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第43代紫組要領次第

開成高校第43代紫組要領次第係のホームページ。

揺らげ、俺。

2011-01-16 10:55:12 | Weblog
揺らげ、俺。

「人生はブラウン運動」ってずっと以前つぶやいたけど、
アンドロイド研究を見て、
無意識で無意味で継続的な微細な動きが
人間を人間たらしめているということを知ると、
やっぱりそういう揺らぎが人間を人間たらしめてるんだと再確認できる。

記憶の境界

2011-01-16 10:54:12 | Weblog
記憶の境界、アンバウンデッド。



だれといたのか、その人がどんな顔をしていたか、自分が楽しい気持ちでいたこと、ははっきりと覚えている。なのに、その時にいた町がどこか思い出せない。その人と一緒に思い出すこともできない。

いのちの音

2011-01-10 13:44:15 | Weblog
夜。バス停。一時間に二便のローカルバス。外灯は少なく、人気は全くない。静かだなあ、と思っていたら、突然、そばで、カタン、という音がした。側溝の蓋が何もないのに音を立てたのだ。人がいないのになぜ、と驚いてそちらを見たら、猫がとことこ道路を渡っていった。そうか、音をたてるのは人間だけじゃないんだ。

すこしいらいらしていた。

2011-01-09 15:32:31 | Weblog
つかれていらいらしていた。

だから外にでた。

庭を歩いてきた。

太陽はもう大分低くて、

隣の家の影が庭半分ぐらいをしめていた。

そうか、冬は日が短いんだなあと思った。

いい香りがした。

どこからか風でふわっと。

近くを探してもその香りの元が見つからない。

おやとおもって、振り返ったら

黄色い花があった。

鼻を近づけたら、いい香りがした。

蝋梅。ろうばい。

数年前に写真をとった蝋梅。

すこしだけ大きくなっていた。

すこしだけいらいらが溶けて

部屋に戻ってきた。

三日月が受け止める星々

2011-01-09 11:21:58 | Weblog
「結晶化させて投げ込む。」

というのが最近のマイブームでして、

つまるところ、出来るだけ短く、
それでいて読み手の眼前にその光景が再現できるような、
または、書き手の気持ちが、読み手にずどんと伝わるような、
そういう表現をたまに試みようとしていて、
どーでもいーボイスの合間合間にそういうのをたまにちりばめていたりするのです。

たとえば、
「生きながら うなされるきみ 畳の目」とか、
今年の年賀状で使った
「照らされて はじめて分かる 自分の形」(写真付き)とか、
「内側に広がるユニバース」とか、
「傍から見れば凡て馴れ合い。」とかとか、
なんだかもの悲しいものから、世の中を冷やかすものまで、
まあいろいろです。
無責任な自分らしいなかなかな無責任な試みだと自賛しております。

意味不明なものもあると思うのですが、
まあ一人にでもその想いが伝われば成功ということで。
成功しているのかどうかはよくわかりませんけど。
自己満足でも全然かまいませんけど。


ということで。昨晩のこと。

一日中家に篭っていて、
まあ休みの日は一歩も玄関から出ないのが自分の性分なのですが、
わけあって夜でかけることになりました。(勉強の質問をしに北千住で待ち合わせたというまるで雅ではない用事でした。もちろん相手には感謝していますよ。この文章を見ていたら、「きみ、ありがとう。」ってことで。笑)

蛍光灯てかてかな屋内にいたもんですから、
家を出たら目が闇に慣れていないですし、
やたら暗かったんです。が、
星がやたらきれいなのが妙に印象に残りまして。
いやあまあ、それだけだったら、へえこりゃきれいだ、で終わりだったんですが、
自転車を駆っていたらずいぶん低い位置に月がいてですね、
んでその月が、弧を地平線に向けて、というかなんていうか、
その三日月を腕にたとえるなら、その腕を天球の頂上に向かって伸ばすような格好だったわけです。
んで、これがまるでこぼれんばかりの満天の星々を
月がよーしこいや、と待ち構えているというか受け止めているように見えて
なんだかみやびな気持ちになったんですね。

ってなもんで、課題を同定いたしまして、

「表現したいことは以下四点。1.形:月が細い。2.位置:月がかなり低い位置にある。3.向き:弧を下に向けており、上から降るものを受け止めるような向きである。4.星がたくさん見える。これらをうまく表現したい。」

などとつぶやいたわけですわ。

ただ、これをまあ単純にだらだらと書き連ねましても、
それこそ「想いの結晶化」ができていないわけで
さてどうしたもんかと一晩うんうんうなって、
というよりは、一晩ぐっすり寝て頭をすっきりさせたわけです。
そしたらぱっと思いつくんですね。

で文が二つできた。ということ。
つっても二つ書いてしまっては、その想いというか雅さもハーフハーフになってしまって、
どっかの宅配ピザみたいになってしまうので、
それはちょっぴり残念でありますので、

ってことで片方、シンプルな方、だけ披瀝するのであります。

では今日も一日がんばりましょう。

おはようございました。

--
三日月が受け止める星々。2011年1月8日




(やっぱりもう一個も書いておく。)

星々を受け止める三日月の細腕。

適温

2010-12-26 11:52:39 | Weblog
昨夜の車内。40歳ぐらいだろうか。
若すぎず、かといって中年と言うにはまだ若い、そんな男女が座っていた。
その年齢にしては珍しく手をつないで、むしろ、ただそおっと重ねあって座っていた。
控えめ。会話はあった。仲がよいことが、隣にたまたま居合わせた自分にも、よく伝わった。


ある駅で女性が降りた。電車はすぐに出発しなかった。女性は電車の外で発車を待った。
男も立ち上がり、ドアのところで発車を待った。
出発するまでは視線を合わせなかった。
ふたりとも意識はお互いに向かっているが、視線は違う方向に向いていた。

ドアが閉まり、電車が出発した。
二人が笑みを浮かべて手を振り合った。
すぐに女性は見えなくなった。
車窓にはただまっくらな景色が広がるだけになった。

その男は、すぐに席に戻るのも気恥ずかしいのか、
がらがらの車内で、そのままドアのそばに立ったまま、真っ暗な外を眺めていた。
窓ガラスに映る自分自身の顔を見ながら何を思っていたのだろう。

こういう年の取り方が出来て、こういう恋がいつまでも出来たらすばらしいんだろうなあと、同じ車両に居合わせた自分は人ごとのように思い、ほんの少しこころが温まった。

適温。

さあ、2011年。