ポーランドの国民的詩人、アダム・ミツキェヴィチの詩集をショパンは15、16歳のころに読んだ、と後にシューマンが本に記しています。
バラードは計4曲あり、いずれも現実には起こらないようなドラマティックなストーリーです。
湖に棲む人魚と、それに恋した狩人の物語。
人魚は人間の女性に化身して狩人の心を奪い、最後は湖の中に引きずり込む、といった毒のある部分もあります。
 
ショパンが書いた4曲のバラードのうち、『第一番』は20代半ばごろの作品といわれていますが、それまでにいろんな詩を読んでいて、詩からインスピレーションを得て、英雄的な要素、物語の持つ神秘的な要素、自分の民族や伝統をこよなく愛し、それを侵略者から守る、というような強い思いがにじんでいるのが特徴です。
 
ポーランドはショパンが生きた19世紀初めごろは、ロシア、ドイツ、プロシアによって3国分割されていました。
ショパンに限らず、時代に翻弄された芸術家が民族の伝統を受け継ぐために作品を残した例はいくらでもあります。
 
 
バラードは、ショパンがもともと持っていた優雅さ、洗練、物語詩というものが融合した世界です。
特に『第一番』は若々しくて、英雄の持つ強さ、壮大さがあって、しかもそれに対する敬愛の念が深い。
この優雅さや気品は、羽生選手のスケーティングを見ていると、技のキレや、立ち姿ともぴったり合う。
ただ、4回転を飛べばいいというのではなく、前後の流れとか、非常に気品があって、ただ力任せで滑っているのとは、まるで違うように思います。
 
もともとこの曲は9分半ありますが、曲の初めは前口上のような序章です。
それが「次に何が始まるのか?」と問いかけるような響きに変わっていく。
その後、ノーブルな、テンポの遅い「大人のワルツ」が始まります。
子どもが弾くような子犬のワルツじゃなくて、ほの暗い、叙情的な、大人のワルツ。
静かな旋律でも、それがだんだん変化を遂げていく。
ショパンの場合、変幻自在のパッセージワークも魅力の一つです。
音の移ろい、終わった後、次のテーマがしんみりと出てくる。
吟遊詩人がリュートを弾くような、私的なメロディが出てきて、暗く激しくなる。
 
羽生選手の演技では、9分半の曲を2分40秒程度に編集しているので、曲の一部が急に飛んでしまったり、不自然さを感じる部分もありますが、重要なところはちゃんと使っているので、ショパンらしさを感じることができます。
 
ただ、ピアノ曲は一人でやるわけですから、オーケストラに比べると打ち出しは弱くなる。
叙情的なものや優雅さはオーケストラでは出せない。
独特の激しさ、エモーション、人間の心がそのまま出てくるような…。
ピアニストの個人的な感情も演奏には反映されるので、羽生選手はそれをよく聞き取って、音楽を深く理解しているのではないかと思います。