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明徳義塾・馬淵監督、5敬遠を語る 作戦を選んだ理由は

2014-08-13 00:52:18 | 社会問題・生活
">あれから22年

朝日新聞 2014年3月5日11時53分 (聞き手・構成 浦島千佳)

1992年夏。全国高校野球選手権大会で、明徳義塾高校(高知)は星稜高校(石川)の4番だった松井秀喜さん(元米ヤンキース)を5打席連続で敬遠し、接戦を制しました。明徳義塾はなぜ敬遠策を選んだのでしょう。馬淵史郎監督がインタビューで語ってくれました。

 1992年8月16日。第74回全国高校野球選手権2回戦、星稜(石川)―明徳義塾(高知)で、明徳義塾は星稜の4番、松井秀喜選手を5打席連続敬遠した。
 第1打席は1回表の2死三塁。第2打席は3回、1死二、三塁。第3打席は5回、1死一塁。第4打席は7回2死。第5打席は9回2死三塁。松井選手は全20球で一度もバットを振れなかった。
 特に、明徳義塾の1点リードで迎えた7回2死走者なしの場面での敬遠で、球場が騒然となり、9回の第5打席では観客席からメガホンなどが投げ入れられ、試合が一時中断した。
 試合は3―2で明徳義塾が勝利。明徳義塾の校歌斉唱はスタンドからの「帰れ」コールにかき消された。試合中から大会本部や高知県庁、大会を主催する朝日新聞社にも電話が殺到した。
 また、明徳義塾の宿舎にも嫌がらせの電話などが相次いだ。選手たちは外出もできず、星稜戦以降の練習は警察が警戒する事態となり、明徳義塾は3回戦で広島工に大敗した。
 この問題は新聞やテレビで連日取り上げられ、作戦の是非から高校野球の指導者論まで議論が交わされた。
 朝日新聞の「声」欄にも約1千通の投書が寄せられた。このうち、東京本社への投書では、「高校野球らしくない」など批判が40%、「ルール上、認められている」など擁護論が34%、どちらでもないが26%。途中から擁護派が逆転した。
■運命だった
 あの作戦に後悔はありません。やりたい作戦ではないですけどね。リスクを背負いますから。
 松井(秀喜、元ヤンキース)君は別格でした。手が伸びるところに投げたら打たれる。投げるとしたら内角ですが、死球の危険がある。ぶつけたくはない。
 あの時、うちには絶対的なエースがおらず、ベンチには投手を5人も入れました。普通5人も入れませんよ。多くて3人です。背番号1は岡村(憲二)でしたが、ひじを痛めていた。だったら、コントロールがいいのは河野(和洋)。(現エースの)岸(潤一郎)だったら絶対勝負していました。寺本(四郎、元ロッテ)でも、高橋(一正、元ヤクルト)でも。プロに行くような投手がいれば勝負していました。それか、松井君に近い力をもった強打者があと3人ぐらいいたら、敬遠していなかったかもしれない。
 何より、星稜の山口(哲治)君が好投手だったんです。実際にあの試合も星稜の7安打に対し、うちは4安打。僅差(きんさ)で勝つしかなかった。うちにもう少し打力があったら、松井君にソロ本塁打を打たれてもいい、となったかもしれない。色んなことが重なったんです。これはもう運命。
■今ならやらない
 奇跡みたいな勝ち方でした。よく勝ったと思いますよ。普通あれだけ騒がれたら、選手たちが萎縮してしまう。萎縮しなかったのは日頃の練習のたまもの。あんな作戦、10回やって1回成功するかしないか。でも、選手たちを信じていました。勝つか負けるかは最後まで分からないけれど、勝つ確率が少しでも高いなら、監督としてはそちらを選択する。
 負けても仕方がないと、いい加減な勝負をしても教育にはなりません。一生懸命勝とうとすることこそが尊い。あらゆる困難に立ち向かい、窮鼠猫をかむではないけれど、どこかで生き延びようと努力する。その結果、勝てばもちろん得られるものは多いし、負けても本当に一生懸命やったのであれば学べることはあるはずです。
 高校野球の魅力って、力のない学校でもみんなの力を合わせてしっかり作戦を立てたら、強豪校とでも対等に、もしくはそれ以上に勝負できるところにあると思うんです。その見本みたいな試合だったんですがね。
 仮に、3年間鍛えた力で松井君と真っ向勝負して、負けたとします。それもまた教育なんだと思いますよ。それは間違いではない。だから、あの作戦は正しいとか間違っているとかではないんです。両方とも正しいんです。善悪は誰も語れない。好き嫌いはあるかもしれませんけどね。
