若生のり子=誰でもポエットでアーティスト

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サミラ・マフマルバフ監督の「午後の五時」

2009-09-08 | 映画
2003年作のサミラ・マフマルバフ監督の「午後の五時」を北千住の芸術センターで観て来ました。
ここは近年何度か訪れているシアターですが、この日も観客はわたくし達含めて、たったの4人でした。 勿体無い。
もっと信じられないことには、この3月アンゲロプロス監督の『シテール島への船出』を観た時には、観客は友人とわたくしのみの二人でした。薄ら寒い雨の日で5分程遅れて着いたのですが、観客が全くいなくて、わたくし達が席に着いてから上映されました。私達の為だけに映写されるなんてことは生まれて初めての経験で、そこにナニカ不思議な空間が出現しました。
現実の雨模様と映画の中での雨のシーンがオーバーラップして、わたくし達もラストシーンで薄靄の雨の中主人公達と一緒に筏に乗って愛の島といわれる『シテール島』に船出しそうな気がしました。

タイトルの『午後の五時』は、スペインの詩人ガルシア・ロルカの有名な詩から取ったものです。
「午後の五時、のこるは死、死だけだった」と詩人の青年の朗読で始まるこの映画は、初っ端から死をイメージして暗く重く響きます。そしてラストの死の道行を暗示しています。
タリバン政権が崩壊した後のアフガニスタンではやっと女性達も教育を受けられるようになり、「大統領になりたい」「大統領になって戦争をなくしたい」と主人公のノクレの夢は大きく膨らむのですが、抜き差しならぬアフガンの過酷な現実がノクレの家族を悲劇へと追いやってしまいます。
戦火に晒され乾ききって白茶けたカブールの町を女性たちは青いブルカをかぶり、青い傘をさして歩く。詩情溢れる映像でした。
アフガンの女性の純粋無垢で透明な希望が、淡々と絶望に向かっていくしかないラストでは、あまりにも哀しい!

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「角突と死」   ガルシア・ロルカ

午後の五時だった
午後のちょうど五時だった
少年はもってきた 白い敷布
午後の五時
一籠の石灰 もう用意は出来た
午後の五時
のこるは死 死だけだった
午後の五時

風は綿花を吹きとばした
午後の五時
ガラスとニッケルの光ばらいまいた酸化物
午後の五時
今やもう闘っている 鳩と豹
午後の五時
腿には さびれた角がくいつき
午後の五時
低音の唸りがはじまる
午後の五時
砒素の鐘の音 そして煙
午後の五時
あらゆる曲り角に静寂はむらがる
午後の五時
意気さかんなのは牡牛だけだ
午後の五時
その時 雪の汗がにじんできた
午後の五時
その時 闘牛場は沃度におおわれ
午後の五時
死が傷口に玉子をうんだ
午後の五時
午後の五時
午後のちょうど五時かっきり

車輪つきの棺桶が彼のベッド
午後の五時
骸骨と笛が彼の耳に鳴った
午後の五時
彼の額の上でもう牡牛がいなないている
午後の五時
死の苦しみで部屋は虹色になった
午後の五時
早くも遠くからしのびよるガングレン
午後の五時
股の付け根にユリの花のトランペット
午後の五時
どの傷も燃えていた太陽のように
午後の五時
群集が窓々を叩き割っていた
午後の五時
午後の五時
ああ 午後のおそるべき五時!
あらゆる時計の五時だった!
午後の日かげの 五時だった!

若かりしころ、親しくしていたフラメンコダンサーがいて、彼女の関係で、故天本英世さんの、ガルシア・ロルカ朗読会に何度か足を運んだことがあります。
ロルカは、分かりやすく日本人の感性にあった詩人だと思いました。

「あらゆる国では、死はひとつの終わりです。死がやってくると幕が引かれます。でも、スペインではそうではありません。スペインでは幕が上がるのです」
ガルシア・ロルカ

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