虚空漂浪日記

魂の開放を求めて、右往左往。嫌われものの”宗教”の根本を捜し求める日記です。

眠れません(△_△)

2005-12-13 04:51:45 | 宗教


仕事をしてから2ヶ月になりました。
身はボロボロのようですが、一応、心は健全です。

余りにも疲れすぎると、ブログを書く気力もなくなりますねぇ~。

今、一緒に働いている人が言いました。
「俺は元土方をしてたけど、ここはもっとキツイ・・・。」(え~、そうだったのぉ~と一刀斎)

といっても、後には引けませんね。

夜、アルバイトで働きに来ている人の中には、私の腕の2倍はある人がバリバリ動いていますが、なにせ、あたしゃ~、元頭脳労働者ですからねぇ~。

といっても新人ですから、せっせと働きました(セッセ、セッセ)。
よく見ていると、皆さん、それなりにちんたらしてることが分かりました。
適当に手抜きしないと、持たない訳ですね。

で、セッセと働いていたら、この間、3人が辞めた最もキツイ部署に移されました。何ということでしょう!

今日は奇妙に寝付かれません。

この仕事を始めてから、息子に言われました。
「パパ、ブログ書いている時はお金なかったけど、生き生きしてたよね。でも、今は半分死んでる・・・。」(ガ~ン)

考えてしまいますね。

てな訳でず~とサボっていましたが、今日は眠れないこともあり、気になっていたこともあり、ミーナさんへの返事がてら書くことにしました。

前回の続きで、「知恵の実」のことですが、スウェデンボルグはこれを「地上的な知覚」のことだととっています。

生命の樹を「霊的、天国的知覚」と捉え、それより下位にある知覚として考えた訳ですね。

人間は「知恵の実」を好んで食べた故に、堕落したとも言っています。

そうでしょうか?

スウェデンボルグは偉大な科学者であり、偉大な霊能者ですが、この解釈については納得できないわけです。

前回のブログで私は「自由を得た」と書いたと思いますが、思考の自由を得ることにより「善悪」が生じたと思うわけです。

神の思考に善悪などというものはありません。元々、神から出たものですから、善も悪もあろうはずがありませんね。

スウェデンボルグ流に言えば、”神の思考”が「霊的・天国的知覚」で、「地上的な知覚」が善悪を考える自由をえた”人間的な思考”ということになるかも知れませんね。

実は、スウェデンボルグも神から自由を与えられたことには言及していますが、ちょっとニュアンスが違うのですね。

スウェデンボルグから引用してみると、次のように言っています。

「生命の樹の実を食べるということは、『天の理』からその生命と知恵を直接受け入れるということである。これに対し、知恵の樹の実を食べるということは人間が自分の知恵によってものごとを理解するということである。」(「霊界からの手記」より)

正しいような、そうでないような気分です。

何が引っかかるかといえば、”人間”というところなんですね。

肉体的・人間社会的な意味において、残念ながら自由などというものはありませんね。

我々は自然に支配されていますし、自然の一部である肉体に支配されていますから、肉体的な意味では一寸したホルモンのバランスを崩しただけでも肉体的・精神的におかしくなります。

しかも、人間が創り出した社会の中でアクセクしているのが実態ですね。

人間は、二重の意味で縛られて生きているわけです。

さてはて、自由はどこにあるのでしょうか?

とどまるところ、思考すること、意思することにのみあるのですが、それさえも人間社会の様々な情報操作によって縛られているとしたら・・・。

とはいえ、思考すること、意思することは自由であるといえるでしょう。

そこで問題となるのが、霊界との関係なのですね。

思考することは実現する、というのが霊界の一つの法則だと言われています。

はて、困った。現状のままでは、霊界は大混乱になりはしないでしょうか?

知恵の実について考えてき始めてから、「思考する自由」「霊界の秩序」「輪廻転生=生まれ変わり」は密接な関係にあるのではないかと思い至ったわけです。

キリスト教などにおいては、輪廻転生などありえないことになっていますが、スウェデンボルグも霊界において生まれ変わりがあることを不思議なこととしながらも、例外的な事実として認めています。

元々、初期キリスト教(ユダヤ教の一部)では、生まれ変わりについて認めていました。

聖書をよく読むと出てきますので、興味のある方は探してみてくださいね。

そろそろ寝ないと・・・。朝の7時になろうとしてます。

では、また、次を書きますが、間が空くかもしれません。お許しあれ!




















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2 コメント

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次回を気長に待っています (ミーナ)
2005-12-13 13:06:12
 わぁー、すごい。やっぱり一刀斎さんだ。



 この記事を何度か読ませていただいて、私の中でも、何かすーっと解けていくものがありました。

 神の意思と自分の意思と重なり合った時というキーワードが響いています。ありがとうございました。



 お仕事、大変そうですね。でも、一刀斎さんらしいななんて思ったりもしました。それに息子さん、鋭く突いていますね。ただものではないでしょ?

 そうそう、こんな話を聞いたことがあります。外的なものに恵まれている人は、そういったものがなければ生きられない霊魂の人であり、反対に苦難や苦悩を与えられている人は、そういった外的なものがなくても立ち向かっていかれる強い霊魂を持った人だと。



 今年の世相を現す文字は「愛」とのこと。こんな素敵なものを書いてくださる一刀斎さんに、ミーナよりありったけの愛を込めて、頑張ってくださいね。
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ありったけの”愛”をありがとう! (拝 一刀斎)
2005-12-14 05:42:52
ミーナさん、こんばんわ^^

また、今夜も眠れません。

それで、コメントを頂いた狼さんに、なが~いコメントをお返しに行ってまいりました。

今年の世相は”愛”だとか。「愛の命一刀斎」当たりでしたね。

ミーナさんのブログを拝見させて頂いて、日本的な神について惹かれているミーナさんとキリスト教的な神について惹かれている私との差は何か?が気になっています。

どちらでも根本は同じなのですが、受ける表現の差はどこからくるのか、今度、教えてくださいね。
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