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「臓器移植法改定」についての雑感

2009-05-27 | 時事問題
この5月12日の「臓器移植法改定」について
14、5年ほど前に、小松美彦氏が、現代史研究会にて『脳死と臓器移植について』を講義されたことがあり、そのとき以来ずーっと気に掛けておりました。
あの当時は、ノーテンキなわたくしで、臓器移植して助かる命があるのならそれに超したことは無いと無邪気に何の考えもなしに思っておりました。
これはそんな単純なことではなく、氏の話を伺ってその医療の実態を知れば知るほど恐ろしいことだと分かりました。
無知の恐ろしさです。「知らないことは罪がある」とまたまた思い知らされたことでした。

* 「脳死=死」が科学的に立証されていない、「脳死状態」を確定できるだけで、「死」を規定できるわけではない。

* 脳死状態の人は、またいわゆる植物状態の人は、いつかまた回復するかもしれない、ほんとうは意識があるかもしれないから、その可能性を奪うべきない。

* そもそも臓器移植は、提供者、すなわち他者の脳死を前提としている。他者の死をひたすら待つということは倫理的これ以上の矛盾は無い。これは、医療とはいえない。

コソボの戦争時に言われたことであるが、全戦の真っ只中で兵士が倒れたら、即その臓器を取り出しそれを売りさばいていた。
またアジアや南アの開発途上国では、2つある腎臓のひとつを売るというような、生態移植用臓器売買があるということである。
ここに見えるのは、臓器移植は、金になるということと、莫大な金が掛かる為、貧者には到底無理であるが、裕福層は、金でナンデモできる(人の命も買える)という命の不平等があるということである。(資本主義もここまで来るのか、世も末)

・「死の自己決定」問題
・死が死ぬ人だけに起こることでなく周囲に共鳴していくものであるということ等
・免疫問題
・ドミノの問題

生物学的、医学的、倫理的、経済的、文化的にも様々大きな問題があり、まだまだ国民的議論の深まりを必要とする。

* 最も重大なこととして、生死の問題は大変センシティーブなことで、そのような生死の問題に、国が介在して判断をするようなことは、さまざまな恐ろしい問題が浮上してくる可能性があり、できるだけ法制化は避けたい。

等、思いつくまま書いてみました。

様々な分野で、現代の日本において、恐ろしいことがヒタヒタと進行しているという観をぬぐえません。

恐ろしさをつくづく実感します。