうか、そうなのか。ガンじゃなくて、テンジュで死ぬのか?

9月になると、おいらのガンは毎日少しずつ消えてった。そして、命も。
ホントに静かに苦しまずに。アイツがムニャムニャ言ってたとおりにね。
それでよかったんだよ。

(←「9月だ、9月だ♪」ってアイツが掃除してたよな)
(たぶん、つづく)


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