若生のり子=誰でもポエットでアーティスト

文字さえ書ければ、ポエット
感覚次第で、何でもアート
日日を豊かに遊び心

「Sharing the waves」のアマユウさんの感想

2010-03-17 | 現代美術
アマユウさん、色色と含蓄の多いご感想を大変嬉しく拝読いたしました。
ありがとうございました。
ブログ「生方卓の社会思想史」 http://www.kisc.meiji.ac.jp/~ubukata/index2.html
より転載いさせていただきました。

具象とも抽象ともカテゴライズ出来ないわたくしの絵ですが。
どちらにも属さず、限定を設けない領域でいたいです。
具象といっても、わたくしの中のイメージの造形、形象ですので、それはどちらにも流通可能ですし、ご覧になられる方の感覚で如何様にもご判断いただくのがいいかと考えております。

「それは、あなた次第、如何様にでも」です。(笑)

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若生のり子展の会場の地下に降りてドアを開けると青い世界が広がっておりました。その一瞬の驚きの印象には既視感がありました。1986年の夏、パリのオランジュリー美術館、モネの睡蓮の連作の部屋に入った時に胸を突かれた淡い青の記憶でした。
若生展の青はもっと深い青の世界です。私は招待状の絵はがきになった絵を見た時は抽象画とばかり思い込んでいました。大きなキャンバスの青い絵が三枚、会場の三つの壁を覆い尽くしておりました。青い画面の全体が、海中に揺れる渦巻きのような曲線の形をとって波打っております。

若生作品のモチーフはいつも「揺れる曲線」です。これは水平線と垂直線とガラスとコンクリートという近代建築のあり方に対する抗議であるかのようです。かといって過度に装飾的だったりどこか幾何学的だったりするユーゲントシュティール風の曲線ではなく、よりフェミニンな印象を与える曲線の世界です。
今度の曲線を見ているうちに、単なる抽象的な曲線ではなく、海の中で揺らめく漁網のようなイメージが湧いてきました。しかし本当に漁網なのか。そう言えば自分が漁網の編まれ方を知らないのに気がついて驚かされました。自分の物を見る目はいい加減だな。
さらに見ているうちに、海の中に海中ほ乳動物のような姿が隠し絵のように泳いでいるように見えてきました。ちょっとアザラシのようだな。正面の絵の中には五頭も。そのうちの中央の「アザラシ」の腹の辺りには小さな「アザラシ」が描かれているように見えます。あの「子アザラシ」は母アザラシに寄り添っているのだ、その下に描かれた父アザラシと川の字になって泳いでいるのだと隣で観賞していたS氏。しかし私には母アザラシの胎内の子アザラシにも見えます。そしてこの母アザラシだけは苦悶の表情で口を開けて叫んでいるかのようです。
よく見ると右の壁の絵の中央にも母子アザラシ風な姿が描かれており、その母の顔も苦悩に喘いで口を開けています。不思議な絵です。
そのうちに数年前に見たビデオの記憶がよみがえりました。沖縄の辺野古の隣の大浦湾にジュゴンが姿を見せたのを写したビデオです。大きいジュゴンと小さなジュゴンがぴったり寄り添ってゆっくりと泳いでいました。解説者はあれは夫婦だろうか。母子だろうかと決めかねている風でした。あの番組に出てきたcoccoの歌、「ジュゴンの見える丘」も聞えてくるようです。
するとあの揺れる網は漁網ではなく、ジュゴンや潜水艦の進入を拒絶する新米軍基地の海中金網だったか。そう空想しだすと、だんだんと編み目が金網の編み目らしく見えてくるから不思議です。
見ているうちにもっと意外な別の世界が浮かび上がってくるような気もして、しばらく目を凝らしていましたが、だんだんワインが回ってきたようで目が回ったのか渦が強まったのか、、、
見ているうちに私には抽象画と具象画の区別がわからなくなりました。
突如中沢けいさんの『海を感じる時』が心に浮かび上がりました。吉行淳之介の「子宮感覚」も、辺野古で座り込みを続けるおんばあの、「私たちを養ってくれた海だから大切にしないとね」という言葉も思い出された夜でした。