 星稜戦後のインタビューをテレビで見たある名門校の監督さんから、電話をいただき、「お前な、一言足らん」と叱られました。「インタビューの時、勝とうとすることが教育になると、なぜ一言言わんかった」と。でも急にマイクを突きつけられて、そんなことを言える余裕などありませんでした。
 ただ、今なら(5敬遠は)やらん。当時と同じ状況になっても、同じ選手でも。あんな風に社会問題になると分かっていたら、やりません。学校にも迷惑かけました。
■立派な教育になった
 あの作戦は立派な教育になったと今でも思っています。ただ、私に徳がなかっただけの話。徳のある大監督がやっていたら、社会の受け止め方も違ったかもしれません。でも当時私は若くて、勝つことに必死で。生意気だったんでしょうね。
 選手たちにはあの時、「お前らは一つも間違ったことはしていない」と言いました。あの代の子とは今も結構飲んだりします。その子らに「監督、(5敬遠)またやりますか?」と聞かれたら、「やる」と言います。決して間違っていないと私は言い続けてきましたから。でも正直なところ、多分やりません。もっと別の方法を考える。ま、本番になってみんと分かりませんがね。ゲームの流れで結構作戦を変えますから。人生もそうでしょう。計画通りにはなりません。だから選択肢はたくさん持っておかないと。
 あんな騒ぎになるとは思っていませんでした。うちの選手にも星稜の選手にも嫌な思いをさせてしまったなあ、つらい思いをさせてしまったなあと思っています。野球を離れた一人の年上の人間からしたらね。一番良かったのは、松井君が成功してくれたこと。内心ほっとしていますよ。1回現役の時に試合を見に行きたかったけど、行けませんでした。
 こんな山の中で、朝早うから晩も遅うまで文句も言わず辛抱して、一生懸命練習している。それだけで立派な教育になっていると思いますよ。グラウンドでは厳しいことも言いますから、選手たちは理不尽だと感じることがあるかもしれない。でも、世の中は理不尽なことのほうが多いんだから。辛抱が必要な時もある。
■大切なのは人間
 「スポーツ崩れ」だけはつくっちゃいけないと思っています。スポーツだけ一生懸命やって、燃え尽きて、社会に出たら使い物にならないような人間。やっぱり最低限の知識、礼儀、常識は身につけて社会に出てもらわないと。だから試験中は一切野球の練習をしません。進路指導も全力です。
 野球部は全寮制。私も同じ屋根の下に住んで、常に一緒。遠征では一緒に風呂にも入ります。夜中に具合が悪くなったら病院にも連れていきます。親にもならなきゃいけないし、兄貴にもならなきゃいけない。人様の子を預かっているわけですから責任は重い。半面、自分の子どもの運動会には一度も行けませんでしたが。
 高校野球は教育です。だから、野球部の監督はできるだけ教育現場にいる人が務めた方がいいと思っています。普段の生活や教室での態度を見ていたら、その子の人間性がわかってくる。注意したらいつもふてくされる子が、実は自分の気持ちをうまく表現できない子だったとか。授業中のやりとりを通して、思わぬ個性に気付くことがあります。私も教頭になる前は日本史を教えていました。教室では自分の人生観もじっくり伝えることができる。教室でのがんばりを見込んで、試合で起用することもあります。
 レギュラー、ベンチ入りメンバーを決める時がやはり監督としては一番つらいですね。でも選手たちには、同じ実力かちょっと落ちるぐらいだったら上級生を出すと公言しています。1年長くここで頑張ってきたわけですから。下級生の子を出しても、その子のためにならない場合もある。入れなかったからこそ、がんばる子もいる。ギリギリでベンチに入れなかった子は個別に呼んで、理由を説明しています。そこのところの配慮はやはり必要でしょうね。
 心に残る選手がいます。ベンチ入りできるかどうかのボーダーラインにいた子でした。1年の時、秋の四国大会まではベンチ入りしましたが、2年の選抜大会では上級生を入れて外しました。2年の夏も高知大会ではベンチに入っていましたが、選手権大会に行く時に外しました。もう少しで、というところで2回も外されたのに、彼の態度はまったく変わらなかった。腐らず、常に一生懸命。そんな態度を周りの選手も見ているんです。その子は最後の夏、主将として立派に甲子園に行きました。やっぱり大切なのは、人間。うまい子だけが、よく打つ子だけが出るんだったら、高校野球は面白くないですよ。((聞き手・構成 浦島千佳))


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