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列幣使街道佐野宿

2015-04-18 | 都内散歩

今年1月末に山ちゃんと栃木市を歩いた時、次は隣の佐野を歩こうと決めてから、何やかやでやっと今日実現。

延々三時間もかけて出掛けたが、結果的には佐野厄除け大師以外には見るべきものがない。言えることは、ただ遠かった。

佐野厄除け大師は年がら年中CMを流していて、広告費が大変だろうなと思っていたが、今日も厄除けのお参りの人が沢山いて十分繁盛しているようだ。

佐野市内は見世蔵などの古い建物が多く、豊かな町の名残が見られる。土地が広く、ノンビリした町だったが、コンビニが目に付かなかったな?

佐野市駅→堀田佐野藩の門→佐野厄除け大師→熊野神社→星の宮神社→徳雲寺の赤門→影澤医院→佐野駅

昭島を出て立川、西国分寺、新越谷、東武動物公園、久喜、館林で乗り換えてやっと佐野市駅に到着。約3時間、長かった。特に東武線は支線が多く、どの電車に乗ればたどり着くのか分かり難くかった。

ガイドブックの地図が分かり辛い。道路も素直でない。不安になり、お寺の境内の車にいた人に聞いたら、佐野市仏教会の会長さんで色々教えてくれた。天台宗普門院という寺でボロ寺と謙遜していたが歴史がありそう。

牡丹がキレイに咲いていた。「ボタモチとオハギの違いを知っているか?」と急に山ちゃんが言い出した。牡丹餅は春の食べ物で御萩は秋の食べ物だとか。クダラナイね!

小児科医院の横にあるのが堀田佐野藩の門。陣屋の裏門を移設したそうだ。漆喰も剥がれ落ち、屋根も傾いていて古そうだが、説明板が全くない。今日の散歩は期待できそうもない。

金山神社。知らなかったが佐野は古くから鋳物の町で、この神社は鋳物師の信仰を集めた所。

厄除け大師の隣にある観音寺の仏像。江戸時代に作られた銅の鋳物。

いよいよ佐野厄除け大師に入る。

金色の鐘にビックリ!きらびやかな鐘楼です。

足尾鉱毒事件で名高い田中正造の墓。墓石の嗚呼慈侠の文字が目に付く。日本は公害を一つ一つ解決しながら発展してきた国。今は放射能という公害をどう乗り越えるかが問題。

厄除け大師の本殿。「厄除けと厄払いの違いは?」山ちゃんが又言い出した。お寺と神社の違いだそうで益々クダラナイ。山ちゃん長生きしそうだよ。

真中のお釈迦様に甘茶を掛けて、鐘を一つついて手を合わせると書いてあった。

両脇の凸面鏡はと巫女さんに尋ねたらゴメンナサイと言われました。カワイイ女性に年寄りは変なこと聞いてはいけない。

厄除けの人は祈祷料を払って本殿に上がる。もう厄はないと思ったが幾つになってもあるようだ?

山ちゃんとお御籤を引いたら彼は「吉」で何事も時間が掛かるとか?何時かいい人が現れるといいね。

自分は「中吉」、何事も成就するそうで、心残りはないような?二人ともかなり当っている。

お寺の前の佐野ラーメンで昼食。

醤油味でアッサリ目。特徴がない所が特徴かな?

佐野名物イモフライ。フルーツ味のソースで、揚げたての食感が旨かった。

見世蔵や古い建物が目に付く。昔は豊かな町だったと思う。

街並みは賑やかになってきたが、通りには誰もいない?

熊野神社。ガイドブックに連れられて来たが、ここの神社の売りは?

星の宮の神社の鳥居。これも江戸時代の銅の鋳物で出来ている。

列幣使(れつへいし)街道。昔の面影は何もない。中山道を高崎から宇都宮方面に折れると京都から日光は思ったほど遠くないかも?

日光例幣使街道は、徳川家康の没後、東照宮幣帛を奉献するための勅使日光例幣使)が毎年通った道である

徳雲寺の赤門。由緒があるようだが解説版なし。我々の目にはただ赤い門があるだけ。

影澤医院。明治時代の洋館でキレイ。病院は止めているようで「日本クリケット協会」の看板が掲げてあった。

駅に戻る途中のラーメン屋。ラブホテルのイメージ。佐野ラーメン鶴里(ツルリ)!

駅前に建設中の大きな建物。市役所だそうだ。市内には全く高い建物が目に付かなかったが市民から文句は出ないのかな?

これが佐野駅。結構新しい。東武線とJRが入っているが、両方とも一時間に1・2本。

駅の北側は公園になっていた。コーヒーショップや喫茶店を探したが一軒もない。

ノンビリできてよい町だが、ここに住んだらさてどうしようか?
何かやることが見つけられそうな日本の原点のような町でした。

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