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長島音楽教室~守口メイプルパーク

守口メイプルパークのピアノ教室です。
リトミック・絶対音感指導も行っています。

声が・・・

2013-01-23 17:14:13 | 日記

朝、起きたら声が出ません!

少し、昨日からエヘン虫が引っかかってはいましたが・・・。

でも、歌も歌っていたし、普通に話していました。

 

ぼそぼそ独り言ぐらいなら大丈夫そう。

うがいしたり、食事したりしてたらそのうち治ると思ってたけど、電話に出たら相手に聞こえない

レッスンに差し支えないように、今から急いで耳鼻科に行ってきます

 


あそびをせんと うまれけむ

2012-11-28 15:39:26 | 日記

歴史が好きで、大河ドラマ「平清盛」も全編録画しています。

そろそろ終盤に近づき、HDDもいっぱいになって来たので、編集することにしました。

時間を作っては数話ずつ、早送り&30秒飛ばしを駆使して見返しています。

やっと第18話「誕生、後白河帝」まで来ました。

 

後白河帝は、長生きして平家・源氏を操ったラスボスみたいなイメージだったが、76歳没の白河法皇と比べて65歳没とは意外と若い。

それに演じるのは松田翔太。

 

後白河帝は今様歌謡を好み、後に「梁塵秘抄」を編む。

“遊びをせんとや生れけむ

戯れせんとや生れけん

遊ぶ子供の声きけば

我が身さえこそ動がるれ。” 

 

この時代らしいかは微妙な、でも雰囲気を醸し出してる旋律がいい。


タイトルバックでは子供の声で流れる歌。

雅仁(後の白河帝)はこの回で傀儡・遊女の里、美濃の青墓を訪ねる。

そこで祇園女御乙前~松田聖子~がこの曲を歌っているのを耳にする。

天皇の世継ぎをどうするか、様々な思惑の渦巻く中、帰館した雅仁がひとり朗々と歌う。

その場に居合わせた清盛は、赤子の時に聞き、よみがえったこの歌に驚く。

 

青墓という地について全く知らなかった。

ドラマでは、その地は皆、踊ったり(ブレークダンスみたいなのも)楽器を鳴らしたり賑やか。

籠を降りたら、芸人?たちが取り囲む。

子どもらもお面を付け、「花をくれ、どの花じゃ、あははは・・・」と歌って遊び、雅仁を巻き込む。

そこへ聞こえてくる、あそびをせんとうまれけむ♪

乙前の、その膝で泣き眠ってしまう雅仁。

 

ヨーロッパでいうジプシーのようだ、と思った。

このドラマでも、宮廷では崇徳帝などが和歌を詠むシーンがたくさん出てくる。

宮廷音楽(うた)と、民衆から湧き出でた音楽(うた)。

皇家と民衆・武士(当時はまだ武士の身分は確定されてない)。

ここにも、テーマが見える。

 

この回で色々このような事を考えて、また時間となってしまった。

編集できるのはいつの日か・・・。


箏と語りでつなぐ「おかあさん みすゞさん」

2012-10-25 00:04:45 | 日記

12月9日(日)午後3時~

茨木市市民総合センター(クリエイトセンター)センターホールにて

リトミックの卒業生さんのお母様が、今度は語りのコンサートを開催されます。

生徒さんだったO君も出演されるそうです。

 

箏と語りでつなぐ「おかあさん みすゞさん」

この世に、母から生まれてこなかった人はいません。

どんな人にも、母に対する格別の想いがあるはずです、

生きていても、亡くなっていても、愛であっても、哀しみがあっても・・・。

悲しいニュースがあふれる今だからこそ、

母から子へ、子から母への温かいメッセージを、

さまざまな作品(詩、短歌、子どもの作文など)の語りと、

箏の音楽(懐かしい童謡うあオリジナル曲)とで伝えるコンサートです。

 

与謝野晶子 「金魚のお使い」より

金子みすゞ「南京玉 娘ふさえの 三歳の言葉の記録」より

「1年1組 せんせいあのね」(鹿島和夫編)より ほか

「わたしと小鳥とすずと」「こだまでしょうか」 

 

「童謡メドレー~おかあさんをうたう~」ほか


お別れ

2012-09-12 23:18:44 | 日記

勉強会でご一緒のM先生が急逝され、先日、他の先生方とお別れに行ってきました。

最近やっとお話できるようになって、嬉しく思っていたのに残念でなりません。

お家を訪ね、皆さんと語り合い、ますますM先生の真摯な姿を想いました。

 

未だ信じられなくて、来月、勉強会に行ったらお会いできるような気がしています。


語り“あれから 六七年たちました”

2012-09-07 17:13:16 | 日記

今年も、元リトミックの生徒さんのご父兄が、語りをされます。


戦争の話 “あれから 六七年たちました” 「ぼくのこと・・・」

語り : 土方淳子・永瀬葉子・大竹 治

日時 : 9月9日(日)15:00より

ところ: メイプルパークスクエア 東1号館1階 カルチャールーム

企画・制作・問い合わせ   大竹葉子 090-9987-8995

 

元々、劇団に所属されていた方です。

ぜひ、お越しください。


21世紀のルネサンス~OASIS

2012-05-27 22:35:58 | 日記

今年もOBPツイン21アトリウムで開催された、「OASIS」の芸術祭へ行ってきました。

親戚の伯父が、この芸術祭に毎年参加しているのです。

伯父は何と今年96歳!

昔から写真が趣味で、自宅にフィルムを現像する暗室まで作っていたほど。

有馬の家から守口の実家まで自分で車を運転して来られます。

そして、いつもここに出す作品は、何とコンピューターグラフィックスなんです!

 

OASISでは絵画、書画、写真など様々なジャンルの作品が展示されています。

今回、シャクナゲの花が群生している幻想的な作品が素敵だな、と思って見ていました。

すると作者の方が傍に来られて、“シャクナゲの花びら・葉を1枚ずつ押し花にし、重ねて行って、咲いている姿を再現し、その上から、オーガンジーや和紙をちぎって重ねている”と説明して下さいました。

前回は、全て刺繍の作品もありました。

私は、絵画など美術作品を見るのが大好きなので、個性豊かなこの芸術祭は、とても楽しみな催しです。

 

写真はパンフレットと、待ち合わせた清荒神の叔母・従姉に戴いた、おいしい最中~

久しぶりに従姉らと会って食事、楽しい時間を過ごしました。


金環日食

2012-05-21 14:11:00 | 日記

 金環日食

皆さん、金環日食、見られましたか~?

曇りがちだったので、かえって肉眼で見れてよかったかも知れませんね。

写真はフィルター無しで撮れましたし。

木漏れ日が見れなくて残念。

見やすい所を下見してたのですが、影ができませんでした。

 

ところで、太陽と月の動きは東から西なのに、どうして金環日食は西から東に移って行くのでしょう?

 


誕生日

2012-02-23 12:35:52 | 日記

私の○○歳の誕生日に、娘が買ってきてくれました。

いちご桜餅、おかき詰め合わせ。

何だか、ひなまつりっぽいのでupしてみました。

  

 

これと、旦那さまのお土産のほうじ茶を入れて。。。

う~ん、幸せなひととき

(慢性膵炎のため、コーヒー・緑茶や油脂肪などが摂れないのです


美智子さま、真子さまのお誕生日

2011-10-24 14:57:29 | 日記

20日は皇后美智子さま、先日は初孫の真子さまのお誕生日でした。

 

もう27年前になります。

海外派遣事業に応募し、当時の皇太子ご夫妻による壮行会がありました。

私の派遣先はアラブ首長国連邦で、今はドバイが有名になりましたが、当時は未知の世界。

私たちの所にいらした美智子さまが、話に耳を傾けられた後、

「私がサウジアラビアに行った時は、遠くからアザーン(お祈りの歌)が聞こえました。

行かれるお国でも、風に乗って聞こえてくるかも知れませんね。」

とやさしく話されました。

(舞い上がっていたので、言葉は少し違うかも・・・)

 

優雅で何とも言えない品があって、でもやさしいゆったりしたお心が伝わる、そのお声、姿、今でも昨日の事のようです。

 

当時は50歳だった美智子さまも、もう喜寿におなりなんですね。

初お孫さんの真子さまも20歳。

(上の娘が雰囲気が紀子さまみたいね、と言われたことがありますが。)

いつまでもお元気で。


高校最後の文化祭

2011-09-11 12:28:56 | 日記

昨日は次女の高校最後の文化祭でした。

今年のクラスは、舞台「サウンド・オブ・ミュージック」

娘の役目は修道院のシスターと、照明係(出番が始めの方だけなので)。

主演女優賞取ったマリアより名演技とのこと(姉評)。

それはともかく、修道女の衣装をつけたまま、駆け上がっての照明操作は大変だったと思います。

トラップ姉妹兄弟の「エーデルワイス」の合唱が綺麗でした~

13歳と11歳?の男の子のはずが、すっかり低音の響きで支えてました

 

来年からは学園祭かな~?

上の子の出身大学園祭は、今年のゲストは佐野泉こと中村蒼。

遡ると、昨年より三浦春馬、三浦翔平、水嶋ヒロ、平岡佑太、小栗旬、成宮寛貴・・・と錚々たる顔ぶれでした。

私が大阪音大生の時は、小坂明子が来たなぁ(付属高出身なので)。

中庭で「あなた」弾き語りしてました。

高校の時は合唱祭があって、1日目予選、2日目本選で、ピアノ伴奏してました。

予選は2位通過だったのに、本選で賞取れなかったなぁ。

随分過去の事ながら、音楽室では伴奏が大き過ぎたので、控え目に弾くと、体育館では小さ過ぎたのも一因だったと悔やんでいます。

ホールの大きさによって、弾き方を変えなければならない事を身を持って知りました